誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
問:君は不徳な人間だろうか?
例えば、DV彼氏をどう思うか。
恋人の女性に支配的で、勝手なセックスをしたり、彼女の金で博打を打ちに行ったり。
そういう不徳な人間と重なるような行動や欲求を、持ち合わせているだろうか?
無い無い、あるわけない――大抵の人間はそう答える。
問:例えば自分が権力者だったとして、不徳にならないと言い切れるだろうか?
社会的な地位でも、相手との相対的な優位でもいい。
不徳な振る舞いをして咎められず、罰せられず、その快感を享受できる。
そんな立場を得てしまったとき、自分はそんな誘惑に負けないと言い張れるだろうか。
無い、と思いたい――大抵の人間は、少し自信を失いながらも、そう答えるだろう。
望月隼樹の場合は?
「ねえねえ隼樹くん、今度この『首絞めプレイ』って試してみない? あと出すときには『孕め豚ぁ!』って言ってみて?」
「そんな陵辱系同人誌のおじさんを指差されても……」
彼女の方から鬼畜な行為を要求してきて、困っていた。
○
隼樹がミースを『豚』にしてから、一週間が過ぎていた。
以来、放課後になるとミースが隼樹の部屋を訪れ、ほぼ毎日のようにセックスしている。
当初は動物的に交わるばかりだった二人も、内容に工夫を凝らす余裕が出てきていた。
「というか、妖魔界語版なんてあったんだ、こういう書籍」
「人気なんだよーこれ。日本の店舗ではぜんぜん見かけないけど、売り切れなのかな?」
「人気なんだ……それ」
スケベオヤジが美少女を過激なプレイでボテ腹エンドにする陵辱系同人誌が、妖魔界ではベストセラーらしい。
店で見かけないのは、年齢制限のこともあるが、古めの同人誌であることが主因だろう。
「だって妖魔界の男の人ってこんなに求めてくれないんだもん。会ったことも無いけど。なんかこう、工場で作業するみたいに淡白に種付けするらしいよ?」
「なんか想像すると怖いけど……ミースさんとしては、いいの? こう、粗忽に扱われるというか、無理矢理にされるのが」
「怪我するのは嫌だけど、無我夢中で求められたらそりゃ嬉しくなっちゃうよ」
隼樹とミースは、ベッドの上で並んで横になっている。
横たわった視界の正面には、裸身に毛布を被せたミースの微笑む姿。
『豚』として着けていた目隠しは、事後なので外している。
「妖女の体はねー、業が深いんだよ? 男の人のつよーい力で揉みくちゃにされないと、一番気持ちいいところに辿り着けないの。ケダモノになった男に思い切り腰を連打してもらわないと見えない世界があるの。それを知っちゃったらもう、ね?」
ミースは隼樹の腕枕を堪能しながら、毛布の中で密着する。
小柄に見合わぬ巨乳が胸板に潰れ、下半身では瑞々しい太股が隼樹の逸物を愛撫する。
「性癖とか弱点とかもあるけど、なんといっても、男の人が本気で求めてくれるのが一番大事なの。自分の体の負担とか、プライドとか、どっか行っちゃうんだよ」
つまり、性感と生殖本能が強いのだ。
屈辱だとか乱暴だとか、そういう感情よりも「孕みたい」が勝るのだ。
「だから、人間の女さんみたく、腫れ物みたいに扱わなくていいんだよ?」
ドクッ――と、艶かしい声と表情のミースに、隼樹の心臓と陰茎が跳ねる。
「もう一回」というおねだりであることくらい、女性経験の乏しい隼樹にも分かった。
「このっ!」
「あんっ♡」
体勢を変えて覆いかぶさると、ミースは嬉しそうな悲鳴を上げた。
「えへへ、いいよ♡ 私、隼樹くんの豚さんだもん♡ 隼樹くんがシたいときには、いつでもこの体を使っていいんだよ?」
そうしてまた、彼女は隷従を主張する。
男が自分を求めてくれるように、手出しすることのハードルを低くしているのだ。
(これじゃあ、どっちが……っ)
首輪を付けているのは、ミースの方だ。
しかし、真に首輪を引かれてリードされているのは、どちらなのか。
隼樹がミースに手出しするときは、必ずミースの方が先に隼樹の劣情を煽っている。
自分の劣情を操るスイッチは、確実に彼女の手中だ。
『豚』に、支配されている。
『豚』を名乗る者に精気を搾り取られている、豚以下の何か。
だとしたら自分は――女を手に入れて男の格を上げたように見えて、実は前よりも落ちぶれてしまっているのではないか。
そんなことを考えながら、今日も劣情に導かれ、ミースの上で腰を躍らせるのだった。
