淫蕩王ベルムハルト 作:ヒステリア
数日前、シュトゥラ王に即位したクラウスは、戴冠を終えてすぐ父の寝室を訪れた。
クラウスの父、シュトゥラ先王は一日中床についたままでいる。もう起き上がることはないだろう。高齢にかかわらず無理を重ねてきた事とオリヴィエを見捨てた自責による心労で、遂に倒れてしまったのだ。
彼は己の状態と死期を悟ってすぐクラウスを呼び、王位を継ぐように命じた。そしてつい先ほど、先王不在の戴冠式が終わった。
白い『王衣』を身にまとった息子をしばらく見上げてから、先王は言う。
「クラウス……すまぬな。このような時に重責を押し付けるような真似を――ごほっ! ごほっ!」
「――父上!」
言い終わる前に咳き込んだ瞬間、クラウスは慌てて父のもとに駆け寄る。先王は片手をかすかに上げて息子を制した。
「よい。どのみち私は永くない。だがその前に、お前に父としての詫びと、元王として頼みを伝えておきたい……よいか」
その言葉にクラウスは居住まいを正しながら頷き、父の言葉を待った。
先王は大きく息を吸い。
「あの子は……オリヴィエは、もうシュトゥラにも聖王国にも戻ってくることはないだろう。『ゆりかご』に乗った以上、自らの意志であそこから降りることはかなわん。せめてあの子を、あの方をお支えしてくれ……」
「はい、それがイングヴァルト家を継いだ者の役目ですから」
その返事を聞いて、先王は満足げに首を揺らす。
「それと、あのフローラという娘を恨まんでやってくれ。私にはあの娘が心底から悪い子だったとは思えん。おそらくベルムハルトに捕らわれ、間諜として働くことを強いられたのだろう」
「…………」
その推測は半ば当たっている。彼女はある国の施設で育った孤児で、物心ついた時から暗殺者としての教育を受けたらしい。
そしてヘンディガンに送り込まれ、ベルムハルトに近づき暗殺を試みたが失敗し、数日もの拷問と凌辱の末に奴の手先として働くことを強いられた、とフローラ本人から聞いている。
クラウスは返事を返さず、しばらく俯いてから再び父に顔を向けた。
「父上、私からもお願いがあります。初代王……騎士王から代々伝わる“あれ”の在り処を教えていただけないでしょうか。王位を継いだ私には知る権利があるはずです」
それを聞いて先王は目を見張り、そしてまなじりを下げた。
「“あれ”か……やはり、お前は奴と……」
「はい。ベルムハルトの持つ『闇の書』が相手では、『聖王のゆりかご』とて敗北を喫する恐れは十分あります。それにオリヴィエにも譲りたくはありません――あの男は僕が倒す!」
そう言ってクラウスは目の前で横たわる父を強く見据える。先王はふうっと息をつき……
「いいだろう。お前の満足いくようにするがいい――ただし、必ず勝ってみせよ……よいな」
厳命する父にクラウスは深く頷く。そして先王は訥々と口を動かした。
そして現在、シュトゥラ王クラウスは『ゼルディウス荒野』にいる。
そこはかつて緑豊かな平原だった。
しかし、ある国が用いた
クラウスはこの荒れ果てた荒野をベルムハルトとの決戦の場に選んだ。
数多の戦を起こし、多くの地を焼け野原に変えたあの男が眠るべき場所は、ここをおいて他にない。
それとも、あるいはオリヴィエを護れなかった自分が眠るべき場所として選んだのか…………。
「ヘンディガン軍が現れました!!」
つんざくような兵の叫びにクラウスは現実に意識を戻す。そして兵達の方に体を向け、あたりに響くほどの声を放った。
「皆、いよいよこの時が来た! 今日こそ『淫蕩王』と『強盗王国』に鉄槌を下す時だ!
あの賊どもに蹂躙された国々や街の惨状を思い出せ! 野ざらしのまま打ち捨てられた民達の屍を思い出せ! 犯され涙にくれていた婦女子の姿を思い出せ! 住処を奪われシュトゥラを去った『魔女』達の無念を思い返せ!!
今ここで我らが退けばシュトゥラが、諸君らの故郷と家族が同じ憂き目にあうことになる! 誰一人違わずだ! そのようなこと許せるわけがない!
――シュトゥラ王国とベルカの興廃この一戦にあり!! ベルムハルトと賊兵を一人残らず討ち取れぇぇ!!」
おおおおおおおおぉぉぉぉ!!!
