「おつかれっしたー」
誰もいない通路に向けてそう言うと、俺は勝手口から外に出た。
バイト先であるコンビニの裏手。柵の向こうに誰ぞの庭が広がっており、干してしばらく経つと思われる洗濯物が見える。その中にタオルで隠されるようにして干されている女性物の下着が見えてしまって、俺は思わず目をそらした。
恋人である一色いろはとラブホテルに行ってからはや数日。つまり、禁欲を言い渡されてから六日も経っているということだ。
禁欲、という言葉は、おそらく正しくないのだろう。あくまでいろはと行為に及ぶ時以外は、その手の性的な行動は控えるという口約束である。しかしその約束が、じわじわとボディブローのように効いてきていた。
「はぁ⋯⋯」
思わず、疲れ切った溜め息をつく。正直、寝不足だ。
あれから何かといろはと都合が合わず、ずっとお預け状態。というかいざ行為に及んでしまうと長時間没頭し、互いに耽溺してしまうのはもう分かりきっている。だから自制している、と言った方が事実に近い。
だがこの制限が、想像していた以上に辛い。自分で致すことすら許されないというのは、性欲の調整ができないということだ。まず朝が凄い。ガッチガチになってやたらに早く目覚めると、この状況になった
俺も年頃⋯⋯と言うにはいささか思春期を過ぎてしまった気がするが、男であることに違いはない。その上いろは曰く、野獣レベルに性欲が強い男だ。昨今自慰を一切しないティーンエイジャーもいると聞くが、仙人でも目指しているのだろうか。
そんなことを考えながら駅につくと、俺はいろはのマンションがある方面行きの電車に乗った。
最近は自分のアパートにすら寄らず、いろはの家に直行することが多い。暗くなるのが早い冬の時期に来てもらうのも心配だし、飯を作ってもらうにもいろはの家の方が何かと都合がいいからだ。
目的の駅につくと、人波と一緒にホームへと吐き出される。駅を出て少し歩けば、あっという間にいろはの住むマンションだ。こうして通い詰めるようになった頃にもらったカードキーでマンションに入ると、脇目も振らずいろはの待つ玄関の扉を開ける。
「ただいま」
「あ、おかえりなさーい」
俺がそう言って玄関に入ると、キッチンの方からいろはの声が聞こえた。
自分の家でもないのにそう言うのはおかしな感じだが、毎回いろはに「おかえりなさい」と言われることもあって、今ではすっかり口に馴染んでいる。
「はー、寒かっ⋯⋯」
そしてキッチンについた瞬間に、俺は盛大な違和感に気付いた。
状況を整理しよう。一色いろはが、総武高校の制服を着ている。可愛い。そしてその上には、あざと可愛いフリル付きのエプロン。超可愛い。以上。ダメだ頭の方が整理できてない。
「あ、これですか?」
当然ながらその行動は確信犯なのだろう、いろははスカートの裾をつかんてひらりと開いて見せた。お陰で生足の露出が増えて、一瞬どきりとしてしまう。
「いやー久しぶりに着ましたけど、わたしまだまだ高校生で通用すると思いません? まあ、卒業して一年も経ってないので当然っちゃ当然かも知れませんけど」
俺の反応など見透かしていたのか、いろはは
「あ⋯⋯。ひょっとして裸エプロンの方がよかったですか? そういうのはいざという時にとっておきたいんですけど」
「あ、いや⋯⋯。そういうわけじゃないんだが⋯⋯」
いやいざって時にはするのかよ、裸エプロン⋯⋯。
いろはさん色々パネェっすと思いながらコートを脱いで鞄を置くと、俺はダイニングの椅子に座ってその姿を眺めた。いろはの言う通り、まだまだ高校生と言っていい出で立ちだ。元より顔立ちは幼い
「とりあえず、状況を聞いてもよろしいでしょうか」
俺はやたらに
「言ったじゃないですか。私も頑張りますよって」
緩やかに弧を描いた唇には、びっくりするぐらい艶がのっている。頑張る、というキーワードに想起されるものは、一つしかない。
お、おう⋯⋯と小さな声で返事をしたきり何も言えなくなると、ちょうど出来たところだったのか湯気をたたせた料理が運ばれてくる。なるほど、今日は生姜焼きですか。へぇ⋯⋯。
「いただきます」
「⋯⋯いただきます」
いつもなら声を合わせてそう言うのだが、今日に限っては全く合わなかった。
