桔梗の許へ通うようになってから、およそ十日が過ぎた。
鬼太郎と桔梗は、年こそ離れて見えたものの、それでも傍目からはまるで夫婦のように見えたという。
この日も二人は縁側に並んで座り、夕涼みをしていた。
「日中の暑さも和らぎ、だいぶ涼しくなってきましたわね」
「そうですね」
二人を包む、穏やかな空気。
それを引き裂くような、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「…………ッ!?」
瞬時にして緊張に包まれ、身を硬くさせる鬼太郎。
そこへ、ねずみ男が駆け込んでくる。
「おっ、お~~~い! 鬼太ちゃん! 助けてくれぇぇぇ~~~~~ッ!!」
「ねずみ男? 何があったんだ?」
「……に」
「?」
「お、鬼だよ! 鬼が出たんだ!」
「……はぁ?」
「お、鬼宮神社に……鬼が……!」
何をバカなことを、と一蹴しようした瞬間、凄まじい妖気を感じて息を呑む。
「これは……!」
「ね! ね! ホントだったでしょう? 鬼太ちゃん! 早く鬼宮神社に行って、鬼退治をしてきて! ね!?」
拝みながら、すりすりと後ずさっていくねずみ男。
その腕をぐいと掴み――
「お前も一緒に行くんだ、ねずみ男。道すがら、訳を聞かせてもらおうか」
そう凄んだあと、隣で蒼ざめている桔梗に「すぐ戻ります」と言い置いて、鬼宮神社に向かって駆け出した。
* * *
「鬼が出たって、いったいどういうことなんだ?」
「俺は悪くないんだよ! 人助けよぉ、人助け!」
「人助け?」
「そう! ほら、鬼宮さんには世話になってるだろ? だからそのお礼にって、そう思っただけなのよぉ!」
「お礼に何をしたって言うんだ」
返答に詰まり、押し黙るねずみ男。
しかし、「……おい」と低い声で脅されると――
「そんなに怒るなよぉ! 鬼宮さんの依頼でちょっと、鬼さんの骨を……ね」
骨をどうしたのか追求しようとしたところで石段を登り終え、境内に辿り着く。
その途端、「グオオオオオオオオッ!!」と地鳴りのような声が聞こえてきた。
「…………ッ!」
咆哮は遠くで聞こえたものの、それでも油断ならない相手であることを瞬時に察し、鬼太郎は全身に緊張を漲らせ、声がしたほうへと向かっていった。
走る鬼太郎の耳に――
「お~い、鬼太郎~!」
「鬼太郎さん……!」
と、呼ぶ声が届く。
「……鬼宮さん! 父さんはともかく、鬼宮さんはどうして来たんです!? 危険すぎます!」
「ワシも止めたんじゃが、全然話を聞いてくれんでのぉ……」
一二三の肩の上で、「ふぅ……」と困ったように息を吐く目玉おやじ。
一二三は「すみません」と謝罪したあと――
「桔梗のことが心配になったものですから……」
と、言葉を繋げた。
「桔梗さんのことが?」
どうして今ここで桔梗の名前が出てくるのか、不思議で尋ね返すと――
「鬼が……桔梗をさらいにくるのではと、そう思いまして……」
一二三はそう言い、チラリとねずみ男のほうを見た。
「鬼が桔梗さんをさらいに? それはいったい、どういうことです?」
「…………」
一二三が俯き、黙ってしまったので、次いでねずみ男に詰問していく。
「おい、さっき鬼の骨がどうこう言ってたよな? 詳しく聞かせてもらおうか」
「えっ、いや……そのぉ~~~……」
「そもそも、骨ってどういうことだ? 鬼の骨なんてどこで見つけた?」
「それは……」
「それは?」
「……鬼宮神社の裏手にある、洞窟内の本殿です」
「え……?」
「鬼宮の、初代当主と契った鬼の骨を、ご神体として本殿のほうで祀っておったのです」
「ご神体! そんな大事な物を盗むなんて……ねずみ男~~~……!」
「ぬ、盗んじゃいねぇよ! ね? 鬼宮さん! 俺、盗んだりしてませんよね?! ね!」
はい、と頷き、言葉を続ける一二三。
「桔梗とのことを鬼太郎さんに断られ、ならばどうすべきかと困っていたところ、ねずみ男さんにご提案いただいたのです。初代当主と契った鬼を蘇らせればどうかと」
「なんだって!?」
「ふ~む……。反魂の術か……」
――反魂の術。
撰集抄なる書に、西行という僧が旅の途中、孤独に耐えきれなくなり、人骨を集めて蘇らせるという秘術を試みたというエピソードが載っている。
それのことだ。
「反魂の術なんて、なんでお前がそんなものを知っているんだ。……あ。そう言えば、調べ物しに本屋に行ってきたとかなんとか言ってたっけ……」
「そうそう! 俺はよぉ? 困ってる鬼宮さんを助けたい、ただその一心で――」
「骨を盗みに入ったのか?」
「え……? だから違うって――」
