誘惑禁止条例 ※性犯罪被害は条例違反にあたらない 作:大中小太郎
下原恵理さんの話をしよう。
彼女とは中学からの付き合いだが、引っ込み思案な彼女との接点は薄かった。
客観的な事実として言うと、彼女は太っちょである。
顔立ちは日本人基準で平凡普通、趣味はオタク系とネットゴシップを少々。
責められることではないけど誇らしくもない、普通と言えば普通の人間女子だった。
「下原さん、SNSやってる?」
「えっ!?」
「私、ROM専だけど、よかったらフォローしたくて」
「あ、うんっ。いいよっ。私もROMだけど、ちょっと待っててね……っ」
彼女を観察するなら、実体よりも電子の方だと直感した。
妙に焦った反応を見るに、直感は大当たりだった。
(アカウントを切り替えてる?)
失礼を承知で一瞬だけ覗き見たスマホ操作。
それは、いまログインしているSNSに、別のアカウントでログインしなおす作業だ。
私も大概、趣味が悪い。
垣間見てしまった、切り替えられる前の画面を、しっかり覚えてしまった。
「はい、これなんだけど」
「待って、名前で検索する――あった」
下原さんの見せてくれたSNSプロフィールは、いたって当たり障りのない視聴用だ。
フォローの対象は動物やお笑い動画で、心の健康に良さそうである。
それだけに、怪しい。
誰に見られても困らなさそうな趣味が、偽装っぽい。
人間誰しも、衆目に晒すには適さない趣味のひとつやふたつあるものだ。
こっそり傾倒している思想だとか、エッチな動画のフェイバリットジャンルだとか。
それを隠すために、やれ読書だとか動物好きだとか、非の打ち所が無い趣味を被せる。
なぜ言い切るのかと言えば、私も同類だからだ。
級友の裏アカを特定して、何も言わずROMし続けるなんて――いい趣味とは言えない。
○
帰宅した後、下原さんの裏アカを閲覧してみた。
【☆上海えりりん☆@聴覚過敏】
【守女。媚妖政治を許さない。性病予防。拒食症気味。反AI、反ルッキズム。魔力差別、魔法犯罪、騒音問題、人女蔑視を撲滅せよ。amour】
プロフィールには、そのような文言がずらっと並んでいた。
(こ れ は ひ ど い っ)
必要があるか分からないけど、一個ずつ説明しよう。
先ず『守女』とは、保守派女性のことだ。
妖魔界との開通から急速に増えた反妖保守思想、それを持つ女性が名乗るときに使う。
少なくとも当人たちは、自分を『ただの保守層』と定義しているのだ。
保守思想とは別のものが主軸になっている者が散見されており、他の保守層からは一緒にするなと毛嫌いされている。
次に『性病予防』とは、男性とセックスしないという意思表示である。
妖女には危険な性病があるというデマを、デマとはっきりした後も、『性病予防』という言葉に置き換えて受け継いでいるらしい。
私は男性に言い寄られていないわけじゃないんだ感も強くて、お勧めしないワードだ。
AI・ルッキズム・魔力差別・魔法犯罪・騒音問題の撲滅を訴えるのも、反妖思想の持ち物チェックみたいなもの。
容姿、魔力AI、魔力の多寡は、妖女や男性と比較して人女が不利になるものの代表例。
魔法犯罪は『誘惑』を始めとして、妖女と魔力持ち男性が加害者になりがち。
騒音は……まあ、近所から妖女の悩ましい声が聞こえない夜は無いということだ。これを訴える人女は、なぜか高確率で聴覚過敏を患っている。
こういう環境を、彼女らは『人女蔑視』と総称する。
妖魔界との開通以来、人間女性は暗に露骨に蔑まれ無視され透明化されているだ――と。
つまり、人女が妖女や男性を叩くときの文言が役満だ。
いやそれにしても……拒食症気味とは知らなかった。
