誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
人間界。
元より異界と出入り可能な多元世界である妖魔界にとって、数百年ぶりに発見された、新たなフロンティアである。
聞けばそこは、妖女たちと異なり男性がたくさん生まれる世界だという。
そんな夢のような世界に旅立つのは、ヘルハやカトレインのような世代の妖女にとって、青春の悲願だった。
「ここが、人間界……」
「はぅ、なんだか空気が違いますねぇ」
二人はイーリスと共に、人間界への留学生に選ばれた。
宇宙飛行士の選抜試験めいた競争を勝ち抜いて掴み取った枠である。
ポータルを出て最初に感じたのは、獣人の嗅覚が捉える、様々な香りだった。
異郷とは異臭だ。
悪臭ではなく、故郷とは違う匂いがする。
日本では醤油の匂いがするという説もあるが、彼女らが嗅ぎ取ったのは――
「あぅ……やっぱり、その……男の人の匂い、しますね?」
「か、カトレイン、言葉にしないでっ。意識しちゃいますっ」
ヘルハとカトレインは、日本の土を踏むなり赤面していた。
感じる。
平民の妖女にとっては、何かの式典など特別な日にしかお目に掛かれない男性の気配が、そこかしこに残っている。
「だ、だって……ほら、あっちにも、そっちにも。わわわっ。いいの? 見ていいの?」
「じろじろ見ないっ! 男性を五秒以上見つめたら『誘惑』の嫌疑が掛かるのよっ!?」
人間界に来たばかりの頃は、誘惑禁止条例も予備知識しかなかった。
疑われたら冤罪でも一発アウトだと、脅し混じりの情報しかない。
「あまり騒ぐな。こちらまで恥ずかしい」
というイーリスも、このとき内心穏やかではなかったが、貴族のプライドで体裁を保つ。
「お前たちも領地の名を背負う留学生なのだ。堂々と、されど決して不埒なことをせず、学問を修めて故郷に役立てるのが務めだ」
「「はいっ、イーリス様っ」」
妖魔界の留学生は、人間界を学ぶために来ている。
異界開通からずっと、妖魔界のあらゆる分野には、人間界という新世界が関わるからだ。
よって彼女らの渡航は、決して男漁りなどではないのだが――
「でもイーリス様? 奥方様からは『よい出会いを逃さぬように』と……」
「ぶっちゃけ、そっちを期待して送り込まれてるところありますよね? 私たち」
男性の子種を獲得するのも、妖女たちにとっては命題だ。
学業も大事だが、より価値が高いのはどちらなのか、全員が分かっている。
「んんっ! がっついて不名誉なことにならなければ、好きにせよ」
イーリスも少し赤面しながら咳払い。
「ですが、イーリス様を差し置いて先に殿方を得てしまうのは、少々……」
「貴族と平民の暗黙了解で、平民の私たちは貴族さまの次にするのが平和かなぁって」
身分を勘案した慣習を口にすると、イーリスは言葉に詰まる。
彼女も彼女で、知っている男性は父親くらいだ。
しかもイーリスが生まれた時点ですっかり高齢で、とっくに他界している。
つまり、男性経験が非常に乏しい。
「ふんっ、軟弱な異界人に興味は無い。数が多いということは、質もそれ相応だろう」
この時期、イーリスはまだ人間界の実態をよく知らない。
妖女の観念では「男性は少ないからこそ特別」であり、多すぎる人間の男性は希少価値に劣るという印象があった。
「まあ、私に剣で勝てるほどの傑物が居れば、考えておこう」
妖魔界で言うと男性差別にこじつけられかねないことを口にして、イーリスは恋愛の話を打ち切った。
――これから数ヵ月後、イーリスはとある同級生の男子に、完全敗北することになる。
○
(イーリス様が……)
(負け、た?)
衝撃の光景だった。
妖魔界から人間界に伝わった競技、魔剣術。
剣の腕を鈍らせないためにと所属したイーリスが、ある男子と勝負すると聞いて、ヘルハとカトレインは軽い気持ちで観戦した。
騎士貴族の娘だけあって、イーリスは強い。
彼女らの故郷で騎士とは警察組織であり、そこに加わって強盗団を制圧したこともある。
男性が女性に体格で勝ると言っても、所詮は平和な国の、魔術も未発達な未開地の学生。
相手の男性が怪我をしないかどうかだけが気がかりだった。
「参った、完敗だ……」
唖然としていたイーリスが、吹っ切れたように負けを認めた。
例えば、素手で人を殺せる凄腕の軍人がいたとする。
しかし、その軍人がボクシングのリングに上がって、プロに勝てるかといったら否だ。
ルールの中で勝つ競技と、ルール無しというルールで勝つ実戦は、まったくの別物。
雪代龍斗――彼は競技という枠組みの中で、本場の騎士であるイーリスに勝ったのだ。
「ああ……ありがとうございました」
礼節に沿って挨拶した後、彼は汗を拭った。
「「……っ!!」」
その姿に、流れてきた汗の匂いに、ヘルハとカトレインは強い衝撃を受けた。
心臓が暴れだし、体温が上がり、下腹部の奥が疼いた。
――あれぞ、雄だ。
体と心が同時にそう言っていた。
妖女の本能へ、剣のように、彼のことが突き刺さった。
(強い……強い、強いっ、男の人って強いっ!)
