それは大学帰りに立ち寄った、スーパーでのこと。
「先輩。晩ご飯なにがいいですか?」
「あー⋯⋯。パッと思いつくもんないから、なんでもいい」
「それが一番困るんですけどー」
俺といろはが何故そんな夫婦じみた会話をしているかと言えば、同棲しているからである。
元々住んでいたアパートを小町に占拠され、いろはの住んでいるマンションに転がり込むしかなかったという状況もあるのだが、それはともかく。
「そんじゃ、麻婆豆腐とか」
ふいに冷蔵コーナーに陳列された豆腐が目に入り、俺はそう口にした。久しく食べていない気がするし、たまにはピリ辛メニューもいいだろう。
「あー、最近作ってないですもんね」
いろはは冷蔵コーナーの前でしゃがみ込むと、豆腐のパッケージを手に取った。俺は料理をしないからよく分からないが、麻婆豆腐に向いているものとそうでないものがあるのだろう。
真剣な目で豆腐を吟味している、いろはを待っていると──。
「ママー」
そんな言葉と同時に、齢三才ぐらいかという女児がいろはの腰に抱きついていた。
⋯⋯なんだこれ。いろはす、隠し子いたのん?
「あえ?」
ガバリと顔を上げ、いろはと目を合わした女の子は、ようやく人違いに気付いたのだろう。ポカンと口を開け、固まってしまう。
「みなちゃんっ」
焦燥にまみれた声に振り返ると、いろはとよく似た服を着た女性が駆け寄ってくるところだった。
「ママぁっ」
「すみません、この子勘違いしたみたいで⋯⋯」
「あ、いえいえ。お気になさらず」
女の子の母親がペコペコと頭を下げて立ち去ると、俺といろははどちらともなく目を合わせた。互いに苦笑を浮かべると、また豆腐選びに戻る。
「麻婆豆腐、中辛でいいですか?」
「ああ。いろはが大丈夫ならな」
そんなやり取りを経て買い物を済ませると、いろはと一緒に住んでいるマンションへと向かう。
空はまだ明るく、仕事帰りの人よりも学校帰りの制服姿が多く目につく。思えば俺が制服を着ていた時代と言えばぼっちまっしぐらだったのに、今や彼女と同棲とは世の中何が起こるかわからない。
「はぁー⋯⋯」
家に帰って食材をしまうと、いろははソファに座って溜め息をついていた。両膝の上に肘をつき、頬に添えられた両手が物憂げだった。
「何、どした?」
さっきまで普通に見えていただけに、その変化がひっかかる。これと言ってネガティブな出来事など、起きた記憶がないのだ。
「いえ、そんなに所帯染みて見えたのかなーって⋯⋯」
いろはの言葉を聞いて、得心がいった。豆腐を選ぶ姿は主婦っぽいと言えばそうなのだが、明らかに杞憂である。
「格好が似てたし仕方ないだろ。それに制服着てたらまだ女子高生で通じると思うぞ」
「え⋯⋯なんですかそれ。また制服でシたいんですか?」
「そう言う意味じゃねえ⋯⋯」
いやまぁ、したいかしたくないかで言えばしたいですけど? などと本心を語ればまた引かせてしまうだろう。あらぬ方向に滑り出しそうな話題を止めるべく、俺はオホンと咳払いの後に言った。
「けどあれだな、いろはって結婚しても子ども欲しがりなさそうだよな」
結婚、という言葉を口にした後で、気軽に使う言葉ではなかったかも知れないと思った。しかし将来的にはそれも視野に入れて付き合って欲しいと伝えているし、いろはだって全く意識していないわけではないだろう。
「いえ、普通に欲しいですけど?」
心外だ言わんばかりに、いろはは細めた目で俺を見てくる。あ、そう。欲しかったんですね。ふーん⋯⋯。
「ちなみにどっちがいいとかあるのか?」
「んー⋯⋯女の子ですかね。育てやすいって聞きますし」
なるほどそれは俺も納得できるし、いろはに似ればハチャメチャに可愛い子になるだろう。色々妄想が働いてしまうが、将来の姿を想像すればするほど心配なことが出てくる。
「けどそれ、大丈夫なのか?」
親子とは言え、女と女。家族間でも折り合いがつかないケースも多いと聞く。高校時代を思い出すに、危惧が現実にならないとも言い切れない。
「⋯⋯まあぶっちゃけあんまり女子女子した子になると、ガチで喧嘩するかも知れません」
うわー、それありそ〜! そして間に挟まれ苦心している俺の姿が見えるまである。見えちゃうのかよ。
「先輩はどうなんですか?」
いろはにそう問われて、俺はふむと腕を組んだ。正直考えたこともなかったが、どちらかと言われると難しい。男の子で俺に似ると大変困ったものだが、息子は息子で可愛いものだとも聞いたことがある。極論かつ無難にまとめるなら、こうなるだろう。
「まあお前が産んでくれるなら、どっちでも⋯⋯」
俺がそう言うと、いろははポカンと口を開けて固まっていた。いや、何ですかねその反応⋯⋯。
「⋯⋯はっ」
ぴょんと身体を跳ねさせるように上体を持ち上げると、いろははまくし立てるように言った。
「ひょっとして今の俺の子産んでくれってプロポーズですかごめんなさい。別に先輩との赤ちゃん欲しくないわけじゃないんですけど結婚したらちゃんと新婚生活楽しんでしかるべきタイミングで子作りしてくださいごめんなさい」
「お、おぉ⋯⋯」
久しぶりに聞いたな、こいつのお断り。いや子作りとか言ってる上にお断りされていれてもいないんだが⋯⋯さっきのは妙な勘違いを生んでも仕方ない。
「まぁ、それはおいおいな⋯⋯」
俺の方も引きながら答えると、いろははむぅと不満げな表情を見せる。ずいと俺に近づいてきたと思ったら、いつもの小悪魔的な笑顔で首をかしげた。
「先輩も子ども欲しいってことで、いいんですよね?」
そんな表情で問われて、ノーなど言えるはずもない。
何より想像してしまったが故に、今さら欲しくないという気持ちにもなれなかった。
「そりゃまあ、な⋯⋯」
俺の答えを聞くと、いろはは二マーっと得意げな笑顔になる。
試しているような、満足しているような。とにかくそんな表情ですら、とびきり可愛いのだから罪な女の子だと思う。
「いいですよ」
いろははくいと袖を引いてくると、ピッタリ身を寄せてくる。俺の耳元に口を寄せて、甘噛みするように言うのだ。
「わたしが先輩の赤ちゃん、産んであげます」
蕩けてしまいそうな囁きに、ぞわりと背中が震えた。
これだから、一色いろはクセになる。これだからその魅力に、抗えなくなる──。
「あ⋯⋯っ」
俺はソファの上でいろはを押し倒すと、彼女に覆いかぶさった。いろはの言葉を借りるなら、責任をとってもらわないといけない。
いろはは驚きに見開いていた目を細め、唇で弧を描きながら見上げてくる。
「子ども作るのは、もっと先の話ですよ?」
「わかってるつーの⋯⋯」
それでもあんなことを言われて我慢できるはずもなく。
俺は求めるままに、いろはの唇を奪うのだった──。