私の知る現実の下原さんは飽食に見えたけど、人体の神秘は侮れないものだ。
あと、最後にフランス語で『愛』と付け足した意味は、頭を捻っても分からない。
(SNSを始めた時期は……中学二年の頃かぁ)
始めた当初から変化はしているだろうが、辿り着く先がここか――
ドライだと言われがちな私にだって情けはある。
この『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんと下原さんの関係は、札束を詰まれても口を割らないと神に誓った。
○
(最初は、漫画やアニメの感想くらい)
始めた当初は、普通オブ普通だった。
妖魔界との開通で飛躍的に拡大した市場のひとつ、日本の代名詞めいたサブカルチャー。
ただ――人間界と妖魔界が結ばれた昨今のフィクション事情は、普通じゃない。
分かりやすい問題は、『作品に妖女が登場するか否か』。
例えば、妖魔界が知れ渡る以前から連載しているような作品。
最初から別世界を描いたものや、時代劇とかだったら、そのままで問題ない。
その手の作品も『人間界の貴重な資料』として、妖魔界にファンを増やしている。
問題は、国内向けの現代作品。
例えば、流行語を用いるなど時代と同期している現代モノには、時代の激変を反映するか否かが問われる。
その問題を顕在化させたのが、とある作品の炎上事件。
長く親しまれてきた少年漫画に、妖女が登場し始めたこと。
伊達男が多く登場することで女性ファンも多かった作品で、キャラの一人がこう言った。
『やっぱり妖女さんは綺麗ですね』
たった一コマ、社交辞令レベルの台詞だった。
それを口にしたのは、女性人気でトップを競う男性キャラ。
……爆発炎上だった。
【なんで妖女を出した。世界観が壊れる】
【ガラケーがスマホになったり、時代の変化は反映してきた作品だろ】
【犯人役の人間女性を明らかに不細工に描いてる】
【犯行動機が嫉妬心のこじらせなのだから妥当】
【彼はこんなルッキズムなこと言わない】
【人間女性を褒めたときは何も言わなかったのに】
【作者ぜってーQとヤってる。グロい。吐きそう。○ね】
【作者さん女性だよ】
燃料は元からあった。
この頃には既に、男性と妖女のカップルがごろごろいたこと。
長寿作品であり、女性ファンがそれなりの年齢であったこと。
人間女性の中に、妖女に対する劣等感や異物感が募っていたこと。
それはさながら、ガスの充満した部屋で起きた静電気である。
一大論争、勃発。
激した女性ファンが文字の暴動を起こし、作品を守ろうとしたファンが応戦し、騒ぎを聞きつけた読者以外から揶揄や屁理屈の矢が飛んで、事態は剣林弾雨の大戦争。
振り返ればそれは、表には出さずとも、妖女にコンプレックスを抱いている女性が数多く潜伏していたことを明らかにした事件である。
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんは、その一員だ。
この漫画炎上をきっかけに、反妖関連へのアクセスが増加していく。
(漫画の炎上に前後して、失恋ソングのMVを何曲かブックマークしてる)
順当に考えれば、失恋してしまったのだろう。
好きだった人に妖女の恋人がいたのか、面と向かって振られたのか……
どちらにせよ、タイミングが悪かったようだ。
(紹介投稿やブクマに、反妖関連のものが急速に増えてる……)
傷心を埋め合わせるように、彼女は反妖女界隈の刺激的な投稿を摂取し始める。
○
========================================
【十代に知ってほしい近代史。日本を壊したのは妖魔界という黒船と日本男のチン政治!
