秋も深まり寒さを増してきた、そんな週末。
場所はよくある、いわゆる居酒屋というところ。
「「かんぱーい!」」
わたしと先輩、それから寧々さんと徹也さんは、そんな音頭と一緒に届いたばかりのグラスをぶつかり合わせた。
今日は前に寧々さんから誘われていた、お祝いの会。わざわざ一席設けてくれるなんて、本当に周りの人に恵まれているなぁと思う。
「いやもう、やーっと、や~~~~っと付き合ったんだねぇ。感動も
「本当ですね。やっっっっと付き合うようになりました」
もう今日何度目だってぐらいの寧々さんの言葉に、わたしは沢山の実感を込めて返事をする。周りから見ててもそう思うぐらいなんだから、わたしにとってはもっとだ。
「言われてるよ、比企谷くん」
「いえ、まあ⋯⋯言われても仕方ないんで、何も言い訳できないですよ」
わたしたちの会話で肩身の狭い思いをしている先輩を見ていたら、なんだかおかしく思えてきた。まあ理由を知ったらしょうがないなって思うところもあるし、ちゃんと付き合えたからいいんだけど。
「それにしても、いろはちゃん」
先輩たちは先輩たちで別のことを話し始めると、寧々さんは耳打ちするような仕草をする。店の中は結構ガヤガヤとしているから、たぶんわたしたちの会話は向こうに聞こえないはずだ。
「私の教えた作戦通り、上手くやったね」
「え?」
言っている意味が分からなくて、わたしは寧々さんの顔を見返した。すると今度は寧々さんが首を傾げる。
「うん? 自分から距離を取ったのって、私がてっちゃんと付き合うようになったきっかけ真似したんじゃないの?」
そう言われて、ようやく寧々さんが何を指しているのか分かる。
ある夏の日、わたしは寧々さんにどうやって徹也さんと付き合うようになったか、そのきっかけを聞いたことがあった。寧々さん曰く、あえて距離を取るようにしたら告白してくれたと、そう言っていたのを覚えている。
「いえ、そういうつもりはなかったですけど⋯⋯」
「そうなの? 急に距離取り出したから、私てっきりそうだと思ってたよ」
あははー、と寧々さんはその綺麗な顔に照れ笑いを浮かべた。
確かにやり方を真似したと思われても仕方のない状況だったし、結果として付き合うようになったんだから不思議なものだと思う。
「よし、今日は飲も! 愚痴でもなんでも聞いちゃうよ~」
「付き合ったばかりで愚痴が出て来たらダメじゃないですか。まああるんですけど」
「やっぱりあるんだ~」
ふふっ、と笑った寧々さんにつられて、わたしも思わず笑う。
くすくすと笑い出したわたしたちを見て、先輩は不思議な顔をしているのだった。
* * *
「う~、ふらふらする⋯⋯」
果たしてこれは、一体何度目なんだろうか。
寧々さん徹也さんによって開かれたお祝いの会の後、俺は一色に肩を貸しながらマンションまでの道を歩いていた。
「なんで毎回こうなるかねぇ⋯⋯」
思い出して見れば初めて一色を家に送った時は、まともに歩けずおんぶをして送り届けたものだ。それに比べれば多少はマシになったのかも知れない。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて一色のマンションに着いた。二階にある一色の家の扉を開けると、肩を貸したまま部屋の中に上がる。
「そんじゃ、俺は帰──」
そう言いかけた瞬間だった。
一色が言葉を遮り、俺の唇を塞いだのは。
「⋯⋯ふふっ」
一色いろはとの二度目のキスは、酔った勢いというロマンスの欠片もないシチュエーションで、しかし心に刻みつけられるような口吻だった。
「まだ、帰っちゃ駄目です」
一色はそれだけ言い残すと、脱衣所の中に消えていった。
──かと思ったら、ひょっこり廊下の方に戻ってくる。
「先輩も一緒に入ります?」
「⋯⋯アホか」
俺がそう返すと、一色は微かな笑みだけ残してまた脱衣所に入った。
これ、なんか前も同じだった気がするし、帰っちゃ駄目というのは、つまり⋯⋯。
あの時は恋人でもない男に対してなんと無防備なと思っていたが、今は状況が違う。それはもう、全然違う。
恋人同士というのは、心が深く結びついた結果の関係性である。
では結びつくのは心だけかと言うと、そうではない。人類がこれほどまでにその歴史を刻み、発展を続けてきた裏にはその行為は欠かせないのだ。
これはつまり⋯⋯そういうことなのか?
