魔獣は暗闇より(悪魔ほむら×美樹さやかシリーズ) 作:さんかく@
昔は貴方が憎かったのだろうか。
疲労のあまりうずくまっている蒼い髪の少女を私は見下ろしている。普段の快活な様子は欠けらもなく、どことなく濁りきった目をしている彼女。みすぼらしくちぢこまっている貴方を私はただ見下ろして、あの時の私は何を思っていたのだろうか。
…今なら、躊躇なくその肩に手を置くこともできるのに。
* * * *
ザア…と降りしきる雨の中、二人は対峙していた。
いや、対峙というよりも、しゃがみ込んでうなだれている少女と、それを見下ろしている少女という片方が片方に従属を誓うような、主従の構図であろうか。
見滝原高校の制服を着ている蒼い髪の少女はすでにびしょ濡れで、それに対して立ちつくしている黒髪の少女は、自身の持つ大きな蝙蝠傘のおかげで雨を回避している。
黒い喪服のような格好をした黒髪の少女はまるで人形のように美しかった。白い肌にアメジストの瞳、そして年齢に不相応な色香は左耳の紫のイヤリングと相まって、妖しげな艶やかさを醸し出していた。その表情は無表情だが、その傘を握った白い手が蒼い髪の少女にまで伸ばされていることから、彼女を幾ばくか慮っていることが伺える。
「………貴方、思い出したのね」
艶のある声で、ほむらはうずくまっている少女、美樹さやかに声をかける。
「ごめん、ほむら…ごめん」
美樹さやかは、まるでずぶ濡れの子犬のように、黒髪の少女の足元にしゃがみ込み、ずっとうわごとのように謝罪の言葉を呟いている。
――無理もない、とつい先ほどまで彼女が経験した内容を知る者、例えばこの世界を俯瞰できる者がいればそう教示できたはずだ。だが、目の前の世界を改変した美しい少女の姿をした悪魔がそれを知らない以上、誰も知る術もない。唯一、本人が語らない限りは。
美樹さやかはすでにほむらが改変したこの世界において、魔法少女システムに関する全ての事柄に関して、興味を失っていた。いや…更に深く突き詰めると、価値が無いと知ってしまったのだ。
パトカーのサイレン、複数の男達の遺体、そしてひどく制服を汚し泣いていた…閉じ込められていた少女
ううう、と呻いてさやかは拳を叩く。
まるで意味が無い、意味が無いのだと叫ぶ代わりのように。
「…どうしたの、貴方」
眉をひそめるほむら
降りしきる雨がまるで沼のように地面を濡らしさやかの手足を濡らしていく。
黒髪の少女が傘で雨から彼女を守ろうとしてもそれは全く意味の無いことで。
そしてそれに気付いた少女はとうとう傘を放り投げてしまった。パシャンと音を立てて蝙蝠傘が明後日の方向へ落ちた。
そのアメジストの瞳は激しく揺れている。
自身の内面の葛藤と視線の先にある対象のために。
雨に濡れた黒髪はべっとりと白い肌に貼りついて、その妖しい輝きを湛えたイヤリングは彼女の左耳でゆらゆらと揺れて…どれくらいそうしていたのか、とうとう彼女は屈みこむ。
黒い喪服の裾が濡れた。
「…そんな風になる記憶なんて、貴方にはないはず」
顔を近づけ、蒼い髪の友人の表情を覗きこもうとする。
まるで初めて触れるかのようにおそるおそるさやかの肩に置かれる白い手。
「一体どうしたの?」
優しく揺するともたれるようにさやかの身体が前のめりになり濡れそぼった二人の身体が密着する。
「意味が無いんだ…」
「え?」
さやかの顔は雨で濡れていた。
とても疲れ切った、蒼い瞳。
アメジストの瞳と蒼い瞳が視線を絡ませる。
「私…昔、あんたにひどいこと言った」
「……」
「悪魔って」
「……」
どこか遠い所を見ているような虚ろな眼差し。
「でも違ったの、一番ひどいのは人間なんだ、悪魔なんて、魔法少女なんて…ただの夢」
「……貴方」
「そんなこと、この世界じゃたいしたことないの…それにあんたが悪魔っていうんなら、この世のすべての人みんな悪魔なんだ、私なんて…私なんて」
そこで、うっ、とさやかは呻く。
堪え切れなかった。先ほど自らの手で終わらせた惨劇と現実が蒼い髪の少女の心を浸食し、救いを求めて、目の前の黒髪の美少女へと溢れだす。
「私はもっと汚れている…ほむら、私はもっとひどい化け物なの…!」
