五月の半ばをすぎた食堂は、そこかしこから聞こえる話し声で満たされていた。
わたしはトレイを持って、会話の声がなるべく静かなところを目指して歩いて行く。特に定位置とかがないこの学食で先輩を見つけるのは、これが一番効率がいい。
「先輩、今日は見つけにくかったですよ」
「⋯⋯おう」
先輩を見つけて声をかけると、またお前かって目を⋯⋯されたりしない。さすがにほぼ毎日のことになると、諦めて来たんだと思う。そうなってたら、しめしめというもの。
何せ先輩を追いかけて大学を選んだんだから、逃すつもりはない。先輩の言い訳も逃げ道も全部塞いで追い詰めないと。
我ながら物騒な言い方だけど、そうでもしないとあっという間に逃げられてしまう。手を出せないところまで行ってしまうのは⋯⋯どうしても避けたい。
雁字搦めになって考え込んで遠慮して、何もできなくなるのは嫌だから。
「先輩、今日の晩ごはん──」
「あ~、八幡だ! 久しぶり~~!」
わたしの声を押し潰すように、明るい声が頭上から振ってくる。見上げた先にいるのは、親しげな表情を浮かべた女の人だった。
これぞ美人といった整った顔立ちには人懐っこそうな笑みがのっていて、左目の下にはチャーミングなホクロ。肩まであるロングヘアは緩くウェーブがかかり、ニットのセーターはそのスタイルの良さを強調している。っていうか大きい。いや本気で何食べてたらそうなるのってぐらいに。
「
しかも先輩は、その美人のお姉さんを「寧々さん」と名前呼びにした。
いや、はい?
わたしもまだ名前呼びにされたこと無いんですけど? っていうか八幡って呼び捨てにしてるの何。この女。
「ここいーい?」
「あ、はい⋯⋯」
寧々さんは先輩ではなくわたしに向かってそう言うと、ついそんな返事をしてしまう。いや、さすがに「ダメです」とかは言えないけど。
けど本当に何なんだろう、この人。悪い人じゃなさそうだけど⋯⋯悪い人ほど、最初の印象はよくなるように猫をかぶっている可能性も高い。ソースはわたし。
「八幡ほんと久しぶりだね~。ヨシくんとも全然大学じゃ会わないしー」
「そっすね。俺もあいつも講義終わったらすぐ帰りますし」
「あ、てっちゃんから聞いたよ~。バイト始めるんだって?」
ああもう、それにしても。
何、この会話?
先輩めちゃくちゃ親しそうだし、全然知らない人の名前出てくるし。あとバイト始めるなんてわたし聞かされてませんけど?
思っていたより、先輩って知り合いが多いのかな⋯⋯。それよりもっと、はっきりしておかなければいけないことがある。
「⋯⋯先輩?」
わたしがそう呼ぶと、会話を止める形になってしまう。
それでもわたしは遠慮しない。だってそうしていないと、すぐに取り逃してしまうから。
「お二人は、どういうご関係なんですか?」
* * *
にこりと笑みを浮かべているのに、目の奥が笑っていない。
俺はそんな一色の表情を見て、こいつ勘違いしているなと理解した。
「え、あぁ~、そういう⋯⋯」
そして俺の隣に座る寧々さんも一緒だ。たぶん、何か勘違いしている。
これはさっさと誤解を解いた方がよさそうだ。なんと説明しようか逡巡していると、先に口を開いたのは寧々さんだった。
「このこの~っ! 八幡も隅に置けないなぁ。この子、彼女?」
寧々さんがそう言うと、一色は毒気を抜かれたようにキョトンとした顔をする。言われた俺もキョトンと思考放棄したいところだが、こっちの勘違いを取り去る方が先だ。
「いえ、違いますけど」
言った瞬間、一色の顔がムスっとした。
いやだって、本当に違うでしょうが⋯⋯。
「あー、あれだ。この人は⋯⋯」
「あっ、自己紹介が遅れてごめんね。材木座寧々、四年です」
寧々さんはそう言ってぺこりと小さく一色に頭を下げる。それにお辞儀を返した一色は、「何か聞いたことがあるような⋯⋯」みたいな顔をしていた。
「材木座の姉ちゃん、ってことだ」
「あー⋯⋯中二先輩⋯⋯」
「うふふふっ、中二って。ウケる~」
酷いあだ名だと言うのに、寧々さんはケラケラ笑っていた。この人のおおらかなところは、本当にいいと思う。
「ちなみに寧々さん彼氏いるし、その人も⋯⋯」
「あっ、噂をすればだ。お~い、てっちゃーん!」
寧々さんが大きな声で呼ぶと、ちょうどその人物もこちらに気付いたところだった。
一八○センチはあろうかという長身に、切れ長の目。スクエア型の眼鏡が理知的な印象を与える、インテリ系イケメンだ。
「てっちゃん、自己紹介!」
「え? ああ⋯⋯。寧々の彼氏の相模
徹也さんは不思議そうにそう言うと、寧々さんの前に座った。
一色は寧々さんと徹也さんを交互に見て、瞬きの回数を増やしている。情報と新キャラ多すぎてついてけませんって顔だ。
「一応徹也さんも、お前の知ってるやつの兄ちゃんだぞ」
「わたしの知っている⋯⋯?」
「ほら、遊戯部の」
「えっと⋯⋯あー⋯⋯」
