※この作品はR-18です。

塩対応の後輩が俺にだけ甘い。   作:滝 

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最終話『責任、とり続けてくださいね』

 

 

「結婚してください」

「お別れしてください」

「え」

「えっ?」

 

 ぱちり、と瞬きをした、わたしのすぐ目の前。いつものダイニングテーブルのその上で。

 パカンと口を開けたジュエリーボックスの中で、指輪がキラリと光っていた。はめ込まれた透明度の高い宝石は、素人目にも永遠の輝きを持っていることが分かる。

 

「いろは、今、なんて?」

「先輩こそ。え⋯⋯?」

 

 二人して混乱して、まったく会話の向かう先が見えてこない。

 だって先輩は今日、折本さんにプロポーズして、わたしはここでお別れを切り出されるはずで。それが分かっているから、わたしから言い出す格好を作りたかったのに。

 

「⋯⋯いったん整理しよう。いろは。なんで俺と別れたいなんて言うんだ?」

「だって⋯⋯。先輩、折本さんにプロポーズしてたじゃないですか。わたし、あの場で聞いてたんですからね」

 

 責めるようになってしまうのを我慢しきれずにそう言うと、先輩は「あぁぁ」と頭を抱えた。

 それって、やっぱり見られていたらまずいことをしていたってこと? だとしたら、なんで結婚してくださいになるんだろう。やっぱり全然、分からない。

 

「あれはな⋯⋯。前に折本と偶然あって、どうやってプロポーズしたらいいか、相談に乗ってもらってたんだよ。そしたら、ここでリハーサルしてみてって聞かなくてな⋯⋯」

「え⋯⋯。え?」

 

 そう告げられても、わたしの頭は上手くその話を処理できなかった。

 それが真実だとするなら、わたしは。

 あれだけ心を通わせて、想いも伝え合って、長い時間を過ごした先輩のことを。

 

 わたしは──。

 

「すまん。まさか見られてるなんて思わなかったし、俺も軽率だった。そういう事情だから、別れて欲しいって言葉は取り返してくれ」

 

 額を机に擦り付ける勢いで頭を下げた後、先輩は真剣な目でわたしを見ていた。

 これ以上なく真摯で、どこまでも真っ直ぐな目。その瞳は疑う余地なんてどこにもなくて、だからわたしは。

 

「⋯⋯っ!」

「っ! いろはっ!」

 

 だからわたしは逃げるように、先輩の前から駆け出した。

 

 

   *   *   *

 

 

 俺は馬鹿だ。大馬鹿だ。

 

 本当にどうしようもなく、間抜けな大馬鹿だ──。

 

 雨上がりの蒸し暑い夜の街を、俺は走っていた。玄関には革靴しかなくて、致し方なくカッポカッポとアスファルトを叩いている。

 

「くそっ、どこ行った⋯⋯?」

 

 マンションを出た時には見えていた背中も、いくつか角を曲がったところで見失ってしまっていた。

 闇雲に走り回っていたせいで、ぜえぜえと喉が鳴っている。日頃の運動不足を後悔したいところだが、今はそんな場合じゃない。

 だって俺はまだ、いろはに別れたいという言葉を取り消してもらっていないのだ。それにプロポーズの返事だって、聞いていない。

 

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。いた⋯⋯」

 

 角を曲がった先で、いろはの背中が見えた。亜麻色の髪をバサバサと振り乱して、緩やかな坂を駆け上がっていく。

 

「いろはっ!」

 

 俺の声に一瞬脚を止めると、こちらを振り返る。そしてまた背中を見せると、すぐに走り始めた。

 

「あいつ⋯⋯まだ走れんのかよ⋯⋯」

 

 目の前の坂にげんなりしながらも、俺はここ一番の気合で脚を繰り出した。ここで追いつけなければ、一生後悔する。それだけははっきりと、頭が理解していた。

 坂を登りきると、いろはが公園の中に入って行くのが見えた。俺を巻きたいのだろうが、こちらとて逃すつもりはない。

 

「いろはっ、待てって!」

「来ないでくださいっ!」

 

 ダラダラと滝のように汗が出て、背中に張り付く。髪もぐちゃぐちゃだし、足は今にももつれそうだ。夏の虫たちが無責任に応援するみたいに、ジージーとかしましく囃し立ててくる。

 

「はぁ、はぁっ⋯⋯。いろは⋯⋯」

 

 行き止まりの展望台まで来ると、いろはは柵を掴んで肩で息をしていた。

 ゆらり、と幽鬼のごとく振り返ったいろはの向こうで、東京の街は鈍く光っている。

 

「なんで逃げるんだよ⋯⋯。はぁ、はぁ⋯⋯。話聞けよ⋯⋯」

「はぁっ、はぁっ⋯⋯。だって⋯⋯っ!」

 

 いろはは気持ちを吐露するように言いかけて、しかしその先の言葉は出てこない。えほっ、えほっと咳き込んだ後、地面に目を落として続ける。

 

