穏やかな朝
「ううん……」
窓から差し込む朝日の明るさで目が覚める。寝ぼけ眼を擦り、やおら体を起こす。
外を見やると、穏やかに吹く風で木々や草花がそよそよと揺れていた。
「よしっ」
目を覚ますために両手で頬を叩く。それから、ひょいとベッドから飛び降りる。
「ふんふんふ~ん」
鼻歌を歌いながら、朝食を準備するため炊事場へ向かう。
……平和だ。いつまでもこんな生活が続けばいいのにと、そう思った。
――朝食を作りながら、今までのことを思い返す。
あれから俺たちは何日も移動してこの教会にたどり着いた。簡素なつくりながら、どこか荘厳さを感じる佇まいである。
ここに到着するや否や、グレースは俺に対し、一緒に暮らさないかと提案してきた。曰く、自分はここのシスターで建物の管理も行っている。だからあなたのための部屋も用意できる、と。
なぜそこまでしてくれるのかと不思議に思い尋ねると、グレースはすごく悲しそうな顔をして『私と暮らすのは嫌ですか……?』と言う。それを見て反射的にここに住むと返事をしてしまい、以降御厄介になっている。
――そんなことをつらつら考えていると、コツコツと足音を立ててグレースが部屋に入ってきた。
「ふああ、おはようございます」
「おはよ。さ、席について」
「いつもすみませんね」
「いやいや、世話になってるんだから。これくらい当然だって」
向かい合って席に着く。テーブルには俺が作った朝食が並べられている。そこまで豪華なものではないが、温かいものを食べられるだけでもこの上ない幸せだ。監禁されていた時とは天と地ほどの差がある。
「ありがとうございます、すごくおいしいですよ。さすがですね」
グレースが満面の笑みで俺に語り掛ける。
「た、大したものじゃないから…………。そ、そんなに褒められると、照れる……」
事実、本当に大したものではないのだが。というか、グレースがあんなに料理下手だとは思わなかった。
――教会についてすぐのことである。監禁生活で心が荒んでいた俺は、ベッドでボーっと横になっていた。そこで、グレースが料理を運んできてくれたのだが……正直に言おう、まずかった。
パンは、まあいい。ふつうは商店で買ってくるものなので、まずくなりようがない。
問題はそれ以外だ。生煮えの芋が入った何の味もしないスープと、青臭いペースト状の何か。見た目からして怪しかったが、予想を裏切らず味も怪しかった。とはいえせっかく用意してもらったものなので、俺は残さず食べた。
……そしたらグレースは、『明日の朝も楽しみにしていてください!』と言ったのだ。しっかり完食した俺を見て、気を良くしたのかもしれない。俺は慌てて、次からは自分が料理を作ると訴えた。
グレースは少し渋っていたものの、俺の熱気に押されて不承不承ながら頷いた。そして翌日、俺は張り切って朝食を作った。……その時グレースが言った台詞はよく覚えている。『料理って、魔法でつくるものじゃないんですね』だと。
聞けば、自分で作る料理が外で食べるものに比べて味が劣ることくらいは知っていたらしい。しかしそれは自分が料理のための魔法を覚えていないからで、仕方のないことだと割り切っていたのだとか。…………いったい、料理を何だと思っていたのやら。
監禁部屋から助けてもらった時は、神様が来てくれたと思っていた。だからそのイメージが崩れて少し残念に思ったりもしたけど。まあでも、結果的にグレースと仲良くなれたんだから、よしとするか。
一人あれこれと過去に思いを馳せていると、向かいに座るグレースの表情がちょっといたずらっぽいものに変わった。
「うふふ、照れちゃって。かわいいですよ」
「な、かわいいとか言うな!」
思わず顔を真っ赤にして反論する。ここでの生活に不自由はほとんどないが、数少ない不満の一つがグレースのこの言動である。
「えー、そんなこと言わないでくださいよ~。私は率直な感想を述べただけです」
「う~~」
嫌がらせで言っているわけではないので、責めることもできない。それに褒められることなんて久しくなかったし、ぶっちゃけまんざらでもな――って、危ない危ない。何を考えているんだ俺は。話題を、話題を変えよう。
「なあ、そろそろ外に出たいんだけど……」
