一色いろは生誕祭2024、ということで書きました。
街灯の灯った家路を、俺は早足で歩いていた。
季節はとうに春と呼んでいい頃合いになり、しかし夜ともなればまだ寒さを感じる。ぬくもりを求めるように愛しの我が家に入ると、息を整えながらリビングの扉を開けた。
「ただいまー」
「あ、おかえりなさーい」
「なさーい」
そう返したのが俺の妻であるいろはで、やまびこみたいに言ったのが愛娘であるゆめみだった。
「おかえりのぎゅー」
「おー、ただいま」
太ももに抱きついてくるその小さな身体をポンポンと抱き返していると、思わず頬が緩む。いろはそっくりの幼い顔でそんなことをされれば、我慢などできるはずもない。
早いものでいろはと結婚して数年。子宝にも恵まれ、こうしてマイホームを持つこともできていた。そして今日は、もう一つおめでたいことがある。
「じゃあ、晩ごはんの準備しますね」
そう言って立ち上がり、いろははエプロンを着けた。出会った頃より少し長くしている髪をシュシュでまとめ、キッチンへと向かう。
その姿を横目で確認すると、俺は納戸に入った。目隠しに使っていた荷物を退けると、目的の物を手にリビングに戻る。
「いろは」
俺が声を掛けると、キッチン台に向かっていたいろはが振り返る。俺が抱えている箱を見ると、目を見開き両手を合わせた。
「あらためて、誕生日おめでとう。これ、プレゼントな」
「おお~。ひょっとして、例のアレですか?」
そう、今日はいろはの誕生日である。そして誕生日プレゼントは、彼女が所望したアレだ。
「開けていいですか?」
「ああ」
いろははそう言って料理の手を止めると、俺の元に早足でやってきた。ゆめみも「なーにー」と言いながら集まってくると、床に置いたそれの正体を
「やった、自動食洗機っ」
いろはへの誕生日プレゼントは、家事時短の強力な相棒・食器洗い乾燥機である。ことあるごとにいいなー欲しいなーと言われていた物なので、半ばリクエストを聞いた形だ。
「なにこれ?」
「これはねー、ママがすっごい助かるやつなの」
そう言ってゆめみに微笑みかけるいろはの顔は、もうすっかり母親のものになっている。
そんないろはの視線を受けたゆめみは、ほけっと食洗機を見ていたかと思うと俺に向き直った。
「パパー。ゆめみもすっごい助かるやつ欲しい」
「いや、ね? これはママの誕生日だから」
「あー、欲しいなー。ゆめみのおままごとセットにあったらゆめみすっごい助かるなー」
ダメ? と小首を傾げる仕草は、いったい誰に似たのか。
そんな可愛い顔をして言われたら、答えなど一つしかないではないか。
「まあ、それぐらいなら⋯⋯」
「やったー!」
「ちょっと、パパ」
両手を上げて喜ぶゆめみの横から、ちょいちょいといろはが袖を引いてくる。
「ゆめみに甘すぎますよ。これ何回目ですか」
「って言ってもなぁ⋯⋯」
リトルいろはとでも言うべき可愛い顔でおねだりされて、断れる父親などいるのだろうか? いやいない。だからこれは仕方ないしむしろ必定なのである。
「おもちゃならそんな高いもんでもないし、いいだろ?」
「はぁ⋯⋯。もう買ってあげるって言っちゃったんでいいですけど⋯⋯」
仕方ないなって顔をして立ち上がると、いろはまたキッチンに向かった。
自分でも娘に甘々な自覚はあるが、その分奥さんを大事にしている自負もある。
だからまあ、勘弁してくれないかなぁと視線を送ったその背中からは、鼻歌が聞こえてくるのだった。
* * *
あれから食事と風呂を済ませた後。
いろはがゆめみを寝かしつけている間に、俺はいそいそと食洗機を据え付けていた。単なる家電ではあるが、給水の経路を作ってやらなくてはならないのが中々大変なのだ。
「
なんとか食洗機のセッティングを終えたところで、そんな懐かしい呼び名が背中にかけられる。
もうゆめみを寝かしつけ終わったのだろう、振り返ると寝間着姿のいろはが立っていた。すすすと俺によって来ると、クイクイ袖を引っ張りリビングのソファまで連れて行かれる。
「何、どした?」
いろはに引っ張られるがままソファに隣り合って座ると、彼女は微かに目を細めた。
「もう分かってると思いますけど、ちょーっと嫉妬しちゃいまして」
ははぁ、と俺は状況を理解した。ゆめみが生まれる前のように俺を呼ぶのは、二人きりだった頃を思い出せということなのだろう。
「ゆめみが可愛いのは分かりますけど、わたしもちゃんと見てくれないと拗ねちゃいます」
ぷくっと頬を膨らませながら言う姿は拗ねた時のゆめみにそっくりで、俺は思わず吹き出してしまった。なにこの奥さん、ちょっと可愛すぎでは?
「ちょっと、何笑ってるんですか」
俺に笑われたのが心外だったのか、いろはの頬が微かに赤くなっていた。
一般的には、子どもが生まれたら母親の方が子どもにかかりっきりになるし、意識もそっちに持っていかれることだろう。
しかしいろははことあるごとに俺をよく見ているというか、想われていることを実感する。その感覚は青春時代の俺からは想像もできないぐらい、幸福に満ちたものだった。
「お前もまだまだ分かってないな」
ポンポンと子どもをあやすように頭を撫でると、そのままいろはを抱き寄せる。
「ゆめみは最高に可愛い。けどいろはも、アホほど可愛い」
「⋯⋯そんな、とってつけたように言われましても」
「なら取り外せないぐらい言ってやる。お前は可愛いし、いい母親だよ」
そんなクサい台詞が照れくさいのだろう、いろははその表情を隠したままぐりぐりと俺の胸板に額を擦り付けてくる。
これじゃまるでバカップルだ。いや、結婚してるからバカ夫婦か? なんかそれ悪口に聞こえるな⋯⋯。
そんなどうしようもないことを考えていると、いろはは不意に俺から離れ、ちゅっと頬をついばんできた。
「そういうこと言われたら、二人目が欲しくなっちゃうじゃないですか」
やれ子どもっぽいなと思っていたら急にこういうことを言い出すのだから、やはりいろははいろはなのだと思う。
上手い返しを思いつけずにいると、いろはは俺の頬を両手で包んで真正面からキスしてくる。
「来年の誕生日プレゼントは男の子でお願いしますね。先輩♪」
そう言って美しく笑ういろはを見て、何も感じないわけはなく。
俺はいろはの細身を抱きしめると、今度は自分から唇を重ねるのだった。