1:玉無しの日本おじが妖魔界軍に腰を抜かしてあっさり開国。
2:Qが性病を撒き散らし、製品を買い上げて物価上昇、女性失業者多数。
3:ハニトラされた政治家が媚妖政治を急進、国家が下半身脳になり現在の地獄絵図】
========================================
妖魔界開通からの変化をリアタイで見ていた誰かによる、悪意ある要約だ。
ひとつひとつが多面的な歴史上の出来事を、悪し様にピックアップしている。
日本が妖魔界と国交を結んだのは、緊急の国際会議を経て他国と足並みを揃えてのこと。幕末の開国とは似ても似つかない。
妖魔界に由来する病などはあるが、妖女が性病を蔓延させたという事実も無い。
地球の十倍規模という妖魔界が人間界の製品を求めたことで一次的な品不足は起きたが、物価上昇の主因とまでは言えない。
その時期に妖魔界と戦争になった国があり、それによる資源・飼料価格の高騰が主因だ。
女性失業者については、セクシー種族の到来による性産業不況を食らった夜職系の女性が声高に叫んだだけで、一般職の失業者が女性に限定して増えたという記録は無い。
政治家に対するハニトラも陰謀論の域だ。
国民生活では『ピンクハザード』と呼ばれるくらい男性と妖女が乳繰り合ったそうだが、不倫が政治生命を脅かす政界で同様の現象は耳にしない。
妖女を愛人にした政治家のジジイはいただろうが、当時の政策決定を振り返ってみても、日本政府は内政干渉を拒む姿勢をとっている。
当時の国際社会は、大国が自陣営の国を異界側へ引き抜かれることを強く警戒しており、情勢の急変を嫌った日本は、同盟国との距離を保ったのだ。
しかし残念ながら、彼女たちの脳内では、これが『正史』になっているらしい。
========================================
【HNTIは実在します! ネットミームとされているのは偽装工作です!
妖魔界から流入したウイルスによる被害が世界中で報告されてますが、世界保健機構は妖マネー欲しさに認めていません。NOキス、NOセックスだけが生き残る道!】
========================================
さて、これは聞き飽きたような、妖女保菌者論だ。
異世界から来たウイルスでパンデミックが! という不安は、まあ理解できる。
実際は、『異世界でも同様に活動できるウイルスは多くなかった』という、それはそれで納得できる理由で、極端な感染拡大は起きていない。
正直、風邪の種類が一個増えたとか、そんな程度だった。
性に奔放な女性を病気持ちの売女と罵る、古今東西よくある行動が文言を変えただけ――と、世間には認識されている。
反妖界隈はこれを経て、『男と性交渉をしないのは賢明なのだ』という、妙に独身女性の異性と無縁な日々を肯定するような『予防』を訴えている。
悲しいかな、幾つか存在する妖魔界由来の病は、その予防法では防げないものばかりだ。
ちなみにHNTIという架空病の語源は――ただの『HENTAI』である。
========================================
【Qによる犯罪が増加。下半身を握られた警官は完全スルー。
発表されている犯罪件数は操作されている数字です。詳しくはこちらの動画で――】
========================================
陰謀論者の解説にも飽きてきたから、別の動画の話をしよう。
――妖女が移住しているのは日本だけじゃない。
大抵の国には、例えば日本なんかより人種差別が顕著な国にも、妖女はいる。
例えば、アメリカで口論している人女と妖女の動画があった。
人女は相撲取りみたいな黒人の大女で、妖女はドワーフ系の小柄な美少女。
差別用語を繰り返す大女に対し、ドワーフは比較的まともな文言で反す。
それを見かねた関係者らしき男性が間に入ったとき、事件は起きた――
大女が男性を引っぱたいたのだ。
その男性を巡る痴情のもつれだとすれば、起きて然るべき光景かもしれない。
しかし――妖女はその光景にキレた。
妖魔界の価値観においてそれは、男が女を殴ったに等しい暴挙だからだ。
その後の展開は、まるでアメコミ。