「なら、どうして本殿に鬼の骨があることを知っていたんだ?」
「それは……鬼宮さんから聞いて……」
「そうかな? 鬼宮さんはさっき、お前から話を持ちかけられたって言ってたけど」
「……ぎくっ」
「鬼を蘇らせるなんて、そんな提案、最初から本殿に骨があるってこと、知ってなきゃ出来ないよな?」
「ぎくぎくぎく~~~っ!」
「ほら、やっぱり盗みに入ったんじゃないか」
「ち……違うんだって! 俺はただ、好奇心で洞窟に入ってみただけで……」
「そもそも、どうして洞窟に入ろうと思ったんだよ」
「そりゃあ、おめぇ、洞窟の奥からなんか金の匂いがビビビっと漂ってきて……って、あわわ!」
「はぁ……また金か……。まぁいい。だが、どうして術を途中で中止しなかったんだ」
「え……?」
「骨を人の形に並べ、準備したあと14日間、放置しなきゃならないだろ? その間、いつでも中止できたはずだ。骨の形を崩せばいいだけなんだから」
「そ、それはそうだけどよぉ……」
「……私が、術の続行をお願いしたのです。失礼ながらあなたの気が、いつ変わるとも知れませんので……」
「そう……でしたか。でも、反魂の術なんて行うべきではなかった。かの西行法師も結局は失敗し、人になりそこなったそれを野山に捨ててきたことは、その術の名を知っているあなたなら、もちろんご存知だったでしょう?」
「……はい。しかし、反魂法の大家として名高い源師仲は、その術を使って人を作り、その人物は後に大臣になったとの話も聞きます」
「ですが――」
「そうじゃ!」
「……父さん?」
「その話で思い出した。反魂の術で蘇った者は、その名を明かせば作った者も、作られた者も、たちまち溶けて消え失せてしまうという。つまり、名前を呼べばいいんじゃよ。……鬼宮さん、鬼の名前はなんと言うんじゃ?」
「……は。確か紅と……」
「紅さんじゃな、ふむふむ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、親父さん! それって鬼退治も出来るけど、俺も死んじゃうってことなんじゃないの?!」
「まぁ、そうなるのぅ」
「そんなアッサリ言わないでぇ! ……ねぇねぇ、鬼太郎ちゃん! 鬼太郎ちゃんは俺のこと、助けてくれるよね!? 見捨てたりなんかしないよねぇ!? 俺たち、親友でしょぉ?!」
おいおいと泣き、鬼太郎に縋りつくねずみ男。
鬼太郎は「はぁ……」と深いため息をつき――
「父さん、ねずみ男は意地汚くて最低なやつです。でも……死んでいいほど悪党なわけじゃありません」
そう、なんだかんだでねずみ男のことを庇ってやった。
「き、鬼太ちゃん……!」
「ふむ……じゃが鬼太郎。鬼は強敵じゃぞ? 分かっておるか?」
「……はい。でも、もしかすると戦わずに済むんじゃないでしょうか」
「ん? それはいったいどういうことじゃ?」
「その……初代の方と鬼とは、関係を持っていたわけですよね? そういうことが出来るということは、意思の疎通が適うんじゃないかって、そう思うんですけど……鬼宮さん」
「はい?」
「その辺のこと、何かご存知ないですか?」
「私が聞いた話ですと、鬼と初代当主とは夫婦であったと。なので鬼太郎さんがおっしゃるとおり、話し合いで解決できるかもしれません。……いや、そもそもどうして、あんなに吼えているのか……」
困惑顔で、首をひねる一二三。
危険だと思えばもとより、蘇らせて桔梗と契らせようなどと考えるはずもない。
「う~ん……。なんだか変な話ですね。……おい、ねずみ男。術は完璧だったんだろうな?」
「当たり前だろ!」
こうこう、こういう手順でと、鬼太郎達に説明するねずみ男。
それを聞き終えた目玉おやじが――
「砒霜石が原因かの」
と、呟いた。
「砒霜石ですか?」
「うむ」
「なんでよ! 確かに石が手に入らなくて、代わりにトリセなんたらっていう薬を使ったけどよぉ、そんなの同じことだろ?!」
「バカモ~ン! 薬には砒霜石以外のものも、いっぱい含まれておるじゃろうが!」
「……色々混ざっちゃったのが原因ですかね」
「そうじゃろうよ。……まったくお前は、鬼太郎に迷惑ばかりかけよって!」
「悪かったよ! 反省してます! してるから……な? 鬼が村にまで下りてきたら大変だろ? 早くなんとかしてよ、鬼太郎ちゃあん!」
「それは確かにそうだな……。じゃあ、行きましょう。父さん……!」
「うむ……!」
ぴょんと鬼太郎の頭へと飛び移る目玉おやじ。
「あ、鬼宮さんは家のほうへ戻っていてください!」
言って鬼太郎は、どんどん大きくなる、天地を揺さぶるような声がするほうへと走り出していった。