○廃城の回廊。昼前。
ラヴィーネとカンネが二人で歩いている。アウラの寝室に向かう。
ラヴィーネ「いつまでもアウラの返事を待っている時間はない」
カンネ「お見舞いに行くの? アウラ、怒らないかな? 大丈夫かな?」
ラヴィーネ「そんなことを気にしている場合じゃない。アウラがソリテールを殺すより先に、ソリテールを保護する必要がある」
カンネ「……本当にアウラはソリテールを殺そうとするかな?」
ラヴィーネ「最悪の場合を考えなくとも、アウラがソリテールを殺そうとする可能性は高い」
アウラがソリテールから解放され、自由になるためには、ソリテールを始末することが最も合理的と、ラヴィーネは考えていた。
ラヴィーネ「ただ本当の最悪は、ユーベルの言う通り、ソリテールが既に死んでいる可能性があることだ」
カンネ「そんな……」
ラヴィーネ「死んでいる場合、アウラやリーニエと殺し合いになる」
カンネ「二人を説得できないかな?」
ラヴィーネ「私たちを生かしておく理由がない。それにリスクとして排除する方が合理的だ」
寝室に向かう途中、反対の回廊から来たリーニエと出会す。
リーニエ「何をしているの?」
ラヴィーネ「リーニエ……」
カンネ「ソリテールのお見舞いに。心配で」
リーニエ「そう。アウラ様は今いない。さっき食器を下げに行った」
カンネ「分かった。ありがとう」
咎められることを懸念していた二人は、すんなりと解放され安心した。
ただラヴィーネはリーニエの言動に気になるところがあり、足を止める。
ラヴィーネ「リーニエ。お前は<服従させる魔法>でソリテールに危害を加えることができない。そうだな?」
リーニエ「そうだけど」
ラヴィーネ「そしてお前たちはソリテールの支配から解放されたい、違うか?」
リーニエ「…………」
ラヴィーネ「私たちはここから脱出したい。もしお前が私たちの邪魔をしないのなら、ソリテールを殺すと約束する」
カンネ「ラヴィーネ、何を言っているの!?」
リーニエ「お姉様から解放されるのなら、私もアウラ様も手出ししない。約束する」
リーニエ(正直、アウラ様が何をするか、考えているのか分からない。それでもこの二人に、アウラ様が当面敵ではないと印象づけておけば、アウラ様への襲撃のリスクを軽減できる)
ラヴィーネ「分かった」
ラヴィーネ(魔族の言葉は信用できないが、利害関係が一致している以上、それまでは共闘できるはず)
リーニエを後にし、二人は進む。
ラヴィーネ「カンネ、お前は自分の身を守ることだけ考えていろ」
カンネ「やだよ……私そんな……」
ラヴィーネ「今しかない。今を逃せば、二度とこんな好機はない」
カンネ「城の中に、秘密の抜け道がどこかにあるかも……」
ラヴィーネ「仮にあったとしても、ソリテールが私たちを殺す前に見つけることができるとは限らない」
カンネ「そんなことないよ……ソリテールのことだって、何も殺さなくても……」
ラヴィーネ「お前、分かっているのか? アイツは七崩賢のアウラ以上の魔力を持ち、人類を捕らえて実験台にする怪物だぞ? このまま生かしておけば、どれだけの犠牲が出るか分からないぞ」
ラヴィーネ(何よりアイツを生かしておくことを、私が許せない)
○アウラの寝室・扉の前
カンネはアウラの寝室をノックする。
カンネ「アウラ、今大丈夫?」
ソリテール「カンネ、どうしたの?」
扉越しだが確かにソリテールの声だった。
カンネ「中に入ってもいい?」
ソリテール「ごめんなさい。アウラが他の人を入れちゃ駄目って」
カンネ「そっか」
ラヴィーネ「わざわざ確認する必要もない」
ラヴィーネが扉を開けようとする。鍵が閉まっているのか開かない。
カンネ「やめようよ、ラヴィーネ……」
カンネの声は今にも泣きそうに上擦っていた。
ラヴィーネ「いいか。もしソリテールが攻撃する仕草を見せたら躊躇うな」
カンネ「ラヴィーネ?」
