時刻は現在、午前十一時半。
場所は山手線沿線の駅近く、何かの賞を取ったらしいピザ屋さんのお店の中。
「おお~っ。めっちゃ美味しそうじゃん!」
届いたばかりのクアトロ・フォルマッジを前に、さくらちゃんはパシャパシャと写真を撮っていた。
いつも通りの、楽しそうな笑顔。羨ましくなるぐらい長くて艶のある髪は、今日はシュシュで束ねてポニーテールにしている。
わたしは一応写真を撮りながらも、気が気じゃなかった。そのぐらい、今日の用件はわたしにとっても彼女にとっても重たい話だから。
「よし、食べよー」
さくらちゃんの言葉を合図に、わたしたちはカットされたピザを手に取る。
まあ、まずは食事を楽しもう。ちゃんと楽しめるかどうかは、分かんないけど。
「あ、美味し⋯⋯」
と思いながら口にしたピザは思っていた以上の美味しさで、そんな一言がこぼれ出ていた。向かいでさくらちゃんも、「うんまー」と言いながら頬を押さえている。
「で、今日の話って?」
さくらちゃんはぺろりと一枚ピザを食べると、わたしの目を見ながらそう言った。
せめて食事が終わってから、と思っていたけれど、聞かれたのなら応えざるを得ない。
正直、すごく言いにくい。知りたくなかったと言われるかも知れない。それでも知っていて欲しいし、たぶん知らせなきゃいけない。
わたしは覚悟を決めると、さくらちゃんの目を正面から見つめて言った。
「その、実は⋯⋯。すごく言いにくいんですけど」
「何なに? 気になっている人でも見つけた?」
「先輩と、付き合うことになりまして⋯⋯」
カチン、と音が聞こえてきそうなほど大仰に、さくらちゃんは動きを止めた。手にしたピザから、溶けたチーズが滴り落ちていく。
「なーんか、急に味しなくなってきた⋯⋯」
さくらちゃんはそう言うと、手にしたピザをもう一口齧った。目が完全に死んでいて、先輩の真似をしているのかと思った。
訪れた沈黙の時間を、わたしはどうすべきなのだろうかと考える。たぶん、こういう場合は何も言わないのが正解なんだろう。
「はぁぁー⋯⋯。やっぱそういうことかぁ⋯⋯」
さくらちゃんはそう言って椅子に仰け反ると、肩から力を抜く。落胆の声を聞いていると、じくじくと心が傷んだ。
だけど、だからと言って先輩が譲れるわけでもない。この痛みはわたしにだけ許された痛みだ。
「言うの遅くなって、ごめん。ちょっとすぐには、言えそうになくて」
「⋯⋯ま、気持ちは分かるけどね。あたしだって、たぶん言えないと思う」
急にしんみりした空気になると、さくらちゃんはアイスティーのストローを咥える。わたしも合わせるように烏龍茶を飲むと、さくらちゃんは目を細めて言った。
「でも、ちゃんといろはちゃんの口から聞けたから、よかった」
その瞳は寂しそうで、でもどこか温かい。
そしてどうしてそこまで優しい表情ができるのか、わたしには分からなかった。
「あのさ、あたしから言うのも変かも知れないけど⋯⋯。あたしたち、友だちでいられるよね?」
それは確認のような、お願いのような。
思いもよらなかった問いかけだったけど、わたしに迷いはない。
「当然です。
「うわ、性格わるっ!」
即座に切り返してきたさくらちゃんと目を合わせると、何だかおかしくて笑いだす。
よかった、本当に。
こんな風に笑い合う時間が失くならなくて、この不思議な関係が終わらなくて、本当によかった。
「あー、あたしも彼氏欲しい! 惚気話したい!」
「⋯⋯そんなに早く切り替えられるものなの?」
「いや、たぶん無理。絶対しばらく引きずる」
あまりにも正直な言葉に、わたしは次に言うべきことが分からなくなる。そういうことを元恋敵に言ってしまうの、本当にさくらちゃんだなって感じ。
「なーに辛気臭い顔してんの。今が一番楽しい時期でしょ。あたしのことより先輩のこと気にした方がいいよ」
「⋯⋯でも」
「あたしの心配なら要らないって。家に帰って、思いっきり泣いたらスッキリすると思うし」
いや、余計に心配なんですけど⋯⋯。そう表情で伝えようとしたけれど、思いの
「こんなこと言うと自分を説得してるみたいになっちゃうけどさ。⋯⋯あたし、いろはちゃんなら納得できるんだ」
それは本当に自分に言い聞かすような言葉で、その声はたぶんさくらちゃんに向いていたんだと思う。さくらちゃんはわたしから視線をそらすと、店の奥をぼんやり見ながら続けた。
