誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
彼女の旧姓は西条という。
西条藤次の、元妻である。
「…………」
夜――彼女は自室でPCの画面を眺めていた。
以前より肌が荒れて、無駄な肉がついている。
自室も、実家に戻ってきてから明らかに散らかっていた。
PCの画面には、SNSのページが表示されている。
『離婚した夫から「洗濯機ってどう使うの?」ってメッセが来たから、
洗濯機が泡を吹くような洗剤の量と設定時間を教えてやった。
いま抗議の電話が来てるけど無視してる』
先ほど投稿したものだ。
そこそこの高評価が集まっており、思わず口の端が上がる。
ただ――
(最近、反応が鈍いなぁ……)
フォロワーの数にはそこそこ自信があるが、反響が薄い。
(あの時は、あいつをネタにできてたから……)
離婚する前は、夫とのことをよく投稿していた。
割ってしまったカップを撮影して、夫が理不尽にキレて壊したとしたり。
掃除をさせたら半端な仕事をしたから夕飯をカップ麺にしてやったとしたり。
虚実を織り交ぜた夫婦生活を投稿していたら、フォロワーが増えた。
一度、夫に見つかって白い目を向けられたものだ。器の小さいことである。
(こういう『別れた夫が』系の投稿も、そろそろ飽きられるかな……)
いま自分のアカウントは『再婚を志す婚活アカ』だ。
しかし、そちらに関する成果はと言えば――
(今日も、マッチングなし……)
新しく登録した婚活サイトで、希望する条件の男性は紹介されていない。
希望条件から遠い者なら紹介されているのだが、自己紹介の日本語が怪しかったり、顔写真がAI製だったりと、詐欺の匂いしかしない。
手動で登録者を検索することもできるが、こちらからの面会希望によい返事はない。
やがて名簿から消えているのは、別の女性と――恐らく妖女とマッチングして、婚活の必要がなくなったからだろう。
明らかに冴えない男性でさえ、マッチングして婚活サイトを卒業していく。
気がつけば、彼らを見下していた自分だけが売れ残っていた。
その事実を再認識するたびに、舌打ちを我慢できない。
(こうなったらエア彼氏でも……適当なタイミングで別れたことにすれば……)
人はこうした感情を虚栄心と言うが、嵌まっている人間はそこから抜け出せない。
『他人の目に映る自分』という、己自身からは微妙に切り離されたものにばかり傾注していれば、満たされないのも当然なのだと気付けないのだ。
「――っ――っ――♡」
そんな彼女の耳に、今日もご近所からの『雑音』が聞こえてくる。
(また? あのマンション、妖女多すぎでしょ……)
久しぶりに戻ってきた田舎は、人口が増えていた。
妖魔界との国交以降、田舎には多くの妖女が住み着いていると聞いていたが、離れていた地元もそうだったようだ。
家の近くに建っていたファミリー向けマンションにも、妖女系の家族が多く住んでいる。
それはつまり……毎夜のように『お盛ん』であるということだ。
(夜はこれだし……日中は子供がうるさいし!)
セックスの声と、子供の遊ぶ声。
一部の層には、これがどうしても癪に障る。
パートナーや子供の有無に劣等感を抱く層には、特に。
(どこに行っても、妖女、妖女、妖女……っ!)