念力系の魔法を使ったのだろう、小柄なドワーフが大女を重量挙げのように持ち上げる。
体重差が四倍はありそうな肥満体を、実は風船であるかのように。
背中側を掴まれたジタバタ暴れる大女は、「頭から叩き落されたいか!?」という趣旨の脅しを受けると、青褪めながらもビッチビッチと罵倒する。
ドワーフはそんな大女を、近くの川へと投げ込んだ。
まるでプロレスのように歓声を上げる野次馬たち、ずぶ濡れになって川から上がる大女、男性の腕を抱いてその場を立ち去るドワーフ――という光景で、動画は終わる。
『痛快だ』
『危険だ』
動画のコメント欄は二つに割れた。
前者は言うまでもないインスタントカルマとして、後者は『魔法』の怖さに対して。
妖女は人女より体が丈夫だというが、それは男と女ほどの落差ではない。
真に恐れるべきは、妖女が魔法を使えること。
そこらの肉体労働者でも念力を操り、嗜みがあれば素手で電流を放ったり、幻覚を見せたりすることもできる。
……男性による性犯罪を受けがちな妖女が、いかに満更でもないか分かる話だ。
こうした妖女に怯えたのは、男性よりも人女の方だ。
先の動画は、『妖女は人女に容赦しない』ということを証明している。
多くの女性は、なんだかんだ言って、女性が男性をビンタしても右ストレートで反撃されないものと思っている。
妖女は違う。
魔法込みで考えれば男よりヤバい脅威が、自分を庇護対象と見なさない。
人女にとって、妖女とはそういうプレッシャーを伴うものなのだ。
たぶん『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんにとっての妖女は、見た目こそ美少女でも、ピアスを空けてタトゥーを入れたゴロツキ女くらい怖いのだろう。
……一見、深刻な問題であるかのように思えるかもしれない。
でもそれは間違いだ。
そんな恐れ、信頼関係ひとつで解消される。
平凡な女性が平凡な男性と接するように、平凡な男性が拳銃を持った警官と話すように、暴力の気配がそこに無ければ何も起きない。
そういう、赤の他人同士でも成立する関係があれば、魔法使いもただの人間。
反妖界隈を構成する人女さんたちは、その平凡な現実を直視しない。
========================================
【Qを連れてるオスって、なんですれ違っただけで「お前も俺とヤりたいんだろ?」的な顔でこっち見てくるの? 一緒にすんじゃねぇよ股腐れ】
【これ薄々と感付いてる女性も多いだろうけど、Qは人女にオスを産ませたがってるんだよね。自分たちの欠陥卵じゃ男児できないから。だから人間界にピンクテロして人女にも股を開かせようとしてる。でも人女には逆効果。どうぞそのまま絶滅あそばせ】
【近所のカップルのセックスがうるさい? それ性暴行予告です!
Qカプはわざと聞かせて興奮させようとしており、いずれ盗み聞きの難癖をつけてきて3Pに誘ってきます! しっかり記録して警察か弁護士に相談してください!】
========================================
…………突然だが、色情症というものがある。
本来そう解釈しえない異性の行動を、自分への性的アプローチだと曲解しては被害意識に襲われ、セクハラだ訴訟してやるなどと騒ぐことだ。
大抵、言い寄られている女性なら出るはずのリアリティある体験談は不足している。
ただ過ごしているだけで男に言い寄られたことになり、それをフってやったことになり、結果その相手は不幸せということになる――魔法の呪文だ。
声高に訴えるマイナス体験の裏で、なんだか『女の自信』とかそういうものを手放さず、昂ぶらせているように見えなくもない。
(典型的だなぁ)
長々と目を通したおかげで、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんの情報食生活が見えてきた。
妖女は危険である。
男性も引き続き性犯罪者予備軍である。
私たちの住み心地の悪さは、妖女と、それに篭絡された男のせいである。
セックスをしないのは防疫である。モテないのではなく安全確保である。
収入が少ないのは性別と魔力の差別構造によるものである。
