長い休みが明けた。
九月も下旬となり、真夏に比べれば幾ばくか過ごしやすくなったお陰か今日も学食は盛況である。
「もうすぐ学祭ですねー」
当然のように俺の目の前で食事を摂る一色の姿も、もはや見慣れたもの。特に一色とは休みの間も頻繁に会っていたから、なんだか久しぶりという感覚もない。
「そう言えば、もうそんな時期──」
「あーっ、せんぱーいっ」
そんな高い声が届くと同時に、すっと隣に着地する学食のトレイ。振り仰ぐと思っていた通りの顔が、満面の笑みを浮かべている。こちらも全く久しぶりという感じのしない、天音さくらだ。
「珍しいですねー学校で会うなんて」
「え? 何でさくらちゃん普通に座ってるんですかね?」
そして笑みを交わし合う女子たちの間に火花が散っているように感じるのは、俺の気のせいだろうか?
きっとそうだな。そうにちがいない。そうだといいなぁ⋯⋯。
「え? だっていろはちゃんと仲良くなりたいし? あと先輩とも」
「⋯⋯ちっ」
あ、またこの子舌打ちした。そういうとこだぞ、いろはすぅ。
⋯⋯と現実逃避していたいところだったが、一色のご機嫌は斜めのままである。
「先輩と仲良くなろうと思ったらですねー。すっごく時間かかりますよ? やたら人と距離を取りたがりますし、なかなか本音言いませんし」
「あたしは全然余裕だけどなー? 先輩の
ね? と言わんばかりにさくらは視線を送ってくるが、一体何の話だというのか。
それはともかくとして、腹減ってるから飯食わせてくれないかなぁ⋯⋯。さっきからジロジロ見られて落ち着かないし、とてもじゃないが一人でパクパク食べていられる状況ではない。
「へぇ⋯⋯。たった数ヶ月で、先輩のことはよく知ってると」
「もちろん。だってバイトも一緒だし」
余裕の笑みを見せるさくらに、一色は不敵な笑みを返す。
いいでしょう、と一色は前置きすると、さくらに向けて問いかける。
「ではここで先輩クイズです。先輩の出身地は?」
「千葉県」
「正解。ま、これはサービス問題ですからね」
⋯⋯これは何だ。何が始まったというのだろうか。
本人を目の前にして比企谷八幡クイズかよ。これ言ってて相当恥ずかしいぞおい。
「それじゃあたしからも問題。先輩が今ハマっているものは?」
「エペ」
「正解⋯⋯。よく知ってたね」
「だって、たまに家でやってるの見てますし」
「⋯⋯⋯⋯は?」
一色の答えを聞いた瞬間、さくらの声音が変わった。
え、何その声怖い。元ヤンなの? ワンナイトでカーニバルしてピリオドの向こうに行っちゃったの? 俺もfun funしながら寂しがり屋の伝説になりたいから帰っていいかなぁ⋯⋯。
「はい、じゃあこっちの番。先輩の将来の夢は?」
「専業主夫!」
「⋯⋯正解」
さくらが答えた瞬間、一色は「何をバイト先で言っているんだ」とでも言うような非難の目を向けてくる。
一度は諦めかけた夢。しかし、それでも俺は追い求めてしまうのだ⋯⋯。
「そんじゃ次。先輩の妹の名前は?」
「世界の妹、小町だ」
「「なんで先輩が答えるんですか」」
ハモっていた。なんで今俺怒られたの?
