ーーー6年前 ロンドンーーー
ロンドン市内に佇む豪華な屋敷。国内でも有数な富豪でもある公爵家の有する屋敷の一つであるが、現在その屋敷に居住しているのはその公爵家の姫君とその使用人のみ。
そして屋敷の主人の寝室は当然のことだが物理的にも、そして魔術的にも厳重な警備が敷かれ、不埒な侵入者を許すことなどありえない…はずだった。
「…随分と消耗しているようだな」
天蓋付きの豪華なベットに、重病人のように白い顔をして臥せっている屋敷の主人に不躾に声をかける侵入者。
「レディに向かって随分とデリカシーの無いことを言いますね。 王子の名が泣きますよ?」
「フン、そもそも自分で名乗ったわけじゃ無い。
…どうやら憎まれ口を叩ける程度には元気があるようだな」
厳重な警備を無いもののように余裕で突破し、屋敷の女主人の私室へ侵入した不埒者、神殺しの魔王にして屋敷の女主人と敵対する魔術結社“王立工廠”の総帥である黒王子アレクサンドル・ガスコインは弱々しく返事をする屋敷の女主人プリンセス・アリスに素っ気なく答える。
「それにあなたこそ、まつろわぬアーサー王と戦った傷は完全には癒えていないのでしょう?
わざわざこんなところまで、何をしにきたのです?」
「……これを届けに来た」
コツンとベットサイドのテーブルの上に、アレクは懐から取り出した小瓶を置いた。透明なガラスの小瓶の中に満たされた薬品は、まるで液体になった黄金のような不思議な質感をしていた。
公爵家の姫君であり、同時に卓越した霊視力を持つ彼女はその薬品にとてつもない神気が込められている事を即座に見抜いた。そしてヨーロッパを本拠地とする彼女達には馴染みが薄いが、余りにも有名なその霊薬に心当たりがあった。
「まさか、これは金丹ですか? 中華における不死の霊薬ですよね?」
「所詮はまがい物だがな。 常人が飲めば神気に耐えられず死ぬし、俺達神殺しにとってはただの飲みにくい液体だ。
…だが、お前たちのような零落した地母神の末裔にとっては違う。」
アレクは淡々と、テーブルに置いた霊薬について説明する。
「そもそもお前がそうやって体を壊したのは、先祖返りで身の丈に合わない程の霊力をその身に宿しているからだ。
この薬は、お前と同じように先祖返りで大きすぎる力を得た地母神の末裔、東洋では巫女等と呼ばれている者を生かすために、かつてのカンピオーネが配下に作らせたものだそうだ。」
「…成り立ちは分かりましたが、そもそも何故貴方が?
いや、愚問ですね。どこから盗んできたんですか?」
「おい、人聞きが悪いぞ。
アリスはジト目で、見栄っ張りで基本的に自分の都合しか考えない魔王を見つめる。聞くに堪えない言い訳をしているが、どうせ勝手に宝物庫辺りに忍び込んで、霊薬の代わりに“借用書”でも置いてきたのだろう。
「はぁ…でも珍しいですね。貴方がそんな戦利品を他人に無償で渡すなんて。 明日ロンドンに月でも落ちてくるんですか?」
「……単に借りを返しに来ただけだ。 腹立たしいが、お前が命を削ってまつろわぬアーサーを封じる準備を整えなければ、俺はアーサーごとあの忌々しいギネヴィアとランスロットを巻き込んで妖しの森を灼き尽くすしかなかったからな」
「それは…」
「とにかくとっとと飲め。これで貸し借りは無しだ」
霊薬をアリスに押し付け、アレクはさっさとこの場を去ろうとする。
「……嫌です」
「何…?」
「嫌だと言ったんです!」
アリスが初めはか細く、だがアレクに聞き返された後ははっきりと、霊薬を飲むことを拒絶した。
「何を馬鹿な事を言っている! これを飲めばお前は…お前の体は治るんだぞ!」
「余計なお世話です! そもそも盗品じゃないですか!」
「だから人聞きの悪いことを言うな! 代金は払ったし、そもそも盗みには行ったが持ち主も納得している!」
「どうせ盗みに入ったはいいけど、持ち主にバレて仕方なく交渉したのでしょう!? 」
「……」
図星だったのか無言で目を逸らすアレクを見て、アリスは彼をやり込めた優越感で意地悪く唇を歪める。
「ほらやっぱり。そもそも誰から盗んできたんですか? わたしが飲んでしまったら返せないでしょう?」
「……」
アレクは不機嫌そうに黙り込む。
アリスは自分にやり込められてヘソを曲げたかと思い、少し言い過ぎたかと後悔したが、普段の彼ならもっと言い返してくるはずだと思い直す。
彼の顔をよく見ようと体を起こそうとするが…。
「わっ……!」
「おい!」
起き上がり、ベットから身を乗りだそうとしたアリスはバランスを崩しベットから転がり落ちそうになった。そんな彼女を素早く受け止め、体を起こせるよう背中にクッションを置いてから優しく横たえた。
