渋谷、ハチ公前。
そんな待ち合わせにはベタな場所で、俺は人を待っていた。
「おはようございまーす」
人の多さに嫌気が差してくると同時に届く、そんなウキウキと朗らかな声。
もはや説明するまでもなく、一色いろはである。
「待ちました?」
「いや、そんなに⋯⋯」
こういう時は全然と言った方がいいんだろうかと思うところもあるが、まあいいだろう。
それにしてもこうして駅で待ち合わせなんて、高校時代のことを思い出してしまう。あの時もこうやって、二人待ち合わせていたものだ。しかし、あの時とは持つ意味が違う。
「そうですか。わたしとのデートが楽しみで早く来たと思ってたんですけど」
一色はそう言うと、ふふっと小悪魔的な笑みを浮かべる。そう、前とは前提条件が違うのだ。
今回はスッピンの一色を見て辱めた罪への贖罪として、デートすべしと言い渡された。俺が散々断ってきたから、ならわたしも嫌がることをお願いしてもいいですよねって発想らしい。デートを罰ゲームみたいにしちゃっていいのかよって話ではあるが。
「わたしは楽しみだったんですけどねー」
そう言った一色の格好は、なるほど本当に楽しみにしていたのか初めて見る服装だ。
膝下丈のフレアスカートに、身体のラインがよくわかる薄手のセーター。フェミニンでどことなくガーリーな出立ちは、女性らしさを意識せざるを得ない。恐らくそんな俺の反応も加味した、衣服のチョイスなのだろう。
「⋯⋯そうなのか」
「はい。そうです♪」
俺の素っ気ない対応へのアンチテーゼのように、一色は可愛らしくて中毒性のある笑顔を浮かべた。ディスイズあざといオブあざとい。危険な匂いがプンプンするぜ⋯⋯。
「それじゃ、行きましょうか」
一色はそう言って、俺の手をとって歩き出すが、どこか行く当てでもあるのだろうか。なし崩し的にデートの日取りを決められてしまってから、いざ当日何をするかというのは決めて来なかった。何となくだが、行き当たりばったりなのがデートらしい⋯⋯という節もあったからだ。
思い出してみれば高校の時もどこに行くかを決めてなくて⋯⋯って、んん? 何かおかしくありません? 何普通に手を繋いじゃってんの?
「あのー、一色さん?」
ルンルン気分でなんならスキップでもしだしそうな一色に、俺は丁重に声をかける。
「これ、何ですかね?」
「え? だってデートですよ?」
「そうなんですね。で、なぜ手を繋ぐ必要が?」
「え? だってデートですよ?」
「必ずしも手を繋がなければならない、ということはないと思うんですが」
「え? だってデートですよ?」
一色は壊れかけのレディオならぬ完全に壊れたレディオになっていた。
え、何それ怖い。一色の言っていることが常識で当然のように思えてくるから、なおのこと怖かった。
「先輩は細かいこと気にしすぎなんですよねー」
いや全然細かいことじゃないし何なら一大事なんだけど⋯⋯。一色は手を離そうとしなかった。
「ひょっとして、イヤ⋯⋯ですか?」
一色はそう言うと、うるうると瞳を潤ませて上目遣いに俺を見てくる。
何というあざとさ⋯⋯。こんなの、選択肢を奪い取っているようなものではないか。
「嫌じゃないけど⋯⋯。その⋯⋯恥ずかしいです⋯⋯」
「⋯⋯そうですか」
そんな正直な意見に、一色は一瞬間を空けてから笑みを深くした。