最近、実感することが多い。
いま、脚光を浴びるところにいるのは、妖女ばかりだ。
経済は妖魔界という巨大市場で動き、消費者として大口な妖女のための商品が連発している。
料理もスイーツも妖魔界の食材が注目され、店に並ぶ服も豊満な妖女体型に向けたものばかり。
ニュースを見れば政治家が妖魔界との外交を重んじ、スポーツでは人間より一回りタフな妖女選手が表彰台に。
恋愛や結婚については言うに及ばず、妖女というズルい存在が、男を人間女性に譲らない。
生活で見聞きする様々なものが、こう語っていた。
世界はいま――
(あいつと一緒だったときは、気にならなかったのに……)
以前は妖女の席巻を聞いても、焦る気持ちは無かった。
少なくとも自分には夫がいたから。不満はあれど男がいたからだ。
自分より優れた妖女がどれだけいても、彼の存在が、知らぬ間に自分の心を支えてくれていた。
やっぱり自分には、あの男しか――
「ああもうっ、うるさい!」
浮かんだ思考を追い払うように、キーボードをタイプする。
予定にはなかったが、閃いたものを投稿することにした。
『地元に戻ったら、元同級生の男が病院に隔離されてるって聞いて驚いた。
妖女と結婚したとは聞いてたけど、なんか性病をうつされたみたい。
旦那を媒介にサブ妻たちも全員感染したんじゃないかな?
家には誰も寄りつかないし、子供とか絶対イジメられるよ。
無責任交尾の危うさがよく分かる』
もちろん嘘だが、このくらいはいいだろう。
これを見た男や妖女がセックスを控えたら、全国のセックス騒音トラブルも減るに違いない。
(巡回しよ)
そして今夜も、オンラインにどっぷり浸かる。
『隣室のギシアンがうるさいのでフリー素材の心霊音声を流し続けたら空き部屋になった』
『全国の○等学校、教師と生徒の淫行を「実質黙認」。教育崩壊へ』
『妖魔界、半数の国が「中世の文明水準」と判明』
『妖魔界性病「HNTI」、猛威をふるう』
『朗報:若者の妖女離れ、起きる。若者「セックスばっかり。ストイックな女性がいい」』
お気に入りのサイトや、SNSのタイムライン、動画サイトのゴシップ動画。
ソシャゲでイケメンアイドルを育成しながら、見たい情報を酒のように流し込む。
……こうしている間だけ、心の平穏が戻ってくる。
○
パート勤務になって以来、久しぶりの休日だ。
どこにも出勤しなくていい日というものは、こんなにも貴重なものだったのかと思う。
「暇だったら、買い物してきてくれる?」
だというのに、母はそんな手伝いを要求してくる。
こっちは疲れているというのに、なぜ休日だからといってそちらの仕事をさせるのか。
母は専業主婦なのだから、自分の仕事は自分ですればいい。しかもその家事だって雑だ。
しかし図太い母は動じることなく、
「あんただって、同じこと言った旦那さんに手伝わせてたんでしょ?」
……親孝行だと思って、町内のスーパーに足を運ぶことにした。
パートの勤務先でもある。
自分が地元を離れている間に、大手のチェーン店が進出してきたらしい。
妖女の移住と妊娠出産により、継続的な人口増加が期待できるようになったからだろう。
以前は見向きもしなかったくせに、妖女の子連れ様がいると分かった途端に擦り寄ってきたのだ。
やはり日本社会は妖女ばかり贔屓にしている!
扱っている商品にしてもそうだ。
妖魔界の食品類や、魔力を用いる生活用品――
異世界産の食品なんて何が入っているか分からないし、魔力用品は人間女性には使いにくい。
こんなところまで女性差別とは、なんて酷い国に生まれてしまったんだ。
(子連れの妖女ばっかり。当てつけ?)
店内には子供の騒ぐ声が複数あった。
子供用のショッピングカートを押しているガキのせいで歩きにくい。躾しろ。
美人でスタイルのいい妖女の女性が子供の手を引いている。見せつけてるつもりか。
父親と一緒に、妖女らしい綺麗な娘が歩いている。ロリコンみたいで気持ち悪い。
あれも、これも、ほらそれも。
暗に露骨に、人間女性を風下に置くものばかり。
社会は男と妖女のために作られており、私たち人間女性は隅っこに追いやられているのだ!
