魔獣は暗闇より(悪魔ほむら×美樹さやかシリーズ) 作:さんかく@
「いまのわたしは魔なるもの。摂理を乱し、この世界を蹂躙する存在」
白い細い指をその紅く艶めかしい唇にあて、その美少女は上目使いで私に囁いた。
囁き声さえ艶めかしい。
何か言いたげにゆらゆら揺れるアメジストの瞳。(何が言いたいのだろう?)
黒い艶のある長髪が風に舞い、そのゾッと身ぶるいするほどの妖艶な顔に貼りつく。
「…神の理に抗うのは当然のことでしょ?」
私は悟る。
彼女はもはや「少女」ではない。
人外といえるほどの圧倒的色香を身に纏う「女」だ。
私はその時動けなかった。
彼女の美しさに虜になったからだ。そして一番最初にそうなった「人間」だ。
そんな私に気付いたのか、彼女は目を細め、すう、と私の頬にその柔らかな手を滑らす。だがそれは一瞬のことで、すぐに手を離すとニイ、と口を不自然に歪ませ笑う。歪んだ唇からちろちろと覗く煽情的な赤い舌が、また私の体を震わせた。得体の知れない感情を彼女によって呼び起こされる。身体が、熱い。
そして彼女は見せつけるように、優雅に私の目の前で踊りはじめた。
動きを止め、こちらを見る。誘うようにこちらに伸ばされた白く細い手。挑発的に半ば開かれた嘲笑を含んだ口。
「踊りましょう…?美樹さやか」
だが私は動けない、彼女の、一挙一動に見惚れてまるで金縛りにでもあったかのように動けないのだ。そんな私に落胆したのか、興ざめしたのか、彼女は肩をすくめ再び踊りはじめる。パシャン、パシャンと彼女の靴がステップを踏み、その度に紫色の水が音をたてて、しぶきが舞う。しなやかに両手をあげるとなぞるように自分の身体に沿って下ろしていく。うっとりと眼を瞑りながら、頭から顔、首、そして鎖骨、胸元へ。その肢体に長い黒髪と、淡いピンク色の花弁がまとわりつく。
「こんなに気持ちいいのに…」
恍惚とした表情は満たされていて、まるで誰かに抱かれているかのよう。
「何故、あなたは踊らないの?」
顔がこちらに向けられ長い睫毛で伏せられた目がゆっくりと開く。切れ長のアーモンド形の目。紫の瞳が妖しく光る。私に向けられた嘲笑とも微笑みともどちらともつかない裂けた口。ゾクゾクするほどの美しさ。
…ああ、私は夢を見ているのだ、遠い昔、初めて悪魔と邂逅した夢を。だが、こんなにも彼女の瞳は私の心を射抜き、奪っていく。あの時の私にはただ身に覚えのない得体のしれない感覚から逃げるのに必死で、自覚は全くなかったのだ、彼女に惹きつけられていたということを。
私は今、全てを俯瞰した状態で見ている。昔の自分の姿はだいぶ滑稽で、しかし愛おしい。傍で心地よさげに舞っている黒髪の少女も然り。
「ほむら」
かつて人間だった彼女の名を囁く。
すると俯瞰していた状態から、また、視点がかつて少女だった私へと変わる。
ほむらは驚いたように私を見た。
「踊ろうよ」
私は言った。そう、これは夢なのだ、だとしたらこれくらい、彼女と踊るくらいぜいたくではないだろう。
悪魔だったはずのほむらの顔には、昔の、かつて私が「転校生」と呼んでいた頃の面影が残っていた。私はとまどうことなく、自らの下に流れていた「蒼」の水から彼女の支配する「紫」の水へと足を入れる。大きな水音を立てて、私の周囲に紫色がしぶきをあげる。
「…いいわよ」
自嘲気味に、…いや、それは喜びを打ち消し、隠すためのものだ。今ならそれが理解できた。ほむらは笑って、再び手を伸ばす。私はその手をしっかりと握り返した。ぐい、と彼女をやや乱暴に引き寄せた。
引き寄せて、彼女の身体が密着した瞬間、景色が変わった。私の傍らには美しい女性がいる。
「結構うまいのね、あなた」
「そう?」
これは直近の記憶。私と彼女が人として成長した頃の記憶。20代半ばの暁美ほむらだ。私の視野に映っている風景が、彼女を中心に左右へめまぐるしく移動する。どうやら、私は彼女とチークを踊っているようだ。ぐるぐると激しい遠心力で振り回される私に対し、彼女はくすくすとさも楽しそうに微笑んでいる。大人になった彼女もまた美しかった。いや、美しいというレベルではない、陳腐な例えだが、恐ろしいほど美しかった。出会った頃よりもだいぶ顔つきが大人になりほっそりとしているが、その眼は…アメジストの瞳は変わらず妖艶な光を湛え私を捉えて離さない。白い肌はなおいっそう透明度を増し、まるで高級な陶器のようだ。少し膨らみをましたが、なおも細く華奢な肢体は見ている者の庇護欲をそそる。
