血と悪魔(大人悪魔ほむら×大人さやかR18短編集) 作:さんかく@
本当に困ったものだ。
私はため息をつきながら空を舞う。
私が改変したこの世界、それでも思い通りにならないことはある。佐倉杏子のこと、人と融合した魔獣のこと、そして何よりも
忌々しい蒼い犬
私の足元にひれ伏して、私の許しを得て共に闘うことになったのに
人として社会に紛れるために公僕となり、私の目を盗んでは一人で魔獣と戦っている。
弱いくせに
犬の「力」は昔、「私達」の中で最も非力だった。
自らの身体能力のみに頼り過ぎ、効率的な使い方を全く知らない犬はこの世界でも変わらずで。
そんなことしたら死んでしまうでしょ?
私が知らない間にのたれ死んでしまったら後味が悪い。
だから時折、こうして私は空を舞いながら、犬の後を追う。人知れず犬が死んでいくのを私が嘲笑うために。
本当に馬鹿ね美樹さやか
そうして今もまた、一人戦おうとしている蒼い犬がいた。
廃墟の屋上から何かを見下ろしている蒼い犬。その横顔は餌を待っているような、お預けをくらっているような顔で。早く飛びかかりたいが、機を伺っている。珍しいわ、いつもお間抜け顔しか見ないのに。
お手並み拝見といきましょうか
崩れ落ちたアスファルトの瓦磔の上に魔獣が三体。ゆらゆらとしたりんかくのない朦朧体のようなその姿はまるで白い煙のよう。今日の魔獣は人と融合していない。
ああ、よかったわ、と私は安堵した。人と融合していたら、この犬はまた躊躇して受けなくてもいい傷を受ける。犬は自分で傷を癒すことはできるけど、傍で見ている飼い主からしたら、そんな姿鬱陶しくて仕方無いのだから。それに、家の床が血だらけになるのはもうごめんだ。
犬は「剣」を魔獣へと放つ。閃光が走り、三体は一気に消し飛んだ。
やるじゃない
とりあえずは頭を撫でてやるくらいはしましょうか
そう思い私は空から降りかけたが――やめた
何故なら、そこにいるのは私の犬だけではなかったから
私はその名前を忌々しい思いで呟く
かつて遠い昔の世界で戦友だった赤毛の女性
そこには蒼い犬と、赤毛の元戦友がいた。
「……さやかっ!」
強張る唇を動かし続け、なんとか佐倉杏子は名前を呼ぶことに成功した。
視線の先は、廃墟ビルの屋上でこちらを見下ろしている蒼い髪の女性。細身のシルエットの持ち主である彼女は、杏子の呼びかけに対し何も反応していない。
「…どうしたん…おいっ!」
と、さやかと呼ばれた女性は、屋上へ姿を消した。
「おい…逃げんなっ」
杏子は叫ぶ。そうして、アスファルトの瓦磔のてっぺんから、微かな予備動作で跳躍した。通常の人間からは考えられない高い位置まで跳躍し、身を翻して、傍の廃墟ビルの壁を足で蹴りあげ、一気に屋上まであがる。
屋上のフェンスにカン、と音を立てて、足をつけると、キッと吊目がちな野性的な目を走らせて蒼い髪の女性を捉えた。
「さやかっ!」
必死で叫ぶ。ちょうど蒼い髪の女性は反対側の屋上のフェンスに足を乗せ、飛び降りようとしていた。だが、悲痛な杏子の叫び声に心動かされたのか、身体を強張らせた。
「お願いだから…」
大人になっても変わらない少し舌足らずな声で、杏子は蒼い髪の女性に呼び掛ける。
はあ、と女性からため息が漏れた。そうしてゆっくりと杏子の方を振り返る。浮世離れした醒めた雰囲気を持つ蒼い髪の女性は、口元を歪め、そうして困ったような表情をした。
「まいったなあ…」
右手で頭を掻きながら、えへへと笑う表情は、彼女の「飼い主」である悪魔からすれば「へらへら」と形容され呆れられるだろう。だが、赤毛の親友からすれば、それは「大事な人」の久しぶりの笑顔であった。
「さやか…!」
脱兎のごとく杏子は駆けだし、フェンスを降りた蒼い髪の女性、美樹さやかに抱きついた。
成長して、すらりと細身になった、さやかの身体と肉感豊かになった杏子の身体が密着する。杏子の腕がまるで何かを探るようにさやかの後頭部や、背中を這いまわる。戸惑う様に「ちょっと、杏子」と声をあげるさやか。さやかより少しだけ背の低い杏子がさやかを見上げる。燃えるような赤い瞳と、空のような蒼い瞳の視線が絡みあう。
ニヤリと不敵に杏子は笑い、八重歯を覗かせた。
