誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
佐野明音さんの話をしよう。
私のクラスメイトで同中、体育会系のボーイッシュな子だ。
中学時代――彼女は、妖女との戦いに敗れた。
「へぇー、ハーフなんだ。道理で綺麗だと思った」
私に対する第一印象はそんな感じだったらしい。
妖女が人間界にやってくるようになってから幾年月、私のような半妖女も年々増加中だ。
「ありがと。フル妖女さんから見ると、ちょっと童顔らしいけどね」
混血以上に多いのが、幼少期に親の都合で人間界に移住してきた純血の妖女たち。
それが教室の三分の一を占めるのだから、日本がどれだけ積極的に妖女を受け入れているかが分かる。
「妖女かぁ。そういえば妖女って人女より体が強いって言うじゃん? ハーフでもそう?」
「聞くけど、私は普通だよ。体育の成績は良くも悪くもない感じ」
佐野さんは、妖女と人女の体力差が気になるようだった。
近年、スポーツの話題があるたびに議論される。
妖女と人女を、同じ『女子』として競わせるのはフェアか否か。
「そういうのは、スポーツしてる佐野さんの方が詳しいんじゃない?」
「まあね。妖女の筋肉は『量』じゃなくて『質』が違うって言うけど、それが顕著に現れるのは二次性徴からなんだって。ちょうど私たちくらいの歳に差が出てくるみたい」
量ではなく質の違い。
つまり筋肉の伸縮率や、分泌されるホルモン、血液などにも微妙な違いがあるそうだ。
これにより、妖女は人女よりもタフな結果を出している。
ただ、妖女子と人女子を別枠にする予定は、いまのところ無いらしい。
「佐野さん、部活はもう決めたの?」
「陸上部。駆けっこだけは自慢だったから」
「妖女に勝てそう?」
「んー、そういうのはあまり考えてないよ。タイム出す競技は結局、自分との戦いだし」
嘘だな、と思った。
妖女を意識していなければ、私にさっきみたいな質問はしないだろう。
「そう。なら、部活が始まったら教えてよ。妖女は速いのかどうか」
私は、そこに少し興味を抱いた。
妖女のタイムがどの程度なのか、ではない。
妖女との競い合いに直面した人間女子の佐野さんが、どう変化していくのか。
それが、妖女と人女の間に生まれた私なりの、密かな娯楽だった。
○
「いやー、速い速いっ。妖女めっちゃ速いのっ」
最初は、興奮気味に語る感じだった。
中学になって始めた陸上、そこで目にした妖女たちの走りについてだ。
「先輩たちの走り見たんだけどさ、もう妖女系がすごくて。あーんなおっきいの揺らしてるのにエンジン積んでるみたいに爆速なんだよ? クーパー靭帯鉄製かって思ったね」
中学に上がったばかりの私たちにとって、先輩妖女は非常に大人びている。
この年頃になると、妖女はすっかり妖女らしく――直裁に言うと心も体もすごくエッチになっていく。
その変化は体力面でも表れ、陸上部の上位者はほとんど妖女だったそうだ。
「体験入部、今日までだよね。本入部は、やっぱり陸上?」
「うん、陸上にする。やっぱ走るの好きだし。人女でも妖女に勝てるスポーツ選手とか、ちょくちょく居るし」
指摘しなかったが、佐野さんは無意識のうちに、人女として妖女と競っていた。
人女が妖女に体力面で劣るということを理解した人間の発言だ。
一方で、たぶん理解しきれていない現実がある。
『人女でも妖女に勝てるスポーツ選手がいる』――たしかにそうだ。
しかしその言葉には、前提として『人女の勝率が低い』という認識がある。
つまり妖女より速く走れる陸上女子は、放送に乗るようなトップ層。きっと類稀な才能を鍛え上げた、一握りの女傑だけなのだ。
佐野さんは、それを目指すと言っている。
茨の道になるのだろうと、予想できたけど――
「頑張ってね」
彼女がそれをするというなら、クラスメイトとして見守るだけだった。
○
