塩対応の後輩と結婚式。
彼女と知り合ってから、いったいどれだけの年月が過ぎていったのだろう。
チャペルの中ではパイプオルガンの重厚な音と、聖歌隊の美しいハーモニーが鳴り響いていた。
入口の扉が開くと、そこには純白のドレスに身を包んだ花嫁が佇んでいる。
隣の母親と一言ふたこと言葉を交わすと、厳かな所作でベールダウンが行われた。そんな仕草の一つひとつが、神聖で美しい。
俺の眼下に広がるのは、真紅のバージンロード。
父親の腕を取った新婦は、一歩いっぽをゆっくりと踏み出す。
賛美歌が高らかに歌い上げられ、聖書の朗読が行われる。
祈祷が捧げられ、宣誓をして、指輪の交換が為されていく。
誓いのキスでは、彼女も少し緊張しているように見えた。
無理もないことだと思う。人前でキスすることなど、慎み深い人間であればこの時ぐらいだろう。
今目の前を舞い乱れるのは、祝福の花びらたち。
色とりどりの花びらを高く舞わせながら、俺の隣の、最愛の人は言った。
「寧々さーん! 結婚おめでとうございまーす!」
* * *
挙式を終えた、暫しの後。
「いや真に、神聖な契りであった。斯様に喜ばしいことがこの世にあるだろうか!」
「あー、はいはい。本当そうだわー⋯⋯」
程なくして始まった披露宴会場の一角で、顔を赤くした材木座が管を巻いていた。
材木座が纏うのはいつものトレンチコート⋯⋯では当然なく、準礼装である。そんな見慣れない材木座に知らっとした目を向けながら、隣に座った恋人が言った。
「あのー、なんでこの人ここにいるんですかね?」
「まあそう言ってやるな。寧々さんみたいに将来結婚できる見込みもないし、親族に囲まれてると肩身狭いんだろ」
「おーい八幡? 内緒話なら声のヴォリュームあと三段階下げて? あと我、結婚できないんじゃなくてしないだけだから⋯⋯」
段々と小さくなっていく声は哀愁さえ滲んでいて、うっかり同情しそうになってしまう。そうね、結婚しないって選択肢を取る人多いもんね。
「まあでも、本当にめでたいな」
俺の視線の先には、新郎新婦の席で友人知人に囲まれている寧々さんと徹也さんの姿がある。
早いもので、大学を卒業してもう丸二年と少しが経った。順調に交際を続けていた二人はめでたくゴールイン。交際が順調であるのは俺たちも同じではあるのだが、具体的に結婚がどうとかは話したことがない。
「ですねー。寧々さん、すっごい幸せそうです」
そう言って笑顔を浮かべる寧々さんを見ながら、いろはは目を細めた。やっぱりいろはも結婚式に、ひいては婚姻関係に憧れとかはあるのだろうか。
「して、八幡よ」
材木座は俺の思考を断ち切るかのように、コホンと咳払いをしてから言った。
「結婚と言えば、そなたらもそろそろ考える時期ではないのか?」
言われた瞬間、俺といろはは時が止まったかのように静止した。こいつ、ビール片手に親戚のおじさんみたいなこと言いやがって⋯⋯。
しかし俺たちももう付き合って丸四年以上経つ。周りからそう見られていたとて、何らおかしなことはない。
ちらといろはの方を見ると、向こうもこちらを見ていたのかすぐに目が合った。ちょっと困ったような笑顔を作ると、俺が何か言うより先に口を開く。
「まあそういうのはおいおいって感じじゃないですかねー。なんか先輩、ずっと忙しいですし」
ある種予想できていた回答に、俺の胸に小さなざわめきが起こる。しかしそう言われてしまえば、俺に返せる言葉は多くない。
「お、おお⋯⋯。何かごめんね? ずっと帰り遅くて⋯⋯」
「ふむ⋯⋯。八幡もリアルに社畜になっておったか」
その口振りからすると材木座の方も忙しいんだろうか。