「へへお前…痩せたな、ちゃんと食べてんのか?」
「それなりにね…あんたは…見ないうちにだいぶ成長したわねえ」
困ったようなはにかむような笑顔を向けるさやか。そんな彼女をしばらく見つめ、杏子は真顔に戻る。そうして、今度は甘えるような声をあげた。
「なんで…あたしを避けるんだよっ、馬鹿」
「…ごめん」
「言いたくないのか…やっぱあの女のせいなのか」
「……」
戸惑う様にさやかは視線を逸らす。大人っぽくなった杏子の顔つきは精悍さを増し、それと同時に女性としての色香が溢れていた。黒髪の相方の妖艶さとは違った野性的な色香。押し付けられた胸が自分自身のと変わらない(あるいは大きい)くらい成長しているのを弾力で感じ、さやかは恥じらいながら身体を離す。が、杏子はそれを許さなかった。さやかを両腕ごと抱きしめ背中に手を回す。
「…もう少し、そのままでいてよ」
「…ちょっと」
だがさやかは動けない。
力で跳ねのけることはできるが、どうしてもそれができなかった。
憐憫なのか、それとも長年親友に対してそっけなかった態度を取った自分への戒めなのか。美樹さやかにはわからない。ただ、首元に顔をもたれかけた赤毛の親友が、はあ、と満足気にため息を漏らすのを聞きながら、なぜか黒髪の相方の顔を思い出し、罪悪感を感じていた。目のやり場に困っているのか、さやかは屋上の床へと視線を向ける。と、何か黒い影のようなものが一瞬さやかの視界に映った。
「?」
だが、影はすぐ消えた。気のせいかと、さやかは思いなおしたのか、小首をかしげた後、また困ったようにもたれかかる赤毛の女性を見つめた。
二人は長い間、そのままだった。
屋上に抱擁している二人の影が長く長く伸びていた。
* * *
「愛してもいないし 好きでもない」
鹿目まどかはほむらの言葉を反復していた。
もちろん、この言葉はまどかに向けられたものではなく、さやかに対するほむらの評だ。
ほむらは杏子にそう言い放ったという。さやかのことは愛してもいないし、好きでもないと。
「本当かなあ…?」
まどかはつぶやくと、髪を掻き上げながら、「象さん」を折りはじめた。
陽光が優しく注がれる週末の幼稚園。
たくさんの園児が遊びまわる室内で、今日は一人まどかは折り紙作りに専念している。ジーパンに長袖という質素な服装に、ひよこの絵柄の可愛らしいエプロンを身に付けた彼女には、家庭的な穏やかな可愛さがあって。桃色の髪は淡く輝いて、その穏やかな瞳は優しく園児へ手渡されるであろう折り紙に注がれていた。だが、折り紙の青い色がいやおうにも「あの人」を思い出させて、まどかは手を止める。
「さやかちゃん…」
懐かしい…どこか不思議な人だとは思った。
転校してしばらくして、あの人は少し照れたように自分の元に来てくれた。とても懐かしい、昔から知っているような既視感と居心地の良さにまどかはすぐに心開いた。そうしてあの人は「親友」と言って、黒髪の少女を紹介してくれた。
暁美ほむら
転校した日にまどかは彼女と会っていた。
渡米から帰って来てからの久しぶりの日本だというのに、つい最近まで日本にいたような不思議な感覚の元、気付けば彼女に抱きしめられたことは今でも覚えている。
自分に対して、何か思うところがあるらしく、常に視線を感じた。だが、踏み込んではこなかった。まるで見守るようにそっと遠くから見つめている、そんな雰囲気の彼女に嫌気が差したことはない。
――違う、違うのよ、まどか
成長して、お互い自らの胸の内を上手く表現できるようになってから、まどかはさやかが好きなことを彼女に告白した。そうして、それでもさやかと彼女が想い合っているのなら、自分は身を引くと。
――私はあなたを愛しているの
その時、ほむらは悲痛な表情を浮かべ、まどかを抱きしめた。
ほむらの想いは本当なのだろうとまどかは思う。しかし
だとしたら、さやかに対しての彼女の感情とはどのようなものだろう?とまどかは疑問に思う。
長年連れ添うように暮らしてきた彼女達が、なんの感情も無いなんてありえないとまどかは思った。ましてや利害関係だけであのように仲がいいはずがないのだ。
――まどか
――何?
