少しも動けなかったが、最近は手すりを頼りに、覚束無い足取りではあるが、徐々に歩く事が出来るようになったと思う。
オロチが起きて、自分がヒビキさんの分まで頑張るつもりだったのに、こんな具合で……。だが、ザンキさんの一言に救われた気がした。「側に居てやる」とザンキさんに言われただけで、何故だか大丈夫な気がしてくる。
ザンキさんは、オレの大きな希望だ。そのザンキさんが居てくれるのだから、最近の自分はリハビリに俄然やる気と根性、いつもの頑張りを燃やしていた。
「いよっし! 頑張るッス! ザンキさんッ!」
誰も居ない昼の病室で声を張り出す。そういえば、そのザンキさんは一昨日から姿を現さない。
意外と裏腹な態度をとったりするザンキさん。オレが入院してまた弟子にしてくれた日から、見舞いに訪れない日なんて無かったはずだったが……。
そこに、病室へ入ってくる人影。
イブキさんと、ヒビキさんだ。
「あっ! ヒビキさん!」
「いよっ! どうだ、調子はァ?」
「良いッスよ! ザンキさんも、もう一度、オレを弟子にしてくれたんスよぉ! ……もう、オレ。嬉しくて、嬉しくて! だからオレ、頑張ろうって!」
「……トドロキさん」
何故か、イブキさんは病室に入ってきてからずっと暗い雰囲気だ。
何かを言いにくそうにしている様なそんな感じ。
「……トドロキさん。 最近、ザンキさんは、どうしてますか?」
「え? ザンキさん? ザンキさんに何かあったんですか?」
「いや、別に、大した事じゃ無いんですが。……最近、此処に来ていますか?」
「ザンキさん、何時もオレのリハビリに付き合ってくれて、大丈夫だって励ましてくれてるんです。 もう、それだけで嬉しくて! オレの希望みたいで!」
「ほぉら! だから心配ないって!」
「……ですが」
「大丈夫だよ! トドだって元気そうだし様子見ようよ!」
「……はい」
「一体何なんです?」
「いーのいーの! じゃあなトドロキ! 早く元気になれよ!」
わっとやって来て、わっと引き返していく。何となく、イブキさんは腑に落ちていない様な空気を纏いながら、病室から出ていった。
それに続く様に、また別の影が病室に入ってくる。
とても珍しい来客。と、言うか。鬼として独り立ちしてからも会っていなかった人物だ。
「っあ! 今、大丈夫なの?」
扉から顔だけ覗かせて、様子を伺うその人は、兄弟子であった、バンキさん。
「っあ! バンキさん。どうぞ、中に!」
「ゴメンね、変な時に!」
いそいそと、ベットまで来て紙袋を顔の横にまで掲げて見せて、はにかみ笑いを作る。両頬にえくぼがくっきりと出来て、一気に青年の顔は幼さを増させた。
「これね、御見舞いにお団子。それとね、これは……」
今度は、背負っていたリュックをおもむろに、ベットへ下ろし、中から小さな紙袋が出てくる。それを手渡された。紙袋に印字されたロゴは、よく見るCDショップの物だった。
「それはね、本当はもっと早くに渡したかったんだけれど、なんか全然会う機会なくってさ、渡しそびれてたんだ。独り立ちした戸田……、トドロキくんの為に僕からサプライズ! ……の、はずだった物。 こっちも、見舞いの品って事で」
封を開けると、中からはCDプレイヤーと共に1枚のCDが入っていた。
ジャケットには、今の季節に似つかわしく無い桜のジャケットとそのCDのタイトル表示。
オレが独り立ちした時にと用意してくれていたとしても、時期が遅い。
「どうして、桜?」
「あ~、晴れて独り立ちって事で……何となく、桜ってイメージで……。でも、いい曲だよ! スッゴク!」
桜をチョイスしてきた理由が分かり、いい曲だと聞いて、夕飯前に聞いてみることにした。
そこで、バンキさんが改まって一つ、さっきまで此処に居たイブキさんと同じ様な質問をしてきた。
「そうそう、そう言えば。ザンキさんは最近どうしてるの?」
「えっ? ……どうしてですか?」
「あ、別に深い意味は無いんだけれど、ザンキさん、僕が不調の時とか連絡くれたりして、気をかけてくれるから、トドロキくんには、どうなのかなって」
「あぁ、なんだ。 ザンキさん、リハビリに何時も付き添ってくれて、オレの事を励ましてくれて……、何て言うか、今のオレの希望みたいな?」
