「……お断りだ」
出久が、震える拳を握り直す。
「誰かを駒にして成り立つ世界なんて、俺たちが守りたいものとは違う」
「そうだ……」
爆豪も、立ち上がる。個性が出ないままでも、拳を構える。
「舐めるなよ、化け物が」
くだらない。
最初から分かっていたことだ。
オール・フォー・ワンを倒したばかりの人間が、その場で膝を折るはずがない。だからこそ、最初から「説得」など本気で期待していなかった。
あの問いかけ自体、必要のない儀式だった。連中に「選択肢」を与えたという事実が、後々この世界を作り変える際の正当性として機能する――それだけの意味しかない。
返答を聞く前から、俺はすでに次の段階に移行していた。
上空に浮かぶ巨大な脳――それは、本体の「分体」、いわば遠隔操作用の端末に過ぎない。本体そのものは、この瞬間も、地球から遥か離れた月の裏側、深く掘り込まれた研究施設の最深部で、微動だにせず安置されている。
万が一を想定し、本体は常に絶対安全な場所に置く。これは俺が積み上げてきた力の、最も基本的な運用原則だ。神になろうとする者が、たかが人間どもの一撃で終わる――そんな滑稽な結末など、あってはならない。
故に、この戦場に立つのは、すべて「捨て駒」だ。
「分倍河原仁の個性、起動」
俺の号令一つで、上空の脳――いや、その内部で待機していたクローン体が、瞬時に二つに分かれる。
二つが、四つに。
四つが、八つに。
八つが、十六に。
「な――」
出久が言葉を失う間にも、増殖は止まらない。十六が三十二に、三十二が六十四に。分裂は加速度的に進み、わずか数秒の後には、戦場の上空が無数の「俺」によって埋め尽くされていた。
その一体一体が、生命操作の集合体であり、全身に幾百もの個性が織り込まれた怪物だ。
しかも――俺はそのすべてに、致死量を遥かに超えるイディオ・トリガーを投与済みだ。理性を鈍らせ、個性の出力を極限まで膨張させるドラッグ。本体であれば自殺行為だが、これらはただの「実行体」でしかない。壊れれば、また作ればいい。
理性も恐怖も持たぬ、災害そのものとなったクローンたちが、一斉に地上へ降下を始める。
「来るぞ……!」
轟が叫んだ瞬間、最初のクローンが地に降り立つと同時に、周囲一帯が爆発的に隆起した。
ビーム、火炎、酸、結晶化、重力歪曲――一体の「俺」が振るう個性だけで、ちょっとしたヴィラン数十人分の脅威に匹敵する。それが、今この瞬間、何百体と地上に降りてきているのだ。
「これは……っ!」
イレイザー・ヘッドが、咄嗟に生徒たちを庇いながら歯を食いしばる。だが、彼の腕に纏わせた巨大な力は、すでにガスの影響で発動しない。
生身のまま、その嵐の中に身を投げ出すしかなかった。
「先生……!」
轟が叫ぶ。だが、声が届く間もなく、オリジオンの巨体が、複数のビームに同時に貫かれて崩れ落ちた。
「やめろ……っ、やめろぉぉっ!!」
出久の絶叫が、戦場に響く。だが、応えるものは何もない。
理性なき災害の群れに、交渉の余地などあるはずがなかった。
良い。これでいい。
俺はクローンたちの視界――すなわち俺自身の視界を通して、戦場の崩壊を冷静に観察する。本体は今、月の静寂の中で、その光景をただのデータとして受け取っているに過ぎない。痛みもなければ、恐怖もない。あるのは、淘汰の過程を見る、純粋な観察者としての視点だけだ。
寄生虫に操られた裏切り者たちが、混乱の中で更に背後を突く。
戦闘ロボットの群れが、生き残った者たちを機械的に追い詰める。
そして、倍々に増え続ける「俺」たちが、戦場全体を埋め尽くしていく。
数の暴力、力の暴力、裏切りの暴力――三重に重なった災害が、もはや人間の理解の及ばない規模で、ヒーロー連合を押し潰していく。
「これが……これが、お前の理想なのか……っ!」
出久が、血を吐くように叫ぶ。残ったワン・フォー・オールの力を振り絞り、最後の抵抗を試みる。だが、その一撃は、増え続けるクローンの数に呑まれ、何の意味も成さずに消えていった。
「お前ら一人一人を見ているわけではない」
俺の声――いや、何百という「俺」の声が、同時に戦場に響く。
「お前らは、選別の対象でしかない。生き残れば駒。死ねば、それもまた、淘汰の結果でしかない」
戦場に、もはや反論の声は上がらなかった。
ただ、災害の数だけが、無慈悲に増え続けていく。「お前ら一人一人を見ているわけではない」
俺の声――いや、何百という「俺」の声が、同時に戦場に響く。
「お前らは、選別の対象でしかない。生き残れば駒。死ねば、それもまた、淘汰の結果でしかない」
戦場に、もはや反論の声は上がらなかった。
ただ、災害の数だけが、無慈悲に増え続けていく。
「緑谷……っ!」
