「ではまたね、比企谷くん」
「ばいばーい、ヒッキー!」
「⋯⋯おう」
店を出ると、そう言って手を振る雪ノ下と由比ヶ浜に手を振り返した。
由比ヶ浜から久しぶりに連絡があったのが昨日のこと。待ち合わせた喫茶店で聞いた二人の話は、もはや衝撃以外の何物でもなかった。
正直、頭の理解が追いついていないが⋯⋯。
二人は恋人同士で、疎遠になったどころか今は一緒に暮らしている。これはつまり、俺を制限するものが何もなくなったということに等しい。
今でも後悔の気持ちは、胸に残っている。しかし幸せそうな二人の姿を見せられた後では、その感情を持ち続けることが正しいとも思えなくなってきていた。
とにかく、つまり。
俺は改めて、一色いろはと向き合う必要がある。
一色が乗り越えようとしてきた壁がなくなった今、俺たちを分け隔てるものは何もないのだから。
『今、家にいるか?』
もうちょっと気の利いたメッセージもあったんじゃないかと思ったが、その短い文章を紙飛行マークに乗せて飛ばした。ポケットに携帯電話をしまおうとしたところで、ぶるると携帯が震える。
『います』
その返信を確かめると、俺は駅へと足を向けた。
電車に乗って、一色の住むマンションの最寄り駅を目指す。退勤ラッシュで揉みくちゃになりながら、俺は何をどう伝えるべきか考える。
目的の駅で降りると、地図アプリでスーパーを検索した。出てきた一番近いスーパーで食材を買うと、俺は気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと一色のマンションを目指す。
「⋯⋯いらっしゃい、ませ?」
「悪いな、急に」
呼び鈴を鳴らしてすぐに出てきた一色の表情には、驚きよりも疑念の方が色濃く出ていた。
あんなメッセージの後だから、「ひょっとしたら来るかも」と思っていたのだろうか。
「来ていきなりで悪いけど、台所借りるぞ」
「え? あ、はい⋯⋯」
俺が買い物袋を掲げてそう言うと、一色は戸惑いがちに部屋の中に案内してくれる。一通り調理器具を見せてもらうと、一色にリビングで待つように伝えた。
さて、ここからは料理の時間だ。
ご飯を炊いていると時間がかかるから、買ってきたバックの白米を温める。フライパンを熱してバターを溶かし、具材を炒めてチンしたご飯を投入する。
慣れない料理に苦戦しつつも、できあがったそれをトレイに乗せる。
俺は唾を一つ呑み込むと、一色の待つリビングスペースに足を踏み入れた──。
* * *
「できたぞ」
「はぁ⋯⋯、オムライスですか」
わたしはそう言いながらしげしげと、先輩の作ったオムライスを眺めていた。
急に家に来たと思ったら、何の説明もなしにいきなり料理し始めるし、何なんだろうこの人。まあわたしも似たようなことしてるから、文句は言えないけど。
「そんじゃ、冷めないうちに」
先輩はそう言うと、すちゃと伊達眼鏡を装着した。デートの時に買った、二人の時にしかかけない約束の眼鏡だ。最近はそのルールも存在も忘れがちになっていて、久しぶりに先輩の眼鏡姿を見た。
「どうした?」
「い、いえ⋯⋯」
うっかり見惚れてしまいそうになって、わたしは誤魔化すように料理の方に目を向けた。
先輩の作ったオムライスは、慣れていないのか卵が少し破れてケチャップライスが見えてしまっている。意味が分からないけど、たぶんこれが先輩の作ってくれた初の手料理だ。
「でも、なんで急に料理⋯⋯」
「いただきます」
ようやく口にできた質問を、先輩は押し流すようにそう言って食べ始める。
いや本当に何なのこの人⋯⋯と思いながらも、仕方なくわたしもスプーンを取った。
一口食べて、ふむと考え込む。見た目はアレだけど、美味しくなくはない⋯⋯かな。
「一色」
だいぶ上から目線なこと考えていると、不意に呼ばれて先輩の方を見る。
わたしの目の前で、一口分のオムライスをすくったスプーンが揺れていた。
「ほら」
ぽかんと開いた口に、スプーンが入れられる。唖然としたまま
「⋯⋯なんで俺がこんなことしてるか、分かるか」
「いえ、さっぱり⋯⋯」
「あ、すまん。ケチャップ忘れてたわ」
まるで噛み合わない会話の後に、先輩はそう言ってケチャップを手に取った。
ちゅちゅいと出てくる、絵の具のような赤。鮮やかな黄色の上に、朱色のハートマークが描かれていく──。
「これでも、分からないか」
「あの、先輩⋯⋯?」
わたしの声は、震えていた。
これはいつかの焼き増しで、つまりこれはそういうことで。
「分かるまで、続けるからな」
先輩は顔を真赤にしたまま、次の一口をスプーンで差し出す。
だけど、わたしは。
「いいえ」
そうして、否定の一言を返す。