「そうかー。そうなんだー。やっぱり、ザンキさんだなぁ。 ザンキさんが付いてるとなると、僕が変にお節介焼かない方が良いよね」
「えぇっ!? そんな事無いッスよォ!」
「ううん。いーの! 元気になったらさ、ザンキさんと、トドロキくんと。立合い稽古したいなー! ほら、前にやった時もさ、トドロキくんと二人掛りでもザンキさんに敵わなかったじゃない? 今度は、ザンキさんに参ったって言わせたいでしょ?」
「あ~。そんな事、ありましたねぇ! そうっスね、一泡吹かしてやりたいっスよね!」
何時の間に居たのか……。扉の所には、いつもの穏やかな微笑を浮かべて佇んでいる人影。
「……誰が、誰を一泡吹かすって?」
「うわあぁぁぁぁぁっ!? ザンキさんッ!!」
「そうそう、下でばったり会ったから一緒に来たんですよ~。もー、どこ行っちゃってたんですか?」
「トイレだよ。悪いか? お前こそ、さっさと先に行っちまってたじゃないか」
「突然居なくなるもんだから、先に行ってるんだと思ったんですよ」
僕は、用が済みましたので。と先にバンキさんは出てゆき、空間にはザンキさんと二人きりとなった。
ゆっくりとベット脇に腰を下ろし、優しい眼差しでオレを見つめ、
「大丈夫。俺がついてる」
両手で頬を柔らかく包まれ、額に触れる様な優しいキスを落としたザンキさんの体温は、冬の空気と同じ様に冷たい気がした。
嘘のようにザンキさんは、手も、唇も、身体全部が冷たかった。外は寒いし、身体が冷えていたんだと、自分を納得させるが、言い寄れぬ不安と、とてつもない恐怖が心を掻き乱している。
何か、自分の知らない事が起こっているんじゃないか?
何か、ザンキさんは隠し事をしているんじゃないか?
今すぐにでも、聞き出したいが、全てを知ってしまったら、ザンキさんがザンキさんで無くなってしまいそうで、オレの目の前から居なくなってしまいそうで、恐くて聞く事が出来ない。
『あなたは、今。何を思っているんですか?』
平行棒の先でオレの姿を見守るザンキさんの瞳に問いかける。
オレの心の声など聞こえないと言う風に、「あと少しだ、頑張れ」と、足を動かす事を促される。
『あなたは、今。何を考えているんですか?』
再び、問うて見る。やはり、答えは帰ってこない。
平行棒、往復15回。それが今のオレの精一杯。歩行器に手を着き、病室へ戻る。ベットへドッカリと倒れ込む。
「トドロキ、大丈夫か? ……ほら、うつ伏せになってみろ」
ゴロリと体位を変えて、うつ伏せになる。
手を添えようとするザンキさんの腕を、ひったくる様に横から掴んだのは、……どの瞬間から居たのか、イブキさんだった。
「ザンキさん……! これは……!」
パッと身を翻し、イブキさんの手から腕を引き抜き、そのままイブキさんの追求から逃れるように、ザンキさんは病室を出ていった。
「あれ? どうしたんですかイブキさん?」
「あの腕の紋章……やっぱり……」
「ちょっと、イブキさん?」
暫くして、イブキさんから連絡を受けたヒビキさんが、病室に暗い顔をして現れた。二人でじっとオレの顔を見つめる。ヒビキさんの瞳に「聞く覚悟をもてよ」と強い意思を感じた。
だが、自分の心が警戒音を発して、これから二人に言い渡される事実を拒絶している。聞く前から閉ざしてしまっている。
「トド、よく聞くんだぞ……。ザンキさんは……」
「ザンキさんは、数日前、僕達と一緒に魔化魍を退治に出ました。トドロキさんも知っていると思いますが、オロチの現象でその日も多くの魔化魍達が出現しました」
イブキさんはそこで一度言葉を区切り、オレの顔を見据えた。
オレは、そんなイブキさんと目を合わして居られず、横に顔を背けた。
「僕が、ザンキさんの元に駆けつけた時にはもう……。ザンキさんは……」
「嘘だ……!」
「今は返魂の術という呪術によって、意識を保っていますが、このまま術で魂を繋ぎ続けるとザンキさんは……」
「嘘だ、嘘だ……!」
「トド!」
「……嘘だ。 ザンキさんが死んでるなんて、悪い冗談は止してください。……帰って下さい。二人共……、帰って下さい」
「トド……」
不安と疑心がある答えにたどり着き、それをどうしても認めたくない心と、全てが事実無根の出来事であって欲しいという心とで波打ち、混ざり合い、どす黒く渦巻き、湧き上がる。
