鬼の咆哮を辿り、神社の裏手に回り込んで木々が生い茂る山道を登って行くと、突然目の前が開ける。
「ここが例の洞窟か……」
鬼太郎と目玉おやじの眼前に、巨大な岩がそびえていて、その下のほうに大きな丸い裂け目があり、そこに注連縄が張られている。
「ふむ、ここに間違いないじゃろう」
「……そうですね」
鬼太郎の妖気も、ビンビンに反応している。
「用心して入るんじゃぞ、鬼太郎……!」
「はい……!」
ゴクリと息を呑み込み、注連縄をくぐり抜け、洞窟内へと足を踏み入れていく。
(……あ。意外と明るい……)
本殿へと続く道だからなのか、洞窟内の至るところに照明が設置されていて、進むことに支障はない。
(……結構遠いみたいだな)
およそ20分ほど歩いた頃だろうか。
「ウオオオオオオオオオッ!!」
鬼の咆哮が轟いた。
(…………!)
「そろそろですね……」
「……うむ」
(気を引き締めないと……)
「グオオオオオ! オッ……オオオオオオオッ!!」
歩を踏み出すたび鬼との距離が近くなり、その咆哮も、まるですぐ隣で吼えられているかと思うほど明瞭に聞こえるようになってくる。
そして、更に10分ほど進んだところで、細く狭い道を抜けて、大広間に出た。
「ここは……」
ここが本殿なのだろう。
中央に位置する祭壇が神々しい光を放っていて、部屋全体が厳粛な空気で満ち満ちている。
仮本殿のほうも荘厳な雰囲気を湛えていたが、それとは比べ物にならない。
(すごい……綺麗だ……)
部屋は澄んだ水に囲まれており、室内を照らす明かりが水面に反射して、乳白色に輝いていた。
その神秘的な光景に思わず見惚れてしまっていると、すぐ間近で鬼の叫びが聞こえてきた。
そちらを振り向くと、そこに角を二本生やした、目が燃えるように赤い鬼が立っていた。
「あなたは、鬼宮家の初代当主の旦那さんですね? 僕の話を――」
「ウオオオオオオオオッ! オーーーーーーッ!!」
鬼太郎の声を遮り、吼え狂う鬼。
洞窟内にうわんうわんと咆哮を響かせたあと、鬼太郎をギロリとねめつける。
「グウウウゥゥゥゥゥ……ッ」
「お願いです! どうか僕の話を聞いてください!」
「グオオオオオオッ! ガアアアアアアアアア!!」
「無駄じゃ! ……くるぞ、鬼太郎! 気を付けるんじゃあ……!」
「……くそっ!」
慌てて父親を床に下ろし、鬼を迎え撃とうとして身構える。
その直後――
「オオオオオオオオオ……ッ!!」
鬼は唸り声をあげ、長い髪を振り乱して襲いかかってきた。
「リモコン下駄ーーー!」
くると分かっていたので、すぐさま対応し、鬼へと下駄を飛ばす。
勢いよく、まっすぐ鬼に向かっていく下駄。
そのまま鬼の額を直撃するかと思われた下駄であるが、すんでのところで振り払われる。
「く……ッ! 髪の毛針ーーーーーッ!!」
鬼太郎の髪の毛が細く鋭い針となり、鬼のノド元めがけて飛んでいくが、難なくそれも交わされてしまう。
「これもダメかっ……!」
「鬼太郎、あやつ素早いぞ……! 霊毛ちゃんちゃんこを使うんじゃ!」
「はい、父さん! ……霊毛ちゃんちゃんこーーーーーッ!!」
鬼太郎のちゃんちゃんこが瞬く間に大きくなり、鬼に向かって飛んでいく。
そして、その身にグイと巻きついた。
「やった……!」
鬼の動きを封じたと、そう思った。
実際ちゃんちゃんこは、鬼にしっかりと巻きついている。
しかし――
「グ……オッ……グオオオオオオオ! オオオオオオオオオオッ!!」
鬼の身を縛っているちゃんちゃんこが、ギチギチと悲鳴をあげ始めた。
「ああッ!?」
鬼の姿形は、角があることと目の色以外、人間のそれと特に変わりはない。
しかし、見た目以上に筋力があるようだ。
