幼い頃に婚約した少年が、結婚式を目前に控えた花嫁の前に吸血鬼になって戻ってきた話 作:精神陵辱
「……フランシス? 聞いているのか?」
「え。あ……」
翌日、朝食の席でぼうっと上の空な様子のフランシスに、父親が怪訝そうに首を傾げる。
「どうした。体調でも悪いのか」
「いえ、別に……」
フランシスは慌てて、首を横に振る。
「ごめんなさい。ただちょっと、ぼうっとしてただけ」
あわてて取り繕ったような笑顔を浮かべると、そう言い訳をする。
実際、昨夜のクーガーのことを考えて、ぼんやりしてしまっていたのは本当のことだったが。
「きっとまた、アンドリューのことを考えていたんでしょう?」
母親が笑顔で、そう口を挟んだ。
「もう、結婚式も近いものね。いろいろと、考えなきゃならないことも多いでしょう?」
「え……、ええ、まあ……」
フランシスは内心後ろめたい思いをしながらも、曖昧な返事をした。
まさか、その婚約者とは別の男のことを考えて上の空だったのだとは言えない。
まして、その男に昨夜、この身を弄ばれたのだなどとは……。
「そうだわ、フランシス。今度の休みには、あなたのドレスを買いに行きましょうか。式までには、まだ少し間があるけれど、早めに準備をしておいた方がいいと思うの」
「うん……そうね……」
「ああ、それから、ケーキの予約もしないとね」
楽しげに話し合う母娘を見つめながら、父親は苦笑する。
「ははは。まあ、アンドリューはいい相手だし、上の空なのは仕方ないか」
「ええ、その……ごめんなさい」
フランシスは少し気まずげに視線を逸らしながら、曖昧に微笑む。
「結婚式が終わったら、次は子供よね? フランシスは男の子と女の子、どっちが欲しいの?」
「それは……」
「こらこら、フランシスはまだ若いんだぞ。気が早いだろう」
心から楽しみそうに、和やかに話し続ける両親を見ていると、フランシスはひどく後ろめたく、胸の痛む思いがした。
それから逃れようと大好きな林檎を口に入れてみたが、今日はさわやかな甘さの中にも少し、苦みが混じっているような錯覚を覚えた。
昼過ぎには、婚約者が家を訪ねてきた。
「やあ、フランシス」
「こんにちは、アンドリュー……」
フランシスはどこかぎくしゃくとした態度で、彼を家の中に招き入れる。
彼は、彼女の態度がどこか普段と違うことに、すぐに気が付いた。
「具合でも悪いのかい?」
「いえ、そんなことないけど……」
「そうかな。何だか顔色が悪いみたいだけど」
「そ、そうかしら。大丈夫よ」
フランシスは無理に笑顔を浮かべて、彼の手を取った。
「なら、いいんだが」
父も言うとおり、本当にアンドリューはいい男だ。
彼は騎士の家系の生まれで、長い口髭を生やした精悍な面立ちとたくましい体つきをしていて、自分よりも少し年上で頼りがいがある。
それでいて、優しく気遣いもできる男で、本当に良縁だと言えた。
(なのに私は……)
クーガーとの淫蕩な行為を思い出してしまい、罪悪感を覚える。
「式も近いのだから、無理はしないでくれよ」
アンドリューはそう言って微笑むと、そっと顔を寄せて、フランシスに接吻をしようとする。
いつもなら、それに喜んで身を委ねた。
だが……。
『これで、君の体はきれいになったよ』
「……っ!」
無邪気そうに微笑みながら、自分の唇を、体を蹂躙した昨夜のクーガーの顔が、脳裏に浮かんだ。
『ああ、また穢されたんだね。もう一度きれいにしないと駄目だね』
そして、また同じことをされる未来までをも、想像してしまう。
「……い、いやっ!」
フランシスは思わず、アンドリューの体を押し退けた。
アンドリューは驚いた表情で、自分の婚約者を見つめた。
「フランシス……?」
「あ……、ご、ごめんなさい」
フランシスは少し青ざめた顔で俯くと、言い訳を口にした。
「……その、やっぱり私、少し具合が悪いみたいなの。あなたにうつしたら、悪いから」
「本当かい? でも……」
「ごめんなさい。今日はもう休むから、また今度に……」
フランシスはそう呟きながら、逃げるようにその場を離れた。
「あぁ……」
自室に戻ると、フランシスは呻いた。
あんなふうに、婚約相手の彼を拒絶したのは初めてのことだった。
アンドリューは優しい男なので、あのくらいで自分のことを悪く思ったりはしないだろうが……。
「……クーガー……」
幼馴染の名を呟きながら、フランシスは彼との幼い日々のことを、そして昨夜のことを思う。
それからまた、両親や婚約者のことも。
自分はどうしたらいいのか、どうするべきなのかと、ずっと悩み続けた。
そして、ついに結論を下した。
(やっぱり、クーガーのことは拒絶しなくてはいけないわ。彼はもう、忌まわしい吸血鬼になってしまったんだもの……)
けれどフランシスは、他の誰かに昨夜のことを伝え、助けを求めようとは思わなかった。
だって、助けを求めれば両親も婚約者も、家の使用人たちも心配して、命がけで自分を助けようとするに決まっているし、彼らの身にも危険が及ぶかもしれない。
吸血鬼が恐ろしい相手だというくらい、子供でも知っている。
それにクーガーの方も、存在が知られれば討伐対象になって、殺されてしまうに違いない。
たとえ恐ろしい不死者に成り果てたにしても、彼は自分の大切な幼馴染で、ひどい目に遭ってほしくはなかった。
「だから私が……、私だけで、なんとかしないと……」
結局、自分だけで事態に対処する決意を固めて。
フランシスは自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、そのための準備に取り掛かった……。