八月八日は、先輩の誕生日。
おそらく夏休み最大と言っていいぐらいの、ビッグイベントだ。
「⋯⋯で、プレゼントを何にしたらいいか迷ってるんですけど」
『なるほど、そんな感じね~』
そんな柔らかな声を返してきたのは、通話相手の寧々さんだった。すっかり仲良くなったわたしたちは、こうして大学で会わない期間は気軽に電話できるぐらいの間柄になっている。
なんというか、寧々さんには癒やしだけじゃなくて、圧倒的な大らかさがあった。だから許されると分かって簡単に連絡もできるし、こんな相談もできる。
あと彼氏とわたしの好きな人が同じタイプっていうのもポイントが高い。そう言っちゃうとかなり性格の悪い子みたいかも知れないけど。
『ちなみにいろはちゃんは、八幡から誕生日プレゼント貰ったことあるの?』
「ありますけど⋯⋯。わたしの誕生日はこの日ですよーってリマインドしまくって、『じゃあどんなのがいいんだ』って聞かれたものをもらっただけなので」
『あはは、グイグイいくねー』
ちなみに今年の誕生日に貰ったのは、ちょっといいブランドのリップグロス。思えばあの時、先輩が選んだものなら何でもいいですよ? って言い切っておけば、めちゃくちゃ悩んだ末に先輩が選んだプレゼントが貰えたのかも知れない。根負けして「例えば」なんて答えてしまったわたしの失敗だ。
『ならさ、直接聞いちゃえば?』
「そう思ったんですけど、別にねぇよって言われちゃいまして」
たぶんだけど、言ったらきっと買ってきてしまうから、と遠慮したんだと思う。そういうことまでいちいち考えて素直に言わないのが先輩だから、その辺りの理解はあるつもり。
けど、せっかくなら喜んで欲しい。それで盛り上がってがーっと、わーっとなっちゃうならそれもそれで有り。有りよりの有りだ。たぶんならないけど。
『八幡って、今年で二十歳になるんだよね?』
「そうですね」
『ならお酒でいいんじゃない?』
「あー⋯⋯」
なるほど、消え物。爪痕を残すことばかり考えていたわたしにはなかった発想だった。
これなら確かにがーっとなっちゃってわーっとなるかも知れない。前の合コンでの冷静さを見ているとその可能性は低いけど⋯⋯。あ、なら度数の高いお酒を買えばいいんだ。ナイスアイデア、わたし。
「確かにいいかもですね。その線で探してみます」
『うん。普段自分で買わないようなやつなら喜んでもらえると思うし』
それからどんなお酒の種類がいいか話し合った後、わたしはお礼を言って寧々さんとの通話を切った。
待っててくださいね、先輩。
美味しいお酒、お持ちしますので!
* * *
そうしてやってきた、先輩の誕生日。
夕方になり、わたしは先輩の住むアパートに向けて歩いていた。
本当なら午前からでも行きたかったところだけど、自分の誕生日に無頓着な先輩は今日も朝からバイトを入れてしまった。そういうとこだぞ、先輩。
「あ、せんぱーい」
そうこう考えながらアパートの近くまで来ると、向かいから歩いてくる先輩が見えた。
思わず手を振ると、先輩は身体を傾かせながら手を振り返す。なんか片手に、重たい荷物を持っているっぽい。
「よう。タイミングばっちりだな」
距離が近づいてきてしっかり目を合わせると、先輩はその顔に微かな笑みを浮かべた。あ、この顔好き。って、今はそれじゃない。
「誕生日おめでとうございます。⋯⋯で、何ですか。それ」
先輩の右手には二重になった紙袋が握られている。視線だけで確かめたけど、包装されているせいでそれが何かは分からない。
「あー⋯⋯。バイト先で貰った」
「へぇ⋯⋯」
先輩は何か後ろめたいことでもあるみたいに、わたしから目をそらして言う。
タイミングからして誕生日プレゼントで間違いない。これは先輩の職場に突撃調査が必要な案件かも。
「とりあえず、入りましょう。ご飯作りますんで」
「ああ」
この場で聞いたってどうせ教えてくれるわけがないから、わたしはそう言ってアパートの方に足を向ける。聞き出すのなら、たぶんお酒を飲んだ後の方がいい。答えてくれるかどうかは、分からないけど。
部屋に上がるとわたしは勝手知ったるなんとやら。さっき買ってきた食材とプレゼントのワイン、それから今日作ってきたばかりのケーキを冷蔵庫に入れた。