愚かな社会に気付かせるために、私たち賢明な女性は今日も必死にスマホをポチポチして声を上げるのだ。
――心の生活習慣病を患うことは、想像に難くないレシピである。
いつの世も、およそ負け犬の耳に心地よい話ほど、真に受けるべきではないものだ。
○
(アクティブになったのは、高校に入ってから……)
ある芸能ニュースがきっかけだった。
――有名アイドルの結婚発表である。
アイドル業界について触れておこう。
男性の手元に妖女というアイドル級美少女が現れた結果、擬似恋愛を売りにしたような、キャピキャピの女性アイドルは数が絞られた。
衰退というよりパフォーマンス重視に方針を変えて、より『芸能』を重視している。
それとは対照的に、女性向けのイケメンアイドルは爆上げだ。
妖魔界という、人口は地球の十倍で男性は1%という市場が現れれば、さもありなん。
しかし大きな変化として、『恋愛禁止は人権侵害』という認識が生じた。
これは妖女たちの生活風習に由来しており、相手が既婚男性でも思慕は損なわれない。
一方で、人女のアイドルファンには、旧時代から存在する強火な層がいる。
男性の目が妖女に向いたのも一因か、推しを自分だけのものと思い込みたいファンが数を増しているらしい。
売り手は選択を問われる――どちらを重んじるか。
答えは明白――より人口の多い市場を優先するのがビジネスだ。
芸能業界のダーティな印象を緩和する狙いもあり、アイドルの交際や結婚は不倫でもない限り口出ししない。
それに基づき、ある人気アイドルが、おめでたい報告をした。
……お相手は、当然のように妖女だった。
【え? なんで? 待って? わかんない】
【なんでこんなことするの? あんなに夢中にさせてからなんでファンの心を壊すの?】
【誘惑案件だろ絶対。警察動けよなにやってんだよ】
さあお立会い、信者たちの阿鼻叫喚。
まるで恋人をビッチにNTRされて脳が破壊されたかの如し。
幸せならOKです! 人夫になって色気増した! という妖女ファンとは対照的に、人女ファンは荒れ模様だった。
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんはどうだったかと言うと――
(なんかグッズをゴミ箱にぶちこんだ画像を投稿してる……)
察するに恋愛的な成功が無かった中学以来、ずっと自分を支えてくれた推しの結婚。
そういえばこの頃にはクラスメイトだった下原さん、いつの間にか鞄にアイドルグッズを装着しなくなっていた。
(水臭い、クラスメイトなんだから相談してくれればいいのにっ。
当たり障りの無い相槌だけ打って、根掘り葉掘り話を聞いてあげたのに!
ああなんてもったいないっ。推しを妖女に奪われたドルオタ喪女JKの叫びをリアルに聞ける絶好の機会だったのに!)
おっと、失礼――
(そういえばこの頃、分断されたファンの間で妖女論争が激しかったっけ)
推しの結婚は、ファンたちの人種間対立と熾烈な内戦に発展した。
なんでやねんと思うかもしれないが、戦争なんてきっとこんなものだ。
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんがデビュー戦を迎えたのも、この戦争だった。
========================================
【反妖女を見てて感じるのは、妖女に男や仕事や注目を奪われたストレスが露骨な割に、「もっと成長しよう」ではなく「私たちは弱者だぞ!」と喚き立て、男に当たり散らしてなんとかさせようとするメンタル。そんな偉そうな物乞い、恋人にも友達にもせんわ】
========================================
ファンの内乱から発生した、人女と妖女の比較論評だ。
投稿者は、こういう野良討論会をよく開くことで知られた人物である。
要約すると「磯野ぉー、レスバしようぜぃ!」といったところだ。
下原さ――いや『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんは、その挑発に乗ってしまった。
【は? 男や仕事や注目ではなく、税金を盗まれてることを非難してるんですが?