――この人にはリードはいらないから
――犬じゃないってば!
公園での三人の会話。さやかを犬扱いしている時のほむらのあの、得も言われぬ楽しそうな笑顔。まるで人形のような、この世のものではないような美貌の持ち主であるほむらが、普通に人間らしく笑うのだ。それはとても…大切な事だとまどかは感じていた。なぜかまどかは二人が仲良く寄り添う姿を見るのが好きだった。ずっと昔からそれを願っていたような、不思議な既視感。だからこそまどかは身を引こうと考えていたのだ。だが、それでもまどかはこの関係がずっと続けばいいと願っていた。「三人」が心地よかった。
はあ、とまどかはため息をついた。
ここのところ嫌な予感ばかりしてならない。
まどかは手元にある「象さん」をいじりはじめた。そうしてもう一度ほむらの言葉反復する。彼女の言葉の裏にある何かを読み取ろうとするかのように。
* * * * * * * *
「ただいま」
「おかえりなさい」
美樹さやかが玄関のドアを開けると、黒髪の相方が台所に立っていた。
珍しいとさやかは驚き、その美しい後ろ姿を見つめる。キャミソール一枚のあられもない格好で台所に立つ姿は煽情的で、さやかでも目のやり場に困るところだが、生憎ほむらはさやかに背を向けていた。長い黒髪に隠れた華奢な肩が忙しそうに上下している。カツン、カツンとボウルと木べらのぶつかる音がした。白い脚が妙に艶めかしく見える。
「チョコレート作っているのよ」
優しい、だがどことなく生気の無い声でほむらは囁いた。さやかの方を振り向かない。
「へえ」
さやかは興味深げに相方の背中を見つめ続けるが、振り返ってくれないため、チョコレートを見ることができず、残念そうに口を尖らせる。
「貴方が物足りなさそうだから…あげるわ」
あの小さいチョコに不満だったことを覚えててくれてたのかと、さやかは驚く。同時に嬉しくもなるが、どうにも相方の様子がおかしいので声をかけずらくなった。艶のある長い黒髪が、カツン、カツンという音と共にゆらゆらと揺れる。
「でも貴方は犬だから、固形よりどろどろしたのがいいわよね?」
「え?」
「…テーブルの方に行ってて…」
さやかは小首をかしげながらも、美貌の相方の言う通りにする。そんなさやかをほむらはちらと横目でみやり、ボウルを手にした。
「そこじゃないわ」
さやかが椅子に座ると、黒髪の美女はボウルを手にして歩いてきた。キャミソール一枚のあられもない姿で対面に座ると、黒髪を掻きあげながらボウルを置いた。一瞬顔を伏せたため、アメジストの瞳が長い睫毛に隠される。そうして、整いすぎた顔が憂いを秘めたままさやかに向けられた。
同時に、すう、とほむらの人さし指がさやかの眼前に差しだされ、艶やかな彼女の唇が動いた。アメジストの瞳には暗い燻ぶるような焔が揺らめいて。
「貴方が座るのはここよ」
人さし指が差し示したのは、ほむらの足元の床だった。
さやかの目が驚きで見開かれ、蒼い瞳が動揺で揺れる。そうして、彼女の視線は床から、悪魔の煽情的な組まれた脚へと注がれる。そうして眩しいほど白い悪魔の太ももが、蒼い瞳に映し出された。慌てて首を振って、さやかはほむらへと向き直す。
「何…」
「座りなさい」
有無を言わさぬ威厳を秘めた声。さやかの背筋に悪寒が走る。
…一体どうしたのだろう?