涙が溢れた。縋るようにさやかは手をほむらに伸ばす。
奇跡が起きる、かつて遠い昔確執のあった二人はどちらともなく抱き合った。
ほむらに縋って嗚咽するさやかを不器用にだが包みこむように抱きしめるほむら。
人を撫でたことがないのだろう、たどたどしく、蒼い髪を撫でるその手は白く震えていた。
「ごめんなさい、ほむら…許して」
「………」
ほむらは答えない。答えられないのかもしれない。
ただ、降りしきる雨の中、二人はびしょ濡れになりながら、しばらくそうしていた。
「……さやか」
どれくらいそうしていたのか、ようやく黒髪の少女が口を開く。
「このままだと風邪をひくわ……私の家に行きましょう」
もうすでに時遅しであるが、ただそれを冗談と笑う者は誰もいない。
「……ついてきて」
ほむらの囁きに、こく、と小さく蒼い髪の少女は頷いた。
* * * * *
高層ビルの隙間にある路地裏を美樹さやかは颯爽と駆ける。
黒のスーツに包まれたすらりとした体躯は動きも軽やかだ。蒼い髪が風に靡き、彼女のどこか中性的な美貌が月の光で露わになる。
「オオオオオオ…オオオオオ」
咆哮をあげながら白い影がビルの隙間を駆けめぐり、そして上昇する。
さやかは地面を蹴り、そのままビルの壁を駆けあがって跳躍した。通常の人間ならありえない高度で身を翻す。
半分に欠けた月に、細身の躍動感溢れたシルエットが浮かび上がる。
その右手に一筋の光が走り、剣が生まれた。
「……」
どこか異国の地の言葉を唱えながら、さやかは魔獣へ向かって急降下し剣を下ろす。
激しい雷が走り、魔獣は断末魔の悲鳴をあげた。
光の束が浄化され、消えていくのを、見て、さやかはほっとしたようにため息をついた。
「さ…帰りますか」
そう言って、ポケットに手を入れ肩をすくめて歩き出す。
―――今夜の魔獣は、人と融合していなかった。
その事実だけで、さやかは安堵する。内ポケットの銃は今夜は不要だった。
もう何度もその手を汚してきたというのに、まだどこかで許しを求めているんだな私は…
ふと、さやかが自嘲気味に笑うのと、ビシャ、と泥水を踏んだ革靴が音を鳴らすのは同時だった。沈んだように、顔を項垂れて靴を見つめるさやかは、ふと思いなおしたように空を見上げる。
半分に欠けた月、それは常に変わらずそこにある。
あの時の自分もこんな感じだっただろうか?――泣きながら携帯に向かって、必死に事実を述べようとする少女時代の自分…フ、とさやかは笑う、寂しそうに。本当に遠い昔のようだ。
あの時の少女達は…なんとか生きていけたのだろうか?
汚れきった大人達に人生を理不尽に捻じ曲げられた彼女達をさやかは忘れたことはない。
高校生だったさやかの拙い言葉を警察は聞き入れ、現場はすべて捜査された。
暴力団絡みの事件を捜査する警察官の横で、さやかは最後まで後処理されていく現実の悲劇を直視していた。厳しい、逃げ場のない圧倒的な絶望と現実の中、淡々と業務をこなす彼らに少女は畏敬の念を覚えた。
消え去っていく魔獣を見送り笑って明日を迎える自分が、ひどく子供で恥ずかしく思えた。
――直視しなければ
最後まで自分は見なければいけない…とそう思い、さやかは警官を志した。
愚直といえるほどの正義感、不器用な思い。すでに死んでたとはいえ、魔獣と融合した人を手に掛けた罪の意識。
人間と融合した魔獣は、悪を為す。ならば私は手を汚してでもそいつらを狩ろう。
そして、償おう…彼女に。
美しい、恐ろしいほど美しい黒髪の女性が脳裏に浮かぶ。
彼女は昔から当たり前のように美しかった。あの時も、さやかを探して夜の街を彷徨っていてくれてたのだと今ならわかる。8年前のあの、美しいが、まだ無愛想だった悪魔を思い出してさやかの口元が少しだけゆるんだ。
* * * * *
雨はやむ気配もなく降りしきる。
窓一面に映る雨を、広いベッドの縁に足を組んで座りながら、黒髪の少女は見つめていた。
少し濡れそぼった艶のある黒髪をタオルで拭き、小首を傾げ耳に蒼い携帯をあてたまま。
黒の喪服のようなドレスを脱ぎ、彼女は同じ色のキャミソール姿になっていた。
「…ええ、今私の家にいる、眠っているわ」
――怪我とかしてねえか?