店内の客を見比べてみれば、人間女性はみんな不幸そうな顔をして――
「あれ?」
頼まれていた商品を探していると、近くの女性に声を掛けられた。
人間女性だ。自分と同年代。服や化粧は華美ではないが品がいい。
訝しんでいると、記憶にある顔立ちだった。
「あっ」
「久しぶりっ、帰ってきてたんだ!」
中学時代の同級生だった。
当時この町は子供も少なく、仲の良し悪しに関わらず顔と名前を覚えている。
「そうなの。何年ぶり?」
「中学を卒業したのが最後だから……やだー、もう二十年以上も前じゃないっ」
歳がバレるようなことを言って笑う元同級生に、口の端が引きつった。
おばさんになったことを笑いに変えたいなら、自分一人でやれというのだ。
「ここいらもずいぶん様変わりしたでしょー。昔はもっと小さいスーパーだったのにねぇ」
彼女は気さくに昔を懐かしむ。
彼女はもっと引っ込み思案というか、卑屈な性格だったと記憶している。
容姿も優れていなくて、服や化粧も知らない、田舎の芋娘だったが、変わるものだ。
「そうね。特に妖女さんが増えたみたいね」
「そうなの。ここ十年くらいでぐんとね。
家やマンションが増えてたでしょ? あれほとんど妖女さんが住んでるみたい」
それは夜中の喘ぎ声で把握している。
口振りからしてずっとこの町に住んでるようだが、彼女は特に不満を抱いてないらしい。
嘆かわしい。彼女も妖女優遇社会に洗脳されてしまったか、迎合することを選んだ『名誉妖女』なのだろう。
「あ――」
ふと、気付いた。
彼女――左手の薬指に、指輪をしている。
「結婚、したの?」
つい聞いてしまった後、「しまった」と思う。
「もう随分前にね。あなたは……ごめんなさい、結婚したって聞いてたんだけど、もしかして」
「ええ、離婚しちゃって」
苦笑しながら、左手を軽く握り込む。
まるで自分が、かつて見下していた彼女よりも『下』になってしまかったかのようで……
「前の旦那がひどい人でね」
「そうなの?」
「ええ……その、いわゆる、DVとか、モラハラとか? とにかくひどかったの」
口が勝手に言い訳めいたことを並べ立てる。
もちろんそのようなことはされていない――
否、ストレスに感じることは色々あった。
離婚のときの酷い態度などは、精神的虐待だ。
そう、いま思い返せば、私はDV被害者だったのだ!
「まあ、あまり気を落とさないで――」
彼女が励ましの言葉を口にしようとすると、奥の方から子供が三人ほどやってきた。
妖女系の可愛らしい子供たちだ。年頃も幼くて、子供嫌いでも思わず母性が刺激される。
その子たちは、彼女の買い物籠にお菓子の袋をこっそり入れる。
「あ、こらっ。お菓子はもうあるでしょ?」
「「「えー」」」
「これが欲しいなら、どれかひとつ戻してきなさいっ」
彼女が言いつけると、子供たちはお菓子を選出して、商品棚に戻しに行く。
「走らないのっ」
また言いつけられると、素直に並んで歩いていった。
一連の出来事は可愛らしかったが、それより気になったのは……
「えっと、お子さん?」
「そうなの。もうやんちゃな年頃で」
苦労の滲む母の笑みだった。
それを見て、胸がざわつく。
言語化できないそれを持てあましていると、彼女は気付いたように説明を付け足した。
「ああ、外国人っぽい見た目の子は他の奥さんたちの子。うち一夫多妻なの」
驚いたが、納得はいった。
先の子供たち、容姿が日本人なのは一人だけで、他は妖女系だった。
「一夫多妻……?」
「そう。一応、法的な妻は私で、他は内縁だけどね。
