「『恋人』のカードの意味はね…恋愛・性愛、合一、そして、えーと」
色彩豊かな大アルカナのカードの一枚、天使の前に立つ二人の男女の図。
「恋人」のカード。人さし指でトントン、と叩きながら、若い男が呟いた。
「選択ね」
形のいい唇が動いて、艶のある声が漏れる。はっ、と息をのむ周囲。
赤絨毯の敷かれたバ―の室内で、木製の丸テーブルを囲んで数名の男女がタロットに興じていた。正確にはトランプを行っていたのだが、数ゲーム終えた後、休憩合間にオカルト好きの若い男が自前のタロットを披露したのだ。特段誰かを占う訳でも無く、カード一枚一枚の図柄を見て、その意味や表象するものについて語り合うというものだ。
「すごいね暁美さん、タロットにも造詣があるなんて」
若い男が発言した女性を賛辞する。その目は潤んでおり、高揚していた。
そんな様子を見て、隣の男は苦笑する。
――ガキは分かりやすい。
そうして、若い男と同様に、女性に目を向ける。
ぞっとするほど恐ろしい美貌が目の前にあった。
黒のワンピースに黒のカーディガンと黒づくめの格好、それに艶のある漆黒の長い髪。白磁のような透き通った肌に整った容貌。長い睫毛の下に隠されたアメジストの瞳。神が直接造形したのではないかと思うほどだ。
気だるげに頬杖をついて、伏し目がちにカードを見つめている。左耳の、瞳と同じ色のイヤリングがちかちかとバ―の淡いランプの光をうけて輝いた。
――ゾクゾクするぜ
男は心で呟いた。
* * *
K大学の理工学部化学科の佐藤清子教授のゼミ旅行は、毎回趣が違うが、全てセンスのいいもので、大学でも有名だった。今年は特に、OBやOGを交えての旅行ということでゼミ生は力を入れたが、佐藤教授たっての希望で、国内のカジュアル客船旅行となった。
『はじめまして、ゼミ長の高橋です』
まるで高校球児のような頭に、線をひっぱったような細い目。大学四回生とは思えない若者が、萩原をはじめ、OB、OGを港で出迎えた。十数名ばかりだろう、大学生と見わけがつかない卒業したての若者から、50代ほどの渋い男性まで幅広い人物が集まった。と、周囲が急にざわめきだした。萩原も思わずきょろきょろと周囲を見渡して、そうしてぎょっと身体を強張らせる。まるでこの世のものとは思えない、美しい女性がそこに立っていたからだ。
――ああ、この女か。
噂には聞いていた、何期か下の後輩にとても美しい女性がいると。最初くだらないと思った。女は惚れた女が一番美しいし、手に入れた女が愛おしいものだ。しかし…ごくり、と萩原は喉を鳴らした。
――桁違いだ
目の前の女性は、常人の「美しさ」とは桁外れのものだった。街で、芸能界にスカウトされるくらい…などという例えが愚か極まりなく思えるほど。彼女はまるで違う世界から来た住人のようだった。異世界の女王――そう、そんなところだと萩原は思った。彼女の存在だけで、理性がぐらぐらと揺らぎ、本能が頭をもたげてくる。周囲の男性も(女性も)まるで惚けたように彼女を見つめていた。当の本人はいたって涼しい顔で知らぬ存ぜぬという風だが。
『なあ、あいつが…暁美…』
『確か首席で…』
ざわざわと周囲が彼女を噂する。そんな周囲をよそにゼミ長の男がさわやかに声をかけた。
『みなさん、ようこそいらっしゃいました、これから船内へ案内します、どうぞ』
ざわめいた、落ち着かない雰囲気のまま、ゼミ生とOB、OGは船のタラップを上った。
現役のゼミ生と、OB、OG約40名を乗せ、客船は出港した。船内の施設を周り、自己紹介を兼ねたディナーを済ませ、ようやく落ち着いて、各々楽しんでいるという体だ。萩原は船内のバ―で酒を飲んでいた。客船のバ―は見事なものだった。ジャズの流れる落ち着いた雰囲気、ウイスキーの銘柄がずらりと並んだ立派なカウンター、赤い絨毯に、複数のゆったりとしたソファ―とテーブル。それらがすべて照明により、セピア色に包まれている。
しかも、カジュアル客船だからドレスコードもなく、豪華客船に比べ気楽に飲める。最高だ、と思いグラスを傾けた萩原に、高橋が声を掛けてきたのだ。
「あの…トランプしませんか?」
