割りきれない、割りきりたくない。
理屈でどうにかなれば苦労はない、でもどうにかしなければならない。
そうでなければ、進めないから。
交わすキスは、甘く激しい。お互いを貪りあい、心まで蕩けていくのが分かる。
重ねあう肌と肌が、燃えるように熱い。胸の奥から沸き上がるのは、火花にも似た感情の飛沫。
ああ、ああ――幸せだ。今ここで死にたい、そう思ってしまうくらいに。
全てをさらけ出し、捧げあい、そして愛し合う。これが幸福でなくて、なんなのか。
大喜の熱い愛を受け入れ、私のなかは焼け落ちてしまいそう。視界は白く染まり、もう大喜しか見えない。
だけど、でも。
これは只の――夢なのだと。
気づいたせいで目が覚めたのか、目覚めかけて気づいたのか。
どちらにせよ私は一人、ベッドの上でため息を一つ。まったく頬に感じる涙の跡が恨めしい、夢とわかっていれば泣かないのに。
合宿から帰ってきてから……いや正確にはあの日の夜からずっと、私はこんな浅ましい夢を見続けている。
夢の中の大喜は、千夏先輩の事なんか口にもしない。好きなのは私だけ、一秒も休まず私を愛してくれている。
そう、私は夢を見ている間ずっとずっと、大喜に愛されているんだ。
大喜の指が私の肌を這い回る、大喜の舌が私を優しく愛撫する。そして私の一番奥を大喜が愛してくれるその感覚は、今も身体を火照らせて余り有る。
「ん、んー……っ」
その残滓が朝も早くから、私を疼かせていく。ナイトブラの中で乳首は硬く隆起しているし、ショーツの内側には粘液質の違和感が滲み出ている感触がしある。
まだ学校へ行くには時間がある、なら……。
ゆるゆると指先を下着の中へとかけそうになって、私は唇を噛み締め自身を制止する。
何を考えているんだ、一体。性欲を溢れさせている自分が余りにも穢れて思え、惨めで泣けてきてしまう。
こんな事は、考えてはいけない。大好きだから、汚してはならない。それなのに私は、ただ欲望に任せて大喜を
振りきって先へ進まなければ、それこそ大喜を傷付ける。私はもう、大喜を求めてはいけない。大好きだから、大切だから、ちゃんとした関係に戻ろう。
そう割りきろうとする自分と、子供のように我儘な自分が心のなかで睨み合う。
ベッドの上で二律背反を抱え、私はただただ天井を見上げていた。
「……っ、やーなんか調子出ないなーっと」
合宿前ならば決してしなかったであろう初歩的なミスに、私は誰に言うともなく溢してしまう。
ここ数日明らかに精彩を欠く動きなのは、自分でも分かっている。だからこそおどけて見せてはいるけど、周りは心配そうな顔をするばかり。
それではダメなんだ、集中しろ。ここでへこたれていたら、
――大喜はもう、私なんか見ないよ。だってもう私たちは、友達でさえ無くなったんだから。赤の他人がどうなろうと、気にするもんか。
「っく、……っ」
考えるな、もう考えるな。練習を済ませて、今日は早く上がろう。
なのに何故、こんな時に限って。
見つけてしまうのだろうか。
「ぁ……っ」
ふと視線を向けた体育館の奥、そこには確かに……いた。大喜とそして、千夏先輩が。何を話しているのか、そんなのはわかる筈がない。わかるのはただ、二人の親密げな空気だけ。
胸に込み上げる悔しさはでも、大喜の笑顔に溶かされていく。少し照れた、でも幸せそうなその顔。私では引き出せない、大喜の幸福な姿。あの笑顔をもっと近くで見たい、だけどそれは許されない。
大好きな人の幸せは、私の幸せでもある。その気持ちがあるからこそ、心が捻れそうに辛い。
人を好きになるって、こんなにも苦しいのか。