「くそ……!」
破られては適わないので、念力で霊毛ちゃんちゃんこを呼び戻す。
「なら……これでどうだ!? 指鉄砲~~~~~ッ!!」
指から妖力を、機関銃のように連続発射していく。
それが今度は当たりはしたが――
「グオ……」
大して効いてはいないようで、何十発食らっても鬼は歩を止めはしなかった。
「これもダメか……! じゃあ、いったいどうすればいいんだ……!」
一二三に聞いた「紅」という名前を呼べば、すぐにも解決するだろう。
けれど鬼太郎は、ねずみ男のことはもちろん、この紅という鬼のことも救いたかった。
「お……お願いです! どうか、話を……あああッ!?」
言葉の途中で一気に距離を詰められ、片手でグイとノドを掴まれてしまった鬼太郎。
そのまま、高らかに持ち上げられる。
「う……ッ、ぐ……ッ!」
「き、鬼太郎ーーーーーッ!!」
「く……ぁーーー……ッ!」
紅の指にどんどん力が込められていき、首の骨がゴリゴリと鳴る。
それに伴い気道が塞がれ、鬼太郎は苦しげに咳き込んだ。
「ゲホ……ッ、ゴホ……ッ! ゲホッ、ゲホ……ッ!」
「鬼太郎! ……お、お願いじゃあ! もうやめてくれ、頼む……!」
てててっと駆け寄り、紅の足にしがみつく目玉おやじ。
「と、父さん……危ない……っ……」
幸か不幸か、紅は目玉おやじになど目もくれず、ただひたすら鬼太郎の首を絞め続ける。
「お……ぇッ、げほ……! かはッ……! あ゛ーーーーーーーーーー……ッ!」
ゴボゴボと辺りに、吐しゃ物を撒き散らしていく鬼太郎。
苦しみのあまり、だんだんと意識が薄れてくる。
「……………………」
「き……鬼太郎ーーーーーーーーーッ!!」
全身で叫び、「やめるんじゃあ!」と紅の足にガブリと噛みつく。
「グ……」
さすがに今回は目玉おやじの存在に気付いたようで、そちらにギロリと赤い目を向けていく紅。
(く……ッ! 父さんが危ない……っ!)
父親の危機に直面し、意識を取り戻した鬼太郎は、リモコン下駄を紅の横っ面に飛ばしていく。
目玉おやじに気を取られていたせいで、今度はきっちり当たってくれた。
「グオ……ッ! オオオオオオオオッ!!」
リモコン下駄が頬をかすめ、鬼太郎から手を放す。
「う……、く……ッ!」
床に叩きつけられた鬼太郎。
この隙に父親を連れて、紅から離れようと、そう思うのだが――
「ゲホ……! ガハッ、かはっ……ゴホッ……!」
急に気道が開いたせいで、また激しく咳き込んでしまう。
その逃げ遅れた背中へと、容赦なく長く鋭い鬼の爪が振り下ろされる。
「う……ッ、あーーーーーーーーーーッ!!」
ザックリと、深い爪跡が刻み込まれた鬼太郎の背中。
そこからドクドクと大量の血が流れだしてきた。
「き、鬼太郎ーーーーー……! あぁ……なんということじゃっ……!」
「はぁ……はぁ……はぁっ、う……ッ……」
首を絞められていた際のダメージが回復しないまま出血させられ、鬼太郎の意識がまたゆっくりと薄れてくる。
そんな満身創痍の鬼太郎の首に、紅はまた手を伸ばしていく。
「く……っ! 鬼太郎、こうなったら最後の手段……地獄の鍵を開くんじゃあ!」
閻魔大王の許可なく地獄の鍵を使用すれば、それ相応の罰を受ける。
しかしここで息絶えてしまうよりはマシと思い、目玉おやじは「地獄の鍵を」と言うのであるが――
「ダメ……ですよ……。こんな状態で使っては……制御できない……。村のみんなが……危ないです……」
鬼太郎はゆるゆると首を振り、そう答えた。
「し、しかし……」
なんとも鬼太郎らしい回答であるが、親としては当然息子に無事でいてもらいたいもの。
(くぅぅ……どうすればいいんじゃあ……!)
