淫蕩王ベルムハルト 作:ヒステリア
ヘンディガン王国より北西に位置するシュトゥラ王国……そのさらに西に、大陸――そしてベルカ最大の規模を誇る連合国家が存在する。
古代から伝わる戦艦を保有し動かせるという『聖王』を頂点とし、“全ベルカ国家の盟主”を称してはばからない超大国――人呼んで『聖王連合』と呼ばれる国家連合である。
その聖王連合を統べる絶対君主――『聖王ゼーゲブレヒト』は今、ヘンディガンから送られた書状に目を通していた。
「我が連合と対等な同盟を結びたいか……ヘンディガンの王はそう言ってきたのだな」
聖王の問いに、子爵は膝をつき顔を伏せたまま言葉を返す。
「はっ、連合の内乱介入について、ベルムハルト王は我々に責任を問うつもりはないとのことですが、自身をヘンディガンの王と認めている証として、自国と聖王連合との間に対等な同盟を結んでほしいと仰られていました」
その報告に聖王は険しい顔で「ふむ」とうなった。
「余の与り知らぬ間に起きた事とはいえ、連合が犯した事を考えればまっとう……いや、慎ましいといえる要求ではある……しかし、へンディガンのこれまでの行いを考えるとな……」
「た、確かにヘンディガンとベルムハルト王は悪い話ばかりが目立ちます。しかしそれも戦乱の絶えぬ中、自国の今後を慮っての事。我が連合や同盟国の中にもそのように拡大して領土を広げた国はいくつかあります。ヘンディガンの行いにばかり目くじらを立てられるのもいかがかと思います」
子爵の説明に、聖王は「ふむ」と漏らしながら髭を撫でる。
その一方、彼らのまわりに並んでいた貴族や文官達は意外そうに眉を持ち上げた。
子爵は元々ヘンディガンに対して良い感情を抱いていなかった。かの国への使者に任じられた時は「首を斬り落とされるかもしれない」と我が身の不幸を嘆いていたほどだ。
それが帰国してからこうも態度を一転させるとは。ヘンディガンの王は噂とは異なる好人物だったのか、それとも……。
列衆がある考えに至ったところで、聖王は髭から手を下ろした。
「余としてはヘンディガンと対等な形で同盟を締結してもいいと考えてもいる。連合の協力が得られるとわかれば、これ以上の侵攻行為を控えるやもしれんしな……しかし、かの王が出してきた“条件”を考えると、簡単には頷けん」
「そ、それは……」
シュトゥラ王国との断交。
ヘンディガン王ベルムハルトが出してきた、その条件を思い出し子爵は言葉を失う。
そんな彼を前に、聖王は大きく息をついた。
「シュトゥラは連合にとって重要な友好国だ。かの国との関係を断ち切れば、連合に属する構成国のみならず他の友好国にも影響が出るだろう。近隣国に精通しているそなたならとうに知っていると思うが……」
「も、もちろんでございます……ですが、ヘンディガン王国も二年前より大陸北東部から西にかけて領土を広げてきており、すでに一部の構成国や友好国に影響を及ぼしております。それにシュトゥラは軍事力が高い半面、寒冷な気候のせいで生産力に乏しい。一方、ヘンディガンは温暖な地域が多く、作物をはじめ各種資源が豊富です。それらを加味すれば国力はほぼ互角。安易に切り捨てるのは早計かと思いますが……」
「ふむ、確かにな……」
子爵の主張を聞いて、聖王は再び髭に手を伸ばす。
だが、聖王は髭を撫でたまますぐに口を開いた。
「……つまり、ヘンディガンと結ぶほうがよいと判断した場合、かの国にオリヴィエ王女を差し出さなければならん……そういうことか?」
「い、いえ、それは……その……」
威圧感が込められた問いに子爵は再び何も答えられなくなる。そして同時に、ベルムハルトの狡猾さと己の浅はかさを呪った。
ベルムハルトがしたためた書状には、シュトゥラ王国との断交に関わる詳細な条件や特記事項などが記されていたのだが、その中で最も目を引く条件が『オリヴィエ王女を『王妃候補』としてヘンディガンに住まわせる事』である。
確かにオリヴィエ王女を差し出せば、ヘンディガンを対等とみている証拠にはなるが……。
子爵も文書を受け取る際に、それらの内容を知らされてはいた。しかしその時はもう、あの侍女達相手に思う存分“接待”を楽しんだ後で、難色を示す事さえ許されない雰囲気だった。
