「目標発見、これから追尾します」
右耳に装着しているインカムに語りかけて、仲間に連絡を送りつつ電車に乗り込む一人の女性。
彼女の名前は“
彼女の部隊が追っている相手は麻薬取引をしている『アンブレイカブル』で、ここ最近になって多発している行方不明事件に関わりがある可能性が最も高い組織である。だが、彼女には「あの組織が犯人だ」と断言できる確信があった。と言うのも、その組織を先日まで一緒に調査していた幼馴染で恋人の“
(対象、通信機を取り出しました)
嫌な予感を拭いきることはできないが、それでも彼はまだ生きていると信じて彼の残した情報を基にこの電車で更なる情報を得る為、目の前の仕事に集中する。
視界の中では3メートル先で目標の男が通信機のスクリーンをタップし続けている。そしてそれを瞬きもせずに注視し続ける礼華。
彼女は部隊の中でも動体視力の高さが異常なもので、5メートル先までであれば例え人混みの中であろうと視界に捉えた指の動かし方から、打ち込んでいる文章の内容を読み取ることが可能なのである。
周囲にいるかもしれない敵組織の存在にも警戒しつつ、相手が打ち込んでいる内容を一言一句違えず小型の通信機(モールス信号的なもの)で部隊に送り続ける。そんな作業を4,5分程度続け、相手は手にしていた通信機器を仕舞って電車から降りる準備を始めた。それに合わせて彼女も機器を仕舞いこみ、警戒はしたままで男から意識を少しだけ逸らせた。
暫く車体を揺らせていた電車が次第に速度を落としていき、少しして完全に停止した。プシューという音と共に扉が開いて、男はスタスタと出て行った。
彼女はすぐには電車を降りず、3つ先の駅まで待機する。後の尾行は仲間達に任せて、先程手に入れた情報を整理してみる。
男が打ち込んでいたのは、顧客と取引をするために用意していたと思われるメールアドレスと会員登録用であろうアルファベットや数字の羅列,そして組織の利用しているであろう掲示板のURLであった。
(そこの掲示板にアクセスすれば、何かしらの情報は得られる。……はず)
かなり大きな手掛かりを得られた彼女は、それでも浮かない顔をしたままであった。その理由はやはり、先日に突如として行方不明になった彼——“通”のことだ。こういった仕事をしていれば常に命の危険と隣り合わせであり、急に消息を絶つのは何一つとして不思議なことではない。が、彼は部隊で一二を争う戦闘のプロフェッショナルで、特に銃を持たせれば世界中でも彼に敵う相手は片手で数える程も無いだろう、という領域なのだ。そんな彼が、たとえ油断していたとしても簡単に捕まるはずも無い。
あそこまで優秀であった恋人だったからこそ、彼女は何かしら裏があることを考えずにはいられなかった。
気が付くと既に男が降りた駅から3つの駅を過ぎて電車は停車していた。彼女は溜め息を一つ溢して立ち上がり電車を降りる。
(考えるのは今じゃない。とにかく、今は『アンブレイカブル』に繋がる手掛かりを一つでも多く得る事。そして、必ず彼を——)
美しい金髪を靡かせながら、彼女は尾行に警戒しつつ部隊の本部へと戻る。今日得られた情報が犯罪組織を潰す手掛かりとなることを信じて——。
後日、本部で先日手に入れたメールアドレスや掲示板のURLへダミーのタブレット端末からアクセスしてみる。すると、掲示板にはこれまでに行われてきた麻薬取引のログが存在していた。その件数は百を超え二百を超え、尋常ではない額の金銭がやり取りされていた。どうやら、組織自体はもう五年以上前から存在していたようで、事件の捜査線に浮上するほど大きくなったのは一年程前のことであったようだ。
やり切れない思いを抱えながら画面を流し見していると、スクリーンを隣から見ていた仲間の一人が「あっ」と声を上げてスクリーンの一ヵ所を指す。そこには、彼のコードネームである“ルドリック”の名前と、その所在について書かれていた。
その内容を信じるのであれば、東京の湾岸にある倉庫の一つで監禁されているようだ。それを知った礼華は急いで拳銃を装備し、潜入用のスーツを手に取った。
「待つんだ、カトレイ! こんな場所に書かれている内容なんて罠の可能性が高い。罠ではなくとも、単独行動は危険だ!」
