気づいたら草原で倒れていた。
「は?」
がばり、と跳ね起きる。ぽつぽつと木はあるが、概ね背の低い草しかない。さしずめサバナとでも言ったところか。
(いや、どう考えてもおかしいだろこれ)
ついさっきまで俺は街の中にいて…………あれっ? 何してたんだっけ?
よく思い出せない。しかし、草原なんかにいた覚えがないことは確かだ。
「ええ、嘘だろ……」
理解が追い付かず、思わず声が漏れる。って、ちょっと待て。
「あー、あーー。……え?」
周りを見回す。上下左右、どの方向にも人影は見当たらない。
この声……俺が出したってことか?
「あ、あーーー、……うん」
信じられないが、どうやらそうらしい。いつの間に声変わりしたんだ? 頭を抱え、下を向く。
……ふくらみがある。触ってみると、弾力がある。
嫌な予感がして、股間も触ってみる。あるべきものがない。肩にかかる銀色の糸を手繰り寄せると、頭に引っ張られるような痛みが走った。俺の髪なのか、これは。
「ええええええ!!!」
……どうやら、俺は女になってしまったらしい。
いや、確かに小説でこういうのは見たことあるけど、実際にこんなことが起こることがあるのか? こんなことが許されていいのか? 頭がぐるぐるして考えがまとまらない。
……いや、落ち着け俺。上を見上げる。太陽は相変わらず一つのようだ。今はまだ明るいが、こんな何もないところでじっとしていては暗くなってから猛獣に襲われる可能性も十分にある。
早急に人がいるところへ行かないといけない。俺はそう決心すると、とりあえず近くに見える丘へ向かうことにした。
「何も、ない……」
近くまで行くとそこそこ高い丘であることが分かり、見晴らしがいいところから見れば何かあるのではないかと思ったのだが……。現実はそう甘くはない、ということか。
「どうする……ヤバイぞこれは」
「あれ、どうしたのこんなところで?」
落ち込みすぎて、声を掛けられるまで後ろから人が来ていることに全く気付かなかった。
「えっと……」
「ああごめんね、困ってるみたいだったから声かけたんだけど……。迷惑だった?」
「いえいえ、そんなことは!」
きれいな女の人だ。そして……胸がでかい。体全体を覆うローブの上からでもその存在がはっきりとわかる。
「あなた、どこから来たの?魔法とか使えるわけじゃなさそうだけど……」
「あー、えっと……」
魔法、魔法ね。噓を言っているようには見受けられない。異世界、か。まあ、ひとまずこう考えるのが妥当だろう。
「うーん、市民権証は?」
「え、しみん……?」
思案気な顔をした後、女は手に持っていた袋を下ろし、中を漁る。
「あああった、これだこれ。ちょっとさ、これに触れてみてくれる?」
「あ、はい」
言われるがままに差し出された赤い水晶玉に手を触れる。……何も起こらなかった。
女の目が心なしかすっと細まる。
「ふ~ん」
「あの、何なんでしょうか、今の」
「えっ、ああ、なんでもないの。ちょっと健康状態を確認しただけだから」
わたわたと女の人が手を振る。まあ魔法とかあるなら、水晶玉に触れるだけで元気かどうか判定する道具があっても不思議ではないだろうが……。なぜだろう、猛烈に嫌な予感がする。
(前の子は壊れちゃって、娼館に売っ払っちゃったからなあ……。最近ご無沙汰だったけど、これぞまさに天の恵み! 日頃の行いのおかげかな!)
「どうかしましたか?」
「ああごめん何でもない、ホントに何でもないから」
少し声が上ずっているように聞こえるが……、気のせいだろうか。
「それはそうと、あなた、行く当てがないのよね?」
「はい……」
「それならさ、私と一緒に来る?」
「え、いいんですか!?」
「うん、ここから町までは遠いし。それに、ここらへんには危ない獣もうろちょろしてるからね。たまたま今はいないみたいだけど」
「……じゃあ、お願いします」
どうせこのままでは飢え死にするか、獣のエサになるだけである。ここは素直にお言葉に甘えることにした。
「あ、そうだ、自己紹介がまだだったね。私の名前はアリシア。あなたは?」
「ええと……」
あれ、ちょっと待て。自分のことなのに思い出せない。ああ、何だったか……
「えっと、どうしたの?」
「いや、何でもないです!カエデです、カエデっていいます!」
なんとか名前は思い出せたものの、苗字は思い出せなかった。ホントにどうしちゃったんだろうか、俺……
「うん、よろしく。そしたらさ……ここに乗ってよ」
困惑する俺をよそに、アリシアは背を向けてしゃがみこんだ。
「ほら、おんぶしてあげるから」
「いや、そんな!」
予想外の行為にたじろいでしまう。この年になっておんぶって、ちょっとなあ……
「何? 恥ずかしいの?」
「まあ、はいそうです……」
「でもなあ、これが嫌なら前で抱えて運ぶしかないんだけど。そっちのほうがいい?」
「すいません、おんぶでいいです」