ラヴィーネ「<氷の矢を放つ魔法>」
ラヴィーネは扉を破壊する。
カンネ「何してるの!?」
有無を言わさずラヴィーネは寝室に入る。
ベッドにソリテールが寝ていた。もともと白い顔色は、一切の温度を感じさせないほど白かった。
それでもあの張り付いたような微笑みを浮かべて、二人を見つめている。
ソリテール「困ったな。あとでアウラに怒られちゃう」
ラヴィーネ「あとがあればな」
ラヴィーネは真っ直ぐソリテールに向かう。
ソリテールはただそれを見つめていた。
カンネが縋るようにラヴィーネの袖を掴もうとするが振り払われる。
ラヴィーネはソリテールの眼前に迫り、その胸倉を掴み、無理矢理上体を起こさせる。
ラヴィーネ「結界を解除しろ」
ソリテール「ごめんなさい。今の私ではできないの」
それにラヴィーネはソリテールを押し倒し、馬乗りになる。
ソリテール「あっ」
ソリテールは弱々しく吐息を漏らした。ラヴィーネはその顔に、振り上げた拳を叩きつけた。
ソリテール「うっ」
カンネ「やめてラヴィーネ!」
ラヴィーネ「御託はいい。無理だろうが何だろうが、お前は解除する。それ以外の選択肢はない」
ソリテールは鼻から血を流しながら、怒りも恐れも感じられない、いつもと変わらない眼差しでラヴィーネを見る。
ソリテール「できることならそうしてあげたいけれども、今の私にはできないの。ごめんなさい」
再びラヴィーネはソリテールを殴りつける。
ソリテール「あぐっ」
ラヴィーネ「もう一度だ」
ソリテール「ごめんなさい──」
ソリテール「あうっ」
カンネ「もういい! もういい、やめてよ!」
ラヴィーネ「いいから黙ってろ!!」
カンネ「ひっ……」
ラヴィーネはソリテールを見下ろす。
ラヴィーネ(本当にこいつは弱っている。ここまでされて反撃してこない。ただ結界を解除しようとしないのはブラフだ。解除すれば殺される。そう思っているのだろう。だったら単純な話だ)
ラヴィーネ「今からお前を死ぬほど殴り続ける。お前が結界を解除するまで殴り続ける。お前はもう何も喋らなくていい。最後に聞くぞ。結界を解除しろ」
ソリテール「ごめんなさ──」
言い終わる前にラヴィーネはソリテールを殴りつけた。右手で殴れば左手で。交互に、呻き声一つ与える間も与えない。
ただただ骨と骨のぶつかり合う音だけが響く。
カンネは耳を塞いでうずくまった。
暇を持て余したラヴィーネは数を数え始める。
ラヴィーネ「十、十一、十二──」
ラヴィーネ「三十五、三十六、三十七──」
ラヴィーネ「四十九……」
ラヴィーネは殴り疲れ、手が止まる。肩で息をしていた。両手の拳は割れ、血が滲む。
ソリテールの顔は腫れ、わずかに歪み、頬骨が折れているかもしれない。口内は裂け、切れた唇の端から血の混じった唾液を垂らしていた。
ただ魔族の身体構造によるものか、人類に比べて大きく腫れ上がることはなかった。赤く血が滲み、青く痣が浮かんでいた。
それでもソリテールは苦しそうに、か細く息をするだけで、その目には怯えも恐れも怒りも、一切の感情がうかがえなかった。
ラヴィーネ「くっそ疲れた……」
カンネ「ひぐっ……ぐすっ……」
何故かカンネが泣いていた。
ラヴィーネ「ソリテール。お前が散々言っていた脅し文句だ。今からお前の手足を切り落とす。手遅れになる前に結界を解除しろよ」
ラヴィーネは魔力で氷の剣を生み出す。
ラヴィーネ「本当にお前が魔族でよかったよ。まるで人形を相手にしているみたいだ。おかげで罪悪感を抱かずにできる」
氷剣が清冽な銀色の光を反射する。
それを捉えたソリテールの瞳は微かに揺れたが、それがどんな感情であったかラヴィーネには分からない。
ラヴィーネ(もう引き返すことはできない──)
ラヴィーネは氷剣を振りかざした。
○アウラの寝室に続く通路
アウラの前にリーニエが立つ。
アウラ「リーニエ、さっきの音は何? あなた、ここで何しているの?」
