――落ち着け、焦るな俺。
そう自分に言い聞かせながら、後ろに座るアリシアからは見えないような位置に器を置いてスープをよそう。しっかり着色しようとするあまり、例の赤い粉を入れ過ぎてしまったきらいはあるが…………味見したところ少し辛い程度だったので、まあ問題なく食べられるだろう。
よし、あとは……
「ねえ、カエデ」
「……な、何かな?」
前ポケットから例の薬をこっそり取り出そうとした瞬間、いきなりアリシアが話しかけてきて心臓が止まりそうになる。
「その唐辛子さ、そんなに入れて大丈夫なの? 私、辛すぎるのはあんまり好きじゃないんだけどな」
「だ、大丈夫。ちゃんと味見したから……」
「ふーん、それならいいけど。…………ところでさ」
「は、はい!」
「なんでそんなしおらしいわけ?」
「あ、それはその、昨日の夜と今朝のことで流石に反省したので…………」
「そう……殊勝なことね」
それ以上の追及はなく、部屋に静寂が満ちる。
――ああびっくりした。心が落ち着くのを待ち、気を取り直してポケットに手を突っ込む。ちらりと後ろを確認すると、幸運にもアリシアはこちらを向いておらず少し俯いた状態で目をつぶっていた。
急いで向き直り、例の薬を片方のスープに振りかけてよくかき混ぜる。…………臭いは大丈夫そうだ。これならバレない、はず。
それから薬をポケットに仕舞い、他の料理も皿に盛ってテーブルに並べた。もちろん、薬入りのスープはアリシアの前に置く。
「これ、案外パンに合うね」
「……どうも」
さっきからアリシアは黒パンと肉野菜炒めしか食べていない。まさか、カンづいたか? …………確かめるか。
「あ、あの、スープ冷めちゃうからさ。早く飲んだ方がいいかな~、って思うんだけど……」
「……それもそうね」
そう言うとアリシアは――――一気にスープを飲み干した。
よし! このためにわざわざ小さい器に入れておいたのだ。大きいと一気に飲んでくれないかもしれないからな。
「……いやに嬉しそうね」
「え? あ、いや、ただおいしそうに食べてくれたから嬉しくなっただけで……うん、それだけだから!」
「……ふーん」
アリシアは気のない相槌を打つと、無言で食事を再開した。俺も逸る気持ちを必死に抑え、極めて平静を装いながら食べ進める。
――そして二人とも食事を終え、手が止まった時である。
正面に座るアリシアから力が抜け、背もたれに背中を預けた状態で目を閉じ動かなくなった。
恐る恐る席を立ち、アリシアの隣に移動する。…………寝ている。完全に。
(よっしゃあああああ!!!)
作戦成功である。
はやる気持ちを抑えてそっと傍を離れる。そしてゆっくりと出口へ向かい、ドアノブに手をかける。
さらばだ、アリシア――――
………………?
「あれ、開かない……?」
鍵はかかっていないことは確認済みだ。それなのに、どれだけドアノブを回してもガチャガチャと音が鳴るだけでドアはビクともしない。
「あれ、おかしいな…………」
押してもダメ、引いてもダメだ。困ったぞこれは。
「クソ、何でだ……」
その時、俺はドアを開けることに集中していて。だから、後ろに人が立っていることに気付かなかったのである。
「うーん、窓から出るか……?」
「ねえ」
…………嘘だ。そんな筈はないだろう! だって、さっきちゃんと確認して……!