私を含めて奥さん三人と旦那で、それぞれ子供は全員のを合わせて五人」
最近よく聞く家庭環境だ。
人間男性と妖女が作る一夫多妻家庭には、妻の一人として人間女性が混ざることもある。
彼女は、夫が自分以外に妖女の妻を持つことを認めたらしい。
「大変じゃ、ないの?」
また、胸がざわつく。
元同級生が予想外の形で結婚していた驚き、ではない。
主義思想に合わないものに対する嫌悪感――でもない。
彼女が、あまりにも――――幸福そうだからだ。
「それはもう大変よ。私は専業主婦させてもらってるけど、子供と家のことぜーんぶ押し付けられちゃって。まあ旦那と他の奥さんが働いてくれてるから家計は安心だし、育児がピークだった頃はそれぞれのご親戚が手を貸してくれて助かったけど。最近は家政婦さんを雇って、やっと私も仕事できるようになってね。コツコツ魔力トレーニングしてたから、いまはそれ系の――」
年長の主婦らしい、矢継ぎ早のお喋りが始まる。
内容は愚痴っぽいが、角が立たないようにそうしているだけで、口調はポジティブだ。
「……そう、なんだ。へー、いまはそういうのがあるんだ」
相槌を打ちながら、理解した。
いま自分の胸中を密かに荒れさせている感情は、驚きでも嫌悪感でもない。
幸福な家庭を築いている彼女への――嫉妬心だ。
「覚えてる? 同級生の――お子さんがいま妖魔界に留学してて――」
聞いてもいないのに、他の同級生たちの近況を報告してくれる。
自分が友達にしたのは、隣を歩いても恥ずかしくない容姿の子だけだった。
だから彼女が語る同級生たちのことは漠然としか覚えていない。
ただ、聞く限り男子も女子も立派な大人になり、結婚して子供がいるようだ。
「…………」
なんでだ――
お前たちみたいな貧乏ブサイクは、もっとそれ相応の人生なはずだろう。
男に縁なんてなくて、分相応の弱者男性すら妖女に奪われて、下唇を噛んで生きているはずだ。
なのになんで――幸福そうなんだ。
なんで髪や肌の色艶がいいんだ、なんで着ている服が上質なんだ、なんで声音が溌剌としているんだ、なんでそんなに友達の近況がすらすら出てくるんだ――
なんで、なんで、なんで、なんで――っ!
結局、何を喋ったのかもよく思い出せないまま、家に帰ることになった。
○
帰宅した後、買い忘れについて小言を言う母を無視して、部屋に入る。
(違う、違う、違う……っ!)
自分に対して、必死に言い聞かせようとする。
さっき会った彼女は――幸せなんかじゃない。
彼女は、一夫多妻家庭の『妻の一人』だった。
その時点で愛されていない。夫は彼女を『顔は悪いけど扱いやすいからキープしとこ』とでも思ってるに違いない。あんな芋女を妻にする男なんてそうに決まってる。
子供の世話や家事を押し付けられていたことからも明らかだ。
クズ夫と性悪妖女たちが、奴隷として確保しているのだ!
きっと自分たちは仕事と称して贅沢な食事をしてセックス三昧に違いないきっとそうだ!
ネットで見たことがある――こういうのを『新家父長制』という!
男が見目麗しい妖女を従え、その下に人間女性を奴隷化しているような状態のことだ。
人間女性が活躍する場を奪い、下女として搾取するために、暗黙の内に作られた悪魔の社会構造だ。彼女はその犠牲者なのだ。自分が幸せだと錯覚している哀れで惨めで愚かしい女なのだ。あれは幸せなんかじゃない本当の幸福じゃない違う違う違う違う――!
「ふぅーっ、ふぅーっ」
知らぬ間に息が荒くなり、歯の隙間から音を鳴らしている。
無自覚にSNSを開き、キーボードへ指を走らせていた。
『田舎って腐ってる!
