(僕が父親かぁ……。なんだか全然ピンとこないな……)
しかし、一二三や桔梗の役に立てたことは純粋に嬉しく、また、何よりこれで桔梗が鬼宮家のことで心を痛めずに済むと思うと、喜びで胸がいっぱいになる。
(桔梗さん……良かったですね……)
頬をほころばせつつ、布団の中で寝返りをうっていると、突然「きゃああああ!」と、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「ッ!?」
跳ね起きて、慌てて廊下に出る。
「どうしました!?」
廊下を駆けていく女中の一人を捕まえ、尋ねると――
「火事です! 早く逃げてください!!」
女中はそう言い、玄関口めざして走って行った。
「火事!?」
「そうです! 鬼太郎さんも早くお逃げください!」
驚きの声をあげる鬼太郎に、蒼ざめた表情で多恵が呼びかける。
そのすぐ後ろから――
「鬼太郎! 火の手は早いみたいだぞ! お前もさっさと逃げろ!!」
「そうじゃ、鬼太郎! 急ぐんじゃあ……!」
と、ねずみ男と、その肩に乗った目玉おやじとが同時に叫んだ。
「桔梗さんと鬼宮さんは!? 二人はもう避難しているんですか!?」
尋ねると、何故か多恵は顔色を雲らせて、「それは……」と言葉を濁した。
その様子から、嫌な予感がし――
「ねずみ男! 父さんを頼む……!」
そう言うが早いか鬼太郎は、桔梗の部屋に向かって駆け出した。
* * *
「桔梗さん……!」
叫び、桔梗の部屋の襖を開ける。
その瞬間鬼太郎は、熱風に包まれた。
「うわ……ッ!」
ここに来るまでもあちこち燃え盛っていたが、火元はここであったと見えて、赤々とした巨大な炎がチロチロと天井を舐めている。
「く……ッ! 桔梗さん……桔梗さぁん!」
炎で前が見えないため、繰り返し桔梗の名を呼び、声が返ってくるのを待つ。
霊毛ちゃんちゃんこで、この熱風を吹き飛ばすことは可能だが、桔梗の位置が分からない今、それは危険だ。
熱風が桔梗を襲う恐れがある。
故にせめて桔梗がどこにいるのかを探るため、続けて桔梗の名前を呼んでいると「鬼太郎さん……」と、応じる声があった。
「桔梗さん! 無事だったんですね! 良かった……。今すぐ助けます!!」
桔梗がいる方向を避けて、霊毛ちゃんちゃんこで風を送る。
すると炎が際にどき、道が出来たかのように見えたが、すぐまた目前で、メラメラと炎が盛んに燃えあがる。
「くそ……ッ! こうなったら……え~~~~~いッ!!」
桔梗に向かって髪を伸ばし、それを縄にして彼女をこちらに引き寄せようとする。
しかしその髪は、バチンと目に見えない何かに弾かれた。
「これは……!? もしかして、火事じゃない……?」
そんな鬼太郎の呟きに答えるかのように、桔梗が薄っすらと口を開く。
「……ええ。この炎は私が望んで起こしているもの」
「……え?」
桔梗はいったい何を言っているのかと、わけが分からず、目を瞬いていると――
「…………」
ゆっくりと、桔梗がこちらを振り返った。
それと同時に、少し炎の勢いが和らぎ、床が見える。
そこで初めて気が付いたのだが、桔梗のすぐ傍で、一二三が倒れ伏していた。
「鬼宮さん!? 大丈夫ですか!? 返事をしてください! 鬼宮さん!!」
「……呼んでも無駄ですわ。もう死んでいますもの」
「……え、死――」
「……そう。私が殺しました」
何をバカなことをと、そんなはずがないと、そう言葉を発しようとする鬼太郎の目に、血で赤く染まった畳が見えてくる。
「な……ッ!?」
「…………」
ぼんやりとした表情で、鬼太郎を見詰める桔梗。
その手には小太刀が握られていて、そこからポタポタと、畳に出来た血溜まりに血の雫を落としていく。
「桔梗……さん……?」
一二三は……生きてはいまい。
あれだけ血を流しているのだから。
「桔梗さん……いったいどうして……」
「多恵さんと……家を出ると言われましたの」
「家を……?」
「私に子が出来たなら。もう鬼宮の家に自分は必要ないと……そう言って」
「…………」
「誰と……一緒になっても良かった。この村にいてくれさえしたら……それで良かったのに……」