部隊長の声が部屋中に響き、しんとした静寂が漂う。一瞬動きを止めた彼女はしかし、考えを改めることはせず装備を持ったまま部屋から出て行った。
珍しく感情的になった彼女を見て、部隊長の男は深く溜め息を吐く。
「あの馬鹿は本当に……。総員、最大の警戒態勢であいつの援護に回るぞ! 三人一組で動け。アルファチームはカトレイの追跡及び援護を、ブラボーチームは取引記録を調査しつつ慎重に敵組織のアジトを突き止めろ!」
部隊長の怒号が飛び、隊員がそれぞれ手早く出動態勢を整える。
その頃、既に本部を出ていた礼華は自動車を走らせ、目的地に向かっていた。
彼がいるかもしれない——。そう考えると居ても立っても居られず、衝動的に行動をしていた。しかし彼女には後悔も反省も無い。命に代えても恋人を救出したいという一心で、車のアクセルを踏み込んだ。
彼女が倉庫に辿り着いたのは本部から出て一時間近く経った頃。車を付近に停めるなり彼女は即座に拳銃を抜いて忍び足で倉庫に歩み寄る。全身の意識を周囲の警戒に向けるが、近くに“人”の気配は無い。
「……っ!」
何かを感じ取って反応しようとした時には一瞬遅かった。彼女の視界に映ったのは、人のような形をして、しかし人と異なる腕や脚,頭部をした——怪物だった。
バンッという乾いた音と共に彼女の意識は闇に閉ざされた。
◇ ◇ ◇
「…………」
ぼやぁっとした意識の中、目を開くと礼華は石造りの部屋にいることが視認できた。
段々と覚醒していく意識。それと同時に彼女は自分が鎖によって拘束され、両腕を上げた恰好になっていることを理解した。服は脱がされていないが、はだけさせられており局部が丸出しになっている。
「目は覚めたかよ、迷子のお嬢ちゃん」
目の前には目深にフードを被った人物が三人立っていた。顔はよく見えないが、彼女をこの状態にしたのはまず間違い無く目の前にいる彼らだろう。
彼らは気味の悪い下卑た顔を貼り付けたまま彼女を嘲笑する。
「目を付けられてるのはわかってたからよ、ちょっと細工をさせてもらったんだわ。まぁ本当に引っ掛かるとは思ってなかったけどな」
どうやら部隊長の言っていた通り、あの掲示板は罠だったようだ。後悔は無いものの、彼女は自分の愚かさを呪わずにはいられなかった。
自責の念にかられている彼女のことを気に掛けるも無く、男達は彼女に問いかけた。
「で、お前の仲間が隠れている本部はどこにある?」
予想し得るありきたりな問い掛けに、彼女は沈黙した。そして、少しだけ項垂れる。
すると、首元にひんやりとした感触があった。彼女達『PVT』の潜入スーツの首元には超小型の予備通信機が仕込まれている。盗聴器のようなそれは、一定時間人の体温を感知すると起動して本部に周囲の音を送る画期的な装置である。
指定の時間が経ち通信機が起動したことを察知すると、彼女は男達に通信機の存在がバレないように気を遣いつつ沈黙を続けた。そんな彼女の態度に苛つきながら、目の前の男が再度訊ねる。
「もう一度だけ訊くぞ。お前の本部の場所はどこだ?」
「…………答える義理があるとでも?」
男の言った“もう一度だけ”に警戒して、彼女は口を開いた。
だが簡単に口を割るような彼女ではない。毅然とした態度でそう言い放った。
だが、男達はそれを聞くなり大笑いし始める。彼女から最も離れた男に至っては腹を抱えて、今にも転びそうな程の笑い声を挙げている。
「まぁ、そう答えるわな。ここまでテンプレ通りの返しも中々無いけどよ」
一頻り笑って落ち着いたのか、男の一人が言う。
「……そうそう、君の後すぐに来たお仲間さん達のことなんだけどぉ。ついさっきボロボロになって帰って行ったよぉ」
「っ!」
それを聞いた瞬間、礼華は唇噛み締めた。「自分の所為で仲間を危険に晒してしまった」という事実が重く圧し掛かる。
「でも喜びな、大半が……っていうか殆ど全員生きてるぜ。殺せたのは二、三人だけだったからな。お前んとこのリーダーが優秀だったもんでよ、こっちは全滅させるだけの戦力を投下したってのに結果はそれだけだ」
「…………部隊長は、……どうなったの」
「こうなっちゃったんだなぁ」
彼女が訊ねると、男の一人が何かを床に放り投げて転がした。