ちょっと買い物で地元スーパーに行っただけで、子連れがマウントとってくる。
どう見ても十代で妊娠させられた妖女もいれば、モテなかった人女も子供産まされてるし、夜ごと女性がレイプされる声が町中に響いてるのに誰も助けない! 妖女におだてられたザコオスが調子に乗って治安を悪化させて病気ばら撒いてる危険地帯!』
ついでに動画も貼り付けておく。
近所のマンションを窓から撮ったもので、女性の喘ぎ声が捉えられている。
いつか騒音被害の証拠として提出するつもりだったが、いまが使いどころだ。
『クソガキ被害も深刻! 道を歩いていれば背後から体当たりしてくるし、人の家の庭で小便しまくる。これ子供版のレイプと射精だよね。絶対に親の真似してる。
私の母校も校内性犯罪と性病の温床で、顔にぶつぶつができた人女の児童が泣きながら帰っていく!』
自分の劣等感を刺激するものを全力で叩く。
そうして対象を『悪』とすることで、劣等感を『義憤』に、自分を『正義』に。
一説によるとオーガズムを越える快楽物質を分泌させるという、『正義の立場から悪を叩く』という行為が、ストレスを溶かしてくれる。
『勤務先でもパートの女性が上司の男に呼ばれて「残業」させられてる。
とうとう私にもさせようとしてきたから無言でスマホ出して見せたけど、舌打ちしながら手を振って「帰れ」だってさ。大手スーパーの総菜店ですらこうなんだから、商品にも何が付着してるか分かったもんじゃない』
まるで酒に溺れるように――
あるいは腕に注射器を刺して薬物を投与するように――
『警察や役所にも通報してるのに対応してくれない。
たぶん性病の蔓延で風評被害になるのが嫌だから揉み消されてるんだろうなー』
そんな努力の末、ようやく冷静さが戻ってくる。
(……妖女たちの一夫多妻って、人間が混ざるのもありだったんだ)
冷えてきた頭が、そこに思い至る。
検索してみれば、情報はいくらでも出てきた。
日本の法律は現在も一夫一妻制だ。
そのため日本国内での一夫多妻は、法的に結婚している妻+内縁の妻だという。
(平均世帯収入は……こんなにっ!?)
さっきまで口汚く罵っていたというのに、急に目の色を変えた。
(そっか。個々の年収が低くても、それが三人か四人いれば一千万を越えるんだ!
なんで気付かなかったんだろっ)
更に調査を進める。
(例えば男と妖女数人が働いて、私が主婦になれば、高収入を掴まえたのと同じ!
旦那と妖女を働かせて、家計は私が管理して、家事は出稼ぎ妖女の家政婦を雇う。
やだ、悠々自適じゃない!?)
要はサークルを掌握するようなものだ。
男と妖女に稼がせて財布の紐を握る――それに成功した自分を想像して生唾を飲む。
(そっか、妖女たちが子供を産むなら、私が妊娠する必要もないんだ……
妖女の子なら可愛いだろうし、面倒見るのが私なら実質ママは私だしっ)
都合のいい想像は膨らむ。
業腹だが、自分が子供を産んでも、妖女ほど容姿には恵まれないだろう。
だから産まずに、美形が約束された妖女の子たちのママになればいい。
その方が――
ブサイクかもしれない子を産むより、妖女の子たちを生みの親以上に懐かせれば、なんと身を痛めることなく母になれる。
天使のような娘たちの母という、自慢できる地位が手に入るのだ。
(あり、ありじゃない!?)
男性と妖女には寄生目的で目を付け、子供には容姿で優劣を付けて、生みの苦しみを押し付けた妖女から親の座だけ盗み、自分を飾るもののように扱う――そういうメンタルに、自覚は及んでいなかった。
(でも、妖女と共同生活か……)
そこが難点だ。
ただ……最近は婚活パーティやパート先で、妖女と実際に会う機会も増えた。
反りの合わない部分は多いが、言うほど悪人ではなかった。
(ちょっと調べてみよ)
彼女はこのとき、人生で始めて、妖女に向き合う。
好悪の感情を忘れ、フェアな目線で、妖女のことを理解しようと試みた。
(……木城クレア?)