男のままだったら絶対にこんなことしてくれなかっただろうなと思いつつ、言われた通りに大人しくアリシアの背にのぼって手を前に回す。その際、努めて胸には触れないようにする。
俺が肩に掴まったことを確認して、アリシアが立ち上がった。
「じゃあ、しっかり掴まっててね。落ちたらたぶん死ぬから」
「ん? それってどういう……うわああああああ!!!」
瞬く間に周りの景色が過ぎ去っていく。およそ人間が出せる速さではない。
「は、はひ……」
「喋らないで、舌噛むよ!」
ヤバ、また、意識が……
「おーい、起きろー」
「…………はっ」
がばりと顔を上げる。ジェットコースターばりの速さで常に揺さぶられたせいで、気絶してしまっていたようだ。
「ほら、着いたよ。ようこそ、ルテティアの町へ!」
「……おおお」
目の前には石造りの建物が、所狭しと軒を連ねている。
後ろを振り向くと、高い城壁がそびえたっている。左右を見てもその終わりはなく圧巻の構えである。石は規則正しく積まれ、外部からの侵入の一切を拒んでいる。
「って、もう下ろしてもらっていいですか?」
「ああそっか、ごめんごめん」
「ありがとうございました」
ずっとおぶってもらっていたことがやっぱり恥ずかしくなり、急いでアリシアの背から下りる。
「それじゃあ、まずはギルドに行こうか」
「……ギルド」
いかにも異世界っぽい組織名に心が浮き立つのを感じながら、前を歩くアリシアの後をついていく。
にぎやかな町だ。通りには露店が立ち並び、たくさんの人々が行き交っている。その光景が物珍しくてキョロキョロと辺りを見回してしまい、自然と歩みが遅くなる。
「ほら、置いてくよ!」
「ああ、すみません!」
肉を焼くいい匂いに誘われ足が止まっていたのを咎められ、慌ててアリシアに追いすがる。
「ほら、あそこがギルドよ」
指の先を見ると、周りよりひときわ大きい建物が見えた。割と立派な建物である。入るのに少し気後れするが、アリシアはずんずんと建物に向かって進み入り口に向かう。
後を追い中へ入ると、雑然と並ぶ椅子や机の向こうに受付らしきカウンターがいくつも並んでいた。
「ちょっと手続きするから、そこらへんの椅子に座って待っててね」
「分かりました」
カウンターの人と話すアリシアをぼーっと見る。……ん? 二人してこっち見て、何か話してるな。
『……前の子はどうしたんですか?』
『あれ、言わなかったっけ? 娼館に売っ払っちゃったの。なんかおかしくなっちゃって』
『それであの子を拾ってきたんですか……』
受付の人の目が憐憫の情をたたえている、ような気がする。
『何よその目、さっき事情は説明したでしょ?』
『まあ、そうですけど……。ほどほどにしてくださいね。あなたの家がうるさいって苦情が来てるんですよ』
『うっ……、まあ気を付けるわ』
『はい、そうしてください』
『……それはそうと、最後に一応こっちでも確認させてください』
『分かったわ』
……話が長い!!! 二人の会話をずっと見るのも飽きたので、どこかに依頼書とか貼り付けてないかと思って周りを見ていたが、それらしきボードには一枚も紙が貼られていなかった。その他はほとんど目ぼしいものがなく、早々にやることがなくなってしまう。
「おーい、カエデ、ちょっとこっち来て」
アリシアが手持ち無沙汰の俺に手招きする。
カウンターへ向かうと、さっき見たのより一回り大きい、赤い水晶玉が置いてあった。
「触ればいいんですよね?」
そう言って、水晶玉に触れる。またもや何も起こらなかった。
「ふーん。あ、もういいわ。後ろで待ってて」
「あ、はい……」
結局なんだったのだろうと、首を傾げながらさっき座っていた席に戻る。
『確かに、市民権がないみたいですね……。うん、これで手続き完了です』
『おお、やっと終わった。ありがとね』
『……くれぐれも、ほどほどにしてくださいね』
『りょーかーい』
受付の人に向かってひらひらと手を振りながら、アリシアが俺のほうに戻ってきた。
「結局何してたんですか?」
「うん? ちょっとね。カエデがこの町で暮らすための手続き、みたいなものかな?」
「……そうだったんですか」
見ず知らずの俺にそこまでしてくれるなんて、なんか悪い気がしてしまう。
「よし、そしたら私の家に行こうか! 泊めてあげるよ!」
「えっ、いやいや、そこまでしてもらわなくても!」
「遠慮しなくていいから! さあさあ」
申し訳なさそうにする俺の手をアリシアが引く。
確かに、ここで放り出されても行く当てもない。なんでこんなにも親身になってくれるのかわからないが、ここは素直にお言葉に甘えておこうか。
「じゃあ、お願いしま」
ぐぅぅぅ……
派手に腹を鳴らしてしまい、顔が熱くなる。そういえば、目が覚めてから何も食べてなかったな……
「まずは食事に行こっか」
「……はい」
(最後くらい、いい思いさせてあげないとね……)