学祭が終わって、しばし。
俺は学生食堂で一人、昼食をとっていた。今日
あの一色いろはの告白の演技と天音さくらによる本気の告白の後、大きく変わったことがある。
あれだけ積極的に絡んできていたというのに、一色からいっさい連絡が来なくなった。大学で顔を合わすこともないし、家に押しかけてくることもない。
「あれ、今日も一人か?」
「⋯⋯おお」
そう声をかけてきたのは、津西だった。だいたいワンセットで行動している熱血野郎、二階堂の姿がないところを見ると、向こうも一人らしい。
「どうした最近。全然一色ちゃんと一緒にいる姿見ないけど」
「別に⋯⋯。そんな毎日一緒なわけじゃないしな」
俺が答えると、津西は目の前の席にトレイを置いた。断りを受けたわけじゃないが、どうやら俺と一緒に食うつもりらしい。
「いやいや、ほぼ毎日だったじゃねぇか。何かあったのかよ」
「何か⋯⋯ね」
やはり一色の様子の変化は、他の者の目から見ても不自然に映るらしい。俺が呟くと、津西はもしゃもしゃとメンチカツ定食を食べ始める。
「あったとしても何かが分かんねぇんだよ」
「そりゃあれだろ。ステージ上から告ったのに返事しなかったからじゃねぇの?」
間髪を容れずに言われて、どきりとした。津西もあのステージを見ていたらしい。
確かに、告白はされた。しかしあれは──。
「⋯⋯あれは、演技だろ」
「どーだかね。俺にはガチの告白に見えたけど」
津西はそう言った後に平然と白飯をかきこんでいるが、あくまで「見えた」という話に過ぎない。
一色の告白は、鬼気迫るものがあるというか、真実味の濃いものであったのは確かだ。
だが、それに反応しすぎるのも良くない。過去からの出来事やその他諸々によって組み上げられた思考回路が、そう警笛を鳴らすのだ。
「だとしても、俺から返事をするのはおかしくないか?」
「そんなら『あれって本気だったりするのか?』って聞けばいいんじゃね」
すぐに返事をする代わりに、俺は煮魚定食に添えられた沢庵をパリポリ咀嚼した。
軽く言ってくれるよな、と思う。聞いたら聞いたらで「本気ですよ」と言われたりしたら、どうしろと言うのか。
「自意識過剰すぎるだろ⋯⋯」
「むしろ過剰なぐらいになった方がいいと思うけどな」
津西は呟いた後にメンチカツをかじる。俺は白米を口に入れる。
「これ以上なってどうすんだっつの」
だいたい一色が近寄ってこなくなって動揺している時点で、おかしいのだ。
元々異常なぐらい近い距離感を牽制していたのは俺の方で。それが今更、本来あるべき姿になっただけで、こんな──。
「そんなら、俺が一色ちゃん狙っていい?」
「は?」
突拍子のない津西の言葉に、思わずそんな声が出ていた。
何の冗談だと聞こうとしてその顔を見るが、津西の表情は至って真面目だった。
「たぶん、愛想尽きたんだろ。めっちゃグイグイ来てんのに付き合おうとしないしさ。お前が気にかけてやらないなら、俺が狙ってもよくね?」
真意を確かめるように俺が見続けても、津西の態度は揺るがない。いつしか目を細めている自分に気付いていたが、目を逸らすことはできなかった。
「⋯⋯ふざけんな」
自分でも驚くぐらい、苛立ちにまみれた声が出た。
それでも津西は表情を変えることなく俺を見続けてくる──と、ふとした拍子にくしゃっと破顔した。
「それが答えだろ。お前の」
呆気に取られている俺の前で、津西はラストスパートをかけるようにガツガツと飯を食らう。
「そんじゃな」
あっという間に昼飯を胃袋に収めると、津西はそう言って立ち上がった。
颯爽と歩き去る姿を見ていても、やつが振り返ることはない。
「⋯⋯わけ分かんねぇよ」
何なんだよ、本当に。
思わず衝いて出そうになる悪態を声に出す直前で止めると、俺は大きく溜め息をつくのだった。
* * *
キャンパスライフで一番の楽しみは、昼ご飯の時間だった。
賑やかな学生食堂。その中でなるべく静かな場所を探せば、ほとんど必ずと言っていいぐらいの確率で先輩を見つけることができたから。それが唯一と言っていいぐらいの、大学での接点だったから。
「⋯⋯」
けど、今のわたしは一人でご飯を食べている。
自分から先輩を探したりはしない。むしろいつもいる時間を外して来ているから、会うはずもない。
「あれ、珍しいじゃん。こんな時間に」
突然降ってきた声に、わたしは顔をあげる。そこに立っていたのは、さくらちゃんだった。
「⋯⋯どうも」
「相変わらず他人行儀だなー」
さくらちゃんはそう言いながらわたしの前の席にトレイを置くと、当然と言わんばかりにそこに座る。