クラウスの檄に兵達は武器を掲げながら雄たけびを返す。
耳を塞ぐにはいられないほどの怒号をクラウスは悠々と受け止める。そして彼はヘンディガン軍がいる東に体を向け……。
「進めええええええぇぇ!!」
その一声とともにシュトゥラ軍は猛然と突進した。
時を同じくして、ヘンディガン軍もゼルディウス荒野に足を踏み入れた。
その数は三万四千ほどで、シュトゥラ軍よりやや少ない。にもかかわらず彼らからはシュトゥラ兵以上の戦意が溢れている。
彼らの王ベルムハルトはついに“万能のロストロギア”――『闇の書』を完成させた。この力をもってすれば『聖王のゆりかご』を破壊することも不可能ではない。現に今ベルカを暗黒に包んだのは『闇の書』の魔法によるものだ。
そんなものを持つ王に従わない道などあるだろうか――いや、ない。むしろこのような“力”を手にした王のいる国に生まれた幸運を感謝するべきであろう。
我らこそ『闇の書』に選ばれし民。
“王”とともに愚かな国々を滅ぼし尽くし、“王”とともにベルカを支配する。
『闇の王』ベルムハルトとともに、この世界を統べるのだ!
その一念を胸に彼らは荒野に踏み入った。まずはシュトゥラ軍を血祭りにあげ、その後ろにある彼らの国を我がものとするために。
だが、しばらく進んだところで彼らが目指す先からつんざくほどの怒号が届き、ヘンディガン兵は顔を上げる。
――そして見た。白い甲冑を着た数万もの兵がこちらに向かってまっすぐ進んでくる者を。馬を走らせている騎士、その後ろを自らの足で駆ける歩兵、いずれの顔も敵国への憎悪に染まっている。
彼らを前にして思わず足を止める兵達の後ろから――。
「ものども、かかれええええええぇぇぇ!!」
将に怒声が響き渡った瞬間、兵達は一斉に剣を引き、シュトゥラ軍を迎え撃つ。
そうして、『征伐戦争』二戦目の幕が切って落とされた。
シュトゥラ軍とヘンディガン軍と剣を交え続ける。
シュトゥラ兵は怒りと使命感を糧に、ヘンディガン兵は欲と血気を源に、得物を振るい相手を斬り捨て、その果てに斬り捨てられていく。
そうして四半刻が経つ頃には両軍の死者は五千を超え、一万もの屍から溢れた血が荒野を染めた。
その頃になって、ようやくベルムハルトは馬車から姿を現した。髪は白く、両眼は紅く、『闇の書の意思』を取り込んだ頃から何一つ変わっていない。
ベルムハルトは『闇の書』を片手に持ったまま、戦地に向かって悠然と歩く。傍らには護衛の兵がいたが止めることはできなかった。今のベルムハルトに逆らうなど恐ろしくてできなかったし、シュトゥラを破るには『闇の書』の力が必要だとわかっていたからである。
「『淫蕩王』、その首もらったーー!!」
ベルムハルトの姿を見つけ、シュトゥラ騎士の一人が周りを囲んでいたヘンディガン兵を蹴散らし、愛馬とともにかの王に迫る。
それに対してベルムハルトは書以外何も手にしていなかった。騎士は剣を振り上げ、丸腰で棒立ちする王に斬りかかる。
『
だが、そこで書から無機質な声が響き、ベルムハルトの右腕が淡い闇に包まれる。その直後、ベルムハルトは右腕を持ち上げそのまま剣を受け止めた。
「なっ――!?」
思わぬ光景に騎士は剣をぶつけたまま目を剥く。それを気にも留めずベルムハルトはさらに魔力を込める。その瞬間、彼の腕を纏う闇が膨張し刃が粉々に割れた。
柄だけになった剣を持ったまま騎士は驚嘆の叫びを上げかけるが、その暇すらなく――
「しゃああああっ!」
ベルムハルトが右腕を振るった瞬間、腕から伸びる“闇の刃”が騎士と馬の体を真っ二つに両断する。
それを見て、後ろのシュトゥラ兵とヘンディガン兵までもが動きを止める。
ベルムハルトは返り血も厭わず騎士の半身を蹴りつけながら、右腕を斜め下に振るう。
すると“闇の刃”は鞭のように伸び、数マルグ先にいるシュトゥラ兵の体をずたずたに斬りつける。
その形とは裏腹に刃の切れ味は真剣以上に鋭く、ある者は四肢を斬り落とされ、ある者は胴を斬られ絶命した。
そこでベルムハルトは刃を捨て、両腕に魔力を集め後ろの敵兵を視界に捉える。
おののく兵達に凄惨な笑みを向けながら、ベルムハルトは両手を構え。
「そらそらそらそら――!」
