私が好きなのは兄だけど兄じゃない人に抱かれています 作:おっさんホイホイ
「永見、ホームルーム終わったら生徒指導室へ来てくれ」
6時間目の授業が終わり生活指導の原田が去り際、そう声をかけたのは永見涼花だった。
成績優秀、素行良好の涼花が生活指導の先生に呼び出される。
そんな思いもしなかった出来事にクラスがざわめき始める。
だが日頃の涼花をよく知るクラスメイトたちはおそらく何かの間違いか、あるいは別件での事情聴取か何かだろうと言う見解で落ち着いていった。
涼花本人も特に思い当たる節はない。
厳密に言えばあるのだが、そちらは自分と兄だけの秘密であり、親しい友人すら知る由のないことだ。
ただ、涼花は原田のことがちょっと苦手だった。
原田が赴任してきた昨年春に涼花は原田の手伝いで教材を運んだ事がある。
教材を手渡した瞬間、ほんの一瞬の出来事ではあるが原田の目つきが男のそれに変わったのを涼花は見てしまった。
一瞬警戒した涼花だったがすぐに原田の目つきは戻ってしまったし、その後も何度か手伝う機会はあったがあれ以降原田の目つきが変わる事はなく、態度も一線を引いたものであった。
だがなぜか涼花にはあの目が印象に残っていて警戒を解く事が出来なかったのだ。
今日は何分あの先生と話さなければならないんだろう…
ホームルーム中の涼花は気が重くなっていった。
ホームルームが終わり、帰り支度を始めたクラスメイトたちを見ながらため息を吐く。
「涼花、大丈夫だよ。多分何もなしで解放されちゃうから」
「ええ、そう思うけど…あの先生ちょっと苦手で…」
「そう?結構話聞いてくれるしいい先生だと思うけど」
「相性かしら」
「そろそろ行ったほうがいいんじゃない?来るのが遅いって内申の成績落とすのもったいないって」
「そうね。じゃあそろそろ行ってきます」
「頑張れー」
クラスメイトの声援を受けて涼花は教室を跡にする。
涼花が呼ばれた理由。
それはまさに知られたくなかったこと。
「な、なぜそれを…」
「なぜ?それは今考えることではない」
「だってあのことは私とお兄さんしか知らない秘密のはず…」
「だが俺は知っている。永見が考えるのはこの問題をどうやって解決するかだ。校則のこと知らなかったわけではないだろう?」
小説を書く事は別に悪いわけではない。だが商用目的として応募することは校則に触れる。
その事は涼花も承知していた。
誤算は自分の思いを素直に綴ったその小説が大賞をとってしまった事だろう。
ネットの底へ沈んでいくはずのものがクローズアップされて多くの人の目に触れることになってしまった。
その結果、ネット以外のメディアに露出して大反響だ。
金のなる木を放っておく出版社などない。
「それにしても永見がこんなこと考えていたなんてなあ」
原田の言葉に涼花の頭の中は羞恥に染まり思考が止まる。
「これはどこまでが本当の永見なんだ?例えばここの『お兄ちゃんの…』」
「やめてください!」
羞恥に耐えかね、思わず大きな声で原田の言葉を遮り立ち上がる涼花だったがそれは悪手であった。
原田は涼花の反応を見て知ってしまった。
目の前の生徒を脅すには何が効果的かを。
原田は顔を真っ赤に紅潮させて自分を睨む涼花を見上げる。
その目つきにかつてと同様の不快さを感じる涼花に原田は追い込みをかけ始めた。
「俺は校則を破った事よりも小説の内容の方が問題だと思うんだがな」
涼花にこの一言は効いた。
耐えがたい羞恥に力なく椅子に腰を下ろし、原田に目を合わせることなく机の木目に目を走らせる。
あ…あの木目、人の顔に見えるわ…
原田は喋らなかった。ひたすらに涼花の出方を待つ。
しばし現実逃避を続けていた涼花だったがやがて決心したように顔をあげた。
「申し訳ありませんでした。どんな処分も甘んじて受けます」
憑き物が落ちたような表情になった涼花だったが原田はそれを許さなかった。
「永見、考えてみろ。永見があの小説を書いたってことが学校中の生徒、そしてその親たちが知る事になるってことを」
涼花の表情が明らかに曇っていく…