先輩に会うほどではないけど、正直その次ぐらいに会うのは気まずい相手だった。なりゆきとは言え、わたしはさくらちゃんの告白を覗き見してしまったんだから。
「あの」
「あたし、先輩に告って振られちゃった」
わたしが切り出そうとしたところで、そんな答えが返ってきた。まさかさくらちゃんの方から言ってくると思っていなかったから驚いたけど、話の流れとしては都合がいい。
「知ってます。先輩探してた時に、聞いちゃったので。盗み見みたいになっちゃって、ごめんなさい」
「マジ!? うわ、はず⋯⋯。でもまぁ、なら話は早いか」
そう言って頭を下げるとさくらちゃんはぶんぶんと手を振った。これで怒ったりしないところは、本当に心が広いなと思う。
「無理っぽいのは分かってたけど、はっきり断れるとやっぱきついねー」
その素直な感想に、わたしはすぐに言葉を返せない。
わたしはたぶん、さくらちゃんほど割り切って考えられていないのだと思う。
振られる覚悟というか、傷つく覚悟というか。そういうのが、わたしには足りなかったんだろう。
「それで、何でいろはちゃんは先輩避けてるの?」
いきなり核心を突いた質問に、思わず運んでいた箸が止まる。
一呼吸おいた後に、わたしは答える。
「⋯⋯わたしも振られたからです」
わたしが正直に答えると、さくらちゃんは表情を固まらせた。
⋯⋯何その反応。思ってたのと違うんだけど。
「え⋯⋯? あー、うーん⋯⋯そっか」
分かったんだか分かってないんだか、さくらちゃんは無理やり自分を納得させるように頷く。
「あのさ」
この反応は何なんだろうと答えを探していると、不意にさくらちゃんが切り出した。その目はしっかりと、わたしを捉えている。
「今こう言うのはずるいのかも知れないけど、あたしたち仲良くなれると思わない?」
そう問いかけたさくらちゃんの瞳は、びっくりするぐらい澄んでいて。
嘘も誤魔化しも同情も、何も混じっていない綺麗な色をしていた。
さくらちゃんの言葉を両手で受け取って、それから考える。
でも答えを口にするまで、それほど時間はかからなかった。
「そうですね」
「まだ敬語かーっ」
さくらちゃんは大袈裟に言って身体を仰け反らせると、すぐに視線を戻してくる。
ふとまた目が合うと、さくらちゃんはちょっと真面目な顔をしていて。
それが何だかおかしくて、わたしたちは笑い合うのだった。
* * *
ガヤガヤとした話し声と、グラスのぶつかる音。
「先に言っておくけど」
居酒屋のカウンターにジョッキを置いた徹也さんは、黄金色のビールを見ながら言った。
「僕はこういうことする柄じゃないんだよね」
「まあ、そうっすね⋯⋯」
なぜ、こんな風に二人で飲んでいるのか。
それは徹也さんの方から、唐突に飲みに行こうと誘われたからだ。
もちろん今までそんな誘いを受けたことはないし、二人だけで会うのだって珍しい。それにそもそも、徹也さん自身そんなに飲みに行くのは好きじゃないはずだった。
「でも流石に、色々気になったからね」
「⋯⋯何か寧々さんづてに聞いていたりとか?」
「いや。特にそういうわけでもないよ」
主語のはっきりしない会話だったが、指しているのは俺と一色のことで間違いなかった。
普通に考えればあれだけ一緒にいる時間が多かったのだから、一色の態度の変化は俺たちに近しかった徹也さんから見ても疑問だろう。
「何かあったの? 学祭でのことは別にして」
「何もないんですよ。⋯⋯まあ、それが原因なんでしょうけど」
前に津西がくれたヒントは、俺の中でほとんど確信に変わっていた。
そもきっかけがあったとすれば、あの一件しかないのだから疑いようもない。だがそれだけのことで⋯⋯と思ってしまっている自分もいる。
「それで比企谷くんは、これでいいと思っている⋯⋯ってわけじゃないよね」
「それは、そうですよ」
その答えは、自分でも意外なぐらいすんなりと出てきた。
愛想が尽きたというなら、それはそれで仕方がない。その状況を作り出したのは、俺の行動の結果だ。
けれど、俺は。
一色が傍にいない生活に、耐えられなくなってきている。
今の自分を冷静に分析した結果からしても、もうそうとしか言えなかった。
時に打算的で、時に純真な笑みがそこにないことが、堪らなく空虚に感じる。
慣れ親しんでいたはずの一人の時間が、耐え難いほどの虚しさを去来させるのだ。
「普通に付き合えたら、話は早いのにね」
徹也さんのしんみりとした声が、胸の隅まで染み渡る。
本当に、全くもってその通りだ。
「どうしたら女の子と上手くやれるようになるんですかね⋯⋯」
ビールを半分ぐらい一気に飲むと、ジョッキをカウンターに置いて呟く。
口にすればあまりに女々しく、陳腐な言葉に聞こえた。