「…………」
「鬼太郎さん……」
「……はい?」
「こんな恐ろしいことが出来るなんて……やはり私の身体にも、脈々と鬼の血が流れていたようですわ……」
笑みながら涙をこぼし、寂しげに呟く桔梗。
その直後、ごうごうと音を立てて炎が桔梗を包み込んだ。
「……ああッ! 桔梗さん!!」
「…………」
「独りがツライと言うのなら、僕があなたを支えます! 鬼宮さんの代わりに……! だから、この炎を鎮めてください……!」
必死に説得を試みる鬼太郎。
しかし桔梗は瞳を伏せて、「……違うんです」と呟いた。
「違うって、何が!?」
「……独りになることがツライわけじゃない……。私……私は……私と兄様が兄妹だという……その因果が憎いんです……ッ!」
桔梗の叫びに呼応するかのように、一気に炎が噴きあがる。
「く……ッ! 桔梗さん、お願いです! 炎を鎮めてください! 僕はあなたを死なせたくない……ッ! 愛しているんです……!」
声の限りに、想いの丈をぶつけていく。
しかし、返ってきた言葉は――
「……それは……違います。あなたはただ……私を哀れに思っただけ……」
そんな酷く冷めたものだった。
「違うッ!!」
全力で否定するも、炎の勢いは増す一方で、とうとう前が見えなくなってしまった。
バチバチ、メラメラと音を立てて、桔梗と一二三とを呑み込んでいく炎。
「なっ!? 桔梗さんっ、桔梗さああああああん!!」
叫び、桔梗の許へと駆け寄ろうとするのだが、相変わらずバリアで弾かれてしまう。
「くそ……!」
髪の毛針を打ってみるも、それも効かず、では武頼針ならどうかと、地獄の鍵を開く決意をした直後――
「……うわッ!? あ……ッ、あーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
鬼太郎は目に見えない力に吹き飛ばされ、強引に意識を閉じさせられていく。
(な……っ、う…………?)
薄れゆく意識の中、鬼太郎は――
「兄様が死んで……あぁ……これで……これでやっと……キスすることが出来る……」
しみじみとそう呟いて、そっと、愛おしむように、優しく一二三の頬を撫でながら、その死した唇へとキスしていく桔梗の姿を見た……。
* * *
見えない力で外へと吹き飛ばされた鬼太郎は、ねずみ男の手で多恵の実家へと運ばれていた。
「おい、鬼太郎! 鬼太郎よ……! 目を覚ましてくれ、鬼太郎……!」
息子の身を案じ、おいおいと泣く目玉おやじ。
その呼ぶ声が何度も何度も聞こえてきて、鬼太郎はゆっくりと目を開いていった。
「……父……さん……?」
「……おお! 鬼太郎、気が付いたか! 具合はどうじゃ? どこか痛むか?」
いえ……と首を振ったあと、桔梗のことを思い出し、跳ね起きる。
「父さん! 桔梗さんは!? 桔梗さんは無事なんですか!?」
「桔梗さんか……桔梗さんなら――」
「……恐らく、生きてはいないでしょう。鬼宮家は……全焼しましたから」
目玉おやじの言葉を引き継ぎ、多恵が答える。
「そんなの、信じられません!」
そう声を荒げて鬼太郎は、部屋から飛び出していった。
* * *
「桔梗さん……! 桔梗さん……ッ!!」
桔梗の名を呼びながら、鬼宮家まで駆けてきた鬼太郎。
全速力で走ってきたため、息があがるが、そんなこと気にしてはいられない。
焼跡を前にして、再び桔梗の名前を呼んでいく。
「桔梗さん……ッ! どこです!? 返事をしてください……! 桔梗さぁん……ッ!」
割れた茶碗を踏みながら、焼け焦げた木々をどけ、桔梗を探して歩く。
その背中に「無駄だよ……」と、ねずみ男が声をかける。
「無駄なんかじゃない!」
振り返り、涙の滲む目でねずみ男をねめつける鬼太郎。
そこには、多恵と目玉おやじもいた。
二人共、悲しげに眉を寄せて鬼太郎のことを見ている。
「……鬼太郎。ねずみ男の言うとおりじゃ……」
「……父さんまで、いったい何を言うんです……」
「だってよ、鬼太郎。おめぇなら分かるだろ? 桔梗さんの妖気、感じんのかよ?」
ねずみ男にそう尋ねられ、目を伏せて押し黙る鬼太郎。