「ほむら…どうしたの一体…」
「黙りなさい」
ほむらの人さし指がさやかに向けられ、そのまま床下へと指が落ちる。と、同時にさやかが操り人形の様に床に叩きつけられた。
「げふっ…」
さやかは、苦痛に顔を歪め、声をあげる。それでも今のこの状況がよく把握できず、彼女は椅子に座っている家主を見上げた。
「杏子に会ったわね?」
ほむらは忌々しいものでも見るかのように、さやかを見下ろしている。久しぶりに見た冷たい双眸にさやかは震えた。
だが、その怒りに満ちた美しい顔は、凄惨美を秘め、さやかの心を捉える。
悪魔は従者を奪われそうになったことに怒りを覚えているのか。
否
怒りなどという悪魔にありきたりな感情ではない。
美貌の悪魔の双眸にゆらゆらと揺らめいている怒りの焔は、嫉妬に起因するものだった。
アメジストの瞳は怯えるさやかを映し出していた。
* * *
犬を奪われそうになり、
嫉妬に狂った悪魔のお仕置きはいかように?
悪魔は自らの白い美しい脚を、茶色の液体で汚した。
犬はそれを全て舐め取ったのだ。
足の先から付け根まで。
そうして
「二度と会わない」と忠誠を誓う。
満足した悪魔はそれはそれは嬉しそうに微笑むと、犬に跨りのしかかる。
そうしてまた
今宵も悪魔と犬は繋がった。
「さやか――」
妖艶な悪魔は何度も何度も犬の名前を呼ぶ。
犬の上に跨り、蠢きながら、喘ぎながら。
犬も同じだ、何度も主人の名前を呼び、合わせるように体を動かす。
そうして今度は向きを変え、犬が上になる。貪るように、主人は犬を掻き抱いた。
名前を呼びながら喘ぐ主人を舐める犬。
繰り返し、繰り返し、
二人は重なり
夜は終わりを告げた。
* * * * * * * * *
着信音が鳴って、先に目を覚ましたのはほむらだった。
「……ん」
気だるげに身体を捩じらせる。薄く目を開け、傍らにいつもの通り相方がいるのを確認するとほんの一瞬口元を引きあげた。ほむらに背中を向けている蒼い髪の女性はぐっすりと眠りこけていた。どうやら昨夜の悪魔との激しいじゃれ合いが影響しているのだろう、結構乱暴にほむらは彼女の頭を撫でているが、起きる気配が無い。二人とも身に何も纏っていなかった。
クスクスと笑う悪魔。
「お間抜けだわ…」
その美しい横顔には昨夜の暗い怒りは見られない。代わりに目の下に薄くくまができているのは、彼女にとってもまた、昨夜の行為は激しかったということだろう。
着信音は鳴り続ける
煩わしそうに、ひそめられるほむらの眉。
「…邪魔ね、誰なのよ」
ほむらの細い腕がサイドテーブルに伸びた。
相方の髪と同じ色の携帯を手に取ると、横たわりながら、ほむらは画面を見つめる。
アメジストの瞳に焔がゆらめく。それは昨晩消えたはずのもので。
一瞬表情を消した後、ほむらは電話に出た。さやかを起こさないように、そっとベッドから降り背中を向ける。
「おはよう杏子…さやかはまだ寝てるわよ」
ほむらはニイ、と笑みを浮かべ、電話の相手に挑発するように囁いた。
* * * *
木漏れ日に温かな陽光が差し込む。緑豊かな色彩に杏子は目を細めた。
小鳥は囀り、数人のウォーカー、朝の公園は人を健康的な気分にさせる。
杏子は朝の公園が好きだった…が、今日は様子が違った。杏子は公園の木にもたれかかり、かつてないほど不機嫌な表情を浮かべている。いや、不機嫌という言葉もまだ穏やかというほどの殺気に満ちた顔だ。
「…あら、だいぶ不機嫌ね」