ベルムハルトが両腕を振るうたびに、手のひらから無数の魔力弾が放たれる。彼の手から放たれる弾はシュトゥラ兵の体を貫きながら爆発し、まわりの兵を吹き飛ばしていく。
ベルムハルトが十ほど腕を振るう頃には周囲は砂埃で覆われ、地面は穴だらけになっていた。今の攻撃だけで数百ものシュトゥラ兵が命を落とし、かろうじて生きている者も起き上がる事すらできずうめき声を漏らすだけだった。片や、ベルムハルトは傷どころか、『闇の書』が張ったシールドによって砂粒一つついてない。体に浴びた返り血もいつの間にか霧散していた。
ベルムハルトはそこらに散乱しているシュトゥラ兵を睥睨しながら「蒐集しろ」と告げる。
それを聞いて、彼の近くを浮いていた『闇の書』は魔力を失い空白になった頁を開き――
『
書が告げた瞬間、生き残った兵の胸からリンカーコアが浮き出て、そのまま書の頁に飛び込んでいく。その衝撃に兵達は醜い悲鳴を上げながら絶命していった。
リンカーコアを喰らって再び完全に埋まった書を眺めてから、ベルムハルトはこきこきと首を鳴らす。
「さーて、それじゃあクラウス様が出てくるまでひと暴れさせてもらおうかねぇ」
そう吐き捨てながら歩いてくるベルムハルトを見て、後ろのシュトゥラ兵はその場に立ちすくむ。そんな彼らにベルムハルトは両腕を振るい、さらなる攻撃を浴びせた。
その姿はまさに『闇の王』。このベルカで『王』の名を持つ者以外に彼を倒せるものなどいない。
「覇王断空拳!」
ベルムハルトが動き出した頃とほぼ同時刻。異様な士気を誇るヘンディガン軍を相手に消耗する自軍と戦況を見かねて、クラウスも前線に現れ拳を振るっていた。
前の戦とオリヴィエに敗北して以来、昼夜問わずひたすら鍛錬を続け、さらに磨いてきた『覇王流』の技が賊どもを薙ぎ飛ばしていく。
「くそっ、囲め囲め! 四方から串刺しにするんだ!」
単独では敵わないと見て、数十人もの敵兵が一斉に向かってくる。クラウスは片膝を曲げ、右手を握り……。
「――破城槌!」
即座に屈みながら地面に拳を叩きつけた瞬間、突然地面がせり上がり敵兵のほとんどが足を踏み外し、倒れ伏す。馬ごと倒れた者はそれだけで再起不能になる負傷を負った。
無論、クラウスがそれだけで許すはずもなく――
「覇王――空破断!!」
クラウスの腕から放たれた魔力波が敵兵を飲み込みながらまっすぐ飛んでいく。それは後ろで待ち構える敵の群れをも呑みこみ、15マルグ先にある大岩に砕いたところで爆散した。
地上で駄目ならと飛行魔導師が上空から弾を撃ち放つが、クラウスはそれを掴み取り、飛行魔導師や地上の敵兵に投げ返し敵の数を減らしていった。
その姿はまさに『覇王』。このベルカで『王』の名を持つ者以外に彼を倒せるものなどいない。
だからだろう。こうなることは必然だった。
「ふん、ようやくここまで来たか」
二万以上の敵兵を塵殺してきた末に、クラウスはついに“その男”と対峙する。。
強盗王国ヘンディガンを統べる『淫蕩王』にして、今やベルカすべての民にあだなす『闇の書の主』。
「ベルムハルト……」
クラウスは“憎々しい”という言葉では到底足りないくらいの声音でその名を呟く。それに対して……。
「ようクラウス。あの森以来だな」
ベルムハルトは悪友に会った時のような口調で声をかける。そしてベルムハルトはクラウスの方を向いたまま、隣に浮かんでいる魔導書に向かって言った。
「『闇の書』、武器をよこせ」
『Verstanden, Meister〈了解しました、我が主〉』
闇の書が応えると同時にベルムハルトの手元に闇が集まり、それは一振りの剣となった。その刃は黒く、そして禍々しい瘴気が溢れていた。
「ようやく童貞卒業したところ悪いが、そろそろお前には死んでもらおうか。聖王を名乗ってるあの嬢ちゃんの相手もしなきゃならないんでな」
吐き捨てながらベルムハルトは剣を構える。
「その必要はない。貴様ごときを葬るのに彼女の手を煩わせるまでもない――僕がこの手で引導を渡してやる!」
言いながらクラウスも拳を構える。その拳には一振りで千もの敵兵を屠れる魔力が集まっていた。
後に『諸王時代』と呼ばれる戦乱の末期、聖王オリヴィエが各国の平定に乗り出す直前。
『淫蕩王』と『覇王』の二度目にして最後の戦いが始まりを告げた。