しかし、タイミング的にはあまりにも拙速な気がする。何せ付き合い出して間もないし、しかしいつならば適切なのかと言われたら具体的な指標はない。
「おまたせしましたー」
そもそも心の準備がまだだし、酔った勢いでとか⋯⋯なんて考えているうちに、一色が風呂から出てきてしまった。湯上がりだからか、赤らんだ顔が妙に妖艶に見えてしまう。
「さ、寝ましょう」
「え、ちょっ⋯⋯」
そう言って一色は俺の手をぐいぐい引いて寝室に連れていかれてしまう。いや、僕まだシャワー浴びてすらないんですけど?
「ふー⋯⋯」
ベッドに倒れ込んだ一色に巻き込まれ、二人でベッドに横になる。肌寒さから逃れるように一色は掛布団を引き上げた。
羽毛のそれにくるまると、一色は身体を密着させてくる。否応なく感じる、身体に押し付けられた胸の柔らかさ。いつものシャンプーの香り──。
「せんぱぁい」
甘ったるい声が、
「好き」
そしてチュッ、と。
一色の唇が、俺の唇をついばんだ。
まるで小鳥が歌うように。軽く挨拶でもするように。
「んん~」
そして一色は俺の胸板に額を押し当ててくると、ぐりぐりと擦り付けてくる。
え、何この子可愛い。知ってたけど超可愛い。何かこうされると庇護欲を刺激されるというか、やっぱりあざといなこいつというか、どうしようもなく可愛い。
「い、一色⋯⋯」
「あぁー、先輩の匂いだぁ⋯⋯」
そんなフェチっぽいことをしていたかと思うと、ずりずりと身体をずらして俺と目線を合わせる。
「先輩」
見つめてくる瞳は、しっとりと濡れていた。
透き通ったそれは宝石のようなのに、薄く引き上がった唇はどこまでも
「だぁい好き」
そしてまた、唇を奪われる。
何かを求めるように、唇を
不意に唇を離すと、一色は俺の腕を枕にしたまま目を瞑った。そしてそのまま、何かを待つ。
これは⋯⋯後は俺に任せるということか?
確かに俺はことこの行為に対して、何の意思表示もしていない。というか女性側からすれば、こういうのはリードして欲しいという思いもあるのだろう。
もしもそうであるならば、俺は──。
「⋯⋯すぅ」
──と、そこまで考えたところで、どこか牧歌的な寝息が聞こえてきていた。
まさか、と思って一色の口元に耳を近づけてみるが、やはりそこからはどう聞いても寝息にしか聞こえない音が漏れてくるのみ。
「一色?」
「んん⋯⋯」
つんつん、と頬を突いてみても、一色は口をもにゃもにゃ動かしただけだった。
マジかこいつ。これ、ガチ寝のやつじゃん⋯⋯。
ふはぁ、と俺は天井に向けて息を吐いた。
何を勝手に盛り上がってたんだ、俺は。
「せんぱい、好きぃ⋯⋯」
一色の方に向き直ると、途端にそんな寝言が紡がれる。
一体、どんな夢を見ているんだか。
「⋯⋯おやすみ」
俺は彼女を起こさないように、小さく呟いて。
そっと額にキスを落とすと、目の前の光景を焼き付けるように目を閉じた。
* * *
ちゅんちゅんと鳥の声が、朝を告げていた。
ああ、だるい。目を開ける前から身体のだるさが分かる。
なんでこんなに身体が⋯⋯と思いながら目を開けると。
「──っ!」
眼の前の光景に、絶句した。
ほんの数センチの距離に、先輩の寝顔。腕枕をされて、抱き締めるようにもう片方の腕がわたしの背中にまわっている。
身体を確かめると、お互いに服は着ていた。それに安堵と不満を覚えながら昨日のことを思い出していくと⋯⋯なんかすごいイチャつきながら寝てしまった気がする。はっきりと覚えていないのが、なんだか損した気分だった。