目の前に高校時代にタイムスリップしたかのような彼女がいたら、そりゃそうなるわなって感じである。うんほんとマジ仕方ないよねそれある。
「わたし昔、考えていたことがあって」
口をもしゃもしゃと動かしながら、何を、と視線で促す。いろはは箸を置くと、背筋をシャンと伸ばして俺を見た。
「こんな風に高校の時から先輩に餌付けできてたら、もっと早く一緒になれてたのかなって」
「発想が乙女なのに餌付けって言っちゃってるんだよなぁ⋯⋯」
こんなことを高校の時からされてたら胃袋も心も掴まれて握り潰された上に駄目人間にさせられてしまうまである。
まったく、一体どこの天使様の所業だそれは。いや、どちらかっていうと小悪魔ですけどね、いろはす。
ここ最近のいろはは小悪魔スキルに加えて天使成分や女神属性まで手に入れて無双状態。主にやられるのは俺。知ってる。俺は詳しいんだ。
「⋯⋯」
それっきり会話がなくなると、二人して黙々と箸を進める。こんな特殊な状況においても、いろはの作る飯はうまい。この生姜焼きの甘じょっぱさなんて絶妙である。ほーんと、うまいなぁ⋯⋯。
「さっきから見すぎじゃないですか?」
「みへまひぇん」
咀嚼の途中な上に噛んでいた。
この反応返すの何度目だよ俺。ちょっとは進化しろよ⋯⋯。
「⋯⋯ごちそうさん」
「はい。お粗末様でした」
食事の時間は美味な料理によって、半強制的な早さで過ぎ去っていく。二人で手を合わせた後に、いろははいつも通りシンクの前に立って洗い物を始めた。
見慣れていたはずの制服姿だったが、久しぶりということもあってやはり新鮮だ。というか、神聖にすら感じる。海外のオタクには日本の制服を羨む者も多いと聞くが、その有限さと形式的な秩序に神聖性を感じ取ってのことなのかも知れない。
しかし今いろはがそれを着ている意味はと考えると⋯⋯だいぶその意味は異なる。
これ以上見ているのも目に毒な気がして、俺はリビングに移るといつも通りソファに腰を下ろした。そのいつも通りすら意識しないと出来ないぐらい、このシチュエーションに動揺しているらしい。
「先輩」
やがて片付けも終わったのか、いろははそう言いながら俺の隣に座ってくる。もちろんその近さは、恋人同士のものだ。そんなちょっとした行動ですら、禁欲状態の俺には刺激が強く感じる。
「感想、言ってくれないんですね」
そう言っていろはは、ほらほらとでも言うように俺に制服姿を見せてくる。今日イチあざとい仕草に、ちょっとクラクラしてきた。
「いやまあ⋯⋯。やっぱ似合うよなぁって思ってるけど」
「けど?」
「⋯⋯」
こいつ、その先を俺に言わせるつもりなのか。
ここで馬鹿正直にムラムラしてると言えればいいのだが、それは
「いろは」
俺はいろはに向き直ると、すっとその頬に手を当てた。そして──。
「ん⋯⋯っ」
期待に満ちた目が閉じるのを待つことなく、その唇を塞ぐ。
「キスしたくなるのを我慢できなくなるぐらい、可愛い」
俺が
「わたし、もうシャワー済ませてあります」
まるで会話になっていなかったが、その言葉の意図することはよく分かっている。
明日は土曜日で、バイトもない。だからいくら寝るのが遅くなっても、クタクタになって昼まで惰眠を貪っても、何ら問題ない日だ。
「じゃあ、俺もシャワー浴びてくる」
「いえ、大丈夫です。そのままでも」
いや全然大丈夫じゃないでしょ⋯⋯と言おうとしたタイミングで、今度はいろはから唇を重ねてくる。唇を喰み合うキスをした後、いろはは蕩然とした表情を浮かべていた。
「⋯⋯わたしが今すぐ、したいんです」
あまりにあけすけに言われて、俺は一瞬呆気にとられてしまう。いろはの方も、我慢の限界だったということだろうか。
「いや、食ったばっかなのに激しく動くってのも⋯⋯」
「いきなり激しくするつもりなんですか?」
蠱惑的な言葉が、どんどんと追い詰めてくるようだった。
妖しく綻んだ顔は、とてもじゃないが一つ下の女の子には見えない。
「⋯⋯どうなっても知らないからな」
「はい。望むところです」
強気なぐらいにはっきりそう言うと、いろははまた顔を近づけてくる。
俺はいろはの身体を抱き止めると、その唇と舌を受け入れるのだった──。
次回、制服プレイ編です。