杏子の背後にいきなり黒い影が現われた。ほむらだ。木に手を添え、小首をかしげ杏子を見つめる。長い黒髪と美しい容貌。相変わらずの美しさだが、今回は杏子は見惚れたりしない。それほどまでに彼女の心は怒りに満ちていた。奇しくも、互いに、以前喫茶店で会った時と同じ装いで。だがその時よりも二人の間に流れている空気はかなり不穏なものであった。
「てめえ…」
野性的な体躯を翻し、杏子はほむらへ身体を向ける。今にも飛びかからん勢いだ。
一本の木に寄り添いながら、女性二人は対峙する。二人の頭上に陽光が射した。柔らかい風が二人の髪を揺らした。揺れる赤と黒。
「どうしたの?穏やかじゃないわね、私はあなたが呼びつけたからわざわざ出向いてあげたのよ?」
「……なんで出た」
「あら?どういうこと」
「なんであんたが、さやかの携帯に出るんだよ!」
バシ、と杏子が木を叩く。
「さあ、一緒に住んでいるからかしら」
「関係ねえだろ」
睨む杏子をほむらは見つめ返す。意外にもその目は真剣そのもので。
「…あなたこそ、昨日はあの人と会ったんでしょ、何を話してたの?」
「聞いたのか、さやかから」
「いいえ、はったりよ」
そう言って、ほむらは微笑む。その笑みには邪心が一切なく、かえって杏子は薄気味悪くなった。ほむらは言葉を続ける。
「あなたがこんな朝早くからあの人に電話をかけてくることが不自然だもの。今まであなたから電話があったなんて、あの人から聞いたこともない…だからよ」
踊るように肢体を翻し、ほむらは落ちてきた葉を掴む。
「やられたよ…名推理じゃねえか」
「…そうね、それにあなたからの電話って、「あれ」以来よね」
フフフと笑ってほむらは杏子に振り向いた。不穏な空気。
「あの時も私が電話に出たのよね」
「てめえ…」
「寝たわ」
「…何」
悪魔から放たれる言葉。
二人は顔を近づけ対峙する。
猫のように目を細め、ほむらは杏子を見つめる。
「寝たのよ…意味わかるわよね?」
杏子は言葉を発することができない。
「あの時…何が起きたかは答えられない、その代わり私が何をしたか教えてあげるわ」
アーモンド型の目がじょじょに開かれていく。長い睫毛に覆われたアメジストの瞳が露わになるのと同時に、艶のある唇が開かれた。
「私はあの人を抱いたわ」
言葉は続く。
「あの電話の後にね」
バシンと破裂音がした。ふわりとほむらの黒髪が舞う。
「黙れよ…」
杏子が右手を強く握る。頬を抑えて面白そうに目を細めるほむら。
「あたしは信じない…!そんなこと…」
「強情ね…いいわ、勝手になさいな、事実は変わらない」
「てめえ!」
杏子は乱暴に、ほむらの肩を掴んだ。
燃えるような赤い瞳が薄笑いを浮かべているほむらを捉えた。
「あいつの事「愛」してないし、「好き」でもないって言ったじゃないか、なのになんで」
「言ったわ、その通りよ」
「な…」
動きを止める杏子の腕をほむらは振りほどく。
「だからなんなの?それが私があの人を抱かない理由にでもなるの?」
「お前…何を言ってるんだ?」
ほむらの言葉はとうに杏子の理解の範疇を超えていた。
「あなたにはわからないわ…いいえ、わからなくていい、ただ」
ひゅう、と風が吹く。
「あの人にはもう近寄らないで」
「……」
「所有物に手を出されることほど不愉快なことはないわ」
「それが本音かよ」
杏子は苦々しげに呟く。この黒髪の美女は美樹さやかを自分のモノか何かのように思っている。
「あたしは、あんたがさやかのことをモノのように思っているとしか思えねえ…」
「あなたには関係ない」
「…っ、だとしても、あたしはあきらめない」
