魔獣は暗闇より(悪魔ほむら×美樹さやかシリーズ) 作:さんかく@
魔獣は暗闇より 前編
激しい音を立てて降りしきる雨の中、一人の少女がいた。雨のせいで少女の背景は見えず、まるで世界でただ一人のように、蒼い髪の少女は虚ろな目で立ち尽くしていた。濡れた蒼い髪は本来の空のような色から黒髪に近い色になり、濡れた前髪で隠れた目は虚ろだが、どこかぎらぎらとした「怒り」を感じさせた。それは今まで彼女が纏っていた雰囲気とは全く異なるものだった。
「何してるのあなた」
唐突に少女の背後から人影が現われる。喪服のような黒のドレスを着た黒髪の美少女。
右手には少女には不似合いな大きくて無骨な黒い傘が握られていた。蒼い髪の少女を雨から守るように、少女の上に傘をかぶせる。今度は世界でただ二人だけのような空間ができあがった。
「・・・・・・ほ」
「・・・・・・」
蒼い髪の少女は色の落ちた真っ白な唇を震わせ、黒髪の少女へ顔を向けた。
「ほむら」
アメジストの瞳が驚いたかのように揺らぐ。まるで初めて聞いた言葉のように。
フ、と年に不似合いな艶っぽい唇が歪む。
「はじめてね」
年に似合わない、艶っぽい声
「そんな風に名まえを呼んでくれたの」
艶っぽい視線。
「さやか」
息を飲むような音がして、蒼い髪の少女、美樹さやかは地面に勢いよく膝をつく。
戸惑うほむら。
「・・・ごめん・・」
「?」
土下座のようにうなだれるさやか、地面に着けた両手は水に濡れて。高校の制服のそでまで水浸しにして、それでもさやかは何かを探しているかのように手を地面に這わす。
さすがに尋常でないさやかの行動にほむらは眉をひそめる。
「どうしたの、・・・・らしくないわ、あなた」
「ほむら」
ほむらは一瞬驚いた声をあげた。ほんの一瞬だが「人外」であるこの美少女が声をあげるのは珍しい。
「やめなさい・・・」
さやかはほむらの足首を掴み、そこに頭をつけていた。まるで聖者を裏切った商人が、許しを乞うように。
「ごめん・・ほむらごめん・・・」
「さやか・・・やめ」
「私が悪いんだ・・・あんたをこんなにしたのは・・私が・・私達が」
ほむらの目が見開かれる。
「あなた・・思い出したの」
「ほむら」
そうして顔をほむらの靴に近づけて、さやかは号泣した。ごめん、ごめんと何度も謝罪している少女を見下ろすほむら。その表情は傘に隠れて見えない。しかし次の瞬間、ほむらは、はじかれたようにしゃがみ、さやかの肩に手を置いた。今までに見せたことのない、まるで友達同士のような仕草でさやかの背中を撫でる。
「・・・何があったの?」
優しい声でほむらは語りかける。
「・・・・・・・」
「何を見たの、おかしいわ、あなたがこんな風になる記憶なんて無いはずよ」
「あんたより」
「え?」
「人間の方が、悪魔なんかより、人間の方が・・・」
唇を震わせて、さやかは言葉を紡ごうとするがうまく続かない。
なんとか聞きだそうと蒼い髪の友人を揺さぶって、名を呼ぼうとした時、暁美ほむらの意識は「現在」へと戻された。
「…なんなのよ」
ゆっくりと暁美ほむらはベッドから上体を起こす。
絵画のような美貌を不機嫌そうな表情で崩し、気だるげに長い黒髪を掻きあげる。
白いうなじが露わになる。いつもそこに顔を押し付けては甘えてくる同居人は今いない。自らの傍らをしばし恨めしそうに眺め、ため息をつく。手でシーツを撫でるのは、そこでいつも寝ている同居人を思ってのことなのか。またため息をつきながらベッドから降りる、薄暗い闇の中、彼女の白い肌が浮き上がった。
台所でグラスを取りだすと、トクトクとの独特の音を立ててウイスキーをなみなみと注ぐ。
立ったまま、行儀悪く一口飲むと、満足気に息を漏らしテーブルへ座る。
…あんた、それじゃさぁ旦那の帰りを待ってる団地妻みたいだよ?
