今年はこのシリーズに心血を注いだ一年でした。
最後は前日譚+αのお話になります。
年の終わりの足音が、確実に近づいてきていた。
「なんかこうしてると、年末って感じがするよねぇ」
本年も残すところあとわずか。今年は俺の大学受験を皮切りに、変化の多い一年だった。
無事に志望校に合格し、東京の大学に通うために初めての一人暮らし。まだ丸一年と経っていないが、大学生活は過ごしてみればあっという間だった。
「そうだなぁ」
そんな俺にとって激動だった年の締めくくりは、実家に帰ってのまったりタイムだ。一人暮らしに慣れた後だと、こうして家族水入らずもとい兄妹水入らずの時間がやたら貴重に感じる。──はずだったのだが。
「せんぱーい」
何故か俺の高校時代の後輩は、我が家で一緒に炬燵を囲んでいた。
「みかん取ってください。あと、ついでに剥いてください」
「嫌だよ自分でやれよ⋯⋯」
「無理ですよー。カーくんがいるので」
でーんと寝っ転がった一色の腹部の上では、カマクラが香箱を組んでいる。ちょっと君、慣れすぎじゃないですかね⋯⋯。
「いいじゃんお兄ちゃん、剥いてあげなよ。小町の分も」
「お前らなぁ⋯⋯」
生徒会やら奉仕部やらの活動で仲良くなったらしく、一色のくつろぎ方からしてうちに来るのも初めてではないようだ。
休みだひゃっほいと年越し旅行に行った両親の代わりにこいつがいるわけだが、一色の方は家族と一緒に過ごさなくていいのだろうか。
「一応聞いておくけど、家の方はいいのか?」
俺がみかんを剝きながらそう問いかけると、一色は腹にのったカマクラを撫でながら答える。
「別に大丈夫ですよ。お泊りなんていっても、カウントダウンフェスみたいなもんじゃないですか」
「うちを勝手にフェス会場にしないで欲しいんだよなぁ⋯⋯」
そもそも一色が泊まっていくって聞いたの、俺がこっちに帰ってきてからだったし。
別にまあいいんだけど、と心中独り
「さーて、そろそろお風呂入ってこようかな」
ええ⋯⋯、小町の分のみかん剥いたところだったのに⋯⋯。
そんな俺の視線など知ったこっちゃない小町は、すたすたとリビングを出て行ってしまった。
「ほれ、剥けたぞ」
「はぁい。ありがとうございまーす」
一色が身を起こすと、その腹から降りたカマクラは一目散に小町のいた座布団に収まっていた。うんうんいいよね、人の温もりって。
「先輩」
お兄ちゃんも小町の残り香ならぬ残り温を堪能したいな! などと頭の悪いことを考えながらみかんをちぎっていると、不意に一色が言った。
「大学どうですか? 楽しいですか?」
その質問に即答はできないが、なるほど一色いろはは受験生である。ここらでモチベーションを上げるために、彩り鮮やかな大学生活に想いを馳せたいのであろう。
「まあ高校とは全然雰囲気ちがうし楽しいかっつーとあれだけど⋯⋯。単独行動してるやつの方が多いから、そういう意味じゃ気楽ではあるな」
「へぇ⋯⋯。でも新歓コンパとか合コンとか、いっぱいあるんですよね?」
「お前は俺を誰だと思ってるんだ⋯⋯。ねぇよねぇ。全然ない」
「でも大学デビューして、パーッと弾けちゃったりとか」
「あのな⋯⋯今の俺が大学デビューして大学生活エンジョイしているように見えるか?」
「いいえまったく」
ちょっといろはすぅ! もうちょっと考えて! 考えた末に否定して! 結局否定しちゃうのかよ。
一色はふと神妙な顔つきになると、俺への問いかけを続ける。
「⋯⋯じゃあ彼女ができたりとかは」
「今の話聞いてた? できるわけねぇだろ」
「ですよねー」
俺の答えを聞くと、一色はめちゃめちゃいい笑顔でそう応える。そんなに俺がぼっちなのが嬉しいんですかそうですか。
「本当、いい性格してんなぁ⋯⋯」
「なんですかそれ。わたしの性格ディスってます? 自分の性格のヤバさ棚に上げすぎじゃないですか?」
「ぐうの根もでないが言い方が酷すぎる⋯⋯」
目がヤバい上に性格までヤバいとか、あとは体臭でもヤバくしてヤバみのハットトリックでも決めてやろうかと思ったが、考えてる時点で悲しくなったのでやめておく。
しかし不思議なもので、普通に人格否定されているというのにこのやり取りがどこか心地よくも感じる。一色との会話は、郷愁を呼ぶ温かさのようなものがあるのだ。
「先輩的には」
一色は笑顔を引っ込めると、その眼差しは心なしか真剣味が増したように思えた。その瞳は暗に、真面目に答えろと言っている。
「あん?」
「もっと女の子らしく、尽くしてくれるタイプの方がよかったりします?」
その問いは、即答するには少々難しい。