何かが砕かれる音が聞こえ、アウラは引き返してきた。
リーニエ「今、ラヴィーネとカンネがお姉様のところに行っている」
アウラは眉を上げ、目を見開く。怒りや焦りの感情がよぎった。
アウラ「そこを退きなさい!」
リーニエ「行かせない」
アウラ「私の言うことが聞けないの!?」
リーニエ「このままあの二人にお姉様を殺してもらう。それで全て解決する」
アウラは躊躇いなく言葉にした。
アウラ「命令よ、リーニエ! “退きなさい”!」
リーニエ「!!」
リーニエは端に避け、アウラに道を譲る。
その横をアウラは駆けて行く。
リーニエ「……アウラ様が、私に、命令した」
リーニエはその大きな目を見開き、茫然自失としていた。
○アウラの寝室
アウラが駆けつけると扉が破壊されていた。
アウラは寝室の中に飛び込む。
ラヴィーネがソリテールに跨り氷剣を振り上げ、そのそばでカンネが耳を塞ぎうずくまっていた。
アウラ「何をしているの!?」
ラヴィーネ「アウラ!?」
アウラが服従の天秤を具現化する。
ラヴィーネは咄嗟に切っ先をアウラに向ける。
ラヴィーネ「待て、アウラ! お前と争うつもりはない!!」
アウラは天秤を手にしたまま、ラヴィーネを睨む。
ラヴィーネ「私たちは結界を解除して、ここから出たいだけだ。お前やリーニエと争うつまりはない」
アウラ「そう」
アウラもラヴィーネも、カンネの様子を一瞬だけ見る。
ラヴィーネ(アウラがソリテールに味方するとは思えない。ただ直情的なアウラのことだ。暴発する可能性がある。最悪、私に<服従させる魔法>を掛けようとした場合、この状態のカンネが反応できるか?)
アウラ(私の魔法とラヴィーネの魔法、どちらが先に完了するか。ラヴィーネを服従させたらカンネを殺させる。カンネを殺し切る前にカンネが私にゾルトラークを撃つリスクもある。ソリテールを見捨てる選択肢もある)
ソリテール「アウラ、行って……彼女たちの目的は、私だから……」
ラヴィーネ「そうだ。リーニエもこのことは承知している。私たちが争う理由はない」
それにアウラは怒気を露わにする。
アウラ「あなたたち、誰に口を利いていると思っているの? この私、五百年以上生きた大魔族であり七崩賢の一人、断頭台のアウラに向かって無礼よ」
ラヴィーネ「今はそんなことを言っている場合じゃない!」
ラヴィーネは苛立つ。それ故の短慮はアウラの怒りの炎に油を注いだ。
アウラ「人類如きが私に意見をするな! 今すぐ出て行きなさい! これ以上口答えするなら容赦しない!!」
ラヴィーネ(話の通じる相手じゃねェ……覚悟を決めるか……)
カンネ「ラヴィーネ」
一瞬ラヴィーネの注意が逸れるが、そのチャンスをアウラは見送る。
ラヴィーネの頬に冷や汗が伝った。
カンネ「行こう、ラヴィーネ。アウラ、ソリテール。本当にごめんなさい」
カンネには全く戦意がなかった。カンネはラヴィーネの袖を掴む。
カンネ「ラヴィーネ、行こう」
ラヴィーネ「分かった……」
ラヴィーネ(このままだとカンネが危険だ。一度仕切り直す。まだ仕切り直せる、まだ大丈夫だ……)
アウラとラヴィーネは互いに天秤と氷剣を向け合ったまま、円を描くように互いの位置を入れ替える。アウラはソリテールの傍らに立つ。ラヴィーネとカンネは出口に立つ。
互いに一瞬たりとも視線を切らず、ラヴィーネはカンネに袖を引かれながら退室して行った。
* * *
魔力探知で立ち去ったことを確認すると、ようやくアウラは天秤を解除し、緊張が解けその場に膝をつき、肩で息をする。
アウラ「やっといなくなった……」
ソリテール「アウラ、どうして?」
アウラは我に返りソリテールに向き直る。
アウラ「大丈夫? 怪我は──」
ソリテールの顔は、血塗れで痣だらけだった。
ソリテール「大丈夫だよ」
ソリテールは弱々しく微笑む。