よくよく見ると本当に僅かだが、一色の頬に赤みがさしてきているようにも思える。言われたらちょっと意識してきて、恥ずかしくなってきたのだろうか。
「仕方ないですね。このぐらいにしておきます」
一色はそっと手を離すと、代わりとでも言うように俺の腕に手を回してくる。いや、これも何か往年の夫婦感を醸し出していて充分恥ずかしいんですけど⋯⋯。
まあ、さっきよりマシと思うしかない。そのまま歩き続けていると、くいくいと一色が腕を引いてくる。
「先輩、ここ入りましょう」
そう言った一色の視線の先にあるのは、眼鏡屋だった。
「何、お前目が悪かったの?」
「いいえ? どちらかと言うと先輩のためですね」
「俺も視力そんな悪くないんだけど⋯⋯」
いや、悪いのは目つきですってそんなオチだろうか。
腕を引かれてやむなく店内に入ると、一色はディスプレイされた眼鏡を吟味し始める。
「これなんてどうですかねー」
そう言って一色は丸型の眼鏡を渡してくる。
スティーブ・ジョブズとかがかけていた、ちょっと知的さを感じさせるアイテムだ。
「⋯⋯かけたけど」
「うーん⋯⋯。やっぱり違いますね」
ちょっとがっかりした表情をされてしまった。何か俺が悪い気がしてくるのは、ネガティブ過ぎるだろうか。
それからあれこれ俺に眼鏡をかけさせると、これで最後とばかりに渡してきたのは黒縁のウェリントンタイプだった。
「もうこれぐらいでいいだろ」
もう十個以上かけてみたんですけど、と若干の非難を込めながら一色を見ると、そのままかちりと固まってしまった。俺の顔を凝視したまま、目をぱちくり瞬かせている。
そしてどう言うわけか、一色は顔を覆ってその表情を隠した。えぇ⋯⋯何それ、目も当てられないぐらい似合わないってこと?
「⋯⋯一色?」
「⋯⋯はい。すみません」
一色はそう言うと、顔を覆っていた手を下ろした。その頬がさっきより赤く見えるのは、たぶん気のせいではない。
「先輩、それ買いましょう。今すぐ」
「いや、だから目は悪くないんだって」
「度が入ってないのならすぐ買えますから。ほら、早く」
「ええぇ⋯⋯」
何この強引さ⋯⋯と押し切られてしまう。
まあ、度が入ってないとそれほど高くないし、多少の出費は覚悟してたからいいんだけど。なぜ伊達眼鏡を買う羽目になったのかはさっぱり分からない。
「ちょっと、先に出て待っててもらえます?」
「え? ああ⋯⋯」
俺が会計を済ませると、一緒に出入口まで来た後に一色はそう言った。俺の返事を聞き届けると、スタスタとまた店内に戻っていく。
理由はよく分からないが、先に出ていて欲しいというのは何か考えがあってのことだろう。そう思って店を出たところで待っていると、しばらくしてから一色が出てくる。
「お待たせしました」
そう言った一色の手には、俺の持っている袋と同じものがが握られていた。どうやら一色も何か買ったらしい。
「先輩、さっき買った眼鏡をかけてください」
「⋯⋯別にいいけど」
言われた通りに、買ったばかりの眼鏡をかける。伊達眼鏡だから、当然それをかけたとて見える世界が変わるわけではない。
「ちょっと待ってくださいね」
一色はそう言うと、俺に背中を向ける。何やら手元を動かしていたかと思うと、くるりと振り返って言った。
「じゃーん!」
自分の顔に両手を開いて添えた一色は、俺が買ったものと全く同じ眼鏡をかけていた。
⋯⋯は?
