アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
県警本部人事課の執務室はまもなく深夜になるというのに明かりがついていた。人事異動時期以外では珍しいことだ。執務室内に係員は無く、いるのは人事課長のみだった。他の課と違い行政職の色の強い人事課は、課長席はパーテーション区切られておらず、同じ場所にある。それは決裁を取る量の多さとスピードが求められるためであり、古い体質の警察の中では比較的ひらけているといってよかった。スーツ姿で執務している初老の男は物音に気付き、顔をあげた。
「…なんだ星か、どうした」
いつの間にか執務室内に入ってきた能面のような男を咎める様子もなく、初老の男は穏やかに尋ねる。星は慇懃無礼に頭を下げる。この得体の知れない公安の男はそれなりにこの人事課長には敬意を払っていた。
「報告と質問がありまして、参りました。」
「珍しいな君が、それにこんな時間まで私が何故ここにいると?」
「娘さんの命日だからです。正確には死亡宣告の日…でしたかね」
人事課長の目が見開かれた。
「……知っていたのか」
「はい、娘さんは私の部下…美樹さやかと同じ年齢ですね」
「……君は私を試しているのかい?怒らせようと」
初老の男は口元を歪めて星を睨んだ。星という男を知らない者ならば、「命日」のくだりで殴り飛ばしているだろうが、人事課長は星という男をよく知っていた。相手を怒らせるつもりは全くない、この男はただ事実を述べるだけなのだ。だがそれでもこの内容は限界があった。星は再び頭を下げる。いくら人間離れしても人の感情はやはり理解しているようだ。
「失礼、そのつもりはありません。報告に移ります」
「報告とは?」
「美樹さやかを8年前の事件のあった店に潜らせました。潜らせて数時間経ちますが、連絡がありません」
「というと…」
「はい、潜りに成功したか、あるいは最悪の場合逆にガラ割れ(身元が割れる)したかもしれません」
「おい、それは…」
珍しく、人事課長は声を荒げた。それを制止するように星は手を初老の男の眼前に差し出した。
「落ち着いてください。「我々」の仕事では日常茶飯事です。そのために身分を消して潜らせてます。明日0600までに美樹から連絡が無い場合、人事記録の完全な抹消を上申いたしますのでよろしくお願いいたします」
「おい…そんな簡単に美樹を」
「美樹だけが警官ですか?」
星が口元を歪めて囁いた。
「この1年で人事記録を抹消されている警官は十数人います。私達はコマなんですよ私だって貴方だって」
「………」
「それでは質問にうつりますね」
肩をすくめ、星は沈黙したままの初老の男に目を向ける。
「あの時、なぜ美樹さやかを合格させたのですか?」
「なんだって?」
「警察官試験において、美樹さやかが過去に大きな事件に関わっているとはいえ、学力、心理、身辺に問題は全くありません。ですから、今の私の質問は採用規則に対する罰則の質問ではありません」
「ではなんだ?何が言いたい?」
「単純に私の好奇心ですよ、だが正解であれば私の知的好奇心が満足する。人間がまだ捨てたものではないと…」
「…君の言葉は私の理解の範疇を超えている」
星はくっ、くっ、と笑い、そして初老の男に囁いた。
「貴方の娘さんは確か中学生の時に失踪していますね。遺書などのメッセージも全く残されていないまま…そして当時刑事だった貴方は必死に捜索していたはずだ」
「……貴様」
初老の男は立ち上がり、怒りの形相で星に近づく。
「だが見つからなかった。家出する理由もない、いじめの形跡もない、それがいきなり失踪した。そして最後には我々刑事ならだれもが想像するであろうなんらかの犯罪に巻き込まれ、「暴行」、「処理」されたという結論に至っているはずだ。今頃どこか遠い県境の山奥にでも埋められていると…」
バシン、と鈍い音がして、星が床に崩れた。初老の男が繰り出した右の拳が顔面にヒットしたのだ。片足をついた星が顔面を抑えながら顔をあげる。手の甲から鼻腔から流れ出した血が溢れた。
「…私がお前を殺す前に出ていけ…」
ドスの聞いた声で、人事課長は星に囁いた。殺気溢れる声。伊達にあの名刑事の親友ではないと星は思った。ゆっくり立ち上がると、星はまた慇懃無礼に頭を下げた。
「殺される前に出ていきますよ……ただ私は答えが聞きたいだけなのですがねえ」
人事課長はもう何もしゃべらず背を向けた。だが星はその背中に喋り続ける。
「貴方はあの8年前の事件と娘さんの失踪に何か関連があると考えている、だから当時の通報者であり娘さんと同じ年の美樹さやかが警察官を志したことに、なんらかしらの「希望」を見出している。そうでは無いのですか?そうですよね?」
ニイと血を流しながら星は笑った。まるで表情の無い笑み。
「どんな絶望の中でも希望は発生する、それを私はただ見たいだけなんですよ」