焼き増しじゃ、駄目だから。繰り返しちゃ、駄目だから。
だからわたしは。
「分かりました。けど、言葉にして欲しいんです」
──先輩のもう一歩が、欲しい。
「⋯⋯それは」
戸惑うのは分かってる。
そういうのが苦手なのも、わたしが一番よく知っている。
「ちゃんとわたしを、分からせて下さい。安心させて下さい」
それでも、わたしはその言葉が欲しかった。
「その、な⋯⋯」
先輩は、すごく言いにくそうにしている。
それでもわたしは、見つめる瞳に力を籠め続ける。
「あー、なんだ⋯⋯。普通に、す、好きだ⋯⋯」
「普通?」
「いや、普通の範疇に収まらないぐらいなんだけど」
「ちゃんと分かるように言って下さい」
「⋯⋯これぐらいで勘弁してくれ」
「いいえ、駄目です。わたしのこと、どれぐらい好きか言ってください」
「お前の為なら死んでもいいと思ってる」
「急に重たいですね。でも絶対死なないでください。少なくともわたしより先に死なないで下さい」
「無茶振りすぎる⋯⋯」
「全然無茶振りなんかじゃないです。っていうか先輩、それだけですか? わたし、すっごい頑張ったんですけど」
「えー、あー。君の為なら世界を敵に回しても構わない?」
「そんなんじゃないですね」
「君だけを見つめてる?」
「普通にキモいです。でもそんなところも好きです」
「なんか話変わってきてない?」
「ですね。だからもっとちゃんと言って下さい」
「いや、だから好きって言ってるし」
「それだけじゃ足りないと、わたしは言ってるわけでして」
「あー、はい⋯⋯」
「分かったようなことを口にするなら、ちゃんと言って下さい」
「ああ、うん⋯⋯」
「はい、三、二、一」
「い、今すぐ結婚したいぐらい好きだよ!」
「なら結婚しましょう」
「しねぇよ!」
「しないの!?」
あまりにも矢継ぎ早な会話に、いつの間にかわたしたちは肩で息をしていた。
いや、本当に何なの、これ⋯⋯。
「いや、今すぐにはしないというだけで⋯⋯。あれだ、将来的にはそれも視野に入れながらお付き合いしませんかという話で⋯⋯」
「あ、はい⋯⋯」
お付き合い、というキーワードが、欲しかった言葉が、わたしの中で風船みたいに膨らんでいく。
断固として避けてきた、決定的な言葉。それがわたしの中で、ありえないぐらいに膨らんでいく。
「っていうかこれ、なんで俺ばっかり言わされてるんだ? 何かずるくない?」
急に冷静になってきたのか、先輩はそんなことを言い始めた。
まあ、確かにズルいのかも知れない。結局先輩に告白して欲しいというのは、他の人から見たらただの我がままだ。
だから。
だから、次の一歩は、わたしから踏み出すべきで。
「──」
だからわたしは、わたしの中に籠もった熱を、唇で先輩に伝える。
「い、一色⋯⋯」
でもたぶん、そういうことじゃない。それだけじゃ伝わらない。
言葉にしなければ伝わらないものが、わたしたちには多すぎるから。
だからわたしは、先輩の目を見ながら言う。
コンプレックスになっているその目を、適当なことしか言わない口を、ゆでダコみたいになった頬を。
愛おしいと思いながら、涙を零しそうになりながら、やっと言えると思いながら。
わたしははっきりと、この気持ちを口にする。
「大好きです。先輩」
──って。
Fin.
あとがき
最後までお読み頂きありがとうございました!
これにて『塩対応の後輩が俺にだけ甘い。』は一応完結です。
この作品は今年の始めから約十ヶ月連載していた前作『やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。』を書いている最中にいろはが可愛くて可愛くて仕方なくて、短編で出したものをシリーズしたのが始まりです。
前作ではとにかく俺ガイルらしさにこだわって書いた作品で、本作ではその中でもポップでコミカルな部分は引き継いでいます。
しかし、お気づきの方もいるかと思いますが、今回大きく変えたのは『俺ガイルらしさ』を追い求めていない点です。
とにかく自分の思う面白さに全振りできるようにして、今まで忌避してきたオリキャラを登場させてまで書きあげました。
さて、面白かったかどうかは個々の感覚や趣味嗜好もありますので置いておくとして。
この作品の一色いろはは可愛かったですか?
でも、まだまだこんなもんじゃないって思いませんか?
そうです。いろはすの可愛さはこんなもんじゃありません。まだ終われません。
第一部としてはこれで完結ですし、作品としてはこれで出来上がったと思います。
なので、十八歳未満の方はここでさよならです。
次回より第二部・恋人編。
乞う、ご期待。