事実婚控除とか婚外児支援とかいう政府公認の愛人制度に、私たちの税金を使うなって言うことの、何が嫉妬なんですか?】
ずっとROMだった彼女の初レスバ。
初口撃は、反妖界隈でよく使われる論調だ。
妖女と国際結婚する男性の急増により始まった制度で、正妻とその子供以外も、税制上はそのように扱うという制度改革である。
名目上は一夫一妻の日本が、事実上の一夫多妻を認めたとして物議になったそうな。
これに税金が使われるなんておかしい! と、反妖界隈は合言葉のように叫ぶのだが――
【盗むもなにも、あなたが挙げた制度は『控除』だよ? 税金は使われてないの】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さん、初手から知識の大間違いを指摘されてしまった。
【それに、いま国の税収で重きを占めるのは、妖魔界との貿易や魔法産業に、妖女たちの経済活動だよ。これはもう人女の生む税収を越えてる。『私たちの税金』じゃねえだろ、低額納税の人女こそ、男や妖女からの税収による社会サービスにおんぶしてんだよ】
投稿者は、自ら喧嘩を売っただけあってレスが速く鋭い。
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さん以外にも、同時に複数の人間とレスバしている。
たぶん、魔力式AIで処理力を上げているのだろう。大立ち回りだ。
レスの内容は暴論寄りだが、一抹の説得力がある。
同じ納税者でも、納税額が低額なら大株主ではない。
妖魔界に関係した税収を妖女の暮らしやすさに還元して、更なる税収に繋げる政策には、単なる集金とは異なる投資として、ひとつの筋が通っている。
【だいたいその『愛人制度』って、人女でも恩恵を受けられるんだけど。反妖界隈がその制度に不勉強のまま叩くのって、結婚っていう制度と無縁な人生だからじゃない?】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんより他の観客に響きそうな反撃だ。
引き際だったと思うが、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんは抵抗を続けた。
【そもそも、人女が妖女に負けてるなんて気持ち悪い勝者意識で語り出すの止めたら?
口を閉じて一人で悦に浸ってればいいのに】
【だって反妖人女さん、弱者とか被害者とか負け犬ポジションになりたがるじゃん。
かわいそーな敗者になるのが基本戦術なのに、いざそう扱われると喚くのダサくない?
そんな醜態を自覚できない人が居たら指差したくもなるよ】
これは、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんの回答が良くなかった――
アンサーを受けた後、明確に話題を変えるのは、カウンターで怯んだのと同じ。
別の角度で相手を追及するならまだしも、感情のぶちまけは悪足掻き感が強い。
その感情論すら痛烈に返されてしまって、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんのレスに時間が空く。
【そもそも妖女は犯罪率が高い。治安最高だった日本の秩序を明確に乱してる。そういう危険な奴らを受け入れないのは当たり前だろ】
「そもそも」を繰り返す論調は無限後退を招くので感心されない。
つい昨日まで「日本は性犯罪大国」という物言いだったのに、急に「治安最高」と言った点にも疑問符は付くが、置いておこう。
主題は妖女の犯罪率――
外国人の増加による治安悪化は、保守層の主武装だ。
これに対する投稿者のアンサーは、
【法務省の公開してる統計では、ここ10年の犯罪率は右肩下がりだよ。
妖女の移住が増え続けて減少傾向なのに、『妖女は犯罪率が高い』ってどこデータ?】
リンクを張ってデータを提示した。
たしかに、トータルの犯罪件数は減少。刑法犯に絞って見ても、グラフでは認知・検挙数ともに下り坂で、検挙率は増加している。通報と取り逃がしが減ったということだ。
【ピンクハザードのことを無視してますよね?
どれだけの女性が被害に遭ったと思ってるんですか?】
ここで『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さん、しめたとばかりにそれを持ち出す。
【それもちゃんとリンク先にあるでしょ?