確か、何度目かの共闘のあと、気まぐれに彼女が私に申し出たのだ
「一緒に踊りましょう」と
殺伐とした、花の咲かない冬の冷たい丘で、私達はチークを踊った。
「どう?気持ちいい?さやか」
この頃からだろうか、彼女が頻繁に私のことを「さやか」と呼ぶようになったのは。
私はただ彼女に振り回されるままなすがまま踊っていたように思える。
「…気持ちいいってか、なんか目が回…」
情けない悲鳴を上げながら私は思わず彼女にしがみついた。さも楽しそうに彼女は笑った。
「私は気持ちいいわ」と私の首元で囁きながら。
「ねえさやか」
そうしておもむろに彼女は私を見上げ、口を開く。
何かを私に囁き、そしてその唇がやけに眼前に近づいてきてから
私…美樹さやかは目が覚めた。
* * * *
「…うわ~…疲れた」
開口一番、美樹さやかはひとりつぶやいた。
「なんなの、夢なのに疲れるとか…」
ゆっくりと身体を起こすと、きょろきょろとあたりを見回す。蒼い髪が数か所跳ねているのは激しい寝相の悪さを物語っているが、本人は全く気付かず、むしろ隣で寝ている相方を見て笑うという滑稽な図が展開された。
「あ~あ、寝相が悪いぞほむら」
さやかはへらへら(と、ほむらは彼女の笑いを形容している)と笑いながら、隣の膨らんだシーツを優しくさすった。
「ん…」
皺だらけのシーツにくるまったまま眠りこけている黒髪の友人は、すっぽりと身体を隠し、頭だけ出して、呻いた。顔はさやかから見えない。長い黒い髪がシーツに広がりさやかの手に触れる。柔らかい心地よい感触でつい、さやかはほむらの髪をいじりはじめた。
「…もう…朝…?」
気だるそうにほむらは顔をゆっくりとさやかの方へ向け、艶のある低い声で囁く。
目はまだ眠たいのだろう、半開きの状態で、さやかを確認するとまた閉じられる。
「ううん、まだ夜だよ、眠りなって」
「そう…」
美しい顔が無防備にこちらを見て眠りにつく。
さやかはつい口元を緩め、ほむらの頭を撫でた。
「ごめんねほむら」
昨日二人はかなり乱れてしまい、シーツまでこのようなありさまだ。
結局、あの冷水風呂に投げ込まれた後、さやかは一瞬で正気に戻り、怒り心頭で台所に向かったが、今度は顔を真っ赤にした酔っ払いの悪魔に迎え打ちにあうというハメに陥ってしまったのだ。いい年してどうよ、とさやかも思うが、キャミソールを着た泥酔美女と、リクルートスーツよろしくお固い格好のずぶ濡れの女性が台所で争う様は、なかなかに面白いというか、見物であったかもしれない。第三者がいれば。しかも二人とも獲物は魔法や使い魔ではなく、台所の手近なものを使用したのだ。さやかが友人に制裁を加えようとしゃもじとおたまを取り出し構えると、ほむらはフライパンを取りだした、酔いの力がそうさせたのだろうが、その時の二人は真剣だった。フライパンを構える悪魔というのはなかなか見られるものではない、とさやかは自分のことは棚にあげて、フフフと思いだし笑いする。
「私達ってほんと馬鹿だわ…」
ふと、さやかはシーツの間から伸ばされていた友人の白い手に気付く。その手はさやかのタンクトップの裾をしっかりと掴んでいた。
ああ、それで…とさやかは今見た現実ともいえるほどの夢の正体を知る。
「私も時間遡行したの…?ねえ、ほむら」
だが黒髪の美女はすやすやと寝息をたてて眠りに落ちていた。無邪気な寝顔で。
さやかはやや神妙な顔つきで友人を見つめる。
彼女は夢を見ない。いつも見るのは過去の出来事だ、そして干渉することもできる。
辛くはないのだろうか…?
彼女は夢を見ることもなくこれから永い間生きて行くこととなる。
さやかの胸がきゅっと締め付けられる。
「ごめん」
今度はほむらの頭に自らの額を押し付けた。
なぜもっと早く彼女の孤独に気付いてやれなかったのだろう?