爆豪が叫ぶ。だが、その声も、降り注ぐ熾烈な攻撃の中に呑まれていく。
個性を封じられたまま、人間としての限界の中で、それでも拳を振るい続ける生徒たち。プロヒーローたちは、最後の意地で生徒を背に庇いながら、次々と倒れていった。
轟焦凍が、最後の力を振り絞って氷の壁を作る。だが、それすら一体のクローンが放った熱波で、瞬時に蒸発した。
「ぐ……ッ」
「轟くん……!」
葦戸睦が、力の入らない足を動かして駆け寄ろうとする。だが、彼女の眼前にもう一体の「俺」が降り立ち、無造作に手を伸ばす。
それ以上のことは、語る必要もないだろう。
最後に残ったのは、緑谷出久、ただ一人だった。
ガスの影響が彼にも及び、ワン・フォー・オールの力は、もはや一欠片も発動しなかった。それでも彼は、瓦礫を背に、震える足で立ち続けていた。
「……どうして」
掠れた声で、出久が問う。
「どうして、こんなことを……みんな、ただ、誰かを守りたかっただけなんだ……」
「知っている」
俺は、淡々と答える。
「だが、守るという行為そのものが、もう必要のない世界を作る。それが俺の理想だ。誰も傷つかず、誰も争わず、誰も迷わない――そのために、まず、お前たちのような『抵抗する意志』を持つ者から、淘汰しなければならない」
「それは、ただの……支配じゃないか……」
「支配で構わない」
俺は、初めて僅かに「感情」に近いものを言葉に乗せる。
「ヒーローという概念自体が、結局は『誰かが誰かを守る』という、不安定な構造の上に成り立っていた。守る者が倒れれば、守られる者も終わる。お前たちが命をかけて積み上げてきたものは、所詮、脆い砂上の楼閣だ」
「俺は、その構造そのものを作り変える。すべての生命が、俺という一つの意志のもとに統一される。争いも、不安も、迷いも、存在しない世界だ」
出久が、何かを言おうと口を開く。だが、その声が出るより先に、無数のビームが、彼の全身を貫いた。
戦場に、静寂が訪れた。
すべてが終わった後、俺は分体を通して、瓦礫と化した街並みを見渡す。
A組、B組、士傑高校の生徒たち。
プロヒーローたち。誰一人として、生きてその場に立ってはいなかった。
代わりに残ったのは、寄生虫によって完全に従属した者たちの群れと、倍々に増え続けた数百万の「俺」、そして静かに鎮座する戦闘ロボットの残骸だけだった。
俺はこの光景を、本体が安置されている月の裏側から、ただのデータとして受信する。
痛みもなく、感慨もなく、ただ「淘汰が完了した」という事実だけが、俺の中に刻まれる。
あれから数年が経った。
世界は、表面上、何も変わらなかったように見えた。
俺が裏で経営する巨大企業は、依然として世界経済の中心にあり続けた。各国の要人、研究機関、軍、メディア――そのほとんどに、すでに俺の寄生虫が浸透していた。
雄英をはじめとするヒーロー養成機関は、表向きには「決戦の犠牲」として静かに歴史の中に埋葬された。新しいヒーローたちが現れることはなかった。
なぜなら、もう「ヒーロー」という概念自体が、必要とされる世界ではなかったからだ。
俺は、寄生虫によって従属させた人類の指導者たちを通じて、徐々に、しかし確実に、世界の在り方を作り変えていった。
新しい宗教が、各地で静かに広まっていく。
教義の中心にあるのは、唯一神への絶対的な信仰。表向きには古くからの伝統宗教の体系を装いながら、その実、すべての教義の根底には、俺という存在への崇拝が組み込まれていた。
逆らう者は、異端者として静かに排除されていく。
公には「事故」「失踪」「病死」として処理され、誰もその裏に隠された真実に気づくことはない。
人々は、知らず知らずのうちに、俺という存在の庇護のもとで生きるようになった。
争いは減った。犯罪は減った。貧困も、徐々に解消されていった。すべては俺の個性によって生み出される無尽蔵の資源と、寄生虫による完璧な管理体制のもとで、実現されたことだった。
それは、確かに「平和」と呼べるものだったのかもしれない。
だが、その平和の根底にあるのは、自由のない、選択のない、ただ一つの意志に従うことを強制された、完全なる管理社会だった。
俺は今、月の裏側、静寂の中で、地球を見下ろしている。
この惑星のすべての生命が、いつか俺という一つの意志のもとに統一される日を、俺は確信している。
人間という種は、争いと迷いの中でしか生きられない、不完全な存在だった。
だからこそ、俺が――神となった俺が、その不完全さを正してやる必要がある。
それが、俺の理想とする世界。
すべての生命が、俺を崇め、俺に従い、俺のもとで安らかに生きる世界。
その完成まで、あと、どれほどの時間が必要だろうか。
俺は、静かに、次の段階への計画を練り始める。