「妖女さんってさ、やっぱりちょっと、エッチなところあるよね……?」
私も半分そうだからか、佐野さんは遠慮がちにそれを話題にした。
「だいたい分かるけど、なにかあった?」
「いやぁ、部活の先輩たちがさ……」
佐野さんは純情に頬を赤らめながら、妖女たちの会話を再現した。
『うそっ、彼氏そんなに上手いのっ?』
『あはは、たぶん。イクのが十回を越えたあたりからはもう記憶すら曖昧でー』
『枕って使ってる? 腰の下に敷いてみるだけですっごい変わるよ?』
『枕かー、盲点だったなぁ。ローションよりは汚れなさそうだし、今度やってもらお』
『その、ここの部分がさ……最近ちょっと敏感で。衣擦れでも感じちゃって』
『あー分かるー。男がそこ好きだとこっちも開発されちゃうんだよねー』
赤裸々な妖女たちの会話を、部活終わりの更衣室で耳にするそうだ。
去年までランドセルだったような歳の子と、もうすぐ高校生になる歳の子には、経験値に大きな差がある。
学年が上がるほど、色を知る子も劇的に多くなっていくわけだ。
「そのくらいなら、まあいいんだけどさ……」
一番気になったのは、次のような発言だったらしい。
『やっぱ足腰を鍛えておいた方が、彼も喜んでくれるじゃん?』
まるで、走っている理由はそれであるかのような発言があったそうな。
「なんていうか、こう……負け惜しみじゃないけど……」
「言いたいことは分かるよ」
当人に言わせるのは酷なので、こちらから察しておく。
その妖女たちは、佐野さんよりも速いのだろう。
部活よりもセックスに熱心なくらいの妖女子たちに、走ること一本の佐野さんは、勝てていないのだろう。
たぶん、先輩たちのみならず、同級生の妖女にも差を付けられている。
「こちとら帰った後も自主練習してるのになぁ」
その間、男と別の運動をしているような子たちに、追い付けない。
相手が悪いわけじゃない、しかし納得しがたい。そんな顔をしている。
普通の人間女子であり、才覚者ではなかった佐野さんは、遺伝子の差に直面していた。
「それとも、
そんなわけあるか――と即答するのは、旧時代の常識だ。
私たちのような世代にとって、妖女とは『異世界人』ではない。
人間界と妖魔界が行き来可能であることは、生まれながらの常識だ。
妖魔界とは、船や飛行機に乗れば行ける『外国』と同じ、『別の地域』なのである。
あちらは別世界の人類である――という言い訳が、いまの女子には使えない。
同じ世界に生まれ、同じ国で暮らす、『同じ女』として、優劣を見なければならない。
自他を見比べずには居られない年頃と、妖女の居る世界が、静かに彼女を苛んでいく。
○
二年になり、クラスが別々になって、佐野さんと話す機会は少なくなった。
それでも、ちょっと廊下で話したり、下校途中に重なる帰路で近況を聞いたりしていた。
「はぁ……負けちゃった……」
「誰に?」
「部活の後輩。最初は私の方がずっと早かったのに、ちょっと先輩風を吹かせてフォーム整えてあげたら、入部から半年も経たないうちに」
相手が妖女子であることは、説明されるまでもなかった。
「やっぱポテンシャルが違うわー。兎と亀だと思って頑張ってきたけど……亀のリードなんて、兎がちょっと小走りすれば追い抜けるじゃんね」
態度だけは、まだ余裕を残しているように見えた。
そう見せかけただけで、言葉には深くて暗い敗北感が滲んでいた。
「魔力を使ったVRトレーニングでプロの動きを体感するとか? 妖女って練習の手段も色々あるみたいだし。差は開く一方だよ」
佐野さん自身も、自己ベストは更新しているらしい。
旧時代のレコードと比較すれば、好成績を期待できるそうだ。
しかし、もう大概のスポーツでは、妖女が加わったことで記録が塗り替えられている。
昔の高水準が、いまの最低水準になりつつあるのだ。
「ニュース見てると気付くよね。いまじゃ注目される競技は、妖魔界の派手な魔法競技ばっかり。興行収入もそっちに偏って、オールドスポーツはプロでも稼げないって」