○
魔力が使えるようになると、人生が変わる。
隼樹にそれを実感させたのは――『魔力通信』、電力や電波とは異なる仕組みのインターネットであった。
「うわ、すごい……」
隼樹の視界が、突如として近未来になる。
幻影魔法によるARだ。
視界にSF映画のようなホログラム画面が現れ、文字や絵や動画が表示されている。
バンド型デバイスを装着したその瞬間、見慣れた教室がSF映画になった。
「ようこそ文明社会へってな」
デバイスを貸してくれた級友の男子が、使い方を教えてくれる。
「この『fay-AI』っていうのは、AIチャットみたいなもの?」
「その機能も含めた多目的AIサポートサービスだな。fayは妖精、みんな『フェイ』って呼ぶ。デバイスは俺のだけど、アカウントは魔力波長に紐付けされてるから、いま契約して個人部屋を開いちゃえよ」
妖魔界において『妖精』とは、人工知能つまりAIに相当する。
人間界にも流通している魔力式AIとは、地球生まれの妖精というわけだ。
「部屋が開設されたら、後はSNSと同じだ。学校のローカルネットに繋げてみろよ」
「この『最寄りの共有スペース』だね。ああ、学籍番号がパスワードになるんだ……」
どうやら、生徒ならアクセスできるローカルネットのようなものがあるらしい。
すると隼樹の視界でARが更新された。
「うわ、なんか教室がすごい派手に飾られてるっ」
学校のローカルネットに存在する情報が閲覧可能になる。
それは例えば、生徒の個々人が自分の机と椅子に施したデコレーションだったり、教室の壁や天井に施されたストリートアートだったり、公開チャットの文字だったりした。
「あれ? 君、耳が……」
「おう、エルフ耳に見えるだろ? AR上だけど、こういうお洒落もできるんだぜ?」
なんと相手の視覚上に限ってだが、肌の色や耳の形状まで変えられるらしい。
クラスメイトを見ると、制服に様々な柄が入っていたり、発光する浮遊物を伴っていたりする。SF映画の住人たちだ。
「なんか皆がたまに見えないものを扱ってるのは、こういうことだったんだ」
魔力が無い人間からすると、虚空を指差して「これヤバくね?」と語っている男子や妖女をよく見かける。
知識としてARが見えているのだと知ってはいたが、いざ見えるようになると、なるほど世界が一変していた。
平日の学校風景が、まるで毎日文化祭とでも言うような賑やかさである。
「SNSのホームページみたいなの表示してる人もいるだろ? 趣味とか教えてもいいようなのはああやって開示してたりもする。話すきっかけにもなるしな」
「あ、本当だ。服にショート動画を映したりもできるんだね」
生身では校則通りの制服姿なのに、ARを加えると途端に派手だったり個性的だったり、自己表現に余念がない。
ARなので校則の『華美な装い』に相当するとも言い切れず、生活指導の対象外らしい。
「なになに? 隼樹くんもフェイ始めたの?」
と、ミースが嬉々として近づいてきた。
見ると、彼女が歩く度に、上履きからポップなエフェクトが生じている。
足音を可愛らしく視覚化したような映像効果で、ちょっとしたアクセサリ感覚らしい。
身振り手振りからも軽い発光体が散っており、妖精が踊っているかのようである。
「ああ、うん。ミースさんのそれも綺麗だね」
「はうっ。もー、これくらい普通だよー」
素で綺麗と言われたミースは一瞬顔を赤くしたが、すぐに隼樹へレクチャーを始める。
「他にも色んなのが見えるんだよー。視線を端っこに向けると設定画面があるから――」
視線を動かすだけで、視界に設定画面が開く。
まるで自分がサイボーグにでもなったかのような気分だが……
「ちょっと、目が疲れるね……」
「あ、なら視覚効果はOFFにした方がいいよ? 持ち主の魔力を使ってるから、たくさん情報を入れてると疲れちゃうの」
使用者の魔力を動力とするのが魔力通信、言うなれば『人力インターネット』である。
多用すれば疲れるし、魔力不足は体力不足のように息が短い。
「依存症対策はばっちりだね」
まだ魔力量がそれほど多くない隼樹は、ミースの勧めで初心者用の省エネモードにした。
ARがほとんど消え去り、視界の端のチャット画面くらいしか写らなくなる。
「なにー? なんの話? うちも混ぜてよ」
「聞けば望月くんがフェイデビューしたとか」
と、ミース以外のクラスメイト女子が、話を聞きつけて現れる。
(メルヴィさんと、イサミさん……だっけ?)
