くつくつと鍋が煮立っている。
ふむと一つ頷くと、俺はコンロの火を消して鍋とフライパンを取り替えた。フライパンに油を引くとまたコンロに火を入れて、くるりとシンクの方を振り返る。
「なんか新鮮ですねー」
そんな声をかけてくるのは、ダイニングテーブルに頬杖をついているいろはだ。
本日、四月十六日はいろはの誕生日。外に食べに行こうかと提案したのだが、家がいいと言われて今に至る。
「まあ、一回作ったきりだったしな」
外食の代わりに俺の手料理が食べたい、というのがいろはの希望だ。しかもメニューの指定まであり、いつだったかに作ったオムライスがいいと言う。
前と同じように微妙に失敗する未来しか見えなかったが、そう希望されてはむげにもできない。さすがにそれだけというのも寂しいのでスープを作り、具材たっぷりのサラダも段取り済みである。
慣れないながらも調理を進めていると、不意にカシャッと音が鳴った。音のした方を見ると、いろはが携帯を俺に向けて構えている。
「一応聞くけど、誰にも送らないよな?」
「小町ちゃんはダメなんですか?」
「ダメに決まってんだろ。ネタに使うなら消せ」
「じゃあお義母様は?」
「ねぇなんで連絡先知ってるの? 急所ばっか狙うのやめて?」
マジでいつの間に連絡先交換してたのいろはす⋯⋯。
俺がジト目で見るが、いろはは気づかないふりでポチポチ携帯を触りだした。それ、本当に送ってないよな⋯⋯?
「もうすぐできるぞ」
「あ、はーい」
まあ写真を送られたとて大したダメージにはなるまい。気を取り直してそう言うと、いろはは椅子から立ち上がって冷蔵庫の方へ向かった。お茶でも用意してくれるのかと思っていたら、その手にあるのはワインと
「なんだそれ。買ってたのか?」
「いえ、寧々さんたちから誕生日プレゼントにもらいました」
そう言って見せてくれたボトルは、どうやらスパークリングワインであるらしい。
二十歳の祝いの品に酒というのは、俺もいろはに貰ったしある種相応しい品と言えるだろう。まあいろはは以前から飲んでいた気がするがこの作品では登場人物がお酒を飲んだ瞬間設定上二十歳以上になる不思議な魔法がかかっていますねえ誰に言ってるの?
「それじゃ、俺からも今渡しとくわ」
酒を飲んでグダグダになった後にプレゼントを渡すのも何かと締まりが悪かろう。そう思って俺は料理を運ぶのは後にして、物置部屋に忍ばせていたプレゼント取って来る。
ダイニングテーブルを挟んで向かい合うと、俺はうやうやしくその小箱を差し出した。
「いろは。誕生日おめでとう」
「はい。ありがとうございます」
いろはは両手でそれを受け取ると、見惚れてしまいそうなほど甘い笑顔を俺に向けてくる。可愛い。
「開けてみてもいいですか」
「ああ」
俺が頷くのを見た後、いろははいそいそと箱を開け始めた。やがて現れたのは、いかにもアクセサリーが入っていますといった風情の小ざっぱりした箱。いろはににとってピンとくるデザインだったのは、表情を見れば明らかだった。
「これ、ひょっとして⋯⋯」
「ああ。前にいろはがくれたのと同じところのだ」
俺が贈ったのは、以前いろはが選んでくれたネックレスと同じブランドのものだ。女性向けだからデザインこそ違うが、見る人が見れば気付く意匠になっている。いろはが気付いたかどうか分からないが、ペンダントトップの裏にダイヤが埋め込まれているのがワンポイントだ。
「またアクセサリーなんですね」
いろはのその反応は、ある程度予想できていたことだった。クリスマスプレゼントもアクセサリーだったし、その意味だって分かっているはずだ。
「本当、独占欲が強いんですねぇ」
「⋯⋯悪いかよ」
こうして
俺の呟きに首を振って答えると、いろははしっとりした声で「先輩」と呼んだ。
「つけてもらっていいですか?」
「ああ」
椅子から立ち上がっていろはの近くに行くと、箱からネックレスを取り出す。引き輪を開いていろはの首の後ろに手を回すと、やたら至近距離で目が合った。それに少しドキッとしてなかなか装着できずにいると、いろははくすぐったそうに笑う。
「⋯⋯つけたぞ」
「はい」
そう言って身体を離すと、またいろはと目が合った。大事そうに首元のネックレスに手を添えて、その顔には微笑みが讃えられている。
「どうですか?」
上目遣いで見つめられて、キュウと胸が締め付けられた気がした。その仕草も、表情も、全部反則だ。
「⋯⋯んっ」
気付いた時には、唇を奪っていた。
待ち構えるように上向きになっていた唇は、いつもより甘くて熱い。
「めちゃくちゃ可愛い」
「⋯⋯それ、アクセサリーの感想になってませんよ」
そう指摘されて、俺はやれやれと思ってしまう。こんなの「似合ってる」の一言で済むものじゃないし、とても言葉にしきれるものではないというのに。
「とりあえず、飯にしようぜ」
「そうですね」