あれは合意の行為を適さない場所で致した公然わいせつ系ばかり。
反妖界隈じゃ自分が乱暴されたような扱いだけど、妖女が来てから最も減少した犯罪は女性を被害者とする性犯罪だよ】
そう、人女がピンクハザードに言及して妖女を非難しても、この事実を返される。
公然わいせつ、男性を被害とする性犯罪は一時的に増加したが、人間女性を被害者とする性犯罪は急減、以降も増加は見られない。
女性はいつも性犯罪の被害者であるという旧時代の論調が、説得力を落としているのだ。
これを示されるたびに、彼女たちはこう読み取るのかもしれない。
最近の男たちは、マジでお前ら人女に興味が無い――と。
非モテ男が「日本の女は~」と腐っているとか、そんな次元ではなく、ガチで全ての男に妖女が行き渡り、お前らに目もくれず乳繰り合っているぞ――と。
実際には『ヤれる女ができたら性犯罪が減りました』と言ってるだけなのだが、そうとは聞き取らないようだ。
だからか、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんは妖女に否定的な立場を変えない。
【魔法犯罪は増加してんじゃん。あれだけ話題になってるのに知らないの?】
【だから、その魔法犯罪も計算に入れて右肩下がりだって数字を出してるよね?】
魔法犯罪の加害者に妖女が多いのは事実だ。
しかし件数は多くない。
魔法犯罪という字面のインパクトで、針小棒大に騒がれている向きがある。
トータルでの犯罪率減少に対して、種別の件数増加を上げても勝ち目は薄いだろう。
【数字とかじゃねぇから。年がら年中ギシギシアンアンうるせぇって言ってんだよ猿】
【『妖女は犯罪率が高い』って自分から切り出したのに、もう犯罪と数字のお話は嫌になっちゃった? あなたが追い出したい『危険な奴ら』って、実はただのカップルじゃん】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんの文面に余裕がなくなってきた。
もう少し知見と機転があれば、突ける穴もあっただろう。
例えば、治安の良さを測る指標を刑法犯だけに絞るのは視野狭窄だ。
民法の件数に目を向けたり、事故や災害時に視野を広げたりすれば、実生活を送る上での問題は多数見えてくるのだが――
【だーかーらー、そうやって「男の居ない人女が妖女に嫉妬してる」っていう構図に持ち込みたがるところが嫌われるんだよ。人女を見下さないとメンタル保てないの?】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんにその余裕は無いようだ。
彼女の思考の中心が、治安の良し悪しではなく気分の良し悪しであることが見て取れる。
【最初に投稿した通り、偉そうな物乞いを嫌ってるだけだよ。
読み返せば分かるだろうけど、私一度も『嫉妬』なんて単語出してないよね?
それを嫉妬だの見下してるだの、言葉の節々にコンプレックスが出ちゃってるよ?】
投稿者は相手の理論武装を叩き壊した後、容赦なく裸の心に切り込んだ。
現状、口撃の鋭さや頭の回転では、相手に軍配が上がる印象だ。
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんも、醜態にならないレスを必死に考えていたことが、レスするまで掛かった時間から窺える。
かくして、『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんの回答は――
【私の知ってる妖女は、みんな人女を見下してるよ。いま正に学校で妖女からイジメられてる私が証拠。そんだけ偉そうな口を利くならなんとかしろよ】
…………私の予想の、ずっと斜め下だった。
【それはかわいそうだね。差し支えなければどんなイジメか教えてくれる?】
【言えないようなことです。二次加害はやめてください】
【顔も名前も居場所も知らない人から、内容も相談されずに何とかするのは無理だから、スクールカウンセラーに相談しなよ】
【そういう態度も加害者なんだよ。ホームレスとでもヤってろ】
【恋人がホームレスになったらそうするよ】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんのレスは、ここで終わった。