学校中どころか世間に知られたくない自分の想いが知れ渡ることを想像する。
心無い誹謗中傷に晒され、知らぬところで噂話のネタになる。
これからの行動は監視され一挙手一動が世間へ知れ渡る。
有名税とはそういうものだが中学生でしかない涼花に耐えられるようなものではない。
「もう丸く収めるにはな、この秘密を守り続けるしかないんだよ」
原田は立ち上がり涼花の方に回り込む。
涼花の力なく落ちている肩に手を回し、耳元で囁く。
「永見が望むなら俺が守ってやる。この事は俺の胸の中に収めておいてやろう」
願ってもない申し出だった。だが涼花には原田が信じられない。
まさかと思いつつも聞かずにはいられなかった。
「その代わりに私に何をさせようと言うのですか?」
初対面の時の原田の目が思い出される。
涼花も年頃の女の子だ。そのような視線を感じることは日常的にあった。
だが原田の視線は別格だ。
肉食獣に睨まれたような恐怖を涼花はあの日と同様に感じている。
「もうわかってるんじゃないか?自分が何をすべきかを」
耳朶に原田の吐息を感じる。
「いえ、その…私には…」
聞きたくない。どうか間違いであって欲しい。
だが
「永見。抱かせろ。そうすれば全て丸く収めてやる」
涼花はようやく自分が置かれている立場を理解した。
当然受け入れられるようなものではない。
そんな涼花が最後に頼るのはやはり兄であった。
兄と一緒ならこの難局も乗り越えていける。
肩に回された手を払いながら原田の方へ顔を向ける。
「申し訳ありません。私の考えは変わりません」
涼花の目に力が戻っていた。
お兄ちゃんさんなら…お兄ちゃんと一緒なら私は…
「そうか。わかった。だがお前の兄さんも可哀想にな。妹に愛されたいなどとおかしな妄想を綴った小説の作者と勘違いされ、今度はその妹がゴーストライターでしたってか。少なくとも作家としてはやっていけないだろうな」
涼花はここにきて始めて自分がお兄ちゃんに何をやらせてしまっていたかを思い知った。
お兄ちゃんは私の勝手なお願いを聞いてくれたのだと。
世間からどう見られようと構わないという覚悟を決めて。
私の身勝手な想いから始まった潮流は
もう戻れないところまで来てしまったのだ。
今ここで私が引いてしまったらお兄ちゃんの覚悟も、そして未来さえも水泡に帰してしまうだろう。
原田の言う事は正しい。
取り返しのつかないところまでお兄ちゃんを追い詰めた私こそ世間から責められるべきだったのにそれすら叶わぬところまで来ていたのだ。
涼花の目から涙が溢れ落ちる。
「お…兄ちゃん…」
指導室内に涼花の啜り泣く声が響く。
兄への懺悔の言葉を紡ぎつつ涼花は泣き続けた。
しばし沈黙を保ち、涼花が泣き止むのを待っていた原田が口を開く。
「だが俺とお前が秘密を守れば兄は救われるんだ」
憔悴していた涼花には確かにそう思えてきた。
お兄ちゃんとの未来と私の身体。
涼花の中の天秤が揺れ動く。
「何も墓まで持ち込むような秘密じゃない。永見が卒業してしまえばどうとでもなるじゃないか」
原田の言葉に天秤は傾いていく。
そうだ。数ヶ月我慢するだけだ。
「永見はどうするんだ?俺の言う通りにするか?」
再び肩に回された原田の手を涼花は払わなかった。
「はい」
そう答えた涼花の声は少し震えていた。
覚悟は決めた。
だが肩に回された手を意識して萎縮してしまう。
これからこの手が自分の身体を触り始めるのだと。
性行為に対する知識がない訳ではない。
だがどうすれば子供が出来るかぐらいしか知らない涼花にとって、これから始まる男女の営みは全くの未知の領域であった。
出来る事なら兄と結ばれたいとかなわぬ夢を見続けていた少女はこの日思いもよらない男を相手に一線を越えようとしていた。
放課後の指導室の中でかすかに響く衣擦れの音。
ブレザーを原田に脱がされながら涼花は密かに兄を想う。
グラウンドから聞こえてくる野球部のかけ声も
ブラスバンドの練習の音色も
普段聞き慣れていたそんな放課後の騒音が
原田の手でベストのボタンを外されていく涼花にはひどく遠い物のように感じられた。