人間女子に、魔力系のスポーツは成功が見込めない。
かといって人間界の競技でプロになっても将来性が薄い。
もちろん趣味でやるのもいいのだけど――趣味であるが故に、感情に左右される。
「違うことしてればよかったかなぁ……」
ついに、佐野さんはそう口にしてしまった。
生きていれば誰もが考えそうな人生リスタート願望だけど、ここでは少し意味が違う。
人女でも妖女と張り合えると証明する――そんな熱意を隠していた彼女が、どこか過去に置き去りにされてしまったように見えた。
「そっちは、最近どう?」
「ん……軽く失恋したかも」
「えっ!? 好きな人いたの!?」
「近所に住んでるお兄さん。妹扱いしかしてくれなくて」
ネガティブな体験を口にしたのは、いま振り返っても正解だったと思う。
あのとき、自分の人生が楽しいかのようなことを口にしたら、佐野さんの中で私は『あっち側』になっていただろう。
「どんな人? イケメン?」
「まあまあ。あ、内緒にしておいて。相手が社会人になったとき困る」
「あーそっかー。というか諦めてないんだね?」
「高校生くらいになってからが勝負だと思ってるから」
その日は、柄にもなく恋バナをした。
本当は、最近ちょっとだけ大人の階段を上ってきたなんて、口が裂けても言えなかった。
○
三年になって、夏が過ぎた頃。
――校舎の陰で壁を蹴っている佐野さんを見た。
「どうしたの?」
「あ……」
気まずいところを見られた佐野さんは、バツが悪そうな顔をした後、事情を聞かせてくれた。
『――優勝しましたっ! あと、妊娠しちゃいましたー☆』
陸上部の同輩である妖女子が、夏の全国大会を制覇して、そう言ったらしい。
「…………あー」
何が起きたのか、だいたい分かった。
まず言葉通り、佐野さんの同輩は全国優勝を果たしたのだろう。
その直後、自身の妊娠も報告したようだ。
珍しくも無い。それ相応の行為をしている妖女が居れば、あとは自然の摂理だ。
「妖女には多いよね。卒業前に妊娠して、進学を一年遅らせて、子供を家族に預けてから進学っていう人――」
そう、その選択は妖女たちにとって、十分に『計画的』なのだ。
避妊を怠ったとかではなく、前述の対応が可能なのが、妖魔界なのだ。
「妖魔界だと、若すぎるってことも無いみたい。子供も親戚総出で面倒見るのが当たり前で、むしろ産みの母は大任を果たしたから後は任せろってくらいに」
妖女の生殖本能は凄まじく、妖女の社会で子は宝。
妖女の体が頑強というのも、実は出産に対する強さが最たるものだという。
魔法を使って母子の健康を保ち、無痛分娩も一般的で、産後の肥立ちもなんのその。
「この際、妊娠とかはもういいよ。好きにしてよ。でも――」
また壁を蹴り始めながら、佐野さんは毒々しい形相で言葉を連ねる。
『陸上? んー、子供を産んで太っちゃったら、またやろっかな。
推薦? あれは始めから断るつもりだったよ。彼と一緒の学校に進学したいし』
今後のことを問われた妖女子は、あっけらかんと答えたそうだ。
『彼も責任取るって息巻いちゃって。授けてくれただけでいいのに。
産まれた子は妖魔界で育てるけど、休みの日は会いに行くって。えへへ』
ここは佐野さんの気持ちを想像しよう。
「ずっと、ずっと、勝てなくて……あの子が彼氏と乳繰り合ってる間も自主練習してっ。でも追いつけなかったから、泣いて諦めたのにっ!」
そんな、好敵手というのもおこがましいほど勝てなかった相手が――陸上を捨てた。
捨てたというより、最初からそんなに重んじていなかった。
佐野さんが、三年間ずっと汗水を垂らして、辿り着きたかった表彰台。
推薦入学の話があるほど嘱望された将来、才能。
それを、もういいやとばかりに、諦めた。
きっと、子供のことが無くとも、同じ選択をしたのだろう。
「私が、死ぬほど欲しかったものっ、全部持っていったのに! あんなに、あっさり!」