今度は杏子が身を乗り出して、ほむらを睨む。
「あたしはあんたからさやかを取り戻す」
「無理よ、あなたにあの人が抱けるの?」
「そ、そんなの関係ねえ!」
おおありよ…とほむらは思ったが、口にはしなかった。
毎晩、相方を抱いていると知ったら、更にこの赤毛の女性は激怒するだろうが、すでにほむらはこの逢瀬に興味を失っていた。
「これは勝てないゲームよ杏子、それでもあなたは続けるの?」
「誰が決めたよ、そんなもん」
「あなたはあの人が好きなのね」
「当たり前だろ…あたしはあいつしか、あいつじゃないとダメなんだ」
ふう、とほむらはため息をついた。ここまで盲目的だと話にならない。
「じゃあ、続けるのね、いいわ…でも私はあの人を手放さないわよ」
だって、私はあなたよりも、ずっとあの人のことが――
だがその思いは決して言葉にはしない、ほむらの胸に永遠にとどまり続ける言葉にならない「想い」。
去っていく杏子の後ろ姿を見つめながら、ほむらは呟く。
「あの人は私のものなのよ」
心震わせて、悪魔はほんの少しだけ本音を滲ませた。
了
* * * * * * * * *
「…あいたたた…」
間抜けな声をあげながら、さやかはベッドから起きる。
いつものように、床へと落下したわけではないのだが、どうやら昨晩から夜明けまでの「じゃれ合い」が原因らしい。腰のあたりをおさえながら、ベッドから降りると台所へと向かう。蒼い髪はぼさぼさだ。
「あれ…」
台所へ向かうと、黒髪の相方が立っていた。さやかに背を向けて。昨日と同じ光景にさやかは軽い既視感を覚える。違っているのは、彼女がどこか外出したのか私服であることだけ。おそるおそるさやかは声を掛ける。
「おはよう」
「……おはよう」
ワンテンポ遅れて返事が返って来たことに安堵のため息を漏らすと、さやかは何か気付いたように、あ、と声をあげた。
「ほむら…今日は私が食事」
「別にいいわ」
そう、二人は交互に料理をしていた。当初は試行錯誤であったが、さすがに8年もすれば自炊くらいなんてことない。しかし、実は雰囲気というか、悪魔の威厳に流されいつもさやかにターンが多く回っているのだが。トン、トン、と包丁の音が聞こえるのでさやかが恐る恐る覗きこむと、そこには青い魚がいて。
「え、あんた朝っぱらから魚…?」
じろり、とほむらがさやかを睨む。美しい横顔からの横目は迫力もので、思わずさやかが
身を竦めると、ほむらははあ、とため息をついた。腰に手をあてさやかに顔を向ける。目つきが悪く、妙に座っていた。寝不足なのだろうか?
「もうお昼よ…貴方いつまで寝てると思ってるの?」
「え、そうなの?」
「まったく…」
ダン、とほむらは包丁の切っ先を魚に突き刺さした。ひ、と思わず変な声を漏らすさやか。ほむらは右手をあげてテーブルを差す。
「取ってきて…ボウル」
「あ、はい」
そそくさとさやかがテーブルへ向かう。昨日の名残、チョコの入っていたボウルを見て、さやかが照れくさそうな顔をして戻ってくる。
「はい」
「洗って頂戴」
「うん」
そうしてしばらく沈黙が訪れる。
気まずいという訳でもないが、さやかは相方をちらちらと見ては、何か言いたげにし、また口ごもる。ほむらの視線はまっすぐ魚に注がれていて、こちらを微塵とも見ていない。
しかし
「…何」
「え」
「貴方さっきから私の事ばかり見ているけど、何か言いたいことでもあるの」
美しい悪魔は怒りの表情もまた美しいらしく、さやかはその横顔にしばし見惚れていた.