前に作って入れて置いた常備菜は⋯⋯うん、なくなってる。胃袋を掴んで離さない作戦、着実に進行中。
キッチンの定位置にかけてあるエプロンを身につけると、いつもより気合を入れて腰紐を結ぶ。
さあ、あとはお酒が進むように、いつもよりちょっと濃い味のご飯、それからおつまみを作るだけ。
わたしは居間で立ったまま携帯を触っている先輩に視線を送ると、口端に隠しきれない笑みを浮かべた。
* * *
「おまたせしましたー」
そんな声と同時に鼻に届いたのは、チーズの焼けるいい匂いだった。
何やら色々持ち込んだなと思ってたら、今日のメインはピザらしい。それにサラダとパスタ、カルパッチョまである。なるほど今日はイタリアンか。
「ちょっと待っててくださいね」
一色は料理を並べ終わると、そう言ってキッチンに戻っていった。冷蔵庫を開け閉めする音の後、一色はワインとともにワイングラスを持ってくる。
「改めて、誕生日おめでとうございます。これ、プレゼントです」
「おお、サンキュ⋯⋯。で、これは?」
「ワイングラスですけど?」
「いや、なんで二個あるかっつー話」
「百均で買ってきたやつなんで、気にしなくていいですよ」
「そういうことじゃないんだよなぁ⋯⋯」
噛み合わない会話に終止符を打つように、一色は「はい」とワインを押し付けてくる。いや、別に一人占めしたいわけじゃないが、君お酒弱いでしょうが。
どうしようかと考えながら、一色が渡してきたワインオープナーでコルクを抜く。嗅ぎ慣れない高級でルネッサーンスな香りが鼻腔をくすぐると同時に、ぐうとお腹がなった。バイトに合わせて早目に昼飯を食べていたせいで、かなり腹が空いている。
「⋯⋯一杯だけにしとけよ。結構アルコール度数高いんだからな」
「はい。先輩へのプレゼントなわけですから、もちろん」
とりあえず、一杯だけなら以前のようなことにはならないだろう。ワインを注ぐと、どちらともなくグラスを持ち上げる。
「ではでは、先輩の誕生日に乾杯!」
軽くグラスを合わせると、クイっと一口それを含む。
その一杯だけという油断を後悔するまで、それほど時間はかからなかった。
「せんぱい、あーん」
「いや、もういいから⋯⋯」
「えぇぇー、ダメですぅー。ほらせんぱぁい、あーん」
乾杯から三十分足らず。
俺はすっかり頬を赤らませた一色から、ピザを餌付けされていた。さっきからこうしないと食べちゃダメなんて言い渡され、ずっとこんな調子である。
「どうですかぁ?」
一色は首を傾げながら、甘ったるい声で俺に問う。
もちろん一杯だけでこんな状態になったわけではない。これ飲みやすいですねとワインの味をしめたらしい一色は、俺がトイレに立っている間に二杯目に突入していたのだ。
「うまい⋯⋯けど。おい、もう飲むのはやめとけ」
「えー、いいじゃないですかぁ」
三杯目にいくべくワインを取った一色の手首を掴んで、その動きを止める。当たり前だが、これ以上飲ませるわけにはいかない。
「ワインを置けって」
「でも飲み切らないと酸化しちゃいますしぃ」
俺の手を振り解いてワインを抱きしめようとする一色。こいつ、相当酔ってるな⋯⋯。
「おい、いい加減に」
「あっ」
強引にワインボトルを取ろうとした俺に対し、一色が抗った瞬間チャポンとワインが飛び出した。一色の着ている、よりによって白のシャツにワインがかかってしまう。
「あ⋯⋯。悪い、ちょっと待ってろ」
キッチンに布巾を取りに行くが、果たしてそれだけで染みになるのは防げるだろうか。ワインは染みになりやすいと言うし、さっさと洗った方がいいだろう。
「これ、よかったら着てくれ。その間に洗っとくから」
「あ、いえ⋯⋯なんかすみません。自分で洗います」
さっきまでの調子はどこに行ったのか、一色は急にしおらしくなると俺からTシャツを受け取って脱衣所に向かう。
それから数分後に戻ってきた一色は、なぜか妙に上機嫌だった。
「ふふっ。先輩、見てくださいこれ。彼シャツってやつですね」
そう言って一色はくるっとその場で一回転する。いや違いますけどなんて言葉も出てこないぐらい、その動きに見惚れていた。
は? なんだこいつクソ可愛いな?