「んっ、ぃ……っ」
ハンカチを詰め込んだ口から、それでも抑えきれずに声が漏れそうになる。力尽くで塞いでも尚、甘い吐息が溢れかけてしまう。
いつもの練習メニューをなんとか終わらせはした、そしてそれが限界だった。迂闊に大喜と先輩を見たりしたせいか、身体はスイッチが入ったように疼いて止まらない。
手洗いに籠ってこうしてオナニーに耽るなんて、私は何処まで腐っているんだろう。こんな事をしてしまう私が、大喜を好きでいて良いわけがない。そう思えば思う程、指の動きは激しくなっていく。これが大喜の指だったら、と思っただけで内側から粘液が溢れてくるのが嫌になる。私は大喜に、こんな欲望をぶつけようとしているんだ。
最初はただ、大喜を想ってあちこち触るくらいだったのに。気が付けばショーツの中、肉の裂け目を指でグチュグチュ掘り返さなければ満足できなくなっていく。それもこんな風に、ところ構わず発情してしまう。
愛とか恋とか、もっとキラキラして美しいものだと思っていた。それなのにまあ、こんなにも醜く生臭いなんて。
自嘲しながらも止まろうとしない指は、汚液を掻き出すように激しく膣口を抉っていく。
罪悪感と情けなさで死にたい、でも
そしてそのまま、めり込んだ指がぐちりと音を立てて――。
「!? 、ぁ、あぁ……ぅ」
便座に腰掛けたまま身体が跳ね上がり、目の裏に火花が舞い飛ぶのが見えた。刹那の絶頂はしかし、より深く自分を落としこむ為の落差にしかなってくれない。
最低だな、私は。
汚れた手で顔を覆い、塞いだ口の中でくぐもった嗚咽を反響させながら、私はただ泣くしかなかった。なんて馬鹿馬鹿しい、愚かな事か。そう思いながら。
「――蝶野さん、大丈夫? 顔色良くないけど」
ひととおり泣いて身体も冷え、ようやく個室から這い出した私を迎えたのは誰あろう、……千夏先輩。よりによって、こんな時に。まさか聞かれてたとか見られていたとか、そんなんじゃないだろうな。いやそれなら声なんかかけないか、合宿や修学旅行でも必ず一人はそういう事してる子がいるけど、皆気付かないフリするのがマナーみたいになってるし。
だとすると、本当に偶然かな。この人が搦め手を使えるとも思えない。
「あ、……ちょっと調子崩しちゃって。平気です、これくらい」
ここは適当に流して帰ってしまおう、家でゆっくりと自己嫌悪に耽ろう。そう思って踵を返そうとした、まさにその時。
千夏先輩の手が、私の肩を掴んだ。指先が食い込むほど、強く。
なにするんですか、と振り払おうとしてもその力は想定外で、抵抗さえ許さない。
「もしかしてなんだけど、……大喜くんと何かあったの?」
その瞳には一切の悪意がない、純粋に私を気遣う視線。そうだからこそ、辛い。言ってしまえば楽になれる、貴方のせいで私はこうなっているんだと。貴方さえいなければ、大喜は私を受け入れてくれたと。
でもまさか、そんな事を言えるものか。
「なんでも、……ありませんよ。私は大丈夫ですから、離してください」
力を込め直して千夏先輩を振りほどこうとして、でも。私の身体は逆に引き寄せられるように千夏先輩へと向かっていく。
気付いた時にはもう、倒れこむようにしてぽすんと千夏先輩の胸に顔を埋めていた。
肩を掴んでいた手はいつのまにか外され、もう片方と共に私を抱き締めている。
「大丈夫じゃないよ。辛い時は、周りにそう言いなさい。そうでないと、誰も心配してくれなくなるよ」
ただ一年早く生まれただけのくせに。
私が大喜にふられた原因のくせに。
自分だって人を頼れないくせに。
こんな時だけ、どうしてこうも――先輩ぶるんだ。