「余も一人の親だ。娘を託すなら信頼できる国、信頼できる王族のほうがいい。各国の安寧を守るべき王として、このような感傷を持ち出すべきではないのかもしれんが――」
「い、いえ、陛下のおっしゃることはごもっともですとも! ですが、書状に書かれている通り、ヘンディガン王は自らの妃としてオリヴィエ殿下を迎えたいと申しております。あの方は噂されてるとおり敵対するものには厳しい方ですが、自身の味方となるものには寛容な態度を示す方でもございます。自身の伴侶……ましてや陛下のご息女に酷な仕打ちをなさる事はないでしょう。そういう意味ではシュトゥラに人質として預けておくより安全かと……」
それを聞いて聖王は再び「ふむ」とうなる。
確かに、シュトゥラにとってオリヴィエは“留学生という体裁をとった
――輿入れか。確かに形としてはその方が安全ではある……しかし、あの子の体では……。
「――陛下、恐れながら私からも具申を申し上げたい。発言の許可を頂けないでしょうか」
思案に暮れる聖王に対して、彼の傍に立つ壮年の男が声を上げる。
彼は宰相の位にあり、同時に公爵位を持つ男だった。聖王は頷いて彼に続きを促す。
宰相は聖王に体を向け、立ったまま声を発した。
「オーゼル卿はヘンディガン王を指して『味方になるものには寛容』と申されましたが、かの王は父であるヘンディガン領主と弟を害し、さらに先王を暗殺したという噂のある男です。先王がもうけた不義の子との噂もありますが、ならばなおのこと。実の父親を殺めた疑いのある者など信用することはできません。
それに対して、シュトゥラ王家は自ら騎士団をまとめて民草を守っているほど、高潔な精神を持つ方々です。現に人質として送られたオリヴィエ殿下に対しても無体な事はなさらなかった。それに、かの国のクラウス王子とオリヴィエ殿下の間にも婚姻の話が持ち上がっていると耳にしております。
私としましてはヘンディガン王との婚姻より、そちらの話を推した方がよいと存じますが」
その主張を聞き、子爵は歯噛みをする。ようはヘンディガンの要求など突っぱねて、シュトゥラとの関係を深めた方がいいという意味だ。自分とて以前までだったらシュトゥラとの同盟維持を勧めるだろう。しかし、あれだけの厚遇を受けた後で『却下されました』の一言で済ませられようか――。
「宰相閣下、シュトゥラ王家の高潔さはよく存じております。ですが、それだけで今の戦乱を乗り切れるわけではありません! ベルカ全土に広がる戦乱は悪化の一途を辿るばかり。その状況下で国と民を守るには力が必要です。ベルムハルト王にはその力があります。自らの力で王位を手にし、国を拡大していく力が! オリヴィエ殿下の御身を考えるなら、戦乱を生き抜く力のある王のもとにつけた方がよろしいのではないでしょうか!」
子爵の熱弁に聖王はまた「ふむ」と呟きながら髭を撫でる。確かに綺麗事だけでは戦乱の世を渡る事などできない。娘の身を考えるなら、それなりに力のある王や国に託した方がいいのもまた事実。
――問題はそれが“輿入れ”という形であることだが……。
思案に暮れる聖王の前で子爵はまだ続ける。
「少なくとも、あの方のもとでならオリヴィエ殿下の身が脅かされることはないでしょう。今のヘンディガンはシュトゥラに劣らぬ勢力を誇りますし、ベルムハルト王のもとには恐るべき力を持つ魔導書があると聞いております。詳しいことはわかりませんが、ベルムハルト殿が王位を手にしたのもその後の戦を勝ち抜いてこられたのも、その『闇の書』の力によるものだそうで――」
「――闇の書だと!!?」
聖王が突然声を張り上げ、子爵は思わずひるみ、宰相や列衆達も驚きに目を見張る。
聖王は誤魔化すようにゴホンと咳払いをし、臣下達にしばらく黙るように求めた。
――『闇の書』だと……古の大戦で猛威を振るった、あの禁断の魔導書がヘンディガンにあるというのか? それが本当なら今の戦乱など比較にならない“大災害”が起こるぞ。最悪ベルカそのものが滅びるかもしれん――。
聖王はしばらくそのまま固まり、やがて彼の身を案じた宰相が「陛下」と声をかける。そこでようやく聖王は我に返り、居住まいを正した。