何だこいつ、眼鏡めちゃくちゃ似合うじゃねぇか。
というか、身体のラインがよく分かる格好に眼鏡というのがもうヤバい。フェチズムとエロスの香りしか感じなかった。
「あ、ひょっとして似合いすぎてて見惚れちゃいました?」
「そんなことないでしゅ」
噛んでいた。動揺しすぎである。それある。
それにしてもこれは⋯⋯ペアルックならぬペアグッズというやつではないだろうか。
「さ、行きましょう」
さもそうすることが当然かと言うように、一色は俺の腕を取って歩き出す。
もしかしてこれ、領地の実効支配みたいに既成事実を作りにきてないか? いやもう、そうとしか思えない。
「なあ、これ外していい?」
「ダメでーす」
そして速攻で断られていた。うちの後輩が強すぎる⋯⋯。
「あ、でも」
一色は俺の腕を引き寄せながら、ふわりとパーソナルスペースに入ってくる。そして俺の耳に手を添えてくると、にわかに鼓動が早くなった。
「わたしと二人でいる時しか着けちゃダメですよ?」
そう囁いた声は甘く
こりゃ心臓何個あっても足りないわと思いながら、俺は一色から目をそらすのだった⋯⋯。
* * *
それから一日をかけて、わたしと先輩は色々なお店をまわった。
久しぶりに外食もしたし、先輩の色んな表情も見ることができた。わたしに対して呆れてたり、困ったような表情の方が多かった気がするけど、まあそれもいつものことだし。
「疲れましたか?」
カタンコトンと電車に揺られながら、隣に座る先輩に問いかける。車内の照明に照らされた先輩の顔は、聞くまでもなく疲労感でいっぱいだ。
「俺が渋谷を練り歩いて疲れないと思ったか?」
「捻くれた答えですねー。普通に疲れたって言ったらいいじゃないですか。死ぬほど疲れたって顔にかいてありますよ」
「だったらなぜ聞いた⋯⋯」
また呆れた表情を浮かべられてしまったけど、それもいつものこと。その表情も嫌いじゃないなって思ってしまうあたり、わたしは性格が悪いのかも知れない。
「えー、次はー──」
そんな会話をしているうちに、アナウンスの声がわたしの下りる予定の駅名を告げた。わたしが腰を上げると、なぜか先輩も立ち上がる。
「先輩?」
「いや⋯⋯今日は送ってくわ」
別に外はまだ明るいのに、いつも先輩のアパートからだと駅まで送るだけなのに、今日だけはと言わんばかりに先輩はそう言った。
ああ、ちゃんとデートって意識してくれるんだなって思って、急に嬉しくなる。
ホームに降りて、改札を出て──通いなれた茜色の家路も、いつもと違って見えた。
「なあ、しょうもないこと聞いていいか?」
気分良く歩いていると、不意にそんな質問が降ってきた。
「はい、なんでしょう?」
「今日は、何点だった?」
その質問の意味を噛み締めて、すぐにどうしてそう聞いたのか思い当たる。
先輩は
わたしは「うーん」と考えかんがえするフリをして、たっぷり間を取った後に言った。
「百点満点中、八○点ですね」
「意外に高いな⋯⋯。ちなみに減点理由は?」
そんなの、簡単だ。
一つはわたしがせっかく勇気を出してを手を繋いだのに、結局やめる結果になってしまったこと。
それから──。
「⋯⋯教えません」
「何だそれ」
もう一つは、「好き」って言ってくれなかったから。
そんなのすぐには無理だなんて分かっているけど、この点だけはゆずれない。
「先輩」
マンションのエントランスにつくと、わたしは先輩の顔を下から覗き込む。
「いつか百点満点のデートをしてくださいね?」
「減点理由教えてくれないくせに無茶ぶりすぎる⋯⋯」
うんとも嫌とも言わないあたり、ずるいなとも思うけど、ノーと言わない限りはきっとイエスだ。わたしってばポジティブすぎる。
「送ってくれて、ありがとうございました」
「いや⋯⋯」
わたしがぺこりと頭を下げると、思っていた通りの返事が返ってくる。
さてどうしよう。家に上がっていって欲しいって言おうかな。さすがにそれは、がっついてるって思われるかも。
「そんじゃ、帰るわ」
「あ⋯⋯。はい」
そうこうしているうちに、先輩はそれだけ言って背を向けてしまう。
「先輩っ」
振り返った顔に、思わずギュッと胸を締め付けられる。その瞬間に、大波みたいな感情が押し寄せてきた。
──好きって、言えたらな。
何にも臆することなく、誰を気にすることもなく、そう言ってしまえたら。
そんなことができたら、どれだけ気持ちが楽になるのだろう。
「⋯⋯おやすみなさい」
「おう。おやすみ」
先輩はちょっと不思議そうな顔をした後、微かに笑ってまた踵を返す。
その背中を見ながら、わたしはスカートの裾を握りしめた。
別の作品でもいろはが伊達眼鏡を八幡に見繕う話の展開にしたのですが、気に入りすぎてまた使ってしまいました。
使い古されたネタですが、二人っきりの時だけってのがミソです。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が喜びのあまり伊達眼鏡を作ります。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!