「わたし、先輩のこと信じられなかった⋯⋯っ。あんなに一緒にいたのに、本気で疑ってしまったんです⋯⋯っ! 合わせる顔なんて、ありません⋯⋯」

「⋯⋯いろは」

 

 そう小さく呼びながら、俺はいろはに近づいていく。まるで臆病な小動物に気を使うかのように、驚かせたりしないように、ゆっくりと歩み寄る。

 

「お前が勘違いしたのは、全部俺のせいだ。だからそんなに、自分を責めないでくれ」

「でも⋯⋯っ!」

 

 それでも、いろはは自分が許せないのだろう。

 そこまで強情を張られてしまうと、こっちも困る。だって俺はいろはからイエスの言葉を引き出したい、その一心なのだから。

 

「じゃあ、もう一緒にいられないって言うのか?」

「⋯⋯っ」

 

 そんなつもりはなかったのに、その言葉にはどうしても棘がのってしまう。その言葉が深くいろはに刺さってしまう前に、俺は言葉を重ねる。

 

「お前がいながら勘違いさせてしまうようなことをしたのは、どう考えても俺の責任だよ。今さら弁明したって、いろはが傷ついた事実は消えない。それで嫌になったって言うなら、まあ仕方ないのかも知れない」

 

 でもな、と俺はいろはの手を取った。

 小刻みに震えるその手は全てに怯えているようで、今すぐ抱きしめたくなるのを必死に我慢する。

 

「それでも、その上でもう一回言う。俺は、一色いろはと、一生一緒にいたい」

 

 そう言った瞬間、いろはは涙ぐんだ目で俺を見る。決して離さないとでも言うように、俺は握った手に力を込めた。

 

「お前が隣にいない未来なんて、もう考えられない。そんな未来のことなんて、考えたくもないんだよ」

 

 言葉なんて、もう選んでいなかった。

 俺らしくもなく、ただ本心から湧き起こる感情を言葉として連ねているだけだ。

 

「俺の気持ちを全部お前にやるから、お前からも全部くれ。意味分かんねぇかも知れないけど⋯⋯」

 

 今、気持ちを全部伝えられなければ、俺はこの先一生伝える機会なんてないだろう。

 それが分かるから、絶対に手放したくないから、どんな言葉でも使って未来を引き寄せるのだ──。

 

「俺をお前なしで生きられなくした責任、とってくれ」

 

 それはなんて酷い、プロポーズのやり直しだっただろうか。

 一方的に押し付けて、要求して、いつかの言葉すら弄して。

 

 それでも俺は。

 

「いろはの気持ちを、教えてくれ」

 

 それでも俺は、いろはの答えを欲して止まないやまないのだ。

 

「なんですか、それ⋯⋯」

 

 いろはの声に、激情の兆しが籠もる。

 握り返してくる手は、痛いほどに力が込められていた。

 

「わたしだって⋯⋯わたしだって一緒にいたいですよ! 離れるなんてできるわけないじゃないですかっ。それになんですか、責任って。先輩の方こそ責任とってください! わたしだって⋯⋯、わたし、だって⋯⋯」

 

 声が震えて、心が震えて、その魂ごと震えているような気がして。

 気づいたら、彼女を抱きしめていた。

 こめかみから汗が滴ろうと、背中がぐっしょり濡れていようが構いやしない。今はただその存在の全てを感じて、いろはの熱を感じていたかった。

 

「わたしだって、同じです。先輩と、ずっと一緒にいたいです⋯⋯」

 

 抱きしめていた腕に、力を込める。

 いろはの言葉を全身で受け止めて、心の隅々まで行き渡らせていく。

 

 やっと言えた。

 やっと、届いた。

 

 心から望んでいたもの。

 一度は諦めて、きっと手にすることは叶わないと思っていたもの。

 

 それが今、俺の腕の中にいてくれることが、奇跡のように思えてならない。

 嗚咽を堪え震えている一人の女性が、愛しくて愛しくて仕方がない──。

 

「あー⋯⋯。指輪は置いてきちまったから、何もなくて悪いんだが」

 

 俺は腕から力を抜くと、いろはの前で膝まずいた。

 相変わらずギラつく東京の夜景は、暑さからかゆらゆら揺れて見える。

 そんなロマンチックとリアリスティックの挾間で、俺はいろはの瞳を見つめながら言った。

 

 

「一色いろはさん。俺と結婚してください」

 

 

 きらり、といろはの瞳が流れ星の如く光る。

 すぅ、と小さく息を吸い込む音が聞こえた。

 

 そして、彼女は俺の手を取ると。

 

 

「──はい」

 

 

 世界一美しい涙を、一粒地面へと落とした。

 

 

   *   *   *

 

 

 彼女と知り合ってから、いったいどれだけの年月が過ぎたのだろう。

 チャペルの中ではパイプオルガンの重厚な音と、聖歌隊の美しいハーモニーが鳴り響いていた。

 

 入口の扉が開くと、そこには純白のドレスに身を包んだ花嫁が佇んでいる。

 隣の母親と一言ふたこと言葉を交わすと、厳かな所作でベールダウンが行われた。そんな仕草の一つひとつが、神聖で美しい。

 