佐倉杏子の電話越しの問いに、ほむらはちら、と自らの傍で眠りについている同じくキャミソール姿の蒼い髪の少女を見つめ、それからええ、と囁いた。
左耳のイヤリングが揺れ、きらりと一瞬光る。
――それじゃあ、今から迎えに行くから
アメジストの瞳が揺れる。
「待って」
――は?
「今日はもう遅いから―」
―――
「明日迎えに来て」
しばし、ほむらの持つ携帯の向こう側から声は発せられない。
その間にほむらは再び視線をさやかに向ける。疲労しきって衰弱した寝顔を見て目を細めた。
――――――何でだよ
「なんでもよ…この子のご両親にはあなたからうまく伝えて、それじゃあ…」
―――オイ、ちょ…
暁美ほむらは通話を切る。視線は蒼い髪の少女に向けられたまま、口元を綻ばせて。
そしてそのまま手を伸ばし、少女の身体の上に身を屈めながら、ベッドの脇にあるナイトテーブルへ携帯を置く。コトリ…と彼女と同じ髪の色をした蒼の携帯が音を立てた。
「………」
身を屈めたことで眠っている少女との距離が縮まったからか、ほむらの身体がその位置で止まる。長い艶のある黒髪が、少女の顔に幾房かかかるように垂れる。至近距離の中ほむらは眼下の少女を見つめる、規則的な寝息に静かに聞き入りながらアメジストの瞳は何か言いたげに揺れ続けていた。
「…ん」
しばらくして蒼い髪の少女が目を開ける。
「…あら、お目覚め?」
「ほむら…」
ああ、そういえば、ほむらの家でシャワーを借りたんだ…と美樹さやかは思い出し、そうしてゆっくりと上体を起こす。
「…ごめん、私…」
「気にすることは…ないわ」
「……」
しばし、沈黙が訪れる。
二人とも、何も語ることもなく時が過ぎる。いや、実際には語るべきことはあるのだが、美樹さやかが全てを思い出した今、何をどう語ればいいのか、二人とも戸惑っていたというのが正直なところか。
ふう…とため息をついて、先にほむらが口を開く。
「今日は泊っていきなさい、杏子には伝えてある」
「え…」
ほむらは白い指をナイトテーブルの方向へ差す、蒼い携帯、美樹さやかのものだ。
「さっき電話がかかってきたの…悪いけど取らせてもらったわ」
「そう」
正直なところ、美樹さやかは家族にも杏子にも顔を合わせたくなかった
「助かるよ、ありがとうほむら…あと、ごめんね手間かけさせちゃって…」
疲れきった顔に笑みを浮かべ、さやかがほむらに囁いた。
「……貴方、雰囲気が変わったわ」
「え?」
目を細め、ほむらはさやかを見つめる。
「何があったの?貴方は記憶をどこまで思い出したの?」
「………何があったのかは…言えない…うまく言えない…でも記憶は全部…思い出したの」
「……本当に?」
こくり、とさやかが頷く。
「あんたが概念?かなんかわかんないけど、世界を改変したことと、そして私が円環の理の一部だったことと…そしてもっと前…私が魔女になったことも」
「そう…」
「フフ…フフフ」
「さやか…?」
さやかが笑いだす。
「…でも、くだらないよね「魔女」とか、「円環の理」とか…フフフ、馬鹿みたい」
「……」
「だって、漫画みたいじゃん、そんな名称、全然、リアルじゃないじゃん」
「貴方…」
さやかの目に涙が溢れている。泣きながら、笑って、彼女は必死にほむらに語る。
「大事なのはさ、私が勝手に絶望して、迷惑を掛けて死んじゃったこと!そして、あんたが一生懸命にまどかのためにここまで来たってこと…そんなのが大事だってのに…なんでこんな…くだらないシステムに…」
うまく説明できないもどかしさ、自分がまだまだ子供だとさやかは痛感した。くやしかった、こんなくだらないシステムに踊らされて悲劇に巻き込まれた自分達の無念さ、後悔。歩み寄りたい気持ち。
ほむらにこの想いが伝わるのだろうか?