こいつの仕事の詳しいことは知らないが、普通に就職して働いている。作家の夢は未だ諦めきれないのかたまに怪文書を送ってくるので、材木座くんは文章を書くよりもっと働いた方がいいと思います。
「あ、先輩。寧々さんたちのところ、もうすぐはけそうなんで挨拶しに行きましょう」
「ん。おお⋯⋯じゃあ行くか」
この話題はお終い、とばかりにいろはが提案すると、俺は新郎新婦の席を見た。パシャパシャと写真を撮っているところを見るに、二人を囲んだ人たちもそろそろ席に戻って行きそうな雰囲気だ。
さて、このめでたい日におめでたい感一切なしの俺から、どんな言葉を贈ろうか。そんなことを考えながらいろはと席を立つと、二人の元へと向かうのだった。
* * *
「は~、つっかれたー」
マンションに帰ってリビングに入るなり、いろははそう言ってソファに座り込んだ。パーティードレスからすらりと伸びた脚を床に放り出して、ぐーっと伸びをする。
「あんまだらけた格好してると、ドレスにシワがつくぞ」
「いいんですよー。どうせクリーニング出すんですし」
俺が隣に座ると、いろはは背もたれにもたれてだらんとしながら天井を見ていた。
俺たちが一緒に暮らすのは大学の時から同棲しているあのマンション⋯⋯ではなく、地下鉄の駅からもそこそこ近いマンションの一室だ。さすがにいろはの大学生活のために借りていたマンションに居座るわけにもいかなかったし、それにお互いの職場から遠すぎるのもある。
東京都内だし、駅から徒歩圏内だから家賃はそれなりに高い。しかし社会人にとって通勤時間はワーク・ライフ・バランスを整えるためにも妥協できない一要素だ。
「せんぱーい、脚むくんじゃいましたー」
「あー、はいはい⋯⋯」
俺がそう言うと、いろはは肘掛けの部分を枕にしてソファで横になった。でーんと放り出された脚を太ももで受け止めると、俺は求めに応じていろはのふくらはぎを撫でるようにマッサージしていく。
「先輩もだいぶ上手くなりましたねー」
こんなやり取りも、もういつものことだ。傍から見れば尻に敷かれているというやつなんだろうが、全然嫌な気がしないのだからどうしようもない。むしろいろはの綺麗な脚を合意のもと触り倒せるんだからご褒美まである。本人に言ったら絶対ドン引きされるから言わないけどネ!
「いろはの注文が細かいからな⋯⋯。俺の中でいろはすスペシャルコースが組み上がってるまである」
「お、いいですねー。触り方がちょっとやらしいですけど」
Oh...なんかバレてるし。
いろはは脚を擦られながら身を起こすと、そのままの勢いで俺に抱きついてくる。一瞬目を合わせるとチュッと頬を
「ありがとうございました。ご飯作りますね」
「ああ⋯⋯。でもあんま腹減ってないかも」
「分かりました。じゃあ軽めで」
そう言うといろは着替えるためなのだろう、脱衣所へと入っていった。
こういうやりとりも、あざとい仕草も、何年経とうが変わらない。唇が触れた頬はまだ熱を持っているし、知らず目尻が下がってくる。
小っ恥ずかしくて面と向かって言えたものではないか、心の中でなら俺は断言できる。
大学で再会した時より、付き合い始めた頃より、同棲を始めた頃より。
今が一番、一色いろはのことを強く想っていると。
▽ ▽ ▽
ああ、やっぱりウェディングドレスって憧れるなぁ、って。
わたしはパックのご飯をレンチンしながら、さっきまでの結婚式のことを思い出していた。
わたしにとって、大学時代一番お世話になった存在で、天然なところもあるけど頼れるお姉ちゃんみたいな人。そんな寧々さんの晴れ姿は、眩しすぎるぐらいに輝いていた。