「比企谷くんの場合、覚悟を決めるだけだと思うんだけど」
「それも一理あるのかも知れませんけど、そう言う意味ではなく」
「えっ、じゃあエッチしたいだけ?」
「えっ?」
「え?」
思いもよらなかった言葉に、俺たちは顔を見合わせていた。
いきなり何言い出してんだ、この人。やれるってそういう意味じゃねぇよ。
酔ってるのか? と思って手元を見ると、確かにもうジョッキは空になっていた。
訪れた奇妙な間を埋めるように俺も残っていたビールを飲み干すと、二人揃ってお代わりを頼む。間もなく出されたジョッキを掴んで、二人して半分ほどを一気に飲んだ。
「今思うと、高校の時はモテ期が来てたかも知れないんですよ」
「急に自慢? リア充爆発しろ」
「徹也さんだってモテるじゃないですか」
「僕は寧々にさえモテてればいいの」
「あんたこそ爆発しろよリア充」
酷い会話だと思いながら、過ぎ去った日々に思いを馳せた。
放課後、空き教室、紅茶の香り、彼女たちの話し声──アルバムの中から写真を取り出すように、そっと思い出す。
「⋯⋯その時決められなかったんです。本当に誰を大事にするべきかを」
身勝手にも悼むような声が出て、
あの時、彼女は──雪ノ下雪乃は、由比ヶ浜結衣の願いを叶えることを願った。
しかし俺はそれを、叶えることはできなかった。雪ノ下の願いだけではなく、由比ヶ浜も願いも。
「だから俺には、誰かと付き合う資格なんてないんですよ」
奉仕部はなくなって、あれだけ仲睦まじかった雪ノ下と由比ヶ浜は疎遠になっていって。
部活をなくしてしまったことに、後悔はない。けれどあの二人の関係性を壊してしまった自分自身のことを、俺は今でも許せなかった。
「今でも決められないのかな? 誰を一番大事にするかを」
その問いかけは優しい声だったが、まるで槍のような言葉だった。核心を突く、鋭利な切っ先だった。
だけどもう、分かっているのだ。
本当はどうするべきかなんて。
「⋯⋯決められます。というかもう、決まってます」
「なら、よかったよ」
そう言って徹也さんはジョッキを傾けた。
俺もふっと肩から力を抜くと、残ったビールを
ちょっと身体を冷やしてきます、と言って外に出ると、辺りはかなり冷え込んでいた。
酔い醒ましのつもりで外に出たが、上着を置いてきたことを後悔するぐらい風は冷たい。
店の壁にもたれ掛かって通りを眺めていると、気の早い店がもうイルミネーションを光らせていることに気付いた。秋も半ばを過ぎて、季節は着実に冬へと向かっていることを実感する。
そんなことをつらつらと考えていた、その時。
「「⋯⋯あ」」
思わぬ人物
道の向こうから歩いてきたのは、天音さくらと一色いろはだった。
「⋯⋯」
ばっちり合っていた目を逸らすと、一色はそのまま歩き出そうとする。
しかし。
「それはダメだよ、いろはちゃん」
その腕を引き止めたのは、さくらだった。
離してと請うような目をする一色に、さくらはかぶりを振る。
「奇遇ですねーっ。せっかく会ったんですし、どうですかご飯でも」
「ちょっ⋯⋯。ご飯ならもう食べたじゃないですか」
さくらは俺に向けてにっこりと笑いかけ、一色はその腕を取って引っ張る。何だか今までと違う雰囲気だ。
「いや、今ここで飲んでるから⋯⋯」
「んー、そうですか。残念です」
俺が店を指して言うと、さくらはあっさりと引き下がる。
ふと一色に視線を送ると、また目が合った。そしてその目はすぐに伏せられる。
見たことのない反応に、心に穴が空くような錯覚を覚えた。
気持ちが沈んで、さらさらとその穴から砂がこぼれ落ちていくようだ。
──だけど、これじゃ駄目だ。
「その、なんだ⋯⋯。また連絡する」
目を合わそうとしない一色を見続けたまま、俺は言った。ぴくりと小さく、一色の肩が震える。
「⋯⋯そうですか」
素っ気ない返事だった。こちらを見ようともしない。それでも俺には、充分だった。
自分にとっての確かな一歩を、踏み出せた実感があったから。一色の答えは、俺を拒絶するものではなかったから。
「行こっか」
さくらがそう言って手を振ると、俺も小さく手を振り返す。
やがて小さくなっていく二人の背中を見ながら、俺は拳を握りしめるのだった。
八幡、覚悟の決めるの巻でした。
この作品の中で一番シリアスな話じゃないでしょうか。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が喜びのあまりお魚くわえたドラ猫に餌付けしてもうサザエさん一家から窃盗を働かないように躾けます。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!