「…貴方の記憶はまた薄れる可能性があるわ」
「ほむら?」
「貴方は…全てを思い出した貴方はどうしたいの?」
それを聞いてどうするつもりなのか、さやかは問えなかった。
妖艶な美少女は、感情を殺して、蒼い髪の少女に問う。
「貴方はかつて、私を悪魔と言った、でも今は貴方は私に贖罪している」
す…と白い手がさやかの頬に添えられる。冷たかった。
「私が改変したこの世界は不安定、それでも私はまどかが普通の人間として幸せに暮らしてくれるまでこの世界を壊すつもりはない…貴方は?貴方は世界をどうしたいの?貴方は」
そうしてほむらは一瞬言葉を詰まらせる。
「貴方は私をどうしたいの?」
さやかは絞り出すように、声を出す。
「…どうもしない…でも…」
今しか伝えられないなら
「許してほしい」
涙で、ほむらの姿はもうさやかには見えない。
「いっしょに…一緒に戦ってほしい…」
「嫌よ」
ほむらが呟く。
「私は貴方を許さない」
だが、その腕はさやかを抱き寄せて、その手は優しく頭を撫でていて
「永遠に許さないわ」
そして強く抱きしめた。
…だから一緒にいてと囁きながら。
* * * * *
「…おかえりなさい、あなた…どこに行ってたの?」
低い、艶のある声がさやかを出迎える。何故かさやかはゾッとした。
気配を殺して戻って来たさやかの目の前に腕を組んで相方の黒髪の美女が立っていたからだ。薄暗い部屋の中でキャミソール姿の悪魔は妖艶な美しさを湛えていた。アメジストの瞳が光を放っているかのように、闇の中輝いている。
「あ、ああ…ほむら起きてたの?あはは、ごめんごめん、ちょっと散歩…わっ」
「散歩ですって?」
2メートルほどあった彼女との距離が一瞬で数センチまで縮む。至近距離で見つめ合う中、さやかは彼女の瞳に見惚れるが、次の瞬間には激痛でガクン、と膝をついた。かはっ、とさやかの口から息が出る。
「!…痛っ……」
左手を掴まれていた。ほむらの細い白い指がさやかの手首にめり込んでいる。圧倒的な力だ。まるで万力のようにさやかの手を圧迫する。ミシミシと音が鳴る。さやかの血の気が引いた。彼女は本気だ…。全力で回復魔法を左手に送り込む。ほむらの手とさやかの手首の周囲に蒼い光が浮かび上がる。
「どうしたのさ…ほむらっ落ち着きなって…痛いから…いっ!」
全力で回復魔法を発動させても、ほむらの力は揺るがない…すごいとさやかは思った。これが人外の力なのだ。
「起きたら…貴方がいなかったのよ」
「……?」
「貴方が…どこにもいない」
「ほむら?」
闇の中、悪魔の表情は見えない。だが…泣いているようにも見えた。
…泣いている?まさか…
さやかはその考えを打ち消す、彼女自身言っていたはずだ「悪魔は涙を流さない」と。
カタカタと力の発動で部屋が揺れる。
「自惚れないでよね…貴方ごとき一人で魔獣に立ち向かえると思ってるの?」
「気づいてた…の?」
「…当たり前でしょ、馬鹿…貴方がね…貴方が…」
ザア…と音を立てて、悪魔の髪が逆立つ。ミシミシと音を立てるさやかの手首。
「…どこの路上でのたれ死のうと、私が知っているうちはいいの」
押し殺した声、嘘だ、とさやかは直感で知る。
「でも、私が知らないところで…貴方がのたれ死んだら…私はどうするの?」
「…ほむら…」
「気付いたら、貴方が死んでたなんて冗談じゃないわ…」
さやかは黒髪の友人の感情を理解した。謝ろうとしたが、激痛のため、もう声が出ない。
「そんなの許さない、絶対に」
そうしておもむろに手を離す。さやかは声をあげて床に倒れ込んだ。そこにほむらが覆いかぶさる。アメジストの瞳を輝かせて、さやかを見下ろす。
「貴方を見ていると…ほんと殺したくなるわ」
それだけは勘弁…と薄れる意識の中、さやかは呟いた。
悪魔のこころなしか普段より熱のある肢体の感触を感じながら、さやかの意識は途切れた。
* * * * * *
どんな深い闇にも光が差すように、夜にも終わりがある。