どうやら、バ―で手持ち無沙汰になったゼミ生が考案したらしい。バーの中央の大きな丸テーブルに数名の男女が陣取っていた。萩原はテーブルに向かう間に驚くと同時に非常に喜んだ。あの、暁美ほむらがトランプのメンバーに入っていたからだ。
――これは運がいい
こうして、萩原はトランプに参加することになったのだ。
* * *
トランプのメンバーは、ゼミ長の高橋と、副ゼミ長の若い女性、そして茶髪の軽薄そうな男性に萩原、そして…暁美ほむらだった。
――彼女はどんな仕事をしているのだろう
萩原はふと思った。彼自身は卒業してからもう10年は経つ。専攻とはまったく関係ない事業を起こし成功を収めているが、法律すれすれな事も多く行ってきている。人畜無害な人間の多いこの船の中で彼は異質だった。ぎらぎらとした目で無遠慮に美貌の黒髪の女性を見つめている。
「萩原君、楽しんでいるかしら?」
萩原がはっ、として反応する。声の主は、初老の女性だった。
初老の人のいい温厚な女性が、30代で油ののりきった男を穏やかに見下ろしている。
「佐藤教授…」
萩原の表情が子供のように幼くなる。どんなに時を経ても、この恩師の前では萩原もただの「学生」に戻ってしまうらしい。それも、この退官間近の女性の人徳なのだろうか。
テーブルを囲んでいる男女も初老の女性に挨拶を交わす。皆、萩原と同じように教授の前では子供のように素直な表情に戻っていた。
「今年は私の今までの教え子全員呼びたかったのだけど…」
そう言ってにこりと笑う。
「そうすると船が重くて進めないでしょう?」
どっ、と笑い声が起きる。
「だから、最近まで交流のある教え子を呼ぶことにしたの、ね、暁美さん?」
優しい眼差しで佐藤教授が黒髪の美女――暁美ほむらを見つめる。
にこりとほむらは微笑んだ。その微笑みにタロットを持っていた若い男が「わあ…」とため息をつく。
「あらあら、だめよ高橋君、そんなにでれでれして暁美さんを見つめたらご迷惑よ」
どっ、とひと際高く笑い声があがった。今まで、暁美ほむらの美貌に圧倒されていたのだろう、教授の一言で雰囲気が明るくなる。現役の学生である高橋は照れた表情をして頭を掻いた。
「でも本当に、話に聞いてた通り、暁美さんってすごい綺麗ですね、私びっくりしちゃいました」
勇気を振り絞ったかのように緊張した面持ちで、副ゼミ長の女子学生が喋った。それに対しほむらは軽く小首をかしげ、微笑んだ。
「入学当時から有名だったもんなあ、暁美は」
茶髪のこれまたいかにも軽そうな男が気易くほむらと女子学生に向かってしゃべる。彼もまたOBで、ほむらと同期らしいが、あいにく彼女は覚えていなかった。どんな風に?と女子学生に食いつかれ、茶髪の男は当時のことをいかにも全て見てきたかのように語りだした。
彼女が入学した当時の騒ぎの凄まじさや、撃沈してきた男の数、果てはほむら自身も知らないねつ造された謎の恋愛ストーリーまで。ただのおしゃべりな無害な男だと認識しているのか、ほむらは何も言わず、ただ黙って茶髪の男の話を聞いていた。
「そうなんですか、素敵…」
女子学生がため息をつく。何が素敵だったのか、ほむらは聞き逃したが、テーブルを囲んでいる皆が茶髪の男の話を必死に聞いている様子から、ねつ造ストーリーの感想だろうと思った。彼女は、自分自身のことになるとかなり無頓着だった。幾多の時を渡り歩き、世界再改変後は、更に美貌の女性として多くの人間の好奇の目に曝されてきたため、仕方のないことなのかもしれない。そっと、誰にも聞かれないようにほむらはため息をついた――
お読みいただきありがとうございます。
こちらに登場するほむらとさやかはあらすじにあるように、https://syosetu.org/novel/302421/の世界の二人です。叛逆後、悪魔ほむらのままほむらが成長したら、彼女は妖艶さを纏ったかなりの美女になるのではないか、と思ったのが、R18を書くきっかけでした。特に今回は少女から大人になった彼女の魅力を出したいと思い、一般男性視点でアダルトっぽく書いてます。少しでも楽しんで頂ければと思います。
また今後の妄想の糧にもなりますので、感想ありましたらよろしくお願いします!