妖女子と、一見して日本的なハーフ女子だった。
「お、望月フェイ使えるようになったの? ならフレ登してよ」
何かと略した物言いで近付いてきたのは、メルヴィ。
オーク系妖女である。
オークといっても異世界漫画のモンスターとは違い、肌も緑色ではない。
ただ、体格と肉付きがいい。
女子にしては長身で、胸や太股のむちむち感は妖女の中でも圧巻だ。
ここまで来ると、もはや色気というより気圧されるものさえ感じる。
ARを切る前にちらっと見た限りでは、かなり派手に装飾を散りばめていた。
それをOFFにしたいまも、シャツの胸元がばっくり開いていてブラが垣間見えており、短いスカートの裾からは尻のほっぺが見え隠れしている。
「え、ええと、どうやれば……」
距離感の近いギャル系女子。
隼樹のような属性の男子には、どうしても苦手意識が生じてしまう。
「フレンド登録申請にOKするだけですよ。OKすると開示される情報量が増えます」
と説明してくれるのは、半妖女のイサミ。
外見はほぼ日本人だ。
妖女の血が入っているだけあって、顔立ちは美人でスタイルもいいけど「よく見たら」という程度に収まっている。
眼鏡を掛けた黒髪ボブカットの印象通り真面目な優等生で、メルヴィと共にミースと三人で一緒にいるのをよく見かける子だ。
「こうかな?」
メルヴィにイサミ、そしてミースからもフレンド申請が送られてきたのでOKする。
視覚効果をOFFにしていたためか、目立った変化は見られない。
しかし三人には、より深く隼樹の情報が開示されたようだ。
「うわ、望月ってば『すっぴん』じゃんっ。マジ始めたばっかだね」
「んー、派手なのは隼樹くんらしくないけど、アイコンくらい何かした方がいいかも?」
彼女たちの目には、『何も変わらない』という情報が映ったようだ。
つまり、アイコンも自己紹介も無い始めたてのアカウントが見えている。
「やっぱり、した方がいいのかな?」
スマホでやるSNSも視聴用で飾らない隼樹だが、この『フェイ』の場合はそれだと無愛想すぎるようだ。
「ええ、このままだと逆に怪しいです。まるで職業不詳の山田太郎さんです」
「それは怪しいね」
イサミの例えでだいたい分かった。
もし、服に名札を付けるような場でそんな人物がいたら、誰でも怪訝に思う。
「隼樹くん、とりあえずプリセットのから色々使ってみようよ」
「いやいや、うちがお勧めのやつ送るしっ。知ってる? アイコンとかエフェクトとかをプレゼントできるんだよ?」
「メルヴィの趣味では派手すぎでしょう。望月くんをクリスマスツリーにする気ですか」
ミースとメルヴィとイサミ、三人の女子が隼樹の机に手を置いて談義する。
椅子に座った隼樹には、ちょうど頭と同じくらいの高さに、三人のそれぞれ豊かな胸元が並ぶ形だ。
(でっか! メルヴィさんの圧倒的質量っ、イサミさんの不意打ち気味な大きさも、ああでもやっぱりミースさんの小柄とのアンバランスな……)
目を泳がせる隼樹に気付いて、最寄りの男子が小さく笑った。
「こら女子ぃー、男子の視界に胸を押し込むのは今日びセクハラだぞー」
「あ、ごめっ」
メルヴィが声を上げてぱっと離れる。
ミースとイサミも控えめに身を引いて、隼樹の視界から乳圧が薄れた。
「いや、セクハラってほどじゃ……」
「こーら、そういうのダメだよ隼樹くん。そういう『気にしないよー』な態度してると、悪い女がぞろぞろ寄ってきちゃうんだから」
ミースに釘を刺されてしまった。
自惚れでなければ、自分の男にそういう女を近づけさせたくないという、独占欲のようなものを感じる。
ただ――逆レの前科がある君が言うか、とも言いたい。
「なんにせよ、『フェイ』を使いたいのであれば、借り物ではなく自分用のデバイスを買うといいですよ。人によって魔力を通しやすい部位があるので」
イサミはそう言うと、眼鏡の縁を持ち上げる。
隼樹が装着しているのはバンクル型だが、彼女は眼鏡型、ミースはチョーカー型で、メルヴィは服の下に貼り付けたシール型だという。
「なら帰りに見に行こうよっ。いい店知ってるよ?」
メルヴィから誘いを受けた隼樹は、少し迷う。