目玉おやじが逡巡している間に、紅の指が再び鬼太郎のノド元へと食い込んでいった。
「うっ……ぐ……ッ」
「き……鬼太郎……ッ!」
(も、もういい、あやつの名前を――)
紅と、そう目玉おやじが呼びかけたところで――
「……兄様?」
不意に戦いの場に場違いな、涼やかな声が響いた。
(き……桔梗さん……っ!? どうしてここへ……!)
わけが分からないながらも、とにかく身体よ動けと、桔梗を守らなければと思うのだが、ビクともしない。
「く……ッ!」
呻くうち、恐怖と驚愕とに固まる桔梗のほうへと、紅は視線を向けていった。
「グ……ッ」
桔梗の姿を目に留めるなり、急に鬼太郎に関心を失った様子で、鬼太郎の首から手を放す紅。
そしてふらふらと、桔梗のほうへと寄っていく。
「ま……待て! 待つんだ……!」
鉛のように重い身体をなんとか起こし、紅に向かって手を伸ばす。
しかし、そうしなくとも、桔梗との距離がある程度近くなった時点で、何故か紅は自然と足を止めた。
そして、怯えた目で自分をじっと見詰めてくる桔梗に対し、「琉璃……」と呼びかけていった。
(……え?)
「…………?」
困惑気味に目を瞬く桔梗。
そんな桔梗へと、紅は重ねて「琉璃」と声をかけていく。
「……違います。その者はあなたの子孫。名を桔梗と言います」
そう紅に説明する一二三。
「お、鬼宮さんまで……! どうして来たんですっ……!?」
「せっかくのお心遣いを無にしてしまい、申し訳ございません……。ですが、自分の不始末は、自分でけりをつけたかったのです」
そう鬼太郎に向かって、深々と頭を下げたあと、一二三は桔梗を見て僅かに眉を吊り上げ――
「お前はどうしてここに来たんだ?」
と、低い声で聞いた。
どうやら桔梗は、一二三と一緒にきたわけではなかったらしい。
「ごめんなさい……。多恵さんから兄様が、鬼太郎さんを追ったと聞いて……それで……」
「私が行くなら自分も行っていいと、そう思ったのか?」
「……ごめんなさい。私……心配で……居ても立ってもいられなくて……」
兄に叱られ、しゅんと肩を落とす桔梗。
一二三は「やれやれ……」と呆れて息をついたあと、紅に向き直り――
「ご先祖。こたびのこと、全て私の咎。私に責があるのです」
言って、「取るなら私の命を」と桔梗を庇って前に出た。
「兄様!?」
「鬼宮さん!?」
桔梗と鬼太郎の叫び声を、「ふっ……」という笑い声が消していく。
「私もモウロクしたものだ。自分の妻と、他の女とを見違えるとわな」
「……正気が戻ったんですね!?」
「ああ……。自我を失っていたとは言え、主には悪いことをした。許せよ……」
「はい……。あぁ……でも……本当に……良かった……」
鬼太郎がホッと安堵の息をつく間から、ボロ……ボロッと、紅の肉片が、骨からはがれ落ちていく。
「ああッ!?」
「ご先祖……!?」
「朽ちるか。だが、これが自然の成り行き。私は既に死した身なのだから」
「しかし……」
「……後の世はどうか?」
「……は?」
「主らは鬼の血を引く身。生きづらくはないか?」
……生きづらいと。
その血を巡り、このような騒動が起こったのだと。
一二三も桔梗も、そう思っていたことだろう。
しかし二人は首を振り、声を揃えて「いいえ」と返した。
「……そうか」
紅が優しく微笑する。
その穏やかな表情は、とても鬼には見えず、鬼太郎が和やかな気持ちになっていると――紅の身体はボロボロと音を立てて、崩れていった。
そして、肉を失った骨がカラン……ッと地面に落ちていく。
「……あ」
――これが自然の成り行き。
