「ああ、アリシアさん。ちょうど良かった!」
ギルドに入った途端、例の受付の人が俺たちに近寄ってきた。クソ、ここ数日は顔すら合わせていなかったのに…………何の嫌がらせだ!?
また変なことを言われるのではないかと一瞬身構えるも、どうしたことか俺の方には目もくれない。少し拍子抜けしてしまう。
ちらりと受付の人の表情を窺うと、切羽詰まったような顔でアリシアを見つめていた。
……どうしたんだろう。まずいことでも起こったのか?
「どうしたの? 何か良くないことでも起こった?」
どうやらアリシアも俺と同じことを思ったようで、表情を引き締めて対応する。
「たった今、街道で大型の魔物が出没して荷馬車が襲われたとの連絡が入りました」
「……なるほど?」
「お願いします! どうか力を貸していただけませんか!?」
アリシアはそれを聞いて少し驚いた様子だったが、すぐに表情を戻し冷静な声で疑問を投げかける。
「…………どうして私に? 他にも対応できそうな人はいるでしょう? 自分で言うのもアレだけど、何もいつもフラフラしてるような奴に頼まなくてもいいと思うけど」
あ、自覚はあったんだ……。いくら金があるとはいえ、いつもどうでもいい謎の依頼しか受けてなかったからな……。
「そ、そんなことないです! どうしてもアリシアさんのお力が必要なんです!」
受付の人がわたわたと手を振り、慌ててアリシアの言葉を否定する。……薄々気づいてはいたが、やはりアリシアは相当腕利きらしい。でなければこんなにも必死に頼み込むことはないだろう。
「――詳しい事情を説明して」
「はい。……実を言いますと、襲われたのはさる高貴な方の所有する馬車でして……。選りすぐりの者を片っ端から集めて、一刻も早く解決してほしいとのお達しが来ています。ですのでアリシアさん、どうかここは一肌脱いでいただけませんか?」
「……どれくらいかかりそう?」
「おそらく数日は帰れないと思うんですけど…………よろしいですか?」
受付の人が申し訳なさそうな表情をする。
アリシアはしばらくうんうんと唸っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「はあ、分かった。しょうがないなあ」
「あ、ありがとうございます! では準備が出来ましたら、北門へお願いします!」
「了解。……カエデ、帰るよ」
――それが今朝の出来事である。
家に帰った後、アリシアはあちこちの部屋を走り回り遠出の支度を行った。そしてすべての準備を終えて出発する間際、俺に家の鍵とお金、それから衣裳部屋の鍵を手渡してきた。
さしものアリシアも、複数人での共同捜査に俺を連れて行こうとは思わなかったらしい。そういうわけで現在家にいるのは俺一人である。
「お腹すいたな……」
さっきから何回もお腹の音が鳴っている。そろそろ何か食べたいが、この家にはロクなものがない。ゆえに、外出して食料を買いに行かなければならないのだが……
「はあ……」
自分の体を見下ろし、溜息をつく。前に森でレイプされたときに着ていたものとほぼ同じような構造の服である。もちろん淫紋は周囲から丸見えだ。
――衣裳部屋の鍵を渡されたとき、少し心が躍っていたのを思い出す。
ここ最近、言葉にするのも憚られるほど卑猥な衣装しか着ることができなかったのだ。さすがに衣裳部屋ともなればまともな服の一つや二つはあるだろう。数日だけとはいえ、周囲から奇異の目で見られなくなるのはありがたい。
……そう思っていた俺の心は衣装棚を開けた瞬間、ガラスのように砕け散った。
下は布面積が極小のものしかない。寧ろ履いている方が淫靡に見えるレベルだ。……ただまあ、今までもこういうのはよく着せられてきたので、ぶっちゃけそこまでダメージは大きくなかった。
問題は上だ。これが、本当にどうしようもない。
乳首しか隠れなさそうなマイクロビキニとか、おそらく胸に巻き付けるためであろう少し長い一枚布――ただし幅が狭く、乳房の大部分が隠せなさそう――とか、真ん中にガーゼが貼ってあるテープ――要は絆創膏――とか、冒涜的な衣装の数々が並んでいた。いや、もはや衣装と言っていいのかすら怪しい。
もちろん、部屋にある他の棚が開かないか調べてはみた。しかしどれも鍵がかかっていて、扉を引いてもうんともすんとも言わなかった。
……それで俺は仕方なく、露出度が一番低い前空きのベビードールを着ているというわけだ。
シーツとかを巻き付けて服にするという手もあるかもしれない。しかし、毎日アリシアの所有物として町中を引き回されているため、俺の顔はほとんどすべての住民に認知されている。変なことをすれば即座にアリシアに話が行くと考えると、これも却下だ。
「うぅ……」
外に出たくない。でも、そろそろ何か食べないと死んでしまいそうだ。でもだからって、アリシアがいないときもこんな変態的な恰好をするんだと思われたくない…………
そんなことを悶々と考えていると、鐘の音が聞こえてきた。――え、もう夕方!? まずい、店が閉まってしまう!