速さ、栄冠、そして――男。
佐野さんが青春を捧げて得られなかったものを、妖女ゆえの格安努力で手に入れた妖女。
佐野さんの胸中はきっと、嫉妬なんて言葉じゃ足りない。
「とりあえず、壁を蹴るのはもう止めよう? 人に見られて校内暴力になっても困るし」
私に佐野さんの胸中を何とかする言葉は無い。
妖女でも人女でもないポジションで傍観してきた私にできるのは、話を聞いて、ありきたりな助言をするだけ。
「人生が終わっちゃったわけじゃないんだし。卒業したら高校生だよ? 青春をやり直す時間なんていくらでもあるんだし、いつかは――」
「いつか?」
こちらを一瞥した佐野さんの瞳は、よどんでいた。
人女の自分に、妖女と同じ『いつか』なんて来るのか? と、目が言っている。
「……アンタはいいよね、妖女で」
と、辛辣な言葉を残して、佐野さんは立ち去っていった。
妖女なのは半分だけど、佐野さんには五十歩百歩だったらしい。
どうやら私は、佐野さんの中で『妖女』としてカテゴライズされ、同胞ではないものだと遠ざけられたようだ。
「その……ごめん、昨日は。あれは私がひどかった」
「いいよ、別に」
後日、頭の冷えた佐野さんが謝ってきて、無駄な禍根を避けた私も水に流した。
それでも、ちょっとだけ取り返しが付かなかった。
ただのクラスメイトだった私と佐野さんが、例えば親友になったりする機会は、すっかり損なわれてしまった。
○
そうして、現在――
高校二年生、生徒会選挙の話が持ち上がった頃。
「ええっ!? 副会長に立候補っ!? 私がっ!?」
上潟さんが会長選に立候補するとなった後、その上潟さんから佐野さんに、副会長選への立候補が頼まれた。
「お願いっ。もし私が会長になっても、意見の合わない人が副会長になると困るのっ」
そのような事情から、意見を同じくしてくれる友人を副会長にしたいらしい。
「で、でも、なんで私? 他にも向いてる子が――」
佐野さんは、その場にいた私と、下原さんに目を向けた。
私は肩を竦めて、下原さんは手を振って必死に断る。
佐野さんもすぐに諦めた。
私は部活と私生活を優先するタイプだと公言してるし、気弱な下原さんは壇上で演説することさえ困難だろう。やると言われたら逆に心配になるような性分だ。
「大丈夫っ。用意した演説を読むだけだからっ。毎年立候補者が少なすぎて、実質素通りするような選挙らしいからっ」
上潟さんに拝み倒されて、佐野さんの顔に迷いが生じる。
彼女の胸中が、少しだけ分かった。
すぐに断らなかったのは、「やってみたい」という気持ちがいくらか生じたからだろう。
佐野さんは高校に進学してから陸上をしていない。
妖女とダイレクトに競うのを止めたのだ。
それでも、気性は体育会系。
情熱の行き場を失った青春に、思うところがあったんじゃないか。
副会長――会長に比べれば挑みやすく、学生として胸を張れる成果だ。
溜め込んでいたエネルギーの行き先としては、妥当だったのかもしれない。
「……分かった。でも、当選するかは分からないからね?」
不承不承を装って、佐野さんは副会長選への立候補を約束した。
上潟さんは喜色満面、下原さんはどちらかの推薦人になることとなった。
私に対して一票以上の協力を求めなかったのは、私の半分が妖女だったからだろう。
「…………」
それはいい。気になっているのは、佐野さんのこと。
どうやら私は――人が道を踏み外す瞬間というものを、目にしてしまったようだ。
清い決意で副会長を目指した彼女だが、いかんせん『政党』が不安すぎる。
彼女はこの先、私が懸念しているものを目の当たりにして、汚されてしまうだろう。
友達なら、止めるべきだった。
――私と彼女たちは、ただのクラスメイトだった。
ご一読いただきありがとうございました。
ハーフ女子視点による人女観察の二回目です。
あれです、いわゆる不憫かわいいというやつです。