(すごい、すごいすごい、逞しい、大きいっ!)
人間界に来てから月日が経ち、教室に男子が居る生活にも慣れてきたのに、ヘルハとカトレインの胸には、人生で初めて男を見たような衝撃が走る。
それは、単純な異性としてではなく、本能が求めるオスとの出会いだったからだろう。
妖女にとっても、男の強さは大きな魅力だ。
無くてマイナスではないが、あれば魅了される。
強い血、壮健な種、雄々しい遺伝子――メスの本能がそれを欲しいと言っている。
「大した男だ。魔剣に触れて半年も経っていないというのに……」
試合後、彼について評するイーリスの表情が、また印象的だった。
悔しがるのではなく、なにか肩の荷が下りたような微笑に、深い朱色を加えている。
「そしておかしな男だ。私が『無理をしている』ように見えたらしい――いや、そうか」
ヘルハもカトレインも知らない顔だった。
貴族、騎士、故郷の看板を背負った留学生――そんな窮屈な肩書きから解放された、弱い存在であることを許された、少女の顔だ。
「言われて強くなった女と、望んで強くなった男……その差だったのかもしれませんね」
口調が騎士から淑女になっていることに、イーリス自身が気付いていない。
「雪代、龍斗……さん……」
熱に浮かされたようなその顔は、彼女も自分たちと『同じ』なのだと、強く確信させた。
自分たちの上位者であるイーリスに勝った。
肉体のみならず精神面でも上に立った。
ボスを越えた、王様。
彼女たちの中で、雪代龍斗がそのように位置づけられた瞬間だった。
○
――あれ以来、ヘルハは彼以外を思い浮かべてオナニーできない。
どんなシチュエーションで自慰に走っても、オナペットは必ず龍斗になる。
『いやっ、離してっ!』
『いいから大人しくしろよ。この写真、バラまかれたくないだろ?』
『やめ、やめてください……』
ヘルハは校内の物陰で、古いエロ漫画を食い入るように読んでいた。
学内の妖女たちの間で回し読みされている、日本のHENTAI文化の産物である。
「えっと、ヘルハ?」
「はうわ!?」
近付いてきたカトレインの足音にも気付かないほど集中していた。
「もう、また学校内で禁書なんか読んで、見つかったらどうするの?」
「いやその、ようやく順番が回ってきて、つい我慢できずっ」
今日び珍しい紙媒体のR18コミックを抱いて、ヘルハは弁明する。
ピンクハザードから誘禁条例にいたる過程で、出版物の年齢指定が厳格になった。
電子媒体では、成人でなければ入手が難しくなっている。
すると、一周回って紙媒体が求められ、学生たちは成人からのお下がりを入手して回し読みしているのだった。
入手の難しい妖魔界では、オークションで高値が付く有様である。
カトレインは溜息を吐いて、その宝物を鞄に隠すよう手振りした。
「それ、旧時代のフィクションでしょ? しかも現実の感覚と乖離した創作物。男性との関係に役立てるには向かない資料じゃない?」
「いえ、それが、『処女なのにものの数分で何度も連続イキできる』っていうエロ漫画の特徴が妖女そっくりだと評判で」
誘惑禁止条例の影響もあり、妖女の人気ジャンルはレイプ・快楽堕ちである。
「そういうカトレインこそっ、『一般アニメでヒロインが○○されちゃうシーン詰め合わせ』なんて動画をループ再生してるくせにっ! しまいには寝言でヒロインの台詞を熱演しちゃってるくせにっ!」
「なっ、なんでヘルハが知って――というか寝言って本当っ!?」
二人はルームメイトでもある。
家賃が安く済む二人部屋では、互いの秘密がバレることもしばしばだ。
どんなディルドでどのくらい自己開発してるか言わないだけ、まだ温情がある。
「……今度、交換します?」
「う、うん。その、ちゃんと『予習』しておかないとね」
頬を染めながらすぐ仲直りする二人だった。
参考書の間違いを指摘してくれる人物が、ここにはいない。
さておき――二人が『予習』している理由は、もちろんイーリスと龍斗の関係だ。
部活を引き締めるため隠しているが、日に日にお互いの匂いをこびりつかせていることは、獣人のヘルハとカトレインに隠せていない。
ここで、妖魔界の慣習が絡んでくる。