目だけでさやかの方を見ているのだが、アーモンド型の目には怒りの焔が微かにくすぶっていて、幸か不幸か、さやかはそれに気付かなかった。
「あ、う、うん…えへへ、なんかあんたまだ怒っているのかなあって…」
へらへら笑う相方を「はあ?」とでも言う様に睨んで、そうして思わず呟いた。
「…貴方って本当救いようのない能天気馬鹿だわ」
頭が痛いとでもいうように、ほむらは額を左手で抑えた。彼女は稀に、不機嫌になったり、拗ねたりして、人間らしい仕草を頻繁に見せるようになるが、どうやら今がそうらしい。
「…へ、私何かしたっけ?」
「貴方の存在自体で何かしてるわ」
「ひど!何よそれ」
その能天気ぶりに、ほむらはただ一言「鈍感」と呟くと、包丁を構えた。そうしてずかずかと迷いなくさやかに向かって突進する。思わず、飛びながら後ずさるさやか。
「わあ、あ、あんた何すんの!ちょっと!」
「貴方を三枚に下ろすわ」
「嘘!」
ほむらはニヒルな笑いを浮かべながら、さやかに詰め寄る。美しい女性が恍惚と刃物を持つ姿は何故かエロティックであるが、狙われている女性の方からしたらそれどころではない。慌てて手近な防御物と、さっき洗ったボウルをさやかは持った。間合いを取りながら、さやかは後ろに下がる。昨夜の余韻などもはや全部すっ飛んでしまった。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、昨日のことなら、ちゃんと謝ったじゃない!なんでよ!」
「謝ったですって?笑わせるわね…人がどんな思いで…」
二人は間合いを取ったまま、じわじわと移動し、窓のあたりまで来た。
かたや包丁を持った美女、そしてもう一方はタンクトップにショートパンツの格好でボウルを持った女。まるで冗談のようだが、彼女達はいたって本気だった。
「ちょっと、なんなのよっ!怪我するでしょう?」
「回復魔法でも使いなさいな…手の一本や二本くらい生やせるでしょうに」
「それ、再生でしょ!回復じゃ無理よ!」
「じゃあ、死になさい」
「なんでっ!」
とうとうさやかはボウルを持ったまま、ベッドへ飛び乗った。つい正座をしてしまうのは、日々のしつけのたまものだろうか?よくジャンケンで二者択一するゲームのように、さやかはボウルを頭にかぶせるようにして防御の姿勢を取って、固まった。小刻みに震えているのは「主人」を真剣に恐れている証拠だ。
その情けない姿に興をそがれたのか、ほむらははあ、とため息をつき包丁を持つ手をぶらりと下ろした。
そうしてゆっくりと自身もベッドに上がる。
怯えている犬をあやす飼い主のように、ほむらは優しく犬を抱いた。
といっても怯えさせたのは彼女であるが。
「なんで、こんな気持ちになるのかしら…」
「へ?」
「下手くそなのに…」
「な」
「舐めるのも下手くそだし、動くのも下手くそ、最低の馬鹿犬なのにね?」
「ちょ、ちょっと、何、昨日のこと?そんなのあんたいっつも言ってるじゃない!わ、悪かったわね下手くそで!」
ほむらの腕の中で顔を真っ赤にさせながら、さやかが口だけ達者に応戦する。そうなのだ、いつも夜身体を重ねるたびに美しい相方は「下手くそ」と連呼する。喘ぎながら。
「でも一番許せないのわね…私なのよ」
「?」
口元を病的に歪ませながら、ほむらは、さやかを見つめる。その優しげな表情でかえって血の気が引くさやか。
「貴方が下手くそ過ぎるから、私が昨日合わせてあげたのは、おわかり?」
「いや、全然そんな余裕…わあっ、ちょっとお!」
とうとうさやかは押し倒された。急に怒られたり、包丁を突き付けられたり、さやかにとっては散々だ。何が起きているのかさっぱり理解できていない。
「黙って抱かれなさい」
「なんで…んっ」
口を塞がれる。結構長く時間が経って、ようやく悪魔が口を離した頃には二人の口の間にはツウ、と唾液の糸が垂れていた。
優しく飼い主は囁く。
「もう怒ってないわ…」
「本当?」
耳を下げ、見上げる犬。
「もう…」
殺したいのか食べたいのかわからないとでも言う様に、ほむらはまた犬の口を塞いだ。
END