あ⋯⋯はい。邪魔してごめんなさい。
「もう一回出し直すね。先輩の好きな飲み物は?」
「マッ缶」
「ぶっぶー」
「はぁっ!? なんでですかっ」
一色が抗議の声を上げると、さくらはちっちっちと人差し指を振る。
「正解はマックスコーヒーでしたー」
「いや、一緒じゃないですかそれ!」
「おい待て。俺のことはともかくマッ缶のことで揉めるのはやめろ」
「「えぇ⋯⋯」」
またハモっていた。けど八幡、マッ缶で争いが起きるなんて耐えられない⋯⋯。
「とりあえず、飯食おうぜ」
「⋯⋯まあ、そうですね」
俺の一言を皮切りにして、ようやく昼食を開始する。しかし当然、それで会話がなくなるわけではなく。
「もうすぐ学祭ですね」
俺が激安うどんをちゅるりとすすったところでそう言ったのは、さくらだった。そう言えばさっき一色も、そんなことを言っていたところだ。
うちの大学の学際は毎年十月に開催され、地域にも開放される。各ゼミや研究室の出し物、それにお笑い芸人のコントやらバンド演奏やらひっきりなしにステージイベントも開催され、かなり派手にやっていた記憶がある。
「あたしのゼミでフランクフルトの模擬店出すんです。先輩も来てくださいね?」
さくらは朗らかにそう誘ってくるが、言われた途端に去年の人混みを思い出してしまった。試しに行ってみたのだが、発狂してるんじゃないかってぐらいに高いテンションとパリピ勢の多さにだいぶ疲弊して帰った覚えがある。
「あー、まあ行けたら行くわ」
「これ絶対行かないやつですね」
「えー、来てくださいよー。いろはちゃんも」
ね、とさくらは俺に向けていたものと同質の笑みを一色にも向ける。
本当、仲がいいのか悪いのか謎すぎる。
「先輩と一緒なら考えますけど」
「⋯⋯ふぅーん」
前言撤回。たぶん仲悪いわこの子たち。
俺は見えない火花に気づかないふりをしながら、もはや味の分からないうどんをすするのだった⋯⋯。
* * *
それは次の講義に向かった先輩を見送った後のことだった。
「待ってよいろはちゃーん」
「⋯⋯なんでついて来てるんですか」
食堂を後にすると、なぜかさくらちゃんはわたしを追う形で廊下を歩いていた。
「どこ行くの? 次、空きコマなんでしょ?」
「⋯⋯図書館ですけど」
答えるべきか一瞬迷った後に、わたしはそう答える。
わたしが向かっているのは、大学附属の図書館だった。時間潰しにちょうどいいし、仮にそこまでついて来られても今みたいに喋ったりはできない場所だ。
「へー、いろはちゃんって意外に真面目?」
「意外ってどういう意味ですか⋯⋯」
見た目とのギャップ、と言いたいんだろうけど、もうちょっと言い方もあると思う。
批難を込めた目で見ると、邪気のない笑みが返ってくる。
「あたし、いろはちゃんに聞こうと思っていたことがあって」
「はぁ⋯⋯」
さっきまでの会話なんてまるで忘れたみたいに、何気ない声で言う。
胡乱げなままの目でさくらちゃんの目を見ると、瞬間笑みを引っ込めて真面目な顔になった。
「いろはちゃんって、先輩に告白したことある?」
「⋯⋯は?」
一瞬、思考停止する。
何だか似たようなことを聞かれたことはあるけど、まさかさくらちゃんの方から言ってくるとは思わなかった。
「ない、ですけど」
「そっか。ならあたしの方が先に告るかもね」
その上そんなことを言い出すから、わたしの頭は困惑の霧の中に迷い込んでしまう。
いったい何が言いたいんだろう。宣戦布告──は以前もう受け取った。プレッシャーをかけてきている? それとも何かの駆け引き?
正直、こんな相手は初めてだった。わたしの恋敵と言ったら、優しくて臆病な人たちばかりだったから。
だけど。
相手がそう来るなら、わたしは一歩も引くつもりはない。
「今告白しても、それで付き合おうにはならないと思いますけどね」
「だね。あたしもそれは分かってるよ。でも意識はしてもらえるじゃん?」
そう言って浮かべられた笑みに、わたしは毒気を抜かれる。
さくらちゃんがその作戦を思いつく理由は、よく分かる。わたしがずっと前に先輩に使った
だけどあの告白の本当の意味は違う。きっとあれは、一つのけじめのつけ方だった。
「よくそんなことわたしに話しますね」
「前に言ったじゃん。正々堂々戦おうって。ま、いろはちゃんも告るなら教えてとかは言わないけど」
覚悟の決まった様子で話すさくらちゃんを見て、わたしは羨ましいと思った。
どうしてわたしは、こんな風に素直になれないのだろう。自分を縛り付けて、自ら自由を手放している。
さくらちゃんが眩しすぎて、わたしは思わず目をそらした。
その視線の先で、一枚のポスターが目に留まる。学祭のイベントを告知する、一枚のポスター。
「いいえ」
閃きのままに、わたしはさくらちゃんの言葉に否定を返していた。
そしてさくらちゃんの方をまっすぐ見て、わたしは言う。
「わたしも告白します」
いろはすさん、何を思いついたのでしょうか⋯⋯。
次回は閑話。ワンクッション置いてから学祭編へ!
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それでは、引き続きお楽しみ下さい!