「カエデ、こっちを向きなさい」
「…………ぁ」
そこには満面の笑みを浮かべたアリシアが立っていた。目の前の獲物をこれからどう調理してやろうか、考えるのが楽しみでたまらないという空気がひしひしと伝わってくる。
「どうして外に行こうとしたのか、聞いてもいいかな?」
「ぁ……ぁ……」
言葉が出てこない。何か言おうとしても、口から発せられるのは意味をなさない呻き声だ。
「どうして?」
「ぁ……え、と………」
「うん」
「……散歩しようと、思って…………」
俺のその言葉を聞いた瞬間、アリシアから黒炎が立ち昇った。
「……へえ、この期に及んでまだ言い訳するんだ」
「ひっ……!」
体から力が抜け、ぺたんと床に座り込む。
「全部分かってるよ。カエデは今から逃げようとしてたんだよね?」
「ち、ちが……」
ふるふると首を振る。その様子を見たアリシアは手を頭に当てて嘆息した。
「ねえ、どうして私が食材を買う店を指定したか分かる?」
「…………ぇ」
――確かにそうだ。昨日は買う食材が分かっていたらつまらないと言っていたのに。
「今日の朝ね、北門に行ったの。そしたらさ、門番が何かを窺うみたいに私をチラチラ見てくるのよ。何の用だと問い詰めたら、昨日カエデが私に無断でこっそり町の外に出ようとしてたって白状したの」
あああ、あの門番! なんでそれを言っちゃうかなあ! 俺は天を仰いだ。
「まあ、アイツは実直な奴だからね。内心隠し事をしているのが辛かったんでしょう」
アリシアは話を続ける。
「いやあ、頭の血管が切れそうだったよ。それで最初は今すぐ家に帰って厳しく調教してやろうとしてたんだけど、ふと思いついたの。……もし本当に逃げられるチャンスがあるならカエデはどうするのかな、ってね」
「…………まさか」
まさか、あの薬は…………
「……その表情、気づいたみたいね。そうよ。私が店員に、カエデが来たら自然な感じで睡眠薬を渡すよう頼んだのよ」
そうか……。じゃああの唐辛子の粉を買うことも、仕組まれたことだったのか……
「それにしても、まさか今日とは思わなかったけどね。念のため自分の体に薬が効かないようにはしておいたけど、少し驚いたよ」
そう言うとアリシアは少し息を整え、また俺に質問した。
「それで、もう一度聞くけど…………逃げようとした?」
「……はい」
もう誤魔化せそうにない。力なくうなだれ、逃亡しようとしたことを認める。
それを見て、アリシアは少し残念そうに溜息をついた。
「私ね、カエデのことは結構気に入ってるんだよ」
「え」
初耳なんだが? いつも気絶するまでレイプするのに? それならもう少し手加減してくれてもいいと思うが……
「今まで大枚をはたいて買った奴隷はすぐ壊れちゃったけど、あなたは頑丈でたくさん犯しても壊れなかったからね。おまけに事あるごとに反抗してくるから、とっても苛め甲斐があったのよ」
……あ、そういうね。あれか、つまりオナホとして気に入ってたってわけですか、そうですか…………クソったれが。
「とはいっても、あんまりやりすぎると流石に壊れちゃうかもしれないからね。そうならないように気を遣ってたんだよ。…………なのにさ、逃げようとするなんて酷いよね?」
アリシアが自分勝手な理屈をペラペラしゃべる。コイツは気遣いという単語の意味を一度辞書で調べた方がいい。
「でも、今回のことでよーく分かったよ。やっぱり奴隷は反抗心がなくなるまで徹底的に躾けないとダメだってことがね!」
そう言うとアリシアはへたり込む俺に手を伸ばし、ポケットから例の薬を奪い取った。それから調理台に向かうと、そこでコップに水を汲み、薬をその中に注いで戻ってきた。
「飲みなさい」
…………これを飲んだら俺はじきに気絶する。起きた時、どうなっているのか。……絶対に碌なことにはなっていないだろう。
このまま座して死を待つわけにはいかない。そう決意した俺は、涙で瞳を潤ませながらアリシアの足に縋り付く。
「ごめんなさいご主人様…………もう絶対に逃げたりなんかしません! 逆らったりもしません! 毎日一生懸命ご奉仕しますから、どうか許していただけませんか…………」
「…………うふふ」
俺の哀願を聞いたアリシアが優しそうに微笑む。
期待に胸を躍らせた俺は、次の瞬間絶望に叩き落された。
「だーめ。今更反省しても許してあげる訳ないでしょ」
…………ダメだったか。悄然とする俺に、コップが差し出される。
「飲め」
ああ、これしか、ないのか――
「うぅ……わかりました……」
渡された水を一気に飲む。
「ああ、楽しみだなあ! いっぱいしたいことがあるの。あれとか、これとか…………」
アリシアが恍惚とした表情で欲望をぶちまける。その目は完全にイってしまっており、心ここにあらずといった状態だ。
「うふ、あはははは!」
「…………ぁ」
――視界が、ぼやける。
そして間もなく、俺の意識は闇に落ちた。