暑いからか下はホットパンツを履いているせいで、まるで俺の貸したTシャツしか着ていないように見える。それが絶妙にエロティシズムとフェチズムを刺激し、露出の面積は大して変わらないのに生足がより魅力的に感じてしまうのだ。
「と、とりあえず食ったらもう帰れよ。送ってくから」
「えー、やですよ。っていうか、このシャツ着たまま出歩けって言うんですか?」
一色はそう言うと、シャツを伸ばしてそのプリントされた文字を俺に見せてくる。
その文字列とはもちろん『I♡千葉』だ。これに何の不服があると言うのだろう。
「別にいいだろ。東京に喧嘩売ってる感はあるけど」
「いや問題はそこじゃないんですけど」
じゃあ何が問題なんだよって話だが、確かにこんな目の毒とも言える格好のまま帰らせるのも忍びない。つまり、これは⋯⋯。
「先輩のうちに初お泊まり、ですね♪」
「⋯⋯⋯⋯」
こいつ、何から何まで確信犯じゃないのか? 計算高い一色のことを考えると、そうとしか思えない。
「ということで」
「あ」
何を思ったか一色は、ワインを手に取るとくいっとそのままラッパ飲みした。一色さん、それ僕へのプレゼントだって言ってませんでしたっけ?
「これで安心して酔えますねー」
いや酔っていい訳がない。こいつは危機感ってものがなさ過ぎる。
しかし今までの言動を鑑みると⋯⋯これはひょっとして据え膳というものなのだろうか?
⋯⋯いや何考えてるんだ俺。そんなことより、こいつをこれ以上酔わすわけにはいかない。ならば、どうするか。
「あ」
俺は一色からワインボトルを取り戻すと、そのまま口に含んで一気に飲む。
「何してるんですか先輩。大丈夫です?」
一色をこれ以上酔わせない為には、酒そのものを無くす。そうすれば絶対に一色はこれ以上アルコールを摂取できないという、強行手段である。
「だい、じょうぶだ⋯⋯」
まだアルコールはまわっちゃいないが、ボトルの三分の一は残っていたワインを一気飲みするのはやばい気がする。
しかし、背に腹は代えられない。残っていたピザをあーんされる前にパクパクと食べてしまうと、俺は──。
「先輩?」
あ、これアカンやつや。
時間が経つにつれて、ぐるぐると思考が迷走を始める。
歪んでくる視界、逸る心臓。ガンガンと、頭が痛い。
「ちょっと待っててください」
一色はそう言うと、本当に酔っ払いかってぐらいテキパキと後片付けを始めた。ものの数分でそれを終えると、リビング兼寝室に戻ってくるなり照明を落とした。
「さ、寝ますよ」
さも当然のようにそう言うと、一色は俺の腕を引いてベッドに寝転んだ。自然と俺も、ベッドで横になる形になるのだが。
⋯⋯え? これ同衾じゃない? 直訳したらほぼセックスじゃない? 何してんの、君。
「気持ち悪くなったら言ってくださいね」
そう言って一色は俺の頭の下に腕を差し込んでくると、髪を撫でつけてくる。
まるで子どもを寝かしつけるような、優しいタッチ。甘やかな時間。
こんなことされていていいはずがないのに⋯⋯大波のように押し寄せてくる安心感と眠気に、身体は抵抗を諦めていた。
「⋯⋯おやすみ。一色」
「おやすみなさい。先輩」
そうして俺は、目を閉じる。
密やかで熱い息を鼻先に感じながら、眠りに落ちていく──。
ちなみに、これは余談であるが。
翌朝ほとんど同時に目を覚ました俺たちが、めちゃくちゃきまずくて恥ずかしい思いをするのは説明するまでもない話である。
八幡の誕生日の話でした。既成事実化が着々と進んでいますね。
え? いろはす未成年じゃないかって? この作品には登場人物がお酒を飲むと年齢が二十歳以上になる不思議な魔法がかかっています。
感想・お気に入り・評価など頂けると作者が喜びのあまりI'll be backと言いながら溶鉱炉に飛び込みます。
それでは、引き続きお楽しみ下さい!