「…かなり痛いわ、これどうすんの」
「…自業自得でしょ、しばらくほっとけばいいんじゃないかしら?」
「ちょ!あんたひど」
あれから、すぐに夜明けが訪れ、行為を終えた二人はすぐに身支度を整えていた。
ちら、と蒼い髪の女性はベッドの上で行儀悪く髪を梳いている黒髪の友人を見上げる。
結局気付けば、さやかは床に寝かされ悪魔はベッドで眠っていたのだが。さやかは床に座ったまま、今度は窓を見る、いい天気だった。身体が痛い。理不尽だ。
あまりの扱いのひどさにため息がでる。
「あら…どうしたの?何かご不満」
くすくすと笑いながら横目で見下ろされると、腹が立って、さやかはつい舌を出す。
だが悪魔は嬉しそうに微笑んで。
「まったく…まあ、仕事には差しつかえないからいいけど!」
左手首をひねりながら、さやかは立ち上がる。しかし、昨夜は散々だった…とさやかは思う。飲んで帰ってきたら、冷水風呂に叩きこまれて友人と大暴れ、魔獣を倒したと思ったら今度は悪魔相手にひと悶着…はあ、と自然とため息が出る。
「ねえ…」
「何よ」
友人の艶やかな声にいささか不機嫌に返事して、さやかが黒髪の友人の方へ顔を向けると、意外にも真剣な表情があって。
「いつか…教えてくれない?」
「へ?何を?」
「…あの…雨の日貴方が何を見たか」
きょとんとしたさやかの顔に笑みが浮かぶ。
彼女も憶えて入れくれたのだと。それだけで…嬉しいとさやかは思った。苦しみを全て相手に伝えることは不本意だが、共有することができればあるいは。
「うん…今ならうまく言葉にできるかも…いつか…ね?」
「ええ」
さて、とさやかは友人に行ってくるという風に片手をあげて、ドアに向かう。
「それと」
黒髪の友人が、心なしか震える声で、呼びとめた。
後ろ姿で表情は見えない。
「手首…ごめんなさい」
さやかはただ嬉しそうに友人の背中に笑顔を向けた。
* * * *
温かい朝日の光を浴びて、蒼い髪の少女は目を覚ました。
見知らぬ天井に動揺する蒼い瞳。だが、しばらくして彼女は思い出す。昨日、初めて悪魔と名乗る少女の家に泊めてもらっていたのだと。
ふと、横を見ると、黒髪の少女が眠っていた。美しいのにむすっとした仏頂面で。
なんだかそれが嬉しくて、一人じゃないんだという安心感で、また涙が浮かぶ。
「だめだなあ・・私って、もう」
そう言いながら乱暴に手で目をこすると、傍にいた黒髪の少女が目を覚ます。
「ん…」
うっすらと開いた目、アメジストの瞳が蒼い髪の少女に向けられた。
思わず、気恥ずかしさで照れて、言葉を詰まらせる…が、蒼い髪の少女は黒髪の友人に囁いた。
「お、おはよう…ほむら」
「……」
黒髪の少女はむすっとした表情のまま、でも口を開いた。
「おはよう…さやか」
少しだけ、頬を紅潮させながら。少女は囁いた。
遠い昔、二人が共闘するようになった初めての日の朝だった。
了
「そして戦いは続く」
どんな朝にも終わりがある。
夜の帳が下りたころ、高層ビルの隙間の路地裏で、一人の浮浪者が横たわっていた。
中年のどこにでもいそうな変わり映えのしない男。少しだけ違うのは、彼は数え切れない前科を持っているということだけ。償うことをせず、逃走し続け、疲れ果てた男はすでに生に対する執着もなくしていた。
たまたまこの街に流れ着き、たまたまこの場所で横になっていた。それだけだった。
「畜生…かったりい…」
世間に対する憎しみを胸に溢れさせながら、眠りにつこうとした頃、彼の周囲にドライアイスのような白い煙が充満する。やがてそれが人の形となって、彼の前に現れた。目を瞑った男は気付かない。ただ、白い煙は男の身体の中に浸透していく。
びくん、と男の身体が跳ね上がった。
オオオオオオと獣のような咆哮が人知れず響き渡る。
「ぐ…はあ…な、なんだこれ…すげえ…気持ちイイ!」
薬でハイになったかのように男は立ち上がり、ニヤリと笑みを浮かべた、その両目は禍々しく赤々と輝いていた。
END