貴族制度のある妖魔界国だと、男性は大抵、貴族の婿となる。
もちろん青い血を残すためであるが、貴族だけでなく領民にも種付けが行われる。
貴族としても領民を減らせない。子孫繁栄は男性の使命で尊い仕事だ。
よって領主に夫や恋人ができると、領内の女性たちは色めきたつ。
ヘルハとカトレインは、いま人間界でそういう状態にあった。
「イーリス様、いいなぁ……雪代くん、かっこいいもんねぇ」
「まあ、ね……」
ヘルハはうっとりとして、カトレインは口調こそ控えめだが明確に同意する。
ヘルハの両腕がエロ本を抱いていなければ、恋する乙女の絵面だった。
頭の中は、もっとすごい。
イーリスと龍斗の関係に気付いて以降、自分が彼に抱かれることを思わぬ日はない。
近くにいるだけで濡れかけるあの匂いを、顔を埋めるほど吸い込めたら……
あの重厚な声で刺激的なことを言われたら、あの逞しい腕に抱きしめられたら……
妖女の体に埋まっている性感帯の鍵盤を、あの力強い指先で演奏してもらえたら……
どうなるのかと、学友の非処女たちに問えば、赤面しながらこう答えてくれた。
『えっと、まあやっぱり、知ってるのとヤってみるのとじゃ大違いっていうか……』
『自慰とは違うよね。どう違うって? その、自転車とスペースシャトルくらい?
同じ乗り物でも規模が違うっていうか、同じ性感でも次元が違うっていうか……』
『ほら、自分でしてるとき、怖くて越えられない壁みたいなのあるでしょ? あれを強引に越えさせられちゃって、怖いんだけど、絶対やめてほしくなくなっちゃって……』
他にも、女に生まれてよかったとか、体が生まれ変わるかのようだとか。
彼のすることなすことが全て快感になって神様に思えてくるとか、快感で脳汁が出すぎてイキ地獄が天国になってしまうとか――
そんな悦楽の世界を想像していた二人は、
「あっ♡ やっ♡」
女の甘い声を獣耳で聞き取ると、自分が口を滑らせたのかと思って飛び上がった。
「「っ!?」」
顔を見合わせたヘルハとカトレインは、声の方へ視線を向ける。
校舎裏にある用具倉庫だ。
噂によると――『穴場』だという。
つまり、学校内のカップルが、どうしても我慢できなくなったとき頼る場所だ。
「「…………」」
ヘルハとカトレインは、ごくりと息を呑む。
防音魔法は使っているのだろう。しかしあれは部屋の広さに合わせて微調整しなければ、僅かではあるが音漏れしてしまう。
二人は獣人の鋭敏な聴覚で、その声を拾ってしまった。
同時に――逆方向から近付いてくる足音も。
(誰か来たっ!?)
(って、よりにもよって右馬先生じゃない……っ!)
右馬良子――日本史担当で生活指導の女教師だ。
恰幅のいい壮年女性であり、笑っていれば愛嬌があるが、いつも不機嫌そうにしている。
生活指導というその役職上、男子と妖女の不純異性交遊に目を光らせ、放課後は自主的に校内パトロールをしているので、少し煙たがられている。
(まだ聞こえてないけど、近付いたら……っ)
(盛ってるのが誰にせよ、バレて問題になると風紀の締め付けが激しくなるかも……)
ヘルハとカトレインは電光石火で思考する。
(校内でそんな問題が起きたら、イーリス様と雪代様もご関係を控えるかも……)
(そうなると、私たちにもあるかもしれない機会まで遠くに……っ)
顔も名も知らぬ用具倉庫のアベックが、ヘルハとカトレインの利益に結びついた。
そうと決まれば阿吽の呼吸、二人は同時に動き出す。
「あっ、右馬先生っ!」
まずは、わざとヘルハが大きな声で呼びかけ、用具倉庫に危険を伝える。
音漏れを防ぐ防音魔法は、外側からの音を遮断しない。倉庫内から息を呑む気配を獣人の耳がしっかり拾った。
「あら、なに?」
呼びかけられた右馬教諭は、少し驚きながらもヘルハの相手をする。
「あー、えっと、ちょっとお話っていうか――」
呼びかけたが用件までは考えておらず、ヘルハが言葉に詰まる。
代わって口を開くのはカトレインだ。
「ヘルハ、右馬先生もお忙しいかもしれないでしょ?」
「ああ、大丈夫よ。いつもの見回りだから」
右馬教諭の返答に重なって、用具倉庫の扉が少しだけ開かれる音がした。