「……これからヘンディガンに対する返書をしたためる。子爵、帰国して早々すまぬが、返書が出来次第それを持ってもう一度ヘンディガンに行ってもらえぬか。そなたはヘンディガンに留まっている間に、かの王殿と深い信頼関係を築いたようだ。そのそなたに仲介を頼みたい」
「――はっ。陛下のご下命とあらば、謹んで拝命いたします」
信頼関係を築いたわけではないがと、心の中で否定しながら子爵は了承の意を示す。
あそこまでヘンディガンを擁護した以上、ここで聖王の命令に背くわけにはいかないし、返書がベルムハルトの意に敵うものなら、また“あの接待”のような美味しい思いができる。
内心浮足立つ子爵に、聖王は王都での待機を命じ彼を下がらせた。
そして彼がいなくなったところを見計らって、聖王は再び口を開いた。
「ラムゼン卿、貴公にも頼みたいことがある」
「はっ、なんでしょうか」
主君の態度の変化を案じながらも、
そんな彼に聖王は険しい表情のまま告げた。
「聖王連合元首としての権限で『聖老院』を開きたい。構成各国に使いを出し、各国の代表をここに参らせるよう伝えてくれ」
その言葉を聞いた途端、宰相は目を思い切り見開き、列衆からもどよめきが走る。
それが収まらぬうちに宰相は聞き返した。
「聖老院を……本当でございますか?」
確認するような問いに聖王は重い頷きを返す。そんな主君に宰相はもう一度念を押した。
「聖老院は元々、初代聖王陛下が『連合の意志決定機関』として設立させた機関です。各国の重鎮、時には国王が議員として列席する事もあるという。それゆえ聖老院の力は強く、聖王陛下でさえその決定を覆すことはできないと定められていますが……本当によろしいのですか?」
その問いかけに、聖王は迷うそぶりも見せず頷く。
「よい。むしろ、各国の賢者が意見を議論し合って出した決定が、余の意志一つで安易に覆る方が困る。ヘンディガンへの返書ともども急ぎ書状を書き上げる。そなたも準備を頼む」
その命に宰相は「はっ」と答え、玉座の間を後にした。
それを見送ってから聖王は深いため息を吐き出した。
――『闇の書』か。まさか余の代でその名を聞くことになろうとはな。もし魔導書が完成すればどれだけの災いが起こるか想像もつかん……最悪の場合、“あれ”を目覚めさせる必要があるかもしれん。初代聖王が古の大戦で使用し、『闇の書』をも一度葬ったと言われる禁断の兵器――『聖王のゆりかご』を!
それから一月後……。
「『貴国、ヘンディガン王国との同盟締結については前向きに検討したい。ただし、貴国が提示したシュトゥラとの同盟解消と第三王女オリヴィエの輿入れは現時点では困難と判断したため、誠に勝手ながら却下とさせていただく。……また同盟締結にあたって、こちらから条件を提示させていただきたい。貴国もしくはヘンディガン王殿が所有している『闇の書』なる書物の所有権を放棄し聖王連合に明け渡すこと、またこれ以後他国への正当な理由なしの戦を控える事……これらについて了承してもらえるのなら、聖王グスタフ・G・V・ゼーゲブレヒトの名において、貴国と我が聖王連合との間に互いを対等とする同盟条約を締結することを約束する』……ねえ」
例の客室にて、使者を前にぞんざいに足を組みながら、ベルムハルトはわざわざ声に出して書状を読み上げて見せる。
それを前に、使者ことオーゼル子爵は揉むように両手を合わせながら尋ねた。
「い……いかがでしょう? 多少お望みとは違う形となってしまいましたが、我らが聖王陛下はヘンディガンを連合と対等な国と認め、同盟関係を結びたいとの事ですぞ! これでヘンディガンの繁栄は約束されたも同然――ひっ!」
ベルムハルトが放った書状が胸に当たった事と彼の眉間に青筋が立っているのを見て、子爵は引きつった声を上げる。
「どこが対等だ。こっちの条件全部無視してる上に、向こうから余計な条件が出されてんじゃねえか。つか、なんで俺が『闇の書』持ってることを向こうが知ってんだ?」
「そ、それは……その……」
子爵が目を泳がせるのを見てベルムハルトは確信した。この男が余計なことを漏らしたと。あの二日の間にどこから『闇の書』の情報なんか仕入れたんだか。