やがて行き着いたのは、一人の芸能人。
日妖ハーフの女優として、随所で見かける人物だ。
『日妖ハーフが見てきた、妖女と女性の違い。その断絶の理由とは――木城クレア――』
マウスポインタが、彼女のブログを開く。
『人間界と妖魔界が結ばれ、私のようなハーフが大人になるほどの年月が経ちました。
近頃また水面下で、人間女性と妖女との対立が深まっているように見受けられます。
であれば、ハーフとして生きてきた私の視点が、何かの役に立つかもしれません。
私見ながら、妖女と人女の不一致がどこから生まれているのか――
二つの『女性』が持つその違いから見ていきたいと思います』
どうやら木城クレアは、人女と妖女の不仲を憂いているようだ。
『人女と妖女の最大の違いは、容姿でも魔力でもなく「男らしさ」です』
『妖女は男性が極端に少なく、社会は女性の手で回ってきました。
なんだか女性の理想郷ができそうですが、実際そんなことはありません。
人間界と同じような社会の苦労と困難を、全て女性がやるというだけのことです』
妖魔界とはいわゆる『女だけの街』だ。
一時期ネットで話題になったあれである。
女性が『男性社会からの解放願望』として提唱し、実現を目指すわけではなく『怪談』のように消費したものに対し、男性は実現を目指した『計画』として受け取り、できもしない妄言として揶揄したもの――思考の性差が如実に表れている。
妖魔界では、それが空想では済まないのだ。
『いわゆる封建社会において、男性は家の外、女性は家の内とされてきました。
妖魔界ではそれを「外務・内務」と呼び、女同士で分担しています。
妖女たちは、必要に応じてどちらも務められるように育てられ、外務と内務を表裏一体のものと捉えています。
この外務能力を、性差で分業していた人間界では「男らしさ」と呼んでいます。
逆に言えば「男らしさ」とは、性別由来のものではなく、社会的な役割に起因するところが大きいのです。
女だけの街で男性的な役割を担っていれば、女も男らしくなります。
共感よりもルールを重んじたり、感情よりも道理を重視したり、
女性が男性に対して「自分たちと違う」と感じるものを、生活の節々で垣間見せます。
人間女性に、妖女に苦手意識を持つ方がいることの一因でしょう』
――ざっと読んで、腑に落ちる。
ネットで妖女の発言を目にするたび、同じものを感じていた。
『――妖女からすると、そういうところが同じ女として情けないんだよ』
そういった台詞で、人女を「甘ったれ」として扱うときに。
一部の女性は、そんな妖女たちと対峙することを避ける。
声高に叫んできた幾つかの持論が、崩れ落ちてしまうからだ。
同じ女性である私たちにできたことを、お前たちは「女性だから」と逃げるのか――と。
妖女が現れる以前にも、社会の前線で戦う女性が、うだうだ言う同性に向けてきた言葉だ。
妖女と人女の対立とは、実は人種ではなく、そういうものなのかもしれない。
『さて、対して人間女性は、内務のみに専念させられてきました。
これは肉体の性差から生じた分業で、男性が押し付けたとも女性が甘ったれたとも言えません。
時代が進むとイギリスの女性解放運動など男女の不均衡を正す動きが始まり、男女同権が社会正義となりました。しかしそれも、せいぜい百年。人類の歴史からすればまだ短いキャリアです。
人女は男性の後ろに隠れて苦労を押し付ける癖に態度がデカい――といった印象を抱いている妖女たちには、人間界の男女比と歴史的な経緯を汲み取る努力が欠けています』
そう、そうなのだ!