「ほら見ろ、もうまともに体を動かすことすらままならないだろうが!」
「ち、ちょっとバランスを崩しただけです! 大袈裟な…っ」
慌てた様子で叱りつけるアレクに言い返そうとしたアリスは苦しそうに胸を抑える。
「っ…はぁ…はぁ…」
「……済まない、出直そう」
アリスが落ち着くまで優しく背中を擦っていたアレクは、彼女の息が整うのと、霊薬を懐にしまい立ち去ろうとする。その後ろ姿からは普段の彼ならば決して表に出さないだろう、僅かな悔しさが滲んでいた。
それを感じたアリスは無意識に、弱々しく彼の袖口を掴んでいた。
「あ…」
「…どうした?」
「い…いえ、その…」
アリス自身も、なぜ自分がそんな行動をしたのか上手く言語化できず困惑してしまう。
そんな彼女を訝しげに見つめたアレクは彼女に背を向け、まるでアリスに顔を見られる事を厭うかのようにしながら言葉を紡ぐ。
「…可能かはわからんが、薬は持ち主からお前に届くよう手配する。俺が命を懸ければ何とかなるか」
「…アレク、今何か物騒なことを言いませんでしたか?」
「気にするな。…兎に角、俺が渡すのが気に入らないなら何とかする。だからお前はもう休め。」
「ま…待ってください!」
普段の身勝手な彼からすると信じられない程、自分を気遣った発言と態度に、アリスは思わず声を上げアレクに問いかける。
「なんでそこまで、私なんかの為に…?」
「言った筈だ。 借りを返す為だと」
「わたしは、わたしがそうするべきだと思ったからやっただけです! 恩を売るためじゃありません!」
「結果論だとしても俺はお前に助けられた。だから借りを返す。…それだけだ。」
アレクは平坦な態度でアリスの疑念に淡々と答える。
そんな彼の態度に、徐々にアリスは感情を昂ぶらせてゆく。
「いらないと言ったはずです! そ、そもそもわたしは貴方にとって敵ですよ! それにわたしがこのままいなくなった方が、貴方にとっては都合がいいはずでしょう!?」
「馬鹿なことを言うな!」
アリスの言葉に、今まで素っ気ない態度をとっていたアレクが激昂する。
普段の彼からは想像出来ない、声を荒げるその態度に驚いたアリスが怯え、身を固くする。
そんなアリスの怯えを感じ取ったアレクは、辛そうに彼女に謝罪する。
「…悪かった」
「わたしも言い過ぎました…。すみません、やり方はともかく、わたしの為に苦労をかけたのに…」
アレクが本心から謝罪していることを察したアリスも、自らの態度を少し反省する。
そんな彼女を真っ直ぐに見つめたアレクは、彼女に頭を下げる。
「頼む、この薬を飲んでくれ。」
「な…! アレク!?」
普段の傲岸不遜な彼なら絶対にしない行動に、流石のアリスも面食らう。
だが、彼は決して頭を上げず、ひたすら彼女の次の言葉を待つ。
「……それでも、飲みたくありません」
「………」
長い沈黙の末、彼女は改めて自らの治療を拒絶した。
アレクの心情は理解した。彼が自分を救うために、まつろまぬアーサーとの戦いで消耗した体でこの薬を手に入れてきてくれたことを嬉しいとも思っている。
だがそれでも、彼女は最早そこまでして体を癒やしたいと、生きたいと思えなくなっていたのだ。
「アレク…もしよければ少しだけ、わたしの愚痴を聞いてくれませんか?」
「…いいだろう。丁度喉も乾いてきたところだ。
紅茶でいいな?」
「はい……え?」
アリスが困惑している間に、どこから取り出したのか茶葉とティーセットを取り出し、これもどこからか取り出したポットを魔術で最適な温度に温めてお湯をティーポットに注いでゆく。
「え…あ、あの…」
「少し待て、まだ蒸らしが足りん」
懐中時計(これは普通に懐から取り出した)で時間を測り、最適なタイミングで紅茶をカップへと注ぐ。
アリスの鼻を、紅茶の芳醇な香りがくすぐる。
「できたぞ」
「…ありがとうございます………美味しい」
アレクの淹れた紅茶は、イギリスの上流階級の人間としてそれなり以上に紅茶にはうるさいアリスをして文句のつけようのないほど美味だった。
「悪いが茶菓子までは用意していないぞ?」
「…そうですか」
アリスの不本意そうな顔を勘違いしたアレクがやや的はずれな事を言っているが、アリスはツッコミを入れる気をなくしそのまま受け流す。
そして紅茶を半分ほど飲んで人心地ついたアリスは、ポツポツと自らの宿敵であり、そして数少ない自らにとって対等な相手であるアレクに、自らの鬱屈とした想いを語り始めた。
続きはまた後ほど。
本来ならこの回でベットシーン手前まで行くはずだったのに、この二人がめんどくさ過ぎて結局一旦区切ることにしました…。