右馬教諭から倉庫への視線は通っていないし、逆もない。しかし面倒な生活指導が近くにいるとなれば、よほどスリルを求めていない限り、行為は中断するだろう。
「見回りって?」
「ほら、まあ……男子と妖女は何かといかがわしいことをするでしょ? こうやって毎日パトロールしないとね」
ヘルハの問いに、不愉快そうに鼻を鳴らす右馬教諭。
「それはお疲れさまです。ですが、そんなに多いんですか? そういうことをする生徒」
「それはもう!」
カトレインが促すと、右馬教諭の熱弁が始まる。
甲高い声でまくし立てられた早口を整理すると――
右馬教諭はピンクハザード前から教師だった。
つまり旧時代に常識を培い、その後に妖女の到来と直面したのである。
特に、日本が異界の留学生を大々的に受け入れるようになってからは。
留学生が続々と訪れ、経営面ではウハウハだったが、風紀はボロボロ。
校内で致す男女は後を絶たず、過去に類を見ないペースで生徒が処分され、男性教師まで妖女子と関係を持ち退職者が出る。
全国的に起きたこの現象に、省庁も対策を求められ、各校に指導徹底を通達した。
この流れに乗って生徒指導の役を担ったのが、右馬教諭である。
それっぽい雰囲気の男子と女子がいれば釘を刺し、猜疑心を隠さない。
行き遅れの嫉妬だとか、屈折した欲求不満だとか揶揄されても、負けじと風紀を正す。
決して、その頃に別れた恋人が妖女の恋人を作ったことや、ネット上で噴出した反妖保守思想に触れていたこととは関係ない。
年頃の男子など猿、妖女は言うに及ばず、男性教師も信用できない。
この学校の綱紀粛正は、唯一まともな人間女性の教師たる自分に懸かっている!
そもそも恋愛やセックスや結婚や子供なんてものは(以下略)――
(めっちゃ話しますね……)
(私たちも妖女なんだけど)
割と露骨に妖女を色情狂として扱う右馬教諭に、ヘルハとカトレインは苦笑いする。
妖女=男とヤってる、なんて思い込みが本当ならどれほどよかったか。
妖魔界において大半の妖女は、百人に一人しかいない男性との接点など無いというのに。
しかしいまは、目標達成のために聞き流しておく。
(いま、用具倉庫から出て行く足音が)
(まったく、世話の焼けるんですから)
獣耳をぴくぴく動かしていた二人は、校内淫行の現場が消失したことを確認。
「やっぱりお忙しいみたいですね」
「用件はまたの機会にします」
ヘルハとカトレインは話を切り上げ、右馬教諭も「あらそう?」と引き止めない。
勤勉な教師なら、もっと相談に乗る姿勢を示しただろう。
しかし彼女は、校内で淫らな行為に耽る男女を探すのに夢中なようだ。
「絡むのは初めてだけど、噂通りの先生みたいね」
カトレインが微苦笑する。
彼女たちにとっては人間女性こそ異世界人だ。
男性が同程度いて慣れ親しんでいる女性たちの思考に、カルチャーギャップを感じる日は多い。特に右馬教諭のような、ビフォア妖魔界の世代には。
「私たちがもう少しナーバスだったら、人種差別を訴えたでしょうに」
ヘルハは右馬教諭の不用意な振る舞いに溜息をついた。
振り返ると、パトロールを再開している。
落ち着き無く左右に目を配り、窓から教室を覗き込んだり植木の陰を探ったりする彼女の姿は、あまりスタイリッシュとは言えない。
妖女は淫行してばかりだという扱いが露骨なのも含め、好印象を抱きにくい教師だった。
「はぁ、なんだか損した気分……」
「この後、なにかいいことがあると思いましょ」
などと口にしながら下校し始めた二人は、スマホの振動を感じて手に取る。
同時にメッセージを受信したのは、送り主による同時送信だった。
「イーリス様?」
「二人同時に?」
目を瞬いた二人は、とりあえずメッセージを確認する。
すると目を見開き、唖然とした表情のまま頬を紅潮させていった。
『今日、どちらかに、龍斗さんのお相手を任せる』
一番望んでいたものが、忘れかけた頃にやってきた。
ご一読いただきありがとうございます。
犬娘たちの続きです。
前置きが長くなったので分割しました。本番行為も同日更新しております。
誤字報告をしてくださった方々、いつもありがとうございます。