その後も投稿者の発言を追っているようだが、コメントはしていない。
負けて二度と絡まなかった――と見なしていいだろう。
○
========================================
【ドルオタ反妖さん、レスバに負けると弱者仕草で逃亡、壮絶なイジメを告発し始める】
========================================
一連の出来事が他のユーザーに注目され、一部の配信者が動画にし始めた。
【反妖の弱者仕草を情けないと批判する投稿に噛み付いて、結局は弱者仕草で逃げるの、証明にしかなってない】
【聞きかじった理論武装を振り回すたびに折られていくの、もはや芸術的】
【行き遅れだけじゃなく学生まで同じこと言い出すんだから、本当に反妖思想は負け犬に優しくできてるんだな】
【妖魔界基金のクリーンなホームレス支援すら「ほら見ろ男割だ!」「ホームレスとすらヤりたいのか」って叩いてたフェミの血がしっかり受け継がれているの泣ける】
コメントには辛辣なジャッジが多い。
同じ反妖界隈が援護してくれても良さそうなものだが、ほとんど見当たらない。
いざというとき、助けてくれる人より切り捨てる人が多いコミュニティには、あまり属したくないものだ。
(そんなことより……)
私としては反妖うんぬんより、イジメの話が気になる。
【嘘吐きっていう人がいて病んでます。イジメは本当です。これだけは本当です】
【入学してすぐでした。いつの間にかクラスカーストの最底辺に位置づけられて、妖女子から嫌がらせを受けるようになりました】
【教室は貴族系の妖女子が支配していて、男子は妖女と一緒に笑っているだけで、人女は助けてくれません。私を最底辺にすることで安心しているんです】
【先日はクラスで一番不細工な男子とエッチするよう強要されました。
抵抗したら獣人系妖女に噛まれました。必死に逃げてきました】
【担任にも相談しましたが、生徒の妖女とヤってるせいか対応してくれません】
『☆上海えりりん☆@聴覚過敏』さんはレスバ以降しばらく、言いたくないと言っていたイジメ被害を、つらつらと連投していた。
自分で噛んだとしか思えない腕の写真を投稿したあたりから、コメ欄は失笑の嵐だった。
結果的に、ボヤ程度のプチ炎上で済んだようだが……
(嘘だ)
クラスメイトのために断言しよう――――大法螺を吹くのも大概にしろ。
あの教室には、何も問題なんて起きていない。
教室の雰囲気に当たり外れがあるとすれば、大当たりだろう。
人間観察を趣味とする私から見て、人生初の高校生活を送る場所には最適だと感じた。
妖女の中ではイーリスさんが空気を引き締め、ライヤさんが委員長で、ミーアさんは皆に愛されるマスコット。
男子だと、雪代くんが魔剣部でメキメキ強くなってちょっと格好良く思われていた。
花房くんは副委員長としてライヤさんと共に上手く仕切ってくれていた。
人付き合いが苦手そうな望月くんも、いつしか他の男子と打ち解けていた。
人間女子だと上潟さん、佐野さん、下原さんがいた。
妖女子とも諍いなんか無かったし、他に不穏な気配も感じなかった。
担任教師も人柄が良く、目立った不良もおらず、男子と妖女の性醜聞も無い。
どんなこじ付けをすれば、あの教室でイジメられたと言えるのか。
むしろ引っ込み思案な下原さんに気を遣って、あなたの変化を待っていたくらいなのに。
(それを……こんな無様な被害者マウントのために……)
何の落ち度も無いクラスメイトたちを、悪党にした。
素性が特定されるような愚を犯さなかったとはいえ、私たちをゲスな集団に仕立てた。
一時の口論で偽りの不幸自慢をするために貶めてもよい――その程度の重みだったのだ。
○
やがて、現在。
(止めてあげようかとも思ったけど……)
リアルの方で、彼女は生徒会選挙に関わりつつある。
そうなった場合、彼女がどうなるかを想像して……
(まあ、いっか)
そこまで心配してあげる義理は無かった。
なにせ私、いじめっ子の一員らしいので。
ご一読いただきありがとうございました。
まだ豚編のヒロインを残していますが、
人女生徒たちの二人目、オタク女子回でした。
なかなか生徒会選挙が始まらなくて申し訳ありません。