アウラは有無を言わさずソリテールの顔を舐める。
ソリテール「あ、や……くすぐったい……」
アウラ「我慢しなさい! 口も怪我してる!」
ソリテール「ん、あ……」
アウラはソリテールにキスをする。その唇を舐め、血の味をたどって、口内も舌でまさぐる。
ソリテール「ん、ん……」
しばらくしてアウラは口を離す。
ソリテールは瞳を潤ませて、アウラを見つめていた。
アウラ「あいつら、許せない。私のソリテールに……」
ソリテール「アウラ、ありがとう……」
アウラ「他に怪我は?」
ソリテール「大丈夫。顔だけ」
その言葉にようやくアウラは安心した。
そこで縋るようにソリテールの手が、アウラの服を掴み、微かに震えていることに気付いた。
ソリテールは再度、アウラに疑問を投げかける。
ソリテール「アウラ、どうして私を助けたの?」
アウラ「また説明させるつもり?」
ソリテール「だけど、今のは危なかったよ。アウラが死んでいたかもしれない」
アウラ「たかが人類如きが、私に意見し、私の物を傷つけるなんて、千年早いのよ」
ソリテール「また私を狙って襲撃してくると思う。これ以上君を危険に巻き込みたくない」
アウラ「その時はその時よ。それよりあなた、結界を解除するほどの魔力もないんでしょ?」
ソリテール「うん。今は防御魔法一つ使えない。でも目的を達成できない以上、彼女たちは私を殺せない。だから大丈夫」
アウラ「何が大丈夫よ。下手したら嬲り殺しにされるわよ」
ソリテール「そうだね。でもアウラだって危ないよ。だから逃げて。それにリーニエも私が死ねば、またアウラに従うでしょ」
アウラ「そうね。ラヴィーネの言う通り、あの子は今、あなたのことを排除しようとしている」
ソリテール「それに私は君を守る盾。その盾がボロボロで使えないのなら、捨てた方がいいよ」
アウラ「もう言いたいことは分かったわ。それでもどうするか決めるのはこの私よ」
アウラはソリテールの髪を撫でる。
アウラ「髪がボサボサだわ。体起こせる?」
ソリテール「うん」
ソリテールはアウラに支えられながら上体を起こす。
アウラは指でソリテールの髪を梳く。
アウラ「この私が梳かしてあげる。光栄に思いなさい」
ソリテール「うん。ありがとう」
アウラはソリテールを後ろから抱きしめるように座る。
アウラ「素直ね。リーニエも前は私がしてあげてたのよ」
ソリテール「今は違うの?」
アウラ「この私とお揃いの髪型にしてあげようとしたら、それ以来ね」
ソリテール「あぁ、なるほど……」
アウラ「あなたも私と同じ髪型にしてあげるわ」
ソリテール「え!? いや、私は似合わないと思う、な」
アウラ「なによ! 私の好意が受け取れないの?」
ソリテール「ごめんなさい……」
アウラ「両サイドの髪を編むぐらいなら別にいいでしょ?」
ソリテール「うん。それだったら」
アウラ「無造作でボサボサだけど、綺麗な髪をしてるんだから、ちゃんと手入れしなさい」
ソリテール「ありがとう。嬉しい。私、あまりそういうことに詳しくなかったから」
アウラ「人類の研究をしていたなら、自分を美しくする、綺麗に見せる研究もしなさいよ」
ソリテール「そうだね。確かに大事なことだ」
アウラ「服も私とお揃いにしようかしら」
ソリテール「それもちょっと、私には似合わないかな……」
アウラ「口答えばかりするのね」
ソリテール「ごめん……」
アウラ「別にいいわよ。あなたなら、私と対等に口を利くことを許すわ」
ソリテール「どうして?」
アウラ「そうね。退屈だからかしら? これからの悠久とも言える時間の中、一人ぐらいそんな相手がいても悪くないわ。まぁ、リーニエは昔から生意気だけど」
アウラはソリテールの右側の髪を編み終える。一房、三つ編みが出来上がった。
アウラ「ソリテール。逃げるわよ。この決定には口答えを許さないわ」
ソリテール「はい、アウラ。どこまでもついていくよ」