好きな人を奪っていく憎い相手の筈なのに、どうしてこうも優しいんだ。
これじゃあ、意地を張ることさえ出来なくなるじゃないか。
「私、は……大喜が好き、なのに……! 私と……だけど……!」
溢れる涙が視界を塞ぎ、口からは隠しておくべき本心が垂れ流されていく。私は千夏先輩に抱き締められたまま、まるで他人事のようにそれを見送るしかなかった。
「……大喜の気持ちは分かってるんです。だけど話をしたいから、少しの間一緒にいさせてください」
泣きながら我儘を言う後輩を、千夏先輩はどう思っただろう。それに私は肝心な事を、大喜が誰を好きなのかは言っていない。だけど話の核心を曖昧にする卑怯な後輩の頼みを聞いて、千夏先輩は大喜を連れてきてくれた。部活帰りを捕まえてくれたようだけど、千夏先輩が言えばすぐに来てくれると言うのはちょっとだけ悔しいかもしれないな。
由紀子さん達には私から言っておくから、あんまり遅くならない内に帰らせてあげてね。そう告げて後ろ手を振る千夏先輩の背中に頭を下げて、私たちは新体操部の部室で二人きり。すっかり日も落ちきって、今日はもう誰もここには来ない。練習時間のリミットである21時を過ぎて先生たちが施錠に回ってくるまでは、多分誰も。
気まずい沈黙を破ったのは、大喜の方。
「……ごめん。謝ってどうなる話じゃないのは分かってるけど、でも俺は……」
「分かってるよ。大喜が千夏先輩を好きなのも、私を――
たかが三年、されど三年。人生の二割くらいを費やす恋をしたんだ、色んな事を知った。
とは言え、知らない事もいっぱいある。
あんなにも苦しみながらもがいていた姿も、先輩への深すぎる想いも、私は知らなかった。
もっと早く、好きだと認めていたら。もっと早く、想いを伝えていたら。きっとこうは、ならなかった。
もう、遅いけど。
だからそう、終わらせよう。
決意を胸に、大喜と向かい合う。
向こうも何かを感じ取ったんだろう、距離を取ろうとするけれど。でも、――
「ん、……っ」
一気に間合いを詰め、呼吸を止め。
私は大喜に、キスをした。
重なった唇の感触は少しかさついて、でも熱い。
そのまま体重をかけて、のし掛かるように身体を預けていく。戸惑いながらもがこうとする大喜を抑え込み、それでも私は離れない。
どれくらい、そうしていただろう。
ようやく顔を離すと、唾液の糸が架け橋のように一瞬だけ残ってすぐ消えた。
「ごめん。先輩を好きで良い、付き合えなくて良い。でも今だけ、愛させて。この瞬間だけ、私を許して……」
本当はいつまでも側にいたい、死ぬまで好きでいたい。一瞬も休まず愛してほしい、永遠に私だけを見ててほしい。
それが許されないなら、せめて。せめて、一度だけ想いを遂げさせてほしい。
覚悟を決めた私に、大喜の視線が訴えている。それは不自然な、異常な事だと。
でも、それでも大喜は、やっぱり優しいから。私を傷つけたくはない筈だから。永遠にも似た僅かな沈黙の後、目を伏せて――頷いてくれた。
横たわる大喜へと、身体を重ねていく。夢の中とは違ってその目は閉じられ、その口も愛を囁いてはくれない。当然だ、愛し合うわけじゃないから。
これは私の我儘で、大喜はそれを叶えるために身体を差し出しているだけ。
何もかもが間違っている、だけど身体だけは素直だ。大好きな人を前にして、激しい疼きが押し寄せてくる。
膣口の浅い部分を掻き回して愛液を纏わせた指で、その疼きを伝えるように大喜の性器をまさぐっていく。その動きに合わせムクムクと頭をもたげていく――勃起とか言うんだっけ――のは、当然だけれどそれは想像の中よりもずっと生々しく、何処か嫌悪に近い感情さえ湧き出しそうだ。
