誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
彼女の旧姓は、西条という。
西条藤次の、元妻である。
「お疲れ様でしたー」
パート勤務を終えて帰宅する。
結局、あれから再婚はできていない。
いまは学生バイトのような労働で、ひとまず無職の誹りを回避している。
(なんで私が、こんな底辺みたいなことを……)
職業に貴賎はないが、印象の差はある。
彼女にとっていまの仕事は、見下ろしてよいものだった。
(ううん、再婚すれば寿退社するんだし。
下手に一般企業に入ってすぐ辞めるのも気まずいし、いまはこれでいいはず)
捕らぬ狸の皮算用もいいところだが、彼女の中では筋が通っていた。
「…………」
時刻は夕刻、日曜日であるせいか、家族連れを多く見かける。
ちょうどいまも、ベビーカーを押している夫婦とすれ違った。
外見がパッとしない人間男性と、美しい妖女の夫婦だ。
ベビーカーには二人の幼児がおり、なぜかこちらを眺めている。
……なぜか道を空けるという発想が出ず、そのまま直進した。
夫婦の方がベビーカーを少し動かし、自分を迂回していく。
誰かが撮影してUPしたら、ベビーカーを車道に迂回させるなんてとプチ炎上だったかもしれない。
バカバカしい。なぜ子連れだけ優遇しなきゃいけないのか。
ベビーカーを押していたのは旦那さんだ。常識的に、男性が車道側を歩くべきだろう。
最近はベビーラッシュだそうで、少子高齢化なんて昔の話。
世間はそれをよいことのように語るが、自分は到底そう思えない。
泣いたり遊んだりする声はうるさいし、歩道や電車やでは子連れ様に道を譲らされる。母親はそんな社会のおべっかに胡座を掻いて、我が物顔で歩いている。何様だ。
本当に社会からケアされるべきは、盛って子供を産んだ方ではなく、自分のように苦労している方だろう。ちょっと考えれば分かるはずのなのに、なぜか世間はそう言わない。
きっとあれだ、どこかの政治家が、少子高齢化を解決したという手柄を強調したくて、そういう風潮が蔓延するよう命じているに違いない。
今も昔もこの国は、人間女性にだけ貧乏くじを引かせることで回っているのだ!
――夢中でそんなことを考えていたら、帰宅するまでの時間は潰れていた。
(マッチング、今日もしてないか……)
婚活はスマホアプリで継続している。
プロフや希望を入力して、合致する人間を紹介してくれるアプリだが、何度やっても『マッチングしませんでした。条件を変更するか、時間をおいてからお試しください』の一点張り。
(プロフの写真も撮り直したのに……)
ベッドに寝転んでスマホを眺めながら、溜息を吐く。
もしやサイト側の不具合ではないだろうかと苦情メールも送ったが、特に不具合は発生していないと返事が来た。
なにか別の要因があるのではと検索してみると、それらしいブログが見つかった。
『マッチングアプリで希望条件を緩和してもマッチングしない場合。
残念ながらそのサイト登録者の希望条件にあなたが一件も合致していないか、
一部条件を満たしていてもマッチングを希望されていないと考えられます』
誰が残酷な事実を突き付けろと言った。
続きがあったので、そちらにも目を配ってみる。
『よく言われるものとして、専業主婦を希望するのは実質NG。
昨今の結婚観では男女共働きが基本です。
たまにいる専業主婦を希望する男性は、配偶者に家事を任せたい人。
もっと言うなら子供ができることを視野に入れて、育児にも専念して欲しい人です。
こういう男性は家事育児を妻に「委任」するつもりで専業主婦を許可していますので、
家事を公平分担させたり、子供を嫌がったりすると、離婚の原因にもなりえます』
一瞬、このブログは元夫が書いたのではないかと思った。
(なによそれ……)
それだと、自分が悪いみたいじゃないか。
主婦の頃は、夫が家事を半分以下しかしないことや、子供を欲しがることを不愉快に思っていた。
自分の方が多く家事をしているのに偉そう、産む方の身にもなれDVだ――と。
しかし実態は、委任された役目を十全に果たさず、楽な日々ばかり味わっていたのではないか。
結論が出た――これは悪質な洗脳記事である!
女性が男性にとって都合のいい精神構造になるよう仕組まれた罠に違いない!
(もっとまともな助言をしてくれるところはないの!?)
検索し直してみると、別の婚活サイトが見つかった。
会員制かつ有料なので後回しにしていたものだ。
ふと思う。
いま登録しているサイトは、質が悪いのではないか?