当然そんな姿を見て、わたしが何も感じないわけがない。いつかあの純白のドレスを着て、その隣に立つ誰かがいるとしたら。
「せんぱーい」
⋯⋯しかいないと思うんだけど、当の本人はタブレットを見ながらむむっと難しい顔をしていた。また仕事のメールか何かをチェックしているっぽい。休みの日ぐらい、しっかり休めばいいのに。
「ご飯、どのぐらい食べます?」
「ん⋯⋯。ライス小で」
「かしこまでーす」
ライス小は、この近所にあるラーメン屋さんが基準だ。言っていた通り、あんまりお腹は空いてないみたい。
「おまたせしましたー」
「おお、サンキュ」
とりあえずおかずは作り置きの惣菜とちゃちゃっと作れる卵焼きで、言われた通りにご飯の量は少なめ。先輩はけっこうお酒を飲んでいたみたいだから、しじみのお味噌汁付きにした。インスタントだけど。
「「いただきます」」
声を揃えてそう言うと、たいぶ遅めの夕食が始まった。はむっと卵焼きの出来を確かめると、咀嚼しながら先輩の顔を眺める。
こうやって一緒に食卓を囲むのは、今日でいったい何度目になるんだろう。きっと四桁はくだらないし、もうそろそろ熟年カップルと言ってもいいぐらいの交際年数が経とうとしている。
「なーんか、羨ましいですね」
「あん?」
「だって寧々さんたち、今から一緒に住んで新婚生活ですよ。嬉し恥ずかしドッキドキの」
「あー⋯⋯。まあそうだな」
先輩は一緒に暮らし始めた時のことを思い出しているのか、斜め上の方を見ながらむぐむぐと口を動かす。初々しさも緊張も何もない表情に、わたしはついちょっかいをかけたくなった。
「だから、はい。あーん」
「あーん」
卵焼きを差し出すと、先輩は何の躊躇いもなくそれを口に迎え入れる。昔はめっちゃ恥ずかしがっていたのに、普通にそれを受け入れていた。ときめきとは程遠い反応だ。
「で? 何がだからなんだ?」
「んー⋯⋯新婚ごっこ?」
「今まで散々してきただろ、そういうの」
「うわ、つまんな。口移しの方がいいですか?」
「固形物はやめてぇ⋯⋯」
わたしの冗談に、先輩は平然とした様子で言葉を返す。
そんな反応でも別に嫌でもなんでもなくて、何ならちょっと嬉しいぐらいで。
もっとしていたいなって思うのは、おかしなことなんだろうか。
▽ ▽ ▽
不満そうな顔をするいろはの顔を見ながら、俺はぼんやりと考える。
いろはが言った、『嬉し恥ずかしドッキドキ』という使い古された言葉。もうそんなものは俺たちに残っていなくて、別にそれが悪いことだとも思っていない。
「いろは」
俺はそう呼ぶと、最後の一個になっていた卵焼きを箸でつまみ上げた。
「ほい、あーん」
「あーん」
口の中に入れてやると、いろはは口をもぐもぐと動かす。何だか餌付けしているみたいで楽しい。作ったのいろはだけど。
「ドキドキしたか?」
「いえ、ちっとも」
しれっと言ったが、俺の反応と大して変わらないことを言っているの、分かってるんだろうか。
だけどそんな天邪鬼な反応も可愛らしくて、愛しくて仕方がない。
だから俺は、思うのだ。
ああ、本当に──。
▽ ▽ ▽
「いえ、ちっとも」
わたしが言うと、仕方ないなって顔をした後に、先輩は力無く笑う。
どこまでもいつも通りの会話で、新鮮味も刺激もどこか遠くに行ってしまっていて。
それでもわたしは思うのだ。
ああ、本当に。
心の底から。
((結婚したいなぁ⋯⋯))
──と。
今回より新章『社会人編』スタートです。
結婚したい二人のラブコメ。果たしてどんなまちがい方をしていくのか。
引き続き、お楽しみ下さい。