もしこれが大喜でなかったら、私はきっと泣き出している。
手を動かしつづけたせいか天井を向いて屹立し、先端から透明な汁を溢れさせているのを見ると余計にそう思う。
こんなのが、入るのか。ゾッとするけど、それでも私は覚悟を決めた。
蝶野雛は、逃げない。
大喜を跨いで、それから――まるで和式で用を足す感じで腰を沈めていく。酷い姿勢だ、こんな姿は見せたくないな。目を瞑ってくれているのが、救いかもしれない。なんて場違いな事を思っていると、入口に異物が当たる感触がやって来た。
あと少しで、私たちは結ばれる。一方的で押し付けがましい、最低の行為だけれど、でも。ほんの一瞬、形だけの事だけど、大喜を手に入れられる。
それが私にとって最善なのだと信じて――、私は腰を降り下ろした。
「……っ、ぅぁ……っ」
音にしたらブツン、だろうか。お腹の奥で何かが裂けた、そうとしか思えない程の衝撃がやって来て。
次いで感じたのは、内臓を焼かれるような熱さ。これは性器同士が重なりあった、それだけの物理的な摩擦熱だ。愛とかそういうものじゃない。
身体は身体で素直になる、それだけだ。
愛されていない、だから痛い。だから苦しい。さっきまでオナニーしていたお陰で緩んでいた筈なのに、それでも尚辛いのが不思議だ。
それでもここで終わりじゃない、それは知っている。それくらいは、知っている。
頭の奥にある僅かばかりの知識を総動員し、私は必死で腰を上下に振り続ける。ゴールまで、大喜を送り届ける為に。
こっちの我儘でこんな事を強いているんだ、せめて最後まで――射精まで至らせなければ。
澱んだ決意だけで痛みを堪え動き続けること、如何程か。
私の中で大喜が跳ね上がるように震え、それを合図として一気に熱い奔流が押し寄せるのが感じられた。
膣内の肉壁は勿論子宮口までが焼かれてその奥、子宮の隅々まで大喜の熱波に侵されていく。
もしこれが愛し合った結果なら、どんなに良かったか。こんな一方通行じゃなくて、ちゃんと想いを受け入れて貰えていたなら。この瞬間に死にたい、とさえ思えていただろうに。
まったく、締まらないな。
時計が指し示すのは、20時45分。そろそろこの馬鹿馬鹿しい時間も、終わりにしなければならない。
大して長くもない時間の中で、意地悪く何度大喜を射精させたか。私のお腹は精液で満たされ、心なしか膨れて見える。
その程度でどうにかなるなら、悩んだりはしない。これは最後の悪足掻き。
「大喜の好きな人は、変わらないんだよね。きっと、さ」
返事はないけれど、その表情からすべてが分かった。
最初から期待してはいないし、こうやってセックスをしたからって心変わりするようなヤツじゃないのは知っている。
バカで頑張り屋でバカで不器用でバカで、誰よりも真っ直ぐなバカ。私が好きになった大喜は、そういうヤツだから。
まだ心ここに非ずな大喜に背を向けて服を着直し、私は部室のドアに手をかけた。
「じゃあ、また明日……ね」
さよならは、言わない。大喜にこれ以上背負わせたくないから。
部室を出て秋の夜風を浴び、私は空を見上げた。
雲に閉ざされた星の無い闇夜は、だけど美しい。この夜が隠してくれるから、泣きながら帰ろうかな。
ああそうだ、明日学校で大喜に会ったら、普通の振りをしよう。全部忘れたみたいに、いつも通りになろう。
それで良い、それが良い。
どうにかなるさ、きっと。
途中まで百合ックスにしようかとも思ったんですが、なんかうまく行かないんですよねえ……。