以前から羨ましかった魔力通信が可能になったなら、デバイスは欲しい。
手の届く値段だというし、店を知っている人の案内は助かる。
ただ、ミースの手前、メルヴィの誘いにあっさり応じるのは――『豚』の関係とはいえ、躊躇われた。
「じゃあ、私も一緒に行くー」
ミースはそんな隼樹の仕草を見て、どこか嬉しそうに――あるいは満足したように微笑むと、普段通りの屈託が無い笑顔で言った。
許可された――と見ていいだろう。
「二人では不安ですので、ご一緒します」
真面目枠のイサミも申し出てくれたのはありがたい。
「じゃあ、せっかくだからお願いしようかな……」
女子三人に男子一人――隼樹でなくとも気後れする寄り道だ。
それを断らなかったのは、『フェイ』が欲しいという気持ちが勝ったのか、ミースが一緒だったからか、それとも異性への耐性が付いたのか。
「じゃあ、放課後にね」
予鈴が鳴ったので、ミースたちが自席に戻っていく。
「ありがとう、これ返すよ」
「ああ、新しいの買うまで使っていいぞ。それ予備の予備だし」
級友の男子に借りたデバイスを返そうとすると、気軽にそう答えられた。
「いいの? というか、三つも持ってるの?」
「意外と安いし、小さいから落としたり無くしたりしやすいんだよ」
デバイスに個人情報が残らないよう作られているらしく、値段も手ごろなので、傘感覚で貸し借りできるものらしい。
「それに――授業中、退屈しなくなるぞ」
級友が意味深に笑ったとき、教室に先生がやってくる。
退屈しないという言葉の意味は、すぐ理解することとなった。
○
【隼樹くん、見てるー?】
授業中、板書していた黒板に重なるようにして、チャットの文章が視界に表れた。
送り主はミースとなっており、思わず目を配ると、少し離れた席に腰掛けるミースが指を唇に当てて沈黙を促している。
【念話機能のプライベートチャットだよ? 隼樹くんもやってみて】
視界の端に映る、ツールバーのような部分に、それらしいアイコンがあった。
【こrえでいいno?】
文字化けのような現象が起きた。
キーボードを視線と瞬きでタイピングするような難しさがある。
【慣れればすぐだよ。あと、キャプチャー機能を使えば板書もあっという間だよ?】
視界のスクリーンショットまで可能らしい。
試してみると、目を凝らした黒板の内容が画像データと化した。
写真と違って、目の焦点が向いていない部分は不鮮明になっている。
(妖女子が板書に熱心じゃないのって、これがあったからなのか……)
男子にも多いが、魔力の有無によってノートの取り方が違うことがある。
記録用の板書はキャプチャーで済ませ、講師の語る要点を頭に入れながら、改めてノートに書き出す――という手法で勉強しているらしい。
ノートには板書のように覚えるための入力用と、頭の中を整理するための出力用があり、前者だけより後者までやった方が修得は早い。
ノートに対してARの図解やイラストを加えるアプリもあるらしく、ただペンを走らせるよりも脳を刺激しながら勉強しているのだそうだ。
これを知らないと、『妖女はろくに板書せず雑なノートに落書きをしている』などという誤解がしばしば起きるという。
【便利だne】
ミースに返信する。どうにか解読できる範疇にはなった。
【オープンチャットもできるんだよ?】
促されてチャット機能をいじってみると、教室内の生徒たちの頭上にコメントが出現。
誰のコメントなのかが視覚的に分かるようになっている。
【ペンのインク切れそう】
【貸そうか?】
【助かる】
そのようなやり取りの後、妖女の一人が教師に隠れてボールペンを放り、別の妖女が音もなくキャッチする。近くの人女子が怪訝な顔をしていた。
【カンニングに使う人が出そうだな……】
ふと思い浮かべた感想が、気が付けばコメントとして入力されていた。
なるほど、文字単位で思い浮かべるより、頭の中で音声入力する感覚がいいらしい。
【そこは大丈夫だよ。テストとかの時間は学校側からブロックできるから】
チャットの形式次第だが、場所の権利者が通信を制限することが可能らしい。
学校側も魔力通信のことは認識しており、授業中は黙認だが、テスト期間中は通信制限を掛けているのだそうだ。