最初に出会ったあの頃、誰か一人でもいや、自分が気づいていれば、彼女がこのような人外になることはなかったはずだ。こうして何度も世界を改変して、しまいには悪魔に成り果てるようなことには。
「こんなに」
…綺麗なのに、とさやかは額を押し付けたまま囁く。
彼女は人としての生を、幸せをもっと享受できるはずだった。
さやかは少女時代の自分の無知と視野の狭さを呪った。
そしてすべてを思い出したあの日を思い出す。あの、一番に忌むべき存在が「人間」であると自覚した日を。
「…」
さやかの目から光が消え、表情が掻き消される。ゆっくりと上体を起こすと、優しく、自分のタンクトップを掴んでいるほむらの手を解いた。そっ、と音を立てずにベッドから降りる。
壁一面が窓となったその場所で、眼下に映る夜景見下ろしながら、さやかは過去へと思考を遡らせていった。
記憶が曖昧になり、その前後の出来事をまったく忘れてしまうことが美樹さやかにはよくあった。
それは高校生になってからも頻繁に起こり、時には魔獣との戦闘中にそれが起きたこともある。さやかが全てを思い出した「あの日」もそうだった。
* * * * *
<さやか―――!さやか――!>
さやかの脳内で、佐倉杏子の声が響き渡る。
<杏子?どうしたの?>
<どうしたのじゃねえ?お前大丈夫か?>
さやかはきょとん、とした顔をする。今さやかの足元には、今にも消滅せんとする複数の魔獣の姿があった。
グウウと文字通り獣のようなうめき声をあげながら、光の線となって消滅していく。
何故だろうか、さやかは魔獣と戦う時、いつも物足りなさを感じている。確かに忌むべき敵ではあるし、油断ならない存在ではあるが、遥か昔にはもっと危険な相手と戦ってきた気がするのだ。
その瞬間、「あ」と思いだしたようにさやかが声をあげた。
そう…私は今夜も魔獣と戦っていたはずだ、そしてこの複数の魔獣を倒した…?
杏子と魔獣を追いかけ、あまりにも数の多い魔獣が二手に分かれたものだから、さやかと杏子もそれにならい二手に分かれた。そこまでは覚えている。
だが、戦った記憶が無い――。
う、と一言呻いて、さやかが額を押さえる。風に吹かれ、彼女の白いマントと蒼い髪がたなびく。
<さやか――?>
誰かが私を助けてくれた…?そうさやかが思いついた瞬間、ふとおもむろに黒髪の美少女の顔が浮かぶ。
だが、その少女は、いつもの学校での制服姿では無く、異形の姿だった。
黒い羽根が生えた…悪魔…
友人を悪魔と考えるなんてどうかしてる、そう思い自嘲気味にさやかは口元を歪める。
「!」
ぞわぞわと身体中に悪寒が走る。
さやかは神経を集中して赤毛の相方に呼び掛ける。
<杏子、まだ、魔獣がいる!>
<ああ、そうみたいだ、そっちは頼んだよ、アタシはこっちを食い止める。全く供給が多すぎてさあ…>
<需要が足りない?>
ふ、とさやかは口元を緩める。お互い高校生にもなり、成長すると余裕もでき、このように冗談を言い合える。確かにこんなに数の多い魔獣に対して対抗する勢力「魔法少女」の存在が圧倒的に足りない。もしかしたら、私と杏子だけなのだろうかと、さやかは訝しがる。昔はもっと…と考えはじめて、さやかは頭を振る。
この数年、記憶の錯綜が続き、さやかが気付いたことは、自分自身の記憶がある程度までねつ造されているということだ。それに気付いた時にはあまりのショックで学校を数日間休んだこともあるが、今はこのように何食わぬ顔で生活を続けている。これはさやかの元々の前向きな性質のためであり、そしてさやか自身、何故だかこの記憶の錯綜を心地よく思っている節があるからである。
<そっちは頼んだよ、杏子>
さやかは変身を解いて駆けだした。
魔獣がいると思われる場所は、人の賑わう繁華街だからだ。
夜の帳が広がり始めた頃、その街は輝きを増し、あらゆる性質を持つ人間が溢れる。
高校の制服姿のままそこに紛れたさやかもまた、その一人に過ぎない。
大丈夫だろうか?と、さやかはふと思った。
こんなに人間の溢れる場所で魔獣が紛れこんだら…魔女の時は確か人間に憑依したはずだ。魔獣の場合はどうなるのだろう?
そこで、さやかの思考はいったん止まる。
「…魔女って、何よ…」
苦悶に満ちた表情で、さやかは空を見上げる。
そこには半分に欠けた月。いつからあの月は半分だっただろう…?
* * * *
身体をぞわぞわとする悪寒が走り、さやかは我に帰る。
「…こんな時に…いや、こんな時だからなんだろうね」
独り言を言ったあと、はあ、とため息をついてさやかは窓から離れる。ベッドで眠りこけている友人を横目で見ながら、そっと音を立てないようにして、着替え始める。仕事用の地味なパンツスーツだ。全体的に野暮ったいのはSP用にと官が貸与する被服に似せたものを購入したからで、さやかの好みではない。だがしかし、全体的に黒一色となるこの姿は、闇夜に紛れて好都合だ。スーツの内ポケットに隠してあった銃を取り出す。
遠い昔、以前の世界では銃は黒髪の友人の方が専売特許だったはずなのに、と自嘲気味にさやかは口元を歪めた。
この銃は警察の貸与品ではない。出所の知れない自動拳銃。だが、魔獣相手にはこれが有効だ、特に人間と融合した魔獣には。
蒼い瞳に光が宿る。怒りとも悲しみともつかない表情で彼女は空を見上げた。
美しい、だがどことなく少年のような面影をたたえた蒼い髪の女性は、何を思いそのような表情を浮かべているのか。
「殺すにはいい夜だね…」
彼女の深い海のような色の瞳に、半分に欠けた月が映し出された。