覚悟を決めた俺は頬をぱしっと叩いて気合を入れ、食料を入れる袋を持っておそるおそる扉を開いた。素早く左右を見回す。通りには何人かがいたものの、運よくこちらを向いている人はいない。ぱっと外に出てすばやく家の鍵を閉めた後、猛然と人通りの少ない裏路地に向かってダッシュする。
しばらく無我夢中で細い道を走り続けた。そしてようやく、あたりに人の気配がなくなった。その場で立ち止まり、ほっと一息をつく。
食料品店や露店はそこそこ大きな通り沿いにしかない。だから俺の姿は結局最後には認識されてしまうわけだが、それはそれとして少しでも恥ずかしい思いをする時間を減らしたい。裏路地から表通りに素早く出て手際よく物を買い、すぐにまた裏路地に引っ込めばよいのだ。家からずっと大通りを歩いて行くよりかは幾分かマシだろう。
――そんなこんなで裏路地を歩くうちに、目的の店の近くまでたどり着いた。ちらりと大通りを覗く。案の定通行人がいるが、多すぎるというほどでもない。……よし。
ぱっと飛び出して大通りに出る。それから左に曲がればすぐに…………え?
――店の前には十数人ほどが並んでいた。なんだこれ、特売日か何かか今日は!?
予想外の事象を前にした俺がその場で固まっていると、行列に並んでいる人、それから通行人が俺に注目し始めた。……やめてくれ、そんな目でみるなよぉ。
俺はあまりに恥ずかしくて、何もせずにそそくさと元居た裏路地に退散した。
……あの店は無理だな。意気消沈して傍にあったベンチに腰掛ける。ただ醜態を晒しただけで何も得るものはなかった。
「…………別の店に行くか」
しばらく座ってうなだれていたが、ぐずぐずしていると日が暮れてしまう。とにかく次の店に行こうと思い、手をベンチにつけて立ち上がろうとした瞬間、左手に何やら硬いものが触れた。
不思議に思って見てみると、それは分厚い本だった。
「ええと、刻印魔法について……?」
あたりは少し薄暗いが、まだ文字が問題なく読める程度の明るさはある。俺はなんの気なしにその本をめくった。
目次から見るに、さまざま刻印についての説明が項目ごとに書かれているようだ。――強化、弱体化、隠蔽…………ん!?
目を見張った。……淫紋という項目がある。好奇心の赴くままに、本の中ほどのページを開く。そこには詳細な図解が載せられていた。比較してみると、自分の体に刻まれたものとそっくりだ。ごくりと唾を飲みこむ。
次のページからは、長々と淫紋の由来や発動方法が述べられていた。ぱらぱらと読み進めていく。発動条件、注意事項…………解除方法!!!
「~~~~~っっっ!!!」
いざその説明文を読もうとした俺の体に衝撃が走る。頭の中でバチバチと火花が散る。下着が濡れているのを感じる。
「はぁ……はぁ…………」
どうやらこの淫紋を消そうとしたと判断されたようで、効果が発動してしまったらしい。
…………そうだよな。これを消したところでアリシアから逃れられるわけじゃない。ただ酷い罰を受けるだけだ。悔しいが、こんなものを読んだところでどうにもならない。
さっきまでの興奮がすっと冷める。
――とりあえず、次の店に行こう。ガクガクと震える体をなんとか起こす。
「……っ、次は――」
「ねえ」
…………嘘だ。だって、だって、数日は帰って来ないって……!
「ふうん、淫紋の解除方法、ねえ」
「あ……あ…………」
どうしてここにいるんだ、アリシア……!!!
「どうしてここにいるのか? って顔してるね。私がいちゃそんなに都合が悪い?」
「あ……はひ…………」
思うように舌が動いてくれない。何も言葉が出てこない。
「外にずっといるのは疲れるからさあ。ちょっと本気出してすぐに終わらせてきたの。大したことない魔獣だったからボコボコにしてやったわ。それで家に帰ったらあなたがいないから、色んな人に話を聞いて探してたの。それでやっと見つけたんだけど…………これはいったいどういうこと?」
アリシアが俺の開いていた本を指差す。
「ちが、ちがうんですご主人様! 誤解です! 信じてください!」
「…………でもさ、その淫紋は反抗的な態度を明確にとらない限り発動しないんだけど。ってことはさ、つまりそういうことだよね」
「ちがいます、ちがいますから! 逆らおうなんて思ってません! お願いです、どうか、どうか…………」
アリシアの足元に跪いて必死に無実を訴える。このままでは拙い。なんとか、なんとか怒りを鎮めてもらわないと……!
「こんな本を読もうとした自分が愚かでした。本当に申し訳ありません……ですが、逆らおうなどとはこれっぽっちも――」
「言い訳はもうたくさん! 処分はもう決まってるから」
「どうか、どうかお許しを…………」
「うるさい!」
突然怒号が発せられる。びっくりしてアリシアの顔を見上げると、目が合った。――まるで、地獄の窯が開いたかのようだ。
「…………ぁ」
これからどんな酷いことが起こるのだろう。あまりの恐怖に俺の視界は急速に暗くなり、そして意識を失った。
「――ああ、私の魔導書! こんなところにあったのですね! はあ、やっと見つかりました……」
「あら、誰かが読んでしまったのですか。ふむふむ…………」
「ええと……淫紋、ですか。こんなもの、いったいどうして……?」