アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
星が映像で見ていた美しい女性――暁美ほむらは、ちょうどその頃地上から20メートル上空で光の束と化した魔獣と戦闘を繰り広げていた。背中から生えた黒い翼を優雅にはためかせ、鳥の様に舞っている。
奇声と共に光が縦横無尽に広がり、ほむらに迫る。黒い髪をたなびかせ、優雅に宙を舞い悪魔は攻撃を避けると、両手から幾何学模様の空間を生み出した。またたくまにそれは大きくなり光を包み込むと、今度は素早く縮小していき、悪魔の手のひらに収まった。
「さよならね」
くしゃり、と音を立てて握りつぶすと、光の粒子がさらさらと悪魔の手から零れる。最後はあっけなく決着がついた。
「………」
ほんの一瞬、ほむらはその手を悲しそうに見つめる。それが魔獣に憑りつかれた人に対する哀悼なのか、それとも別の何かかは誰にもわからないことだ。しばらくして悪魔は地上へと視線を向ける。口元が微かに動く。
「あのお間抜け…」
と悪魔は美貌を歪め忌々しそうに囁いた。
* * *
暗く空気の淀んだ地下室で若い女性――細田あおいは茫然自失としていた。メイド服は血に染まり、商売用にきめていた派手なメイクは涙と汗で根こそぎ落ちていた。素朴だが整った顔がそこにはあって。しゃがみこみ、壁にもたれたままその顔はただ茫然と地上へと続く階段を見つめている。
「………」
一縷の望みを抱いて蒼い髪の女性を待っているのか、それとも全てのことに絶望したのか、その表情からは伺い知れない。ただ言えるのは、今までの彼女を構成していた何かが無くなったということだけ。
涙の跡もそのままに、あおいはただただ動けずにいた。
――カツン、
音がした。
「……サツ?」
あおいが乾いた声で呟いた。
『あと数分で制服警官がここに来る、事情聴取に協力する様に』
あの特殊部隊の大男の言葉を思い出す。協力する気もないが、だが逃げる気力もない。あおいは口元を歪め顔を少しだけあげた。階段から降りてくる人影が見えてくる。
――カツン、
音はどこか甲高い靴音の様で。ようやくあおいは違和感に気づく。
――降りてくるのはサツじゃない
虚ろな目に恐怖の色が浮かぶ。ほんの数分前まであり得ないものをたくさん見てきた、今降りてくるものがあおいの味方とは限らない。
――いや、あたしの味方はもう誰もいない
あおいは口で何かを呟く、それは先ほどまで一緒にいた女性の名前。己の身体をあおいは震えながら精一杯抱きしめた。
――カツン…
最初に視界に入ったのは、黒のパンプス。そして黒の流れる様なロングスカート。
あおいの目が大きく見開かれる――
モデル然と優雅な足取りで階段を降りてくる女性は、長い艶のある黒髪を右手で梳いた。さらりと髪がたなびいて、世にも稀な美貌がこちらをみつめてくる。
なんて綺麗なんだろう――
ただそれだけしか浮かばなかった。恐ろしいほど非現実的な――美女。
美女は音もなくあおいに歩み寄り、1mほど手前で立ち止まる。見る者の脳を溶かす様な美しく陰鬱な双眸があおいを捉えた。ひ、とあおいは声を漏らす。その纏っている禍々しい気配に圧倒されて体は動かない。これに比べれば先ほどの特殊部隊の隊長の威圧感など全然大したものではなかったとあおいは感じた。
「あのひとを知っているの?」
「え?」
唐突に美女が口を開いた。禍々しさとは真逆の艶のある美しい声にあおいは思わず口をぽかんと開けて聞き返した。美女は小首をかしげてこちらを見つめている。さきほどのあおいの呟き、あの小さな声をこの美女は聞いていたのだ。あおいは驚いた。
「あのひとって…さやかのこと?あんたあのひとの何?」