なのに男どもときたら、やれ男女同権なら男と同じ苦労をしろだの――
『ですが、人間女性も環境のせいばかりにしてはいられません。
妖女の存在で「女性だけでも社会は回る」ことは証明されています。
女にはできないと排除されることもない一方で、女だからできませんも通用しません。
社会が男女同権を推進する分だけ、女性が背負う責任も、求められる気骨も増しています』
文章に雲行きの怪しさを感じた。
ここから先には、自分にとって見たくないものが記されているという予感だ。
『妖女にとって、男性の庇護から巣立てない女性は、非常に幼稚に見えます。
男に「自分を庇護し養うこと」「問題を解決すること」という父性的機能を過度に求める女性は、人女が「マザコン成人男性」に対してそうする程度に侮蔑されます。
それが正当か否かはさておき、心証が悪いという事実は心に留めておくべきです』
『こうした妖女と人女が、お互いに対して腹に据えかねることを口にすることで、今日もどこかで火花が散るわけですね』
『要約すると――
妖女は、人間女性の歴史的背景に思慮が足りない。
人女は、男性に対する父性的な依存心から巣立てていない。
それが二者間の不和を生み出す精神的な要因となっています。
こうした部分を表に出さないように、胸の内で解消するだけでも、諍いは減ることでしょう』
『なお、男性は上手に間を取り持つか、無理なら放っておいてください。
下手に口を挟まれると、どっちの味方なのかと詰められて、より面倒になりますので』
――男性を落ちに使う形で、ブログはそこで終わっていた。
「…………」
目から鱗とまでは言わないが、頭の視野が広がった気がする。
耳に痛い話も多かったが、妖女たちの視点に触れたのは初めてだ。
(私たちが……幼稚……?)
そんなはずはない――と、言えるだろうか。
自力ではろくに稼ぐこともできず、結婚という形で男に養われようとしている自分には、無理かもしれない。
男に食わせてもらい、男に各種問題を解決してもらう。
それは、パパに甘える娘が大きくなっただけではないか。
掲示板で悪し様に語られる、「妻に母親の如しものを要求するマザコン亭主」と、大差がないのではないか――
(妖女って、人女が嫌いなわけじゃないんだ。ただ単に……手厳しいんだ。男と同じくらい)
内心で分かっていた。ネットでも耳にしていた。
妖女が嫌うのは人間女性ではなく、『ヒモ』なのだと。
信頼できる女性なら一夫多妻を共にすることもあるようだが、自分が彼女らの評価基準を満たしているかというと……恐らく、落第だろう。
つまり、当初の目的である『妖女の一夫多妻家庭に加わる』という婚活法は、望み薄だ。
(……いい加減、自分のこと、なんとかした方がいいのかな)
珍しく殊勝なことを考える。
実際問題、自分が相手側だとして、こんな自分と家庭を共にしたがるだろうか?
楽な方に逃げてきた自分を、そろそろ見直すべきなのではないだろうか……
(待って……そもそもこの人の言ってること、本当なの?)
そこでふと、疑問を覚える。
知識人ぶった顔と口調でバカ全開なことを言う輩は、どこにでもいるものだ。
内容を見極める知見があれば見抜けるものだが……自分には無理だ。
こういうときは、検索するに限る。
辞書のようなプロフィールではなく、オンライン記事でどう扱われているかを調べる。
得た情報を噛み砕くのではなく、他人がどう言っているかだけで決めようとする愚に、彼女は気付かない。
その選択が無ければ――彼女の運命は、少しだけマシになったかもしれなかった。
「…………ふふっ」
しばらく後、PC画面を見ている彼女の顔が、侮蔑的な笑みを零す。
『木城クレア、炎上! 奴隷売買に加担していた!』
ああ、やっぱりそうだった。
炎上している。
炎上しているということは悪人である。
悪人なのだから、言っていることは全て嘘だ。
所詮はこの女も、妖女が利益を得るための世論工作員だ。
一見中立と見せかけて、実は人女を誘導しようとしているだけの、卑怯な金稼ぎだ!
危うく騙されるところだった。
やっぱり――間違っているのは、自分ではなかった!!
ご一読いただきありがとうございました。
非エロの上に長文で恐縮ですが、元妻の第三弾です。
丸々と太ってきたので、もうすぐ収穫かな。