明らかに誤魔化すために言ったのだが、いろはは特に追求することなく頷いた。
俺が料理を運んでいる間にいろははスパークリングワインを開けようとし、結局コルクが開けられなくて俺が開けることになる。そんなやり取りを経て食事の段取りを終えると、俺はグラスを持って咳払いをした。
「えー、じゃあ⋯⋯。いろはの二十歳の誕生日を祝して、乾杯」
「ありがとうございまーす」
グラスを軽く触れ合わせると、一口それを飲む。甘口のそれはいかんせんオムライスに合いそうにないが、いろはの好みではあるだろう。
さてそれじゃ食べますかね、とスプーンを手に取る。⋯⋯が、いろははテーブルの下に手を置いたまま、俺を見つめていた。
「どうした。食欲ないのか?」
「いいえ。でも何か忘れてませんか?」
「ああ、ケチャップか」
そう言えば最後にかければいいと思って失念していた。
冷蔵庫からケチャップを取ってくると、テーブルに置く。しかし、いろははなおも動かない。
「まだ忘れてますよ」
そこまで言われて、ようやく思い至る。このメニューは、あの日の再現のためだったのだ。
「あー⋯⋯。はい」
俺はケチャップを手に取ると、いろはのオムライスにちゅちゅいとハートマークを描いた。しかし勿論、それだけでは終わらない。
「ほら」
スプーンでオムライスをすくうと、いろはの目の前に差し出した。いろはは小さな唇ではむっとそれを食べると、にっこりご満悦の表情を浮かべる。
「やっぱり先輩から食べさせてもらうごはんは格別ですね」
いろはは嚥下してからそう言うと、餌を待つ雛鳥のように口を開けて見せた。可愛らしさと同時に微妙な性を感じ取ってしまって、自分の想像力の豊かさに呆れてしまう。
続けてもう一口をいろはの口に運んでやると、俺はスプーンを持つ手をおろした。
「なあこれ、すげぇバカップルっぽいんだけど」
「家の中なんだからいいじゃないですか。わたしも食べさせてあげますから」
そう言うといろはは、はいと俺の分をスプーンをすくって口元にもってきた。それを一口でいただくと、笑顔のいろはに見つめられながら咀嚼する。
確かに相手に食べさせてもらう料理は特別だ。⋯⋯バカップル度合いは増してしまっているけど。
微妙な顔をしている俺を見ながらいろはは満足そうな表情をすると、コクコクと頂き物のスパークリングワインを飲む。今日はお祝いの席なのだ。俺の羞恥心など隅においやるのが正解であろう。
「あんま飲みすぎんなよ」
「それは約束できませんねー」
グラスの中身を半分まで減らすと、いろははくるりとそれをまわして見せた。
まあ今日に関しては、俺もうるさく言うべきではない。
⋯⋯なんて思っていた時期が、私にもありました。
* * *
およそ一時間後。
「せんばぁい、好きー」
「あのなぁ⋯⋯」
食事が終わってしばし。片付けを終わらせてソファに座るなりこんな調子である。
可愛らしい頬を火照らせて、口調はやたらに甘ったるい。酔うと人の本性が出ると言うが、こいつは相当甘えん坊だったということだろうか。
「ってか、まだ飲んでるのか」
さっき食事の最中に飲みきれなかった分は冷蔵庫にしまっておいたはずだが、俺が食器を洗っている間に持ち出して飲んでいたらしい。どの道今日中には飲んでおかないととは思っていたが、ボトルはもうほとんど空になっている。
「いいじゃないですかぁ。わたしがもらったものなんですしぃ」
「そりゃそうなんだが⋯⋯」
いろはにとって、そして俺にとっても初めての、恋人と過ごす誕生日。だから多少飲みすぎてしまうのも仕方がないとは思う。しかし──。
「せんぱいも飲みましょー」
「いや俺は自分で⋯⋯んぐっ!?」
いろははスパークリングワインを口に含むと、そのまま俺にキスしてくる。俺に覆い被さるようにしながらぬるくなったそれを流しこまれて、甘さに脳が痺れていく。
「どうですか?」
「お前な⋯⋯」
どうですかじゃねぇよ、こんなの。これ以上俺を沼に引き摺り込んで、どうしたいと言うのだろうか。
「俺も飲んでるの、忘れてるわけじゃないよな?」
「当然です」
いろはは甘ったるい声のままそう言い切ると、チュッと俺の頬を
「⋯⋯覚悟はできてんだろうな」
「それはこっちの台詞ですねぇ」
いろはは俺に抱きついてきたかと思うと、ちゅぅぅと首筋に吸い付いてくる。キスマークが付いちゃうでしょうが、と思ったが、挑発するようなことを言ったのは俺の方だ。
俺はいろはの身体を抱き締めると、くるりとそのまま回転する。ソファに押し倒すような形になると、俺はいろはを見下ろした後にその唇を塞いだ。
「いいですよ」
顔を離すと、互いの唾液で濡れた唇が三日月を作る。
俺はそんないろはに誘い込まれるがまま、もう一度その唇を奪うのだった──。
というわけで作品とリアルの時間を合わせた誕生日のお話でした。
次回R18パートへと続きます。