「…………」
「どうなんだよ、言えよ。鬼太郎……!」
「……感じない。そんなこと、本当はここにきた時から分かっていたさ。でも……信じたくないじゃないか! 桔梗さんが死んだなんてこと!」
「鬼太郎……」
「……守るって、約束したんだ……。なのに……こんな……うっ、くっ……うあぁ……あああああ……ッ!」
泣き崩れ、地面に拳を叩きつける鬼太郎。
割れたガラスの破片が、そこにあるのも構わずに、繰り返し何度も何度も。
その手を多恵が、優しく握って止めた。
「……そんなことをしては、桔梗さんが悲しみますよ」
「……悲しみませんよ。だって、桔梗さんは――」
「一二三さんのことが好きだったから、ですか?」
多恵の言葉に驚き、顔をあげる。
「知って……いたんですか……?」
多恵は小さく頷き――
「……私が桔梗さんを追い詰めてしまったのだと思います。一二三さんに、一緒に村を出て欲しいと……そう言いましたから」
そのことを悔いているのか、長い睫毛を伏せた。
「……何故そんなことを?」
「……桔梗さんに想いを寄せる一二三さんの姿を見ているのが、ツラかったからです」
「……え!? 鬼宮さんが、桔梗さんのことを……?」
「……ええ。だからあの人、村を出ることを承知してくれたんです。あの人はあの人で、あなたとの子を孕んだ桔梗さんを見ていることが、ツラかったから……」
「…………」
なんともやり切れない思いだった。
一二三も桔梗も、互いを想い合っている。
では、自分はいったいなんだったのか。
そして、なぜ二人は死ななければならなかったのか。
――兄妹である。
そのことに目をつぶりさえすれば、桔梗は鬼の血がまだ濃いかと思われる一二三の子を孕み、妖力を引き継いでいくことが出来ただろう。
しかし――
「私と兄様が兄妹だという……その因果が憎いんです……ッ!」
そう桔梗は言っていた。
他の誰が「良い」と言ったところで、彼女自身がそれを良しとはしなかったのだろう。
「桔梗……さん……」
桔梗のことが、哀れで泣いた。
ただ悲しくて、ひたすら泣いた。
「僕なんて……必要なかった……。最初から二人が結ばれていたら……こんなことにはならなかったのに……」
「……それはそうかもしれませんね。でも、そしたら私はいったいどうなるのでしょう……」
「あ……。す、すみません……僕、考えなしで……。鬼宮さんがあんなことになってしまって……多恵さんだって……ツライですよね……」
「……鬼太郎さん」
「はい……?」
「あなたと桔梗さんが心を通わせ、そして添い遂げてくれたらいいと……そう思いました。そうすれば、一二三さんは私だけのものになってくれると信じて……」
「…………」
「結局、一二三さんは桔梗さんが連れていってしまったけれど……でも、あの人は一つ私に大事なものを残していってくれました」
「…………?」
鬼太郎の視線を受けて、そっと自身の腹を撫でる多恵。
「多恵さん、子供が……?」
「……ええ。ですから私、ツラくはないんですよ」
言って多恵は微笑したが、その頬を涙の雫が伝っている。
――寂しくないと言えばウソになる。
けれど、寂しさに負けたくないから、だから笑っているのだろう。
そんな強さを僕も欲しいと思いながら、もう桔梗も一二三も誰もいない焼け跡を、鬼太郎はじっと見詰めた。
「……ケッ。湿っぽいのはごめんだぜ。俺はもう帰るからな」
吐き捨てるようにそう言って、くるりと背を向けるねずみ男。
しかし、途中で立ち止まり――
「……そう言えばよぉ、遺体は見つかってないらしいぜ」
そう言い残して去って行った。
「……今の話、本当ですか?」
「ええ。でも、この焼け方ですから……残らなかったとしても、無理はないかと」
それはそうかもしれない。
だが、違うかもしれない。
「……最後、僕は不思議な力で弾き飛ばされました。桔梗さんも僕と同じように、不思議な力で守られたかもしれません。……その可能性はありますよね? 父さん」
息子の問いに、「うむ」と頷く目玉おやじ。
それが本心なのかどうかは分からないが、ともあれ鬼太郎の心はそれで救われることが出来た。