確かにそうであるのだが、なんとなく物悲しい気持ちになってしまう。
「…………」
紅の亡骸を、ぼんやりと見詰めていると――
「鬼太郎さん……」
桔梗が寄り添い、傷口にそっと手を当ててきた。
「あ……」
「ジッと……していてください。こうしている間だけは……ツラくないはずですから……」
確かに見る間に傷口は塞がっていき、痛みもす……っと引いていった。
「ありがとうございます。でも、ずっとそうしてるの、しんどくないですか?」
「大丈夫ですわ」
笑って鬼太郎を治癒し続ける桔梗。
「悪いのぅ、桔梗さん」
「いいんですの」
そう答える桔梗だが、顔色が少し悪い。
自身の妖力を上手くコントロール出来ないせいかもしれない。
それを見かねたのか、一二三が「代ろう」と手をどけさせる。
「……ん?」
「? どうかしましたか?」
「傷が……見当たりません」
「……え? まさか、そんなはずは……」
背を傷つけられ、出た血は衣服に付着しているし、地面にも垂れ落ちている。
故に傷がないわけないと思い、「どうしてかな?」と首をひねる。
「……桔梗。鬼太郎さんの首に手を当ててみてくれないか? ここに、紅様の指の型がついているから」
「え? ええ……」
桔梗は鬼太郎に「失礼します」と声をかけたあと、一二三の指示に従っていく。
こちらも見る間に指の型が消えていき、苦しかった鬼太郎の呼吸も楽になってくる。
「……ありがとうございます。でも、もう……」
鬼宮家の治癒とは、自身の生命力を削ること。
故に遠慮して鬼太郎が身を離すのだが……今度も傷は癒えたままだった。
「……やはりそうか」
「…………?」
「妖力を、正常に使用できるようになっている」
「え? 本当ですか?」
「……どうやら、そのようです」
信じがたい話ではあるが、それが事実だとすれば、これで桔梗と一二三の悩みは解消される。
鬼太郎は嬉しげに「良かった……」と息をつくものの、同時に「なぜ急に?」という疑問も湧く。
それは桔梗も同じなようで、彼女もまた、「信じられない」と言うような面持ちで、自身の手の平をじっと見詰めている。
そんな二人の疑問に答えたのは、目玉おやじだった。
「桔梗さんは恐らく、鬼太郎の子を宿したんじゃろう。そして、その子が母親の意識に感応して、力を与えとるんじゃ」
「……え!? ちょ、ちょっと待ってください、父さん! その……もし出来ていたとしても、まだ一ヵ月も経ってないはずですよ? それなのに……そんなことが出来るんでしょうか……」
「出来るんじゃろうな」
「…………」
目玉おやじの話を聞き、押し黙ったまま驚愕の表情で、お腹に手を当てている桔梗。
鬼太郎もまた、子供が出来たと言われても、どう反応していいやら分からずに、赤くなり、俯いた。
「……ふむ。ともあれ鬼宮さん。これでお前さんの悩みもひとまず解決、じゃな」
「……はい。鬼太郎さんには大変お世話になり、感謝の言葉もございません……」
深々と頭を下げる一二三。
「え……!? いや、そんな……頭をあげてください!」
桔梗と関係を持ったことで礼を言われるということが、なんだか非常に気恥かしくて、鬼太郎は激しく狼狽し、耳まで赤く染めていった。
「ふむ、しかし……もうすぐワシもおじいちゃんか。さっそくベビー服やらおもちゃやらを買いに行かねばならんのぅ」
「父さんったら、気が早いですよ……」
「うふふ……」
明るい声が洞窟内に響く。
――全てが丸く収まったかのように思えた。
しかし、今日を限りで幸福な日々は終わる。
他でもない、桔梗自身の手によって……。