その桜の木は、冬空に薄桃色の小さな花を揺らせ、枝を震わせながら、周りの木がまだ春の訪れを待っている中、ただ一本だけ花弁を舞わせていた。
何故お前だけ、春を待たずに咲くんだ。その木に問いかけた。
なんとなくだが、その答えを俺は知っている気がする。知っていると言うより、思えると表現するのが正しいかもしれない。
死を待つ自身と散りゆく花弁を重ね、その桜の老木は春を待てない訳でなく、今咲かねば花を咲かす事が出来ないのでは? と思えるのだ。
また、春を迎えられるか分からず、そして、迎えることが出来たらば、春。もう一度、精一杯花弁を舞わせるんじゃないか。……と。そんな風に思えるのだ。
鬼としての晩年の自分が、その桜の老木と重なり、一つになる。
鬼であり続けたいと思う気持ちとは裏腹に、思うように動かない身体に苛立ち、心と身体の均衡が取れず歯痒い思いをした。
バンキが免許皆伝した時にはもう、前線で闘うのに精一杯な程に胸の傷は悪化していた。
何時 鬼になれなくなるのか、分からない程に悪い状態だった。
いつ何時、自身が鬼になる事が叶わなくなると分かっていたからなのか、精一杯に弟子と向き合い、誠心誠意、真心を込めて育て上げ、掌中の珠としてきた。
特に、戸田山……。トドロキには特別な思いがある。
俺が出会い、俺が育て、俺が愛したその人を。
俺は失いたく無かったのだ。
繋ぎ留めて居たかったのは、俺の方だ。
俺はトドロキの明日を奪う事で、トドロキを自分に繋ぎ留めている。
失って初めて、自分がこんなにも無くしたくないと思うものを手にしていたと知った。
黄金色の個体色をもったカエングモが周囲を燃え上がらせながら暴れ、目下には、バケネコの集団が蠢いている。
いくら返魂の術といっても肉体に受ける傷が致命的なものであれば、ひとたまりも無い。
そして、徐々に自分の意識が闇に呑まれていると感じていた。
自分で居られる時間は最後かもしれない。
音枷を爪弾き、鬼の姿へと身を変え、魔化魍に立ち向かう。
オロチ現象により、数が多い。
あっという間に、状況はジリジリと後退し始めている。
「ザンキさん……!!」
背後から、烈雷を手に自らの足で立つ戸田山……。トドロキの姿を目にした。音枷に指先を伸ばし、弦を爪弾き天に拳を突き上げる。もう無理だと言われていた鬼への変身を遂げるトドロキを眼下に捉え、グッと熱いものが胸に込み上げて来た。
そこに立つのは、強い意志と思いを背に再び 鬼として復活を遂げた、轟鬼の姿だ。
「……トドロキ……!」
背を合わせ、向かい来る魔化魍を打つ。こうやって、日々闘ってきた日常が思い返される。
―ああ。
自分は本当に、トドロキに助けられていた。
ここ最近の俺は、トドロキをこんなに必要としていた。
トドロキは、何時しかこんなに成長していた。
もう、何も気に止めなくても、トドロキは鬼としてやって行ける。
カエングモに、清めの音擊を轟鬼と共に加える。
「音撃斬・雷電激震!」
「音撃斬・雷電斬震!」
まもなく、カエングモは爆散し、辺りに静けさが戻った。
散りゆく己の魂と、薄桃色の花弁と枯葉が木枯らしに吹かれ、共に乱舞する。
轟鬼がチラリとこちらを窺い、例の清めの音を弾き始めた。闇に堕ちかけている魂が音に呼応する。轟鬼の最期の願い。思い。……その全てが音に乗り、伝わってくる。
―ありがとう。俺の弟子になってくれて。
―ありがとうございました。オレを弟子にしてくれて。
「オレ……、泣かないッス……! ザンキさんに……心配かけないように!」
―ありがとう。
桜の花弁が舞う。 老木の隣に一人、寒空を見上げて佇み、春を待つ。 また出逢えるその日まで―