このサイトで見つかるのは、無料登録で結婚相手を探そうという、けち臭い人間ばかりだ。
大した収入もない男と、貧しい妖女ばかりがどっさり集まるから、ああいう結果なのではないか。
そうだ、きっとそうだ。
まともな男なら、こういうところに金をケチらない。
次の結婚をするためには、必要な投資をすべきではないだろうか。
「…………」
さほど高額ではない。
離婚したときの財産分与で、懐にはまだ余裕がある。
上手くいかなかったなら退会すればいい……そう意を決して、会員登録をクリックした。
○
(――――詐欺だったっ!!)
およそ一ヶ月後、部屋で頭を抱えることになった。
幻術で男装した妖女が『サクラ』をしている場所だった。
出来すぎなくらいの男前が、いかにも利用者層が喜びそうなことを並べ立て、いつの間にか別の詐欺案件に誘導する――という手口だ。
利用者の告発によって明らかになったのは、つい先日、自分が被害に遭った後だった。
(男装していた妖女は性自認によるもの、詐欺へ誘導されたのも当事者間で起きたもので、当社は責任を負わない? グルでしょ絶対!!)
既に運営者や直接の詐欺師たちは、妖魔界へ高飛びしている。
だまし取られた金が戻ってくる可能性は低いし、戻ったとしてもずっと先のことだろう。
(やっぱり妖女なんてこんなのばっかり! 日本はとっとと国外追放しなさいよ!)
一班を見て全豹を卜す、パンダの目元だけ見て全身を黒いと断じるような錯誤だが、いま彼女にそれを言っても逆上しか得られない。
(美人で男不足の色情狂だからって、男どもがほいほい招き入れるからこうなるんじゃない……っ!)
人間女性の妖女に対する憎悪は少なくない。
蓄積していた感情は、きっかけさえあれば何らかの形で表出する。
オンライン上では、特に顕著だ。
『そもそも異世界人なんて怪しい素性のものを、ろくな調査もなく流入させたことがおかしい。
結局、政治家のジジイどもがスケベ心で大歓迎したってこと』
と誰かが言えば、多くの賛同が集まり、同時にこうツッコミを受ける。
『地球の十倍という規模の超巨大市場に出遅れていれば、経済競争で多大な遅れを取った。
遅れた国は美味しいところを取り逃がし、経済はそういう弱いところから搾り取る』
『○○○○が妖魔界の一国に侵略されたように、防衛上の選択でもある。
妖魔界の大国との条約締結が遅れていれば、いまが好機と攻め込まれていた。
そういうのを防ぐ界外防衛戦略の対価に求められたのが、早期の市場開放だった』
などと、いかにもバカな男どもが好みそうな話だ。
そんなの政治家がちゃんとすればいいだけで、大事なのは私たちの快適な日々でしょはい論破。
『給与の男女格差がひどすぎる。特に人間女性だけ低いのは、明らかに意図的』
『妖女が押し上げて、平均賃金の差はもうほとんど無いよ。人女が高収入職に就けてないだけ』
『だから、見かけ上の平均が同じだけで、人間女性だけ稼げてないじゃん。なにを聞いてたの?』
『だから、人女だけ稼ぐための学とスキルと努力が足りてないんだよ。なにを聞いてたの?』
誰かが政治を話題にすれば、誰かが経済を話題にする。
同じ人間なのに、どうしてこんなにも会話が成立しないのだろうか。
『だいたい魔力技能ってなに?
妖女か、妖女とヤった男しか増えないものを必須技能として要求すんな。
人女は妖女とレズプレイしろっての? これがウーマン差別じゃなきゃなんなの?』
『人間でも魔力はトレーニングで増えるんだよ。
男は妖女との行為がその条件を満たしてるだけで、女は魔力を得られないは早合点からのデマ。
ダイエットくらいの努力を積めば魔力技能資格を取れる。若い子は皆してるよ』
『それ以前に、体力でも魔力でも、女性と妖女で生まれ持ったものが違うんですが?』
『体力と魔力だけで収入が変わる単純な世界なら可哀想だけど、現実はそうじゃない。
自分のハートに鞭を入れず、負けても仕方ない理由だけ口走る奴が、出世競争に勝てるか。
妖女からすると、そういうところが同じ女として情けないんだよ』
いつもこうだ。
昨今のジェンダー論争は、男と女と妖女の三国志。
この話題では、妖女は男性側と意見を同じくすることが多い。
同じ『女性』なので『男性による女性差別だ』という反撃を取りにくいことが、また卑怯だ。
『いまの社会がいいとは思わないけど、明らかに妖女に私怨を向ける人がいるのはなんで?