――いや待てよ。『闇の書』を名指しで要求してきたということは、連合――あるいは聖王はこの本がなんなのか知ってるということか? だとしたら、思わぬ形で向こうに対するカードを手に入れたかもしれん。……一応
「あ、あの、陛下? それでどうでしょうか? シュトゥラとの断交は叶いませんでしたが、ヘンディガンの国力を考えれば軽んじられる事はないと思います。おそらくシュトゥラと同等の待遇で同盟を結べるでしょう。ただ、そのためには『闇の書』という本を渡していただく必要があるのですが……」
――冗談じゃない。得体の知れないとはいえ、向こうが恐れてる“カード”を簡単に渡す奴がいるか。
「聖王に伝えてくれ。『あんたからの要求は呑めない。同盟の話は忘れて、せいぜいシュトゥラと仲良くやってろ』――とな」
「そ、それは残念ですな。では私はこれで……」
嫌な予感を覚え、子爵はそそくさと席を立とうとする。そんな彼にベルムハルトは「待てよ」と声をかける。その顔には嗜虐的な笑みが張り付いていた。
「あんたが来る度に接待をしてやる約束だったよな。期待していたんだろう。せめて今日ぐらいは受けていけ――あいつらもずっとあんたを待ってたんだぜ」
そう言いながらベルムハルトは子爵の返事も待たず、
すると、しばらくして扉がガチャリと開き――
「「失礼します」」
ぴたりと重なった声とともに二人の侍女が部屋に入ってくる。
それを見て、子爵は「ひっ」と声を漏らした。
今回の彼女達は普通に仕事着を身につけており、胸をはだけたり陰部を見せたりはしていない。
しかし蠱惑的な笑みはそのままに、彼女達の手には長い鞭や火がついた蝋燭が握られていた。
それを目にして子爵は後ずさりしようとするが、そこには冷笑を浮かべたままのベルムハルトが腰掛けている。
「ある女とのプレイに使ってたもんだがな、向こうが慣れてきたせいでつまらなくなったところだったんだ。そこへちょうど、こいつらがあんたとのプレイに使ってみたいと言ってきたんだよ」
そう言ってベルムハルトが目配せすると、侍女達は鞭や蝋燭を持ったまま子爵の方へにじり寄ってくる。蠱惑さを通り越して不気味といっていい笑みを浮かべたまま――。
「子爵様、今度はこれで楽しみましょう♪」
「最初は痛いかもしれませんけど、すぐに気持ちよくなるはずです♪」
「い、いや……私にそういう趣味はなくてね……」
逃げ場を失い狼狽する子爵を逃がさじと、侍女達は彼を窓際まで追い詰める。
ベルムハルトは苦笑を漏らしながら……
「あまりやり過ぎるなよ。大怪我したまま国に戻られても面倒だからな……多少は自分で言い訳してくれるだろうが」
「へ、陛下お待ちを! もう接待は結構ですから、彼女達を止めて――」
助けを求める子爵に構わず、ベルムハルトは片手を上げながら部屋から出て行く。
その直後、鞭がしなる音と男の悲鳴が外まで響いた。
「陛下、残念でしたな。聖王連合に断交されれば、憂いなくシュトゥラへ侵攻できましたのに」
自室に戻る途中、執事が声を掛けてくる。ベルムハルトは振り返らずそのまま歩きながら言った。
「構わん。どの道向こうがあっさりシュトゥラを切るとも、あのおっさん一人で聖王を動かせるとも思ってなかったしな。むしろ予想もしない収穫が手に入った。もちろん一番ベストなのは、シュトゥラが連合の後ろ盾をなくす事だったんだが……」
そこでベルムハルトと執事は足を止め、客室から響く叫び声に耳を傾ける。想定内とはいえ、役に立たなかった駒には罰を与えてしかるべきだ。
ともあれ、これで聖王連合とシュトゥラに楔は打ち込んだ。ヘンディガンと聖王連合が接触したこと自体が、他の国々への刺激になる。こちらは予定通り“あの国”に対し次の一手を打つまで――。
「爺、俺はいいから、そのままシグナムの元に行け。伝言はいつも通りで構わん」
「はっ、今日はシグナム様ですな。ただちに伝えて参ります」
その命令を聞いてすぐに執事は踵を返し、いつも通り“今夜の相手”を呼びに向かう。
そして彼の予想通り、今夜もシグナムはベルムハルトの相手をするのだが、彼女は主に抱かれながら『次の一手』の内容を伝えられることになる。
シュトゥラの南に広がる、亜人達が住む森を焼き討ちするという非道な作戦を。