【範囲を広げれば、隣のクラスや上の階のも見えるよ】
促されるまま試すと、黒板の向こう側にもメッセージが透けて見えた。
目を凝らすと拡大されるそれは、隣教室の生徒たちがしている通信内容だ。
【前の教室うるせーな】
【唾掛けババアまたやってるよ】
黒板の手前にいる男子がそう言っている。
確かに、壁越しに隣教室から講義の声が漏れ聞こえている。
やや甲高い女教師の声だ。
熱心に授業をしていれば起きることだが、漏れ聞こえる声に耳を傾け、隣教室の生徒たちのコメントを見ると、妙な雰囲気に気付く。
『このように、日本では古くから家父長制が罷り通っており――』
なんだか耳心地の良くないことを説いている女教師の声。
聞き覚えがある――日本史の右馬教諭だ。
【明治維新の話をしてたはずなのに、いつの間にかジェンダー論が始まったんだが】
【おいどん文明開化の話が聞きたいでごわす】
授業中に魔力通信をする程度には魔力があって不真面目な生徒にだけ聞こえる、内緒話。
魔力もデバイスも持っていない人間には見ることのできない、『授業のコメント欄』だ。
【指摘するなよ? 絡まれて面倒になるだけだから】
【テストに出すとこ巻きでやってこれだよ】
【もう日本史の授業じゃねー】
隣教室の生徒たちによるオープンチャットは、辟易とした言葉が多かった。
【もうオンライン授業用の動画見てるわ】
【みんな真面目に聞いてるふり上手過ぎな】
【にしても声デカな上に早口だな。聞かせる気あんのか】
どうやら右馬教諭は授業を脱線した話をしているようだ。
教師あるあるだがそれも内容次第。織田幕府が成立したIF歴史ならまだしも、テストに出ない大昔のジェンダー事情では、興味をそそられない生徒も多い。
【後ろの教室聞こえてるか? 次はお前らの番だぞ】
【もうそっちの板書済ませたわ】
【教師が思想教育しちゃダメだろ】
【政治思想じゃないからセーフでゴリ押すんだよ】
二教室の前方と後方で、壁を越えて雑談するコメントすらある。
(そういえば、あの先生はそっち系だって、誰かが言ってたっけ)
隼樹もそれなりに電子の海を泳いできた。
男が女がうんぬんかんぬんな界隈のことも、基礎くらいは履修している。
反妖保守――呼び方は色々あるが、どれも妖魔界との『開通』から生じた思想だ。
日本に限らず、世界には妖女という『界外人』が流入している。
移民などで外国人が急に増えれば起きるのが、ナショナリズムの昂ぶりだ。
妖魔界におもねる政治を問題視し、変革していく社会を懸念する、保守層が増加した――
【まーた妖女を狙って質問してる】
【あっさり答えられてて草】
【暗記は睡眠学習で十分なのよ】
【なんでそう思ったの? と来たか】
対妖魔界の保守層には、人間女性が多い。
同じ女性でありながら、性に関して全く異なる観念を持つ妖女への抵抗感が主因だろう。
特に感情を露にしたのは、商売上がったりになった性産業――古くはキャバ嬢から個人の路上売春まで。
また、急速に夫候補を減らされた婚活女性や、夫を誑かされた末に離婚となった元主婦、ジェンダーに関する社会改革を訴えていた識者や女性政治家も、同様だったという。
妖女という――見目麗しく、性欲が強く、男が希少で、ハーレムが大前提で、働き者で、『何もしなくても常に膣が湿潤しており、処女なのにものの数分で何度も連続イキできる特技を持った女性』が――あろうことか世界の多数派になったのだ。
美人とセックスは実質無料、人女より妖女と結婚した方が人生安泰、女性の収入も起業も管理職も妖女が値を爆増させてくれたのでもう予算はいらないね――
それでは困る界隈が、災害を察知したネズミの大群の如く、『保守』の看板に集った。
『女性』で男に何かさせる方法から、『保守』で妖女を追い払う方向にシフトしたのだ。
【おい、逆質問したぞ】
【当時の封建社会がいまも残っているなら、幕末から明治にかけて加熱した異人の排除も継続しているのか? って、皮肉るねぇ】
【少なくとも一人、異人嫌いが教鞭をとってるな。薩摩藩士か?】
【『昔のこと』、そりゃそうだ】