 俺の眼下に広がるのは、真紅のバージンロード。

 父親の腕を取った新婦は、一歩いっぽをゆっくりと繰り出す。

 

 賛美歌が高らかに歌い上げられ、聖書の朗読が行われる。

 祈祷が捧げられ、宣誓をして、指輪の交換が為されていく。

 

 誓いのキスでは、彼女も少し緊張しているように見えた。

 だけどそれを言ったら俺もだろう。人前でキスするなんて、これで最初で最後にしてもらいたい。

 

 バージンロードを引き返す時、歩みは俺たち二人だけのものになっている。

 舞い乱れる祝福の花びらと言葉を浴びながら、俺は隣を歩く人を見た。

 

 色とりどりの花びらをベールにまとわせ、最愛の人は微笑んで言う。

 

「約束、守ってくれましたね」

 

 ──と。

 

 

 

「それでは、準備が整いましたらお知らせ致しますので」

 

 そう言って花嫁の世話役のスタッフは、綺麗に腰を折った。

 式を上げていたチャペルを出たところで、俺はふぅと息をつく。いろはの希望で人前式を選んだが、思っていた以上の緊張と疲労感だった。

 

「あー、まだ気を抜いちゃダメなんですからね。披露宴こそ本番なんですから」

「いや、挙式を脇役にするなよ⋯⋯」

 

 それにしても花嫁さんの方は、妙なまでに元気がいい。式の準備が忙しすぎて嫌気がさしていたのが、嘘だったみたいに活き活きとしている。

 凛と立ったいろはの身を包んでいるのは、純白のウエディングドレス。今この瞬間にも写真を撮りまくってついでにもう一回キスしたいぐらいなのだが、さすがに今は自重しておくことにする。

 

「そういや、さっきのはどういう意味だ?」

「え?」

「ほら、約束守ってくれたとか言ってたの」

「あー⋯⋯」

 

 いろははふむと思案顔になると、次の瞬間値踏みするように俺を見てくる。

 

「覚えてないんですか? 付き合い始めた時のこと」

「付き合い始め⋯⋯?」

 

 そうは言われても、もう五年近くも前の話だ。たくさん言葉を交わしたのは覚えていても、一言一句たがわず覚えているわけでもない。

 

「先輩、結婚を前提に付き合いましょうって言いました」

「え? あー⋯⋯」

 

 そう言えば、確かにそんなことを言っていた。気持ちを言葉にしろといろはに言われて、結婚したいぐらい好きだと言ったのだ。

 我ながら先見の明がありすぎて、ちょっと笑えてくる。もっとも、これほどまでにいろはに惚れ込んでしまうことになるとは、想像できていなかったが。

 

「それと」

 

 いろははまっすぐ扉の方を見ると、ふっと肩から力を抜いた。

 世話役のスタッフが、「もうそろそろです」と俺たちに告げる。庭園へと続く扉の向こうから、花嫁を待つ参列客の賑々しい声が聞こえてきていた。

 

「もっと昔にした約束は、これから一生かけて守ってください」

 

 果たしてその約束とは、一体いつの話のことなのか。

 思い当たる節は一つしかなく、だからそれを問うのは野暮というものだろう。

 

 間もなく扉開きます、とスタッフが告げる。

 いろはの手が俺の腕にかけれて、自然と背筋が伸びた。

 

「先輩」

 

 前を向いたまま、いろはが呟く。

 そしてゆっくりと、扉は開かれていく──。

 

「これからずーっと、責任とり続けてくださいね」

 

 昔はさっぱり責任のとり方なんて分からなかったが、今ならそれが分かる。

 隣で輝く笑顔を、もう二度と曇らせないこと。

 一瞬だって不安にならないぐらい、傍にいること。

 

 そうやって一生かけて──いろはを幸せにすること。

 

 そんな未来に、想いを馳せながら。

 

「さあ、行きましょう」

 

 俺は扉の向こうから差し込む光と祝福の声に、そっと目を細めた──。

 

 

 

 

Fin.

 

 






あとがき

 最後までお読みいただきありがとうございました!
 これにて『塩対応の後輩が俺にだけ甘い。』は、本当の本当に完結です。

 思い出せば一年ほど前、短編として出したのがこの連載の第一話でした。
 連載を始めた当初はとにかく可愛いいろはを書きたい一心だったわけですが⋯⋯。
 それから第一部が終わって恋人編を書き終わり、社会人編が始めた時はもういろはが幸せになるまで書ききらなければという執念に変わっていました。いや、ここまで長く書くとは自分でも思っていませんでしたね。

 次の連載は決まっていないので、気ままに短編を書いていこうかなと思ってます。
 ハーメルンでは基本短編を掲載していませんので、X(Twitter)で投稿したり投稿サイト更新のお知らせをしてます。今後の作品に興味を持って頂ける方はフォローをお願いします(https://twitter.com/taki321)。

 それはでは最後の最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました!!
 またどこかでお会いしましょう!

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