「だって、いろはちゃんガチじゃん。大学まで追っかけて入ってくるとか、普通に引く」
「引く⋯⋯。え? 引いてたの?」
「割と真剣に」
いつもの冗談かと思ってさくらちゃんの顔を見続けていたけど、その表情が崩れることはなかった。
わたし、引かれてたんだ⋯⋯。あ、そう、ふーん⋯⋯。
「でもさ、そういうところ凄いなって思ってたんだ。あたしにそこまでできるかなって考えたら、たぶんできないだろうなって」
声音には、また寂しさが戻ってきていた。
だからわたしは、また何も言えなくなる。
「だからけっこう素直に言えるよ。おめでとうって」
「さくらちゃん⋯⋯」
わたしはさくらちゃんのことを、誤解していたのかも知れない。
たぶん、わたしの方から歩み寄ろうとしなかったから、知ることができなかったんだと思う。こんなに優しくて温かい女の子だったなんて、知らなかった。
「で、一応聞くけど」
さくらちゃんはくしゃっと笑うと、急に声にからかいを混ぜて言った。
「もうヤッたの?」
「⋯⋯はい?」
いや、やるって⋯⋯。
急に俗っぽい会話になって、思わず呆れた表情を浮かべてしまう。わたしの感動を返して欲しい。
「まだ、ですけど⋯⋯」
「ん~、そっかそっかぁ。色仕掛けで奪い取るルートも見えてきたなー」
やっぱりさくらちゃんに対する誤解は、誤解ではなかったかも知れない。
本当いい性格してるわ、この子。
「さっきおめでとうって言ってたばかりなんですけど?」
「あはは、冗談だって。⋯⋯三割ぐらいは」
「本気の方が割合大きいじゃないですか!」
わたしが突っ込むと、さくらちゃんはまたカラカラ笑った。
そんな彼女を見ながら仕方ないなぁってわたしも笑って。
わたしは心の中で「ありがとう」って呟いた。
* * *
それは講義終わりの、閑散とした講堂でのことだった。
「んで、もうヤッたのか?」
「お前らなぁ⋯⋯」
二階堂は無粋なことを純粋な興味で口にし、津西はニヤニヤと笑いながらことの成り行きを見守っている。
きっかけは最近また俺と一色が一緒に過ごすようになったことについて、二人から問い詰められたからだった。別に隠しておくことでもなかったし、一色も周りには話をしているようだったから付き合っていることを伝えたのだが⋯⋯根掘り葉掘り聞かれる代わりにこれである。
「付き合ったばっかで、そんなすぐするわけねぇだろ」
「なんだ、まだかよ。つーか別に時間は関係ないっしょ」
二階堂は俺の回答に、心底つまらなさそうな顔をする。
時間は関係ない⋯⋯というのはもっともだが、物事には順序や情緒や段取りというものがあるのだ。たぶん。
「そうそう。ずるずる伸ばしてるとタイミング逃すぞ」
さっきまで聞き役に徹していた津西は、知った調子でそんなことを言い出した。何だかそんな未来がリアルに想像できる分、反論できない。
二階堂の言う通り、ことタイミングに関しては一般論こそあれ最適な時期というのはそれぞれに違うのだろう。今までの一色の言動から鑑みると、そういった行為を拒絶するとも思えない。ほいほい俺を家に上げてしまうあたり、むしろ積極的とも言えるぐらいだ。
しかし何せ初めての行為なわけだし、あまりがっついているように思われるのもよろしくない。
⋯⋯と、そこまで考えて、一つの疑問が湧く。俺にとっては初めてでも、一色にとってはどうなのだろうか?
一色の男慣れした態度からみても、過去に恋人がいたとしてもおかしくない。俺の知る限り高校時代にそんな相手はいなかったはずだが、中学時代に諸々経験済みという可能性もある。
「おーい、比企谷?」
「急に黙るなよ」
そう考えると、胸の中で黒いモヤがぐるぐるまわって、途端に気分が悪くなってきた。
この感情を何を言うか、知っている。だが知っているからとてどうにかできるものではなく、自分の幼さに気付けば気付くほど不快感が増すだけだった。
「⋯⋯いや、何でもない」
俺はそう答えると、鞄を掴んで席を立つ。
何か言おうとした津西たちに「じゃあな」と一言だけ言うと、俺は講堂を後にするのだった。
若い時ってこういう会話になりがちですよね。
いや、年を重ねてもそういう行為への興味は付きないのでしょうが。
R18化するっていって中々そういうシーンに行かずにごめんなさい。
もうちょっと日常回が続きますよ!