将来専業主夫を目指す身としては尽くす気満々なのだが、言っても真面目に答えろと諌められるだけだろう。
「別にそんな願望はないが⋯⋯。まあ飯とか作ってくれると助かるわな。自炊ってけっこう面倒だし」
「へー」
一色は自分から聞いておいて、超興味なさそうに間延びした声を出す。マジで何なんだこいつ⋯⋯。
「一色はどこの大学受けるんだっけ?」
「わたしはですねー」
そういや聞いたことなかったなと思って問いかけてみて返って来た答えは、俺の通う大学より偏差値的に上の大学だった。俺も大学を選ぶ時に候補に挙げていた大学だから、その名前はよく覚えている。
「⋯⋯お前、けっこう頭よかったのな」
「うわ、何ですかその言い方。煽ってんですか?」
そう言うと一色は炬燵の中で俺の脚を蹴ってくる。全然痛くない上にちょっと拗ねている顔が可愛いので控えてもらいたい。
「余裕で受かるぐらいじゃないと、駄目なんですよ」
「ほーん⋯⋯」
生徒会長を無事務め上げたと思っていたら、いつの間にやら意識高い系女子になっていたらしい。意外と言っては失礼だろうが、別にありえない話でもない。
「それで、ちゃんと合格したら」
一色はそこまで言って言葉を止めると、俺に向けて笑みを作った。
どういうわけだが、あまりに儚く。まるで祈りでも込めたかのような、そんな笑顔で言う。
「東京、色々案内してくださいね」
今まで見たこともない表情に、俺はうっと言葉に詰まる。
しかしまあ、俺に答えなんてそういくつもあるわけではない。
「えぇ⋯⋯」
「もー、なんでそこで嫌がるんですかねぇ」
嫌そうな声に、呆れた表情。それが俺らしいし、一色らしいと思う。
願わくば来年、無事に彼女の受験が終わったその後に。
こんなやり取りを続けられたらいいと、俺はそんなことを考えた。
* * *
あれから数年後の、大晦日。
「いやー、ついに買っちゃいましたねー」
俺の学生時代の後輩であり、今では妻となったいろはは、買ったばかりの炬燵に足を突っ込みながらそう口にした。
「買わないつもりだったんだがなぁ」
炬燵の快適さは、日本人なら誰もが知っていることであろう。そして足を入れたが最後、何をするにも億劫になり、怠惰さは当社比五割増しにもなる。
洋風のリビングにも合わないから買う予定はなかったのだが、昨今の寒さに耐えかねついに購入してしまったのだ。
「先輩」
結婚しても変わらない呼び名で俺を呼ぶと、いろははこちらを振り向いて手招きする。
「背中が寒いです」
「⋯⋯あいよ」
その言葉が意図することが何なのかは、長い付き合いが故にすぐに分かる。
俺はいろはを抱きしめるようにその後ろに座ると、炬燵の中に足を突っ込む。この体勢、膝までしか入れないから俺が寒いんですけど。
「おー、これで暖房入らずですねー」
「俺の背中が寒いんですけど⋯⋯」
炬燵と俺で温められたいろはは、機嫌よさそうに上体を揺らしている。俺のぼやきは耳には入っているのだろうが、頭には届いていないようだ。
「なんだか、懐かしいですね」
「何がだ?」
「こうやって先輩と炬燵に入るの。そう言えばあの日も、大晦日でしたね」
言われてみれば、昔そんなこともあった。ただの先輩後輩の仲だった頃の、数ある思い出の一つだ。
まったく、世の中何が起こるか分からない。こんなにもいろはに、夢中にさせられてしまうなんて。あの時は露ほども思っていなかったのだ。
「いろはは」
俺がそう声をかけると、うん? といろはは小首を傾げる。
「いつから俺のことが好きだったんだ?」
「それ、わたしが答えると思って聞いてるんですか?」
その反問に添えられたのは、見慣れた小悪魔チックな微笑みだ。
いつまで経ってもあざといし、バカみたいに可愛い。そんなことを考えるたびに、俺は本当にこいつのことが好きなんだなってことを実感する。
「いつから、なのかより『いつまで』の方が重要じゃありません?」
「ええ⋯⋯、何その言い方怖い⋯⋯」
俺、いつか捨てられるのかしら⋯⋯。
そんな戯言めいた考えを浮かべていると、いろははきゅっと俺の手を握り込んでくる。
「先輩」
にぎにぎと、いろはは俺の手の甲を握りながら呟いた。
しっかと俺の体温を確かめると、俺にもたれながら言う。
「今度は唇が寒いです」
上目遣いになった瞳に、思わず意識も何もかもが吸い込まれてしまいそうになる。
やれこんな調子で、結婚してからもいろはにはやられっぱなしの惚れっぱなし。だけどそれが、いいまである。
「いろはは寒がりだなぁ⋯⋯」
だから俺は、そんな益体もないことをぽつり呟いて。
そっといろはの唇を温めるのだった──。