ヒビキさん、イブキさんはしぶしぶという風に立ち去って、一人で病室の窓から見える雲を眺めながら、ザンキさんを思い起こす。
この上なく優しい人で、厳しい人。
分け隔てなく、心遣いを出来る人。
自分に特に厳しい人。
"鬼"の生き方を体現してる人。
一番側で、一番近い所で、心から俺を愛してくれてる人。
この人を失いたくない。
ザンキさんは、オレの全てで、今の自分は、ザンキさんへの全てだ。
「……ザンキさん」
会いたい。
「ザンキさん」
今、ものすごく
「会いたいよ……」
「……誰に会いたいって?」
「ザンキさん……! ザンキさんッ!」
その身体にすがり付き、ギュッと力を込めて抱きしめた。涙が止まらない。
それに応えるように、そっと回された右腕が俺の背を優しく撫でる。もう片腕は、ゆっくりと胸を上に這い、首筋を捉え、顎をなぞり、頬に添えられ、ゆっくりと角度を相手の目線へ上げられる。優しい瞳が俺を捉えて、離さない。
「泣き虫病か? ……大丈夫。俺がついてる」
優しい声色。
「ザンキさんッ! 」
この声を聞くだけで、どれだけ力になっているか。
唇に触れる指先に血が通っているのか疑わしい冷たさを感じる。
分かっている。
ザンキさんの強ばった身体。
氷のように冷たい身体。
優しい瞳は、何処か遠くを見ている気がする。
何より……、何時も温かかった掌は、今はもう面影すら感じられない。
「どうして……。ザンキさん……」
「……気付いたのか。気付かないと思ったのに」
指先が顎先を捉え、そのまま固定され、唇が重なった。
何時もは、自分が求めていたものを、この人から求められて、動揺している自分に気付く。
唇を割って入れられた舌が口腔内をなぞる様に動き、舌を絡ませてくる。何時も自分がしている行為を受けるのは、違和感を感じて居心地が悪い。だが、発見も一つある。 ぎこちないザンキさんのキスは、愛しさを増させた。
突っ込まれていた相手の舌を押し返し、お返しとばかり相手の口内にしゃぶりつく。舌を絡ませ、クチュクチュと相手に聞こえる様にわざと大きな音をたたせて、唾液をかき混ぜ、溶け合わせ、深く深く口付ける。
ザンキさんは何時もオレを受け入れ、何時もオレを拒まなかった。
「どうして……。ザンキさん……」
「……会いたがる奴が居たからな」
さり気なく、ザンキさんがオレの体制が辛くない様に、股の間に腰を落としている事など、無我夢中に唇を顔中、首筋中に這わせて、愛撫に熱心になっていたオレには気付かなかった。
身体を寄せるザンキさんの、小さく吐いた吐息が甘く耳に残り、募らす思いを確固とさせた。愛してる。この人の事を……。でも、だからこそ……、安心して逝って欲しい。
「……居るから。……俺が、着いてるから」
「……ザンキさん。 ザンキさん……、もう……」
「……トドロキ」
……もう、大丈夫だから。
だから。
「心配、しないでください。……ザンキさんは……もう、大丈夫なんすよ……」
「……トドロキ」
曇った表情。駄目だ。そんな顔を、しないで欲しい。
冬の優しい陽の光が逆光し、更に陰りを増させ、表情そのものを凍てつかせている様だった。
ずっと一緒に居たい。失いたくない。
失ってしまって、更に強く思う。
……だが、自分が離れなければ、ザンキさんは報われないじゃないか。
ザンキさんの身体を永遠にオレに縛っておくなんて、オレに出来やしない。
そんなもの幸せじゃない。
心配かけないように、安心させてあげるために、独立しなければいけない。
ザンキさんのために。
自分のために。
その時、ドシンと地面が揺れ動き、辺りから悲鳴が漏れ聞こえてきた。魔化魍が近くに現れたのだ。
「……魔化魍か」
「ザンキさん!」
踵を返し、闘いに赴こうとする背中に叫ぶ。その背中は動きを止め、次の言葉を待っているようだった。
「もう、 大丈夫なんすよ……!
ザンキさんは、もう戦わなくって大丈夫なんですよ……!」
この人は死してなおも、"鬼"なのだ。"鬼"でしか有り得ないのだ。
「だったら、……止めてみろ。俺を。
お前の力で」
それが、オレに出来る 最後の事。
ザンキさんの姿が見えなくなる。自分を鼓舞するように力の限り叫んだ。
もう、迷わない。
もう、甘えたりしない。
自分の意思で立ち、自分の意思で一歩。一歩。確実に歩みを続け、部屋を出た。