「ん⋯⋯」
またやっちゃったなわたし⋯⋯と思いながら先輩の寝顔を眺めていると、まつ毛がかすかに動き出す。
先輩はゆっくりと目蓋を開けると、その目がはっきりとわたしを捉えた。
「⋯⋯おはよ」
「お、おはようございます」
似たようなことになったのはこれで三度目。流石に慣れてきたのか、先輩に動揺した様子はない。
──けど。
わたしは気付いてしまった。ちょうど太もものあたりに当たっている、異物感に。
「あ、その⋯⋯」
前はこんなことはなかったのに⋯⋯と思って、当たり前だと思った。今日はしっかり先輩に抱き締められる形になっている。
これってつまり、たぶん。
「生殺し、になっちゃいましたかね⋯⋯?」
「ふへ?」
わたしが何を言っているのか分からないのか、先輩は変な声で反応する。何それ。ちょっと可愛い。好き。
先輩は目をゴシゴシ擦ると、だんだんわたしの言っていることが分かってきたのか、びくーんと身体を硬直させる。そしてわたしから目をそらしながら、そっと腰だけを離していく。
「いや、その、なんだ⋯⋯。別にそういうわけでは⋯⋯」
なんかもにょもにょ言い出したけど、相当苦しい言い訳だった。
けど今日のは、わたしにもだいぶ非がある。
「その⋯⋯。なんか誘ったみたいになってたのに、寝ちゃってすみません⋯⋯」
「あー、いや⋯⋯なんだ、うん⋯⋯。まあ、そういうのはおいおいね。おいおい⋯⋯」
ってことは、するつもりはあったんだ。というか先輩の中で、未来にそういう予定はあると。
そう考えると、ちゃんと先輩も男の子だったんだなと思う。下手したらそういうのは結婚するまでなし、とか言い出しかねないと思っていたから、ちょっと安心する。⋯⋯いや、安心する方向がまちがってる気がするけど。
「それにこういうのはあれだ、俺の方からいった方がいいだろ。⋯⋯たぶん。知らんけど」
ひょっとしたら、これからのことを──その時のことを考えているのか。
先輩はちょっと頬を赤くしながら、男らしいのか男らしくないのか微妙な態度でそう言った。
「⋯⋯まあ、そうかもですね」
それに対するわたしの答えは、ちょっとずるいのかも知れない。
けど、その答えは素直な気持ちだった。わたしだって女の子なわけだし、先輩にその気があるならリードして欲しいと思う。
「あ、朝ごはん作りますね」
「おお⋯⋯」
話題を変えるようにわたしが言うと、先輩は答えた後にふうと息をついた。鼻先にかかった温かい息が、やたらにくすぐったい。
「あの⋯⋯」
そして先輩は、そのまま動かない。
わたしの身体を抱き締めたまま、全然全く動こうとしなかった。
「離してくれなきゃ、ご飯作れないんですけど」
「あー⋯⋯。うん」
言われてようやく気付いたのか、先輩はわたしの身体を開放する。
本当はもう少し抱き締めていて欲しかったけど、あいにく今日は予定があった。今日この先のことを考えると⋯⋯にわかに心が重たくなる。
だけどこれは間違いなくうやむやにしていいことじゃないし、わたしがしなくちゃいけないことだ。わたしはベッドから立ち上がると、先輩の顔をのぞき込む。
そして──。
「早く起きてくださいね」
わたしはあえて唇じゃなくて、先輩のおでこにキスを落とした。
R15風味なお話でした。
ひょんなこと⋯⋯というには非日常な感じもしますから、お互い意識し始める、みたいな⋯⋯。
それでは、引き続きお楽しみ下さい。