文言を見てると、異世界人だからって感じじゃないんだけど』
『美人で若々しくてチヤホヤされて家庭を築いているイメージがあるから。
容姿、裕福、優遇、評価、家庭、夫や彼氏、子供、若さ――
女が嫉妬するものを、妖女は全て持ってる。あくまで妖女の中の成功者だけど』
嫉妬……なんかじゃない。
確かに妖女は見目麗しく、歳を重ねても外見に表れにくい。
魔力技能で稼げる仕事に就いており、世間の注目度が高く、職場でも頼られ評価される。
男性と結ばれて結婚して、幸せそうな家庭を築いているのも、最近は妖女ばかりな印象だ。
文化的に一夫多妻家庭で、家計・家事・育児も助け合えるので、家のことでも苦労が少ない。
なるほど羨ましいことだらけだ。
だからといって、嫉妬だと思われるのは心外である。
これはそう……人間女性との間にある不平等への、正当な義憤である!
『結局、日本は本来なら女性が座るはずだった席を、妖女に売ったんだよ。
仕事も家庭も、番組の出演枠も、最近はスポーツまで妖女様のもの』
そうそう、やっぱり私だけの思い込みじゃなかった――
『どれも実力で勝ち取るもので、約束されていたものじゃねぇよ。
日本語から学ばなきゃならない妖女にさえ出世負けしておいて、
なにが社会の犠牲者だ』
黙れ、お前どうせモテない男か出稼ぎ妖女だろう。
『はいこれ。妖魔界との国交以降、人間女性の失業率が上昇してる資料ね。
女性の窮状を理解したクソオスは何か言えよ』
『自分の出した資料くらいちゃんと読め。
失業してるのは夜職系、以降は失業率も下降して元の水準。
妖女をタダマン星人とか無料奴隷とかネチネチ言ってるのは大抵そいつら』
嘘だ。こじつけに決まってる。
資料を読むのは面倒臭いけどそうに違いない。
『要するに、妖女が増えたことで、美人とセックスは価値が暴落したんだよ。
顔と体で得られるものが無くなり、風俗嬢が客を失うことや、若い美人でも
専業主婦になれないことは、当初から明らかだった。
なのにスキルアップもせずSNSポチポチしてた奴が、今頃になって騒いでる』
うるさい。聞いてない。
『そういう連中の受け皿だった底辺職さえ、いまや出稼ぎ妖女が進出してて、
学無し技無し魔力無し性的需要なしの人間女性が行き着く先は老人の世話。
美人なら一生安泰と思ってた花畑、美人が失業してザマァと思ってたブス、
いまそいつらが歩いてる道がそれ』
どうでもいい。バカバカしい。聞く価値もない。
『悪いことは言わない。
該当者のうち、若い子は勉強して資格とって転職しろ。
アラフォー以上は知らん。できるだけ脳内幸福を高くして生きろ』
――ブラウザページを落とす。
(……やっぱり、再婚しよう)
そうして今日も、その方針を新たに決める。
結局、高収入男を捕まえて専業主婦に戻るのが一番だ。
今日も様々な意見を総合的に判断して、そう決めた。
決して、努力の末にスキルアップして大手企業に入社して、元夫と同じくらい仕事をするのが嫌だとか、そういうのじゃないのだ!
ネットのあちこちでも、婚活コンサルタントの助言でも、そうしろと聞いた気がしたが、あいつらは嘘吐きと詐欺師だから騙されない!
なるべく、前の夫と近い条件で探そう。
それが自分の唯一の成功例なのだから。
今度は愚かな真似をしないようにして、家事負担や出産育児も前向きに考えて……
「…………」
ふと、気付いた。
前の夫と同じような男が、自分の理想型だと言うなら――
(寄りを戻す、とか……)
考えて、しばらく考え続けて、ようやく首を振って却下する。
今更、そんなことできるわけない。
いくらなんでも、それはプライドが許さない。
少なくとも、こっちから頭を下げるのは絶対に嫌だ。
(あんな男、私が居なくなって、せいぜい苦労すればいいんだっ)
家事も簡単なことしかできない男だ。
きっと今頃は、後悔しているに違いない。
薄汚い部屋で、女も抱けず、職場でも嘲笑われて、惨めな日々を送っているに違いない!
その哀れな姿を想像するだけで、今夜もよく眠れそうな気がした。
同時刻――元夫が、若く可憐な妖女と睦み合っていることなど、知るはずもなく。
ご一読いただきありがとうございました。
本編の続きに先立ち、元妻の第二弾です。
奴隷ヒロインの続きは、もうしばらくお待ちください。
こういう架空の世界のネット界隈って、なんでか筆が乗るな。