実はもう一つ、ここの生活での不満がある。それはまったく外に出してもらえないことだ。
別に監禁されているわけではないので、グレースが住民の対応をしている昼間なんかには出ようと思えば出られるのだが……。お世話になっている手前、約束事を破るのは気が引ける。
「はぁ……。だから、それはダメです」
先ほどとは打って変わって、グレースがまじめな表情して溜息をつく。……やっぱりダメか。でも、せめて理由は教えて欲しい。そうしないと納得がいかない。
「どうしてなんだ……?」
「……え? 気づいてなかったんですか?」
グレースがきょとんとした表情をする。それから俺がわけも分からず固まっているのを見て、諭すように説明を始めた。
「いいですか。確かにあなたはアリシアさんの支配から抜け出しましたが……公式には今もまだ奴隷のままです」
「そう、なのか……」
「はい。とはいえ奴隷であることの判別とその所有者の特定ができるのは、基本的に役所にある水晶玉だけです。ただし、お金持ちはたまに個人で持っていることがあります」
記憶の糸を手繰り寄せ、アリシアと出会った時のことを思い出す。あそこで水晶玉に触れなければ……いやいや、そうしないと町につく前に野垂れ死んでいただろう。だから、仕方なかったんだ、あれは。
「……聞いてます?」
「あっ、聞いてます聞いてます!」
グレースがじっとりとした目で俺を睨みつける。申し訳ないことをした。話に集中しなければ。
「しっかりしてくださいよ」
「はい、すいません……」
「――じゃあ、続けますね。それで、もしあなたが外に出て万が一水晶玉に触れてしまったら、どうなると思いますか?」
「……っ」
アリシアに、バレる――! そうなったら、どんな目に遭うか。想像もしたくない。
「気づきましたか……。そういうことです」
「で、でも、この村にお金を持ってそうな人はいないと思うけど……」
この教会はのどかな村の外れに位置している。自給自足が基本で、多額の貨幣を持っている人は少ない。だから大丈夫だと思うのだが……
しかし、グレースはゆっくりと首を横に振った。
「自覚があるかどうかわかりませんけど…………あなたの容姿は目立ちます。ここは外との交流は少ないですが、いつあなたの噂が行商人などを通じて外に漏れるか分かりません。そしたら一巻の終わりですよ」
「そう、か…………」
確かに、その通りだ。そういうことなら、外に出られないのも仕方がない。でも、やっぱり少し残念だな……
「うん、分かったよ。じゃあ、大人しくしてる……」
場が少し重くなる。せっかくの食事の時間なのに、朝からこんなことになってしまうなんて。話題選びを失敗したと俺は反省する。
「もう、そんな顔しないでください」
グレースがやさしげな声で俺に話しかける。
「うん……」
「さ、食べましょう」
空気が幾分か弛緩する。……そうだな。外には出られないけど、窓から景色を眺めるだけでも気晴らしにはなるだろう…………ん?
「あ、あのさ」
「どうしました?」
「裏庭って、出ちゃダメか?」
寝室の窓から見えるのが裏庭である。毎朝何の気なしに眺めていたが、よくよく考えるとあそこは背の高い生垣に囲まれていたはずだ。あの中なら誰にも見つからないと思うが。
「あーー、あそこですか…………」
グレースが目をつぶって黙考する。そしてしばらくすると、おもむろに目を開いた。
「いいでしょう。ただし、大きな声は出さないでくださいね」
「ほ、本当か? ありがとう!」
やったぞ! 久々の日光浴だ! 俺はニコニコしながら食事の残りを食べ進めた。
――そして、朝食の後。グレースの自室。
「誰も、いないですね」
グレースは入口の扉を注意深く観察し、外に人の気配がないことを確かめる。そして大きく息を吐き、部屋の隅にある棚を開けた。
……そこには、何枚もの使用済みの下着が保管してあった。そのうちの一枚に鼻を押し付ける。
「は~~。やはり美少女の下着というのは素晴らしいものですね。ああ、いい匂いです……」
ひとしきり芳香を堪能すると、グレースはすばやく下着をしまった。万が一のことも考えて、しっかりと棚に鍵をかけておく。
「焦ってはいけませんよ、グレース。慎重に事を進めるのです。そして…………」
グレースは悦に浸りながら、いそいそと部屋を後にした。