「綺麗ねえ…」
佐藤清子が海を眺めながら満足気に呟くのを見て、ほむらは微笑んだ。
二人はほむらの客室でくつろいでいた。テーブルを囲み、コーヒーを飲みながら大海原を眺めている。青い空に青い海。自然界の美しさは人外の者の心も打つのだろう、ほむらは目を細めながら、コーヒーを一口含むと、カップをゆっくりと置いて囁いた。
「本当、綺麗ですね」
そんなほむらを見て、清子は微笑んだ。
不思議そうに首をかしげるほむら。左耳のイヤリングが陽光に反射して光る。
「暁美さん、あなたはとても丸くなったわね、学生時代の頃とは変ったわ」
「そうですか?」
「ええ…以前からは想像もつかないほどね、好きな人…恋人でもできたのかしら?」
片目を瞑り、清子が教え子に微笑む。まるで少女のような仕草だが、これがまたこの教授に似合うのだ。ほむらは、ふ、と口元を緩め囁いた。
「………いいえ、そういうのはできていません…昔も今も」
「あらあら、本当?…あの元気な子は?」
「え?」
珍しく、ほむらが驚いた声をあげる。元気な子とはもちろん美樹さやかのことだ。
「……からかわないでください教授…あの人は…」
「あら、からかってなどないわ、「恋」に男も女も関係無いのよ?」
佐藤もまた、学生時代に単に友情という言葉ではくくれない絆で結ばれた女性がいた。
大晦日に、二人が教授の家を訪れた時に見た、絵のモデルの女性だ。
「……確かにそうですけど、私は……「愛」している人は……別にいます」
とぎれがちなほむらの言葉。微かに震える艶のある唇。
「………そう」
「……」
沈黙が訪れる。伏し目がちにカップを見つめる教え子を清子は優しく見つめる。
「でもね……暁美さん、例え別に愛する人がいたとしても……」
清子もまた、カップを手に取りコーヒーを口に含む。そうして、ふう、と息を吐くと言葉を続けた。
「あの子は大事にしなさい」
命令形で清子がほむらを諭すなどはじめてだ。顔をあげ、ほむらは「元担当教官」を見つめた。視線が絡み合う。清子は微笑んではいなかった。
「あなたを、ありのままでいさせてくれる人よ」
穏やかに、そして真剣な眼差しで清子は教え子を見つめている。揺れる教え子のアメジストの瞳。
「ありのまま…」
ほむらはゆっくりと教授の言葉を反復する、そうして何か言おうと口を開いた時ガチャリとドアが開いた。
「ただいまあ、いやあ~なんかなかなかシーツが乾かなくってさあ…」
間の抜けた声でへらへら笑いながら蒼い髪の女性が入ってきた。すらりとした細身の身体を少し猫背気味にしてシーツを抱えている。風に吹かれたからだろう、蒼い髪はやや乱れていた。
「えへ、どうも…」
にっこりと佐藤教授に愛想よく微笑むと、蒼い瞳をきらきら輝かせて二人を交互に見つめる。
――あら、本当に犬みたいね
清子は心で呟く、そうしてちらりと隣を見ると、心底嫌そうな表情で友人を見つめ、黒髪の美女は首を振っていた。フフフ、と清子は笑う。
「ほら、ね?暁美さん、ありのままでいられるでしょう?」
「…こんな「ありのまま」はちょっと…」
清子は吹き出した。いつも無表情な美貌の女性が、眉根を寄せ、口を尖らせて、「どうしようもない」とでも言う様に首を振っているのだ。滅多にない光景だ。
「ん?なになに?どしたの?…もしかして間が悪かった?」
申し訳なさそうな顔をしながら、無邪気にさやかはほむらに顔を近づける。素早くほむらの右手があがり、さやかの額に掌がヒットした。
ぱちん
「あいた!何すんの!」
「間が悪いにもほどがあるわよ…馬鹿」
「な…馬鹿って言った方が馬鹿よ!」
シーツを持ったまま、さやかが口を尖らせて叫ぶ。その仕草を見て、ほむらは「しょうがない」とでも言う様に苦笑した。
「子供ね……ほら、おいで」
ほむらは手を伸ばし、さやかの乱れた蒼い髪を撫でるようにして整える。むっとしていたさやかの表情が穏やかになり、照れくさそうに笑う。肩をすくめ、涼しい顔でさやかの髪を整えるほむら。そんな様子を見て清子は静かに微笑んだ。
「あらあら仲のよいこと…」
本当にこの二人はまるで――
* * * * * *
N号ブリッジで、二等航海士はまだレーダーに貼りついていた。
「レーダーエコーが気になりますか?」
横に同じ白の制服を着た三等航海士が立つ。同じようにレーダー画面を見つめる。海面反射の影響を弱くするよう絞りを調節するが、エコーは消えず、ちょうどN号の真下か真上に「何か」が存在しているかのように映る。
「魚群にしても大きすぎますね、それに大きな雲も、今は快晴で存在していないし」
「うん、レーダーの故障も考えられるが、まだ他にも可能性はある」
「何か見えますか?」
二等航海士の言葉を受けて、この時間の当直班長である三等航海士が、見張りをしている甲板員に声をかける。望遠鏡で見張りを続けたまま、甲板員は返答した。
「船首方向右に40度、距離7マイルに漁船2隻、それ以外はクリア―です」
「了解。N号両舷周辺に魚群のようなものは?」
「ありません」
「了解」
三等航海士はブリッジ前方の時計で時刻を確認すると、機関士に指示を出す。
「ハーフダウン(半速前進に減速)」
エンジンテレグラフのレバーがシフトされ、N号が徐々に減速していく。
「スローダウン(微速前進に減速)」
時計の横にある速力計を見て、三等航海士が更に指示を加える。速力計の針が5ノットを指した状態で止まる。三等航海士は頷いてブリッジ全体に聞えるよう声をあげる。
「しばらくこのままの針路、速力で航行します。1200から1330の間、オープンデッキにてイベント及びランチタイム。見張りは引き続き警戒を怠らないようお願いします」
そうしてまた、三等航海士は二等航海士の傍へ立ち、レーダーを見つめた。
N号の周辺には大きくレーダーエコーが映し出されていた。