蒼い髪の友人のからかうような声を思い浮かべ、ほむらはグラスを頬にあてながら目を細める。
「…ほんとね」
別に美樹さやかの帰宅を待ってこうして起きて酒を飲んでいる訳ではない、しかし夜中に帰ってくる蒼い髪の友人にこう何度もこんな姿を目撃されては否定もできない…とほむらは思わず苦笑した。カラン、とグラスの中の氷を指で回し、ほむらは先ほど見た「過去」について想いを馳せる。
暁美ほむらは夢を見ない。いつも見るのは「過去の出来事」だ。無意識の中放出される時間逆行の能力のため、彼女は過去へ戻り干渉することができる。
さっき見た「過去」は二人が高校生になった頃のものだ。
あの時さやかは何を見たのかしら?眉をひそめ、暁美ほむらは考える。あの日の夜からさやかはほむらの家で過ごすようになった。実際には泣き続けるさやかをほむらが放っておけずに家に連れてきたのだが…一緒に寄り添い夜を過ごすようになったのもあの頃からだ。
だがしかし、さやかは何を見たのかは語ることはなかった。ほむらとしては、今回の時間逆行でようやくその真実を聞き出せると思ったのだが。
ドアに鍵が入れられる音で、ほむらの思考は中断された。
遠慮がちにドアが開かれ、ゆっくりと美樹さやかが入ってくる。口の端をあげ、不敵に笑うほむら。
「遅かったじゃない」
びくん、と反応する友人が可笑しくてクスクス笑う。こうやってさやかをからかうのは非常に楽しい。
「やあ、ほむら…へへへ、なんか飲み会盛り上がってさぁ。とっととと!」
大きな音を立てて、美樹さやかが玄関先で転ぶ。あきれたような顔でほむらが立ち上る。大量にアルコールを摂取したのは一目了然だった。倒れたさやかの傍でしゃがみこみ、顔を覗き込んでから大きくため息をつく。
「あなた、また飲みすぎて…馬鹿じゃないの」
「えへへ…ごめんねえ、つい」
美樹さやかもアルコールに弱い方ではない。ただ生来のお調子者の性質のおかげで場を盛り上げようとして飲みすぎてしまうのだ。飲みすぎた彼女は顔を真っ赤にし、ろれつが回らないようで、ただほむらの方を見てへらへら笑っていた。なんとなく腹が立って、ほむらはさやかの頭を叩く。痛いと小さく抗議するさやか。
「介抱なんてしてあげないわよ、自業自得よそのまま眠りこけなさいよ」
「うわ、ひどお…友達れしょう?かいほうしてよかいほう…」
「ちっ」
舌打ちして、今度はさやかの頬をひっぱたく、あいた、とさやかが声をあげる。
「まったくもう…情けない…そんなに酔うくらいなら家で飲みなさい、聞いてるの?こら」
今度はさやかの頬をつねったまま、ほむらはさやかを叱る。まるで恋人同士のようなじゃれあいだが、本人はいたって自覚もなくそのつもりもない。だんだんと人間的な怒りをあらわにする悪魔。返事をしない友人の耳元に唇を近づけ怒りでくぐもった声で囁く。
「…たまには私と飲みなさいよ、馬鹿」
「ふわ…い、りょ…かい」
右手で敬礼するさやか。酔っていてもその動きは職業病なのか正確だった。
なんとか怒りを鎮めたほむらはため息をつきながら、その細い腕をさやかの肩に回し抱き上げた。…が、もたれかかってくるさやかが思いのほか重く、そのまま倒れてしまう。ほむらの胸に頭を乗せて、さやかが上にのしかかる形になる。気持ち良さそうに目を瞑るさやか。
「わ~い、ほむら気持ちいい…」
「…、こ…この…」
さやかにのしかかられる体勢になって、顔を真っ赤にして怒るほむら。手を回し、無造作にさやかの背中を叩く。
「もう!なんなの、図体ばっかり大きくなって、起きなさい!重たいわ!」
「ほむりゃ~」
だが、気持ち良さそうにさやかはほむらの胸に顔を擦り寄せ、そのサイズの小振りさと反比例する感触のよさを呟いた。当然、悪魔は顔を真っ赤にしてお決まりのセリフを吐く。
「殺されたいの美樹さやか」
「いいよ…」
「ちょっと」
そう言って、さやかはのしかかったままほむらの身体を強く抱きしめた。思わず反応するほむら。天井を見つめている紫の瞳が揺れているのは怒りのためか、あるいは別の何かか。
しばらく逡巡として、はあ、とほむらの口からため息が漏れる。
「…仕方ないわね」
ゆっくりとほむらも下から手を回し、さやかの肩を抱きしめ、目を瞑った。
しばらくそのまま抱き合う二人。と、規則正しい寝息がほむらの腕の中から聞こえた。
「やっぱり殺しておけばよかったわ」
期待していた自分に怒りを覚えたのか、それとも中途半端な友人に腹を立てたのか、口元を震わせ、顔を紅潮させるほむら。両手を叩き、使い魔を召喚する。小さな子供のシルエットが突如ほむらの周囲に現れる。ほむらの美しい唇から流暢なドイツ語が漏れると、6つの影がさやかを抱きあげる。ようやく身体を解放されたほむらはふう、と息を吐いて立ち上がった。そして何か思いついたらしく、おもむろにバスルームへ向かう。
上機嫌なのか鼻歌を歌いながら。
無機質なほむらのマンションの中で唯一バスルームだけは生活感溢れる場所だ。蛇口を回し、浴槽に水を溜めはじめる。指先で水の温度を確認すると、冷たいわ、と言って、ほむらは口元をニヤリと歪めて笑った。まるで悪戯を思いついた子供のようだ。しばらくして浴槽に水が張ると、満足気に玄関へ向かう。玄関には、使い魔に担がれたまま眠りこけているさやかがいた。忌々しげに見下ろすと、蒼い髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
「期待させないでよ…馬鹿」
そして使い魔に二言三言指示を出す。使い魔がマジックショーの人体空中遊泳のようにさやかをバスルームへと運びだした。それを見送ると、ほむらは何もなかったようにテーブルへ座りウイスキーを飲み直す。はあ、と満足気なため息を漏らし、また一口、一口、と美味しそうに琥珀色の液体を飲みほした。そうして、思いだしたように、手をパン、と叩くとバスルームから大きな水音と一瞬遅れて大きな悲鳴があがった。悪魔は珍しく歯を見せて笑った。