それに目をやって彼女は言葉を失う。頭だけとなった彼の顔は元の形が分からない程に酷く損傷しており、彼の受けた被害の大きさを物語っていた。
そのあまりの衝撃に彼女は何も考えられなくなった。後悔も何も無く、彼女の心にあったのはどうしようもない虚無感だけであった。
「……で、だ。そろそろお家の住所を教えてくれや。すんなり答えてくれりゃあ残ったお仲間さんは、もう少し綺麗な顔で殺してやるからよ」
「……………………」
「おいおい。ちょっとショックが大き過ぎたかな、これでもまだマシな方だってのによ」
一人の男がそう言った時、彼女の頭には最愛の人の姿と最悪の未来が過った。想像もしたくない事ではあるが、確認せずにはいられない。
「……彼は、…………ルドリックはどうしたの」
ぽつりと溢すように放った彼女の言葉を聞いた男達は暫く思案し、やがて納得したように頷きながら喋りだす。
「そういえばそんな奴もいたなぁ。“あれ”どうしたっけ?」
「確か実験に使っただろ。で、その後死んだから解体して…………」
「今っ、なんて言った! 解体したとはどういうことだ!」
男の言葉を聞いた瞬間、彼女の自分に向いていた怒りが一気に男達の方へ向いた。それも無理のないことだろう。ただ殺すだけに飽き足らず、その亡骸を解体するなど到底許せる行為ではなかった。
自分の恋人に対してそのような仕打ちをされて、彼女は冷静でなどいられなかった。
「おーおー、怒った怒った。そんなに大切な人だったのか、残念だったね」
一切悪びれる様子も無い男の発言に対し、憤慨した礼華は鎖をガシャンガシャンと鳴らしながら暴れた。
「残念だった、だと! ふざけるのも大概にしろっ、この下衆野郎! 言えっ、彼が今どこにいるのかを答えろっ!」
声の限り、怒りに任せてまくし立てる彼女。その時、「チッ」という舌打ちが彼女の耳に届くのとほぼ同時に、彼女の下腹部に鈍い痛みが走った。
「っぅ……」
「さっきからうるせぇな。質問できる立場にいるのがどっちかわかんねぇのかよ」
痛みのする場所へ目をやると、男が拳銃を彼女の性器にねじ込んでいるのが見えた。それも、男が手にしている銃は彼女が普段使用している愛銃だった。
男が更に力を加えて銃を中に押し込み、ブチッという音がして股間から赤い雫が滴り落ちてきた。それは彼女の太腿を伝って床に小さな染みを作る。
「……ん? おい、こいつもしかして処女かよ。ハハハッ、初めての相手が無機物とか傑作だなぁ、これは」
「くぅ……」
引き裂かれるような激痛と言われるがままの悔しさに礼華は唇を嚙み締めた。彼に捧げるはずであった大切な物を守り切れず、それ以前に彼の命を守れなかった後悔が心を苛む。
だが、今はそれ以上に目の前の男達に対する怒りで燃え上がっていた。
「私は……、お前らを許さない。絶対にっ!」
「“許さない”? お前、この状況が理解できてねぇのかよ。ってか早く本部の場所を教えろって言ってんだろ」
「私が口を割るとでも思っているのか? 尋問でも拷問でも何でも好きにすれば良い。私は口を割らないし、決してお前等に心を屈することもない!」
「へぇ、大切な人と会えなくても良いのか? そっちが教えてくれたら、俺達も最期に会わせてやっても良いんだけどな」
「信用できるかっ! お前等に媚びて仲間を売るくらいなら、私は全てを諦める!」
(それに……、大切な仲間を危険な目に遇わせて殺した私はもう……人でなしの私には彼に合わせる顔が無い)
彼女が言い放つと乾いた静寂が暫しの間、部屋を支配したが「そうか……」と言って彼女を吊るしていた鎖を解いた。未だ両手と両足を縛られているとは言え、ある程度の自由を取り戻した彼女は怪訝な表情を浮かべた。
「……どういうつもりだ」
あまりの怪しさに我慢できず、本能的に質問を投げかける——。
その時だった。彼女の首に凄まじい電気が流れ、抵抗をする間も無く彼女の意識が刈り取られる。白目をむきながら倒れる間際、男の呟きが聞こえた気がした。
「お前も実験に使ってやるよ。大切な仲間と同じ様にな」
そうして暫くの間、彼女の目が覚めることは無かった。
フードを被った男達がそんな彼女に何もしないわけが無く、全ての拘束を解いて別の部屋へと運び出した。彼女にとっての地獄が始まるのは、これからだった——。