さやかのことが気がかりであおいは美女に聞き返す。美しい女性は一瞬目を大きく見開くと今度はその目を細め、軽く舌打ちした。
「あの馬鹿犬はまた――」
呪詛が続く、何を言っているのかあおいには理解できず、ただ茫然と女性を見上げるばかり。黒髪の美女は腰に手をあて、後ろを向くとはあ、とため息をついた。その人間らしい仕草に緊張を緩めたあおいは矢継ぎ早に言葉を浴びせかける。
「ねえ、あのひと怪我してんのよ、治ったっていってたけどさ、助けにいかなきゃ…って聞いてる?」
だが黒髪の美女はあおいの言葉など聞こえてないかのように、そのままスタスタと反対側の壁へと向かう。床に落ちている血を眺め再び舌打ちすると、美女は開かれた扉の奥を見つめた。さきほどさやかが見つけた「儀式」の場だ。黒髪の女性の切れ長の目が細められ、険しくなる。
「人間って――最低ね」
誰とはなしにそう呟く。まるで自分は人間でないかのように――。あおいはこの恐ろしいほど美しい女もやはり人間ではないのだと悟った
「あんたも人間じゃないの?」
その声に美女は反応した。あおいの方を振り向く。そこに表情は全くない。
「…あのひとから何を聞いたの?」
もし蒼い髪の女性がその場にいたならば驚くだろう、この黒髪の美女は寡黙で関わり合いの無い者と言葉を交わすことなど滅多にないからだ。だが珍しく美女は見知らぬ人物に問うた。会話が成立したのだ。
「…その前にあんたの方から答えなさいよ」
あおいは絞り出す様に声を出す。どうしてか知らないが、無性に知りたかった。彼女が何者か、そしてあのおひとよしな刑事とどういう関係なのか――。
「………」
腰に手をあてながら、女はあおいに近づいて来た。そうして左手をあおいの頭の上にかざす。
「私は悪魔よ」
「え…?何…」
「そしてこのことは忘れなさい」
女の手が近づいてくる。
記憶を奪われる――と、直感であおいは悟った。
「嫌よ!」
その瞬間、パトカーのサイレンが鳴り響き、悪魔の動きが一瞬止まった。あおいは頭を庇いながら身をよじり美女から離れる。
「あたし絶対忘れない!忘れるもんか」
必死に叫ぶ。どうしても忘れたくなかった。
「あんたたちのことは誰にも言わない、あのひとのこともサツには言わない、だから消さないでよ、お願い…」
「忘れた方が楽よ」
「それでも!こんなくだらない世界でも、あんなことがあるんだって、覚えていたい、だってそうでなきゃあたしは救われない」
あり得ない経験はあおいの昔の傷を癒してくれた。力ない者に対する容赦ない暴力と屈服、屈辱、そして理不尽な悲劇。だがそれを覆すものが存在している、その事実で――。
「そう…」
意外とあっさりと悪魔は手を下した。そうしてもう興味を失ったのか、あおいに背を向けて階段へと向かう。慌てるあおい。
「ちょっと待って、ねえ、あのひとを助けてあげ――」
「あなたには関係ないわ」
あおいの言葉が遮られた。悪魔が背を向けたまま顔だけあおいの方へ向ける。アーモンド形の切れ長の目が妖しい光を放っていた。
「あのひとを救えるのはこの宇宙で私だけ」
「……」
「そしてあのひとは私の――」
美女の艶のある唇が動く。驚いた表情を浮かべるあおい。
『誰かいますか?』
『大丈夫ですか?』
階段から慌ただしい靴音と、誰何の声が響いた。警察官がここに降りてくるのだ。
「あ…」
唐突に美女は消えた。まるで煙のように。後に残されたのはあおいと数名の制服警察官。
警察官があおいに手を伸ばし、抱きかかえる。あおいはただ茫然としていた。
――あのひとは私の――
あの悪魔と名乗る美女の言葉を頭の中で反芻する。
――そうなのか
そうしてあおいは寂しそうに薄く笑った。