と、一色は分かったような感じを出したが、たぶん分かってない。徹也さんは遊戯部の眼鏡コンビの片割れの兄であり、かつてクラスメートだった相模南の兄でもある。
つまり二人の交際が順調に続いて結婚まで至れば、過去にいがみあっていたこともある材木座と相模が義兄弟になるということだ。何それウケる。
「で? で? この可愛いコはだぁれ?」
にっこり、と寧々さんは柔和な笑みを俺に向けると、そのまま一色の方を見る。自己紹介がまだったことに気づいた一色は、すっと背筋を伸ばした。
「あー⋯⋯。こいつは高校の時からの後輩の⋯⋯」
「一色いろはです。先輩の彼女候補です♪」
──ピタリ、とまるで世界中の時計が止まったみたいに、俺は動きを止めた。
え、いきなり何言い出してんのこいつ。
「そっかそっかぁ~! じゃあ大学も追いかけて入ってきた感じ?」
「はい。そうなりますね」
「いいね~! 気合の入り方が違う! そう言えば私もてっちゃんも総武高校出身なんだよ~。平塚先生知ってる?」
「あ、はい。生徒会でお世話になってました」
「え? 生徒会役員やってたの?」
「はい。一応、生徒会長を二期」
「え〜っ!? 二年連続って、すごっ!」
そして始まる、女子同士のマシンガントーク。一色の顔に浮かぶのはお行儀のいい笑顔で、俺の顔に浮かぶのは理由の分からない冷や汗である。
徹也さんなんか「マジかよこいつ」みたいな目で俺を見てくるし⋯⋯。いや彼女持ちのあんたがその反応はおかしいだろ。
「ところで」
矢継ぎ早な女子トークが速度を落とし始めると、一色は改まった様子で言った。
「本当に寧々さんって、材木座先輩のお姉さんなんですか?」
未だに信じられない気持ちもあるのだろう、一色は遠慮がちに問いかける。
その疑問も無理はない。俺も大学入るまで姉ちゃんがいるなんて知らなかったし、顔も似てなさすぎるのだ。大学に入学した直後、物凄い美人と普通に会話している材木座にビビり散らかしたものである。
「まあ、確かに似てないよね」
そう呟いたのは徹也さんだ。当然彼女の弟として材木座とは面識があるし、何なら遊び仲間だからこその忌憚のない意見だった。
「みんなそう言うけど、ちゃんとお姉ちゃんだよ~。たぶん食堂いるから、呼んでみるね」
「え、同じ学校だったんですか?」
一色にとってはそちらも初出の情報だ。驚いている一色の斜向いで、寧々さんは「もしもしヨシくん?」と電話をかけ始める。
通話を開始して数十秒。本当に近くにいたらしく、局地的小規模地震が寧々さんの後方から近づいてくる。
「待たせたな姉上! 兄者もリアルではお久しゅう。八幡も⋯⋯んん?」
材木座は俺の目の前に座る一色に気づくと、大きく首を傾げた。
「姉上、これは如何なる状況か?」
「八幡にいろはちゃん紹介してもらってたのー」
ね、と寧々さんが視線を送ると、一色はにっこり笑って見せた。いつもの塩対応モードはなりを潜め、完全に猫かぶりモードである。
それにしてもこの姉弟の会話を聞いていると、この姉あってこその材木座なのだなと思う。材木座のテンションを受け入れすぎているせいで、中二病の進行に歯止めが利かなかったのではないか、というのが俺の推察だ。
「いろはちゃんは八幡の彼女候補なんだって!」
「ぶほっ! げほっ、げほっ⋯⋯!」
お茶を飲もうとしていたところに二度目のぶっこみを受けて、思わずむせてしまった。別に言わなくていいでしょ、今の⋯⋯。
「大丈夫ですか、先輩?」
一色は浮かべていた笑みをより親密なものに変えると、甲斐がいしくもハンカチを差し出してくれる。それを見ていた材木座が「けっ、リア充が」と悪態をついた。そういうとこだぞ、ヨシくん。
「⋯⋯して兄者。どうかな、今宵久々に」
「いいね。比企谷くんも入るでしょ?」
「あー、じゃあ久々に⋯⋯」
一色には何の話してんだこいつらって顔をされてしまったが、要するに遊びの約束だ。
「え⋯⋯先輩、どこかでかけるんですか?」
「いや、家にいるけど」
遊びの約束とは言っても、物理的に夜の街に繰り出したりとかそんなものではない。
「いろはちゃんも観てたらいいんじゃない?」
徹也さんがそう提案すると、はてと一色は首を傾げた。別に観ててもらう分には何も問題はないのだが⋯⋯問題は一色が楽しめるかどうかである。
「まあ、元々先輩の家に行くつもりだったのでいいですけど」
あ、やっぱり今日も来るつもりだったんですね、と心中独り
しかし、それならばお見せしようではないか。
俺たちの遊びを。
俺たちの戦場を──。
オリキャラ登場回でした。
作品情報には『設定捏造』のタグも足しておいた方がいいかも知れません。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が喜びのあまりダンベル何キロ持てるか限界まで挑戦します。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!