【家父長制も昔のことなのでは? 当然聞かれるよな】
【『授業と関係のない質問には答えられない』ってwww】
【お前が授業中に始めたご高説だろ】
【歴史的事実が無関係な日本史の授業とはこれいかに】
――結局、大義名分はなんでもよかったのだろう。
かつてSNSに散見されたエセ男女同権論者は、もうその看板を下ろした。
代わりに保守派を標榜するようになり、以前とあまり変わらぬ活動を続けている。
具体的には、男性と妖女の性交と成婚にやたら噛み付いたり、自分たち人間女性は社会に虐げられていると事あるごとに訴えたり、妖女を持ち上げるような番組やCMがあったら炎上させ、男性と妖女がいかに下賎であるかを語り合っているそうだ。
中にはネットの公開陰口に留まらず、実生活でも露骨に口走り、問題を起こす者もいる。
男子と妖女子に当たりが強く、人女子の成績だけ不自然に吊り上げ、授業を脱線して人間女性がいかに弱者であるかを過剰に刷り込もうとする――とある女教師のように。
こうした現象を指して、あるネットユーザーは言った。
『ツイフェミとネトウヨの悪いとこだけ合体した現代の妖怪』――と。
【ほら見ろキレ散らかした】
【『どうせ魔法で覚えたんでしょ』ってwww】
【誰だ最初に笑ったのは、つられたじゃねぇか!】
【睡眠学習までしてきた勤勉な学生にこの扱い】
【お腹いたいwww】
【どこがカンニングやねん。覚えたの教科書だぞ】
【前の席、唾飛ばされてかわいそ】
【『Qに日本史わかるはずない』って、言っちゃったよコイツ】
【録画しといてよかった】
【教科書もう丸暗記しちゃったんだが、マジ時間の無駄】
【珍獣との触れ合い体験(必須科目)なんよこれ】
隣教室からドッと笑い声が聞こえたと思えば、多数のコメントが乱舞した。
(……最近の授業は刺激的だなぁ)
思想の強い右馬教諭は、扱い慣れた生徒たちからは芸人扱いされているようだ。
しかし、隼樹が気になったのは――
【睡眠学習なんてできるの?】
【できるよ。暗記だけならだいたいそれで十分なの】
魔法の中には、寝ている間に知識を覚えるというものもあるらしい。
ミースも予習復習くらいの感覚で使っているそうだが、話を聞くに教科書を丸暗記できるほどの効率を誇るようだ。
欲しい。それは学生として是非とも欲しい。
魔力不足な人間からするとズルいくらいの、人権スキルと言ってよい。
それで百点満点とはいかないだろうが、暗記系に割く時間は大幅に浮くことだろう。
【でも魔力が少ないと睡眠の質が落ちちゃうから、まずは魔力作りからだよ?】
美味いことばかりではない。
魔力というスタミナが無ければ魔法も使えず、スタミナ不足は練習不足となる。五分間で終わる睡眠学習では
(逆に言えば、魔力を鍛えれば……)
つまり、このままミースとの関係を続けていれば――と考えた隼樹は、不埒な想像が脳を過ぎって首を振る。
そんな隼樹の様子を見ていたのか、頭の中まで察したように、
【だから――今日も頑張ろうね?】
個人向けのメッセージと共に、画像が送られてきた。
「っ!?」
声を出しそうになるのを寸前で堪えた。
下着姿の自撮り写真だった。
もはや見慣れつつあるミースの裸身が、大人っぽい黒下着に包まれている。
写真にして改めてみると、小柄なのに豊満なトランジスタグラマーで、そこに黒下着。
あまりに扇情的な姿を見て、思わず下半身に血が集まりそうになる。
「…………」
できるだけ怪しまれないようにミースを一瞥すると、彼女はくすくすと笑っていた。
その手はさりげなく、スカートの上から、下着のラインを指でなぞっている。
――いま、着てるよ?
魔力通信なんて無くても、ミースの言葉が聞こえてくるようだった。
思わず顔が熱くなり、下半身はちょっと椅子から立ちにくい状態になる。
(帰りに、自分用のデバイス、買っておこう)
先生に当てられないことを切に願いながら、隼樹はそう決心するのだった。
――その日の『黒豚』は、一段と美味しかった。
ご一読いただきありがとうございました。
非エロで恐縮ですが、級友編の豚さん組でした。
新ヒロインはとりあえず顔出し、次話以降をご期待ください。