アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
人事データ抹消
『氏名と簡単な自己紹介を』
『美樹さやかです。 〇〇大学文学部――』
パイプ椅子に座ったスーツ姿の女性が意外と幼い声で自己紹介を始める。それを無表情で見つめる三人の面接官。無表情なのはこれが警察特有の圧迫面接だからだ。もちろん面接官のスーツには名札等一切無い。警務係長を中心として、両脇に人事課長、刑事課長が鎮座している。通常は課長クラスの人間は一人で十分なのだが、この面接は特別だった。いや、正確には「彼女」が特別だったのだ。
――面白い
人事課長は険しい表情を浮かべている女性を観察する。前科かあるいは刑事事件に関わりのある者の面接の場合は事前に面接官同士で打ち合わせをする。特に殺傷事件に関わった「彼女」については念入りに打ち合わせをしていた。警察官としての業務遂行に支障をきたすようなトラウマの兆候が認められるかを観察するのがこの男の役割だったが、一目見てその様な心配はないと彼は判断した。彼女は恐怖ではなく抑えきれない怒りを抱えている。
係長に目配せして人事課長は自ら質問した。
『君は何故、警察官を志したのかね?』
『悪を撲滅したいからです』
模範的画一的な回答から逸脱した彼女の発言に係長と刑事課長の間で緊張が走った。だがその回答を聞いてただひとり人事課長はさも気に入った様子で口元を緩め頷いた。
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〇〇県本部の最上階にある人事課の執務室は既に深夜を過ぎているというのに明かりがついていた。24時間常に緊張状態の現場の警察官からすれば人事課は限りなくホワイトに近い部署に見えるだろうが、実情は全く異なっている。警察内部の全ての事情に繋がっているこの部署はまた現場とは違う重責を担っていた。
『明日0600までに美樹から連絡が無い場合、人事記録の完全な抹消を上申いたしますのでよろしくお願いいたします』
公安の星の顔を思い出し、人事課長―牧は苦み走った表情を浮かべる。あまりにも早急に事を進め過ぎている公安に不安を覚えているのは確かだった。だが彼に対して疑念を覚えた最もの原因は牧の娘の事である。
『娘さんの命日だからです。正確には死亡宣告の日…でしたかね。貴方の娘さんは確か中学生の時に失踪していますね。遺書などのメッセージも全く残されていないまま…』
何故わざわざあの時必要のないことを彼は言ったのか、意図があるのかないのか。牧はあの時怒りを露わにし星を殴ったがその事は後悔していなかった。むしろあの時もっと殴りつけて企みを吐かせればよかったとも思っている。超自然現象を語り、人の娘の失踪すら嬉々として語るあの男に対して牧は殺意すら覚えていた。
「課長、人事データの仮抹消終了しました」
「ご苦労だったな」
細面の人事係長が疲れた表情で牧に報告する。現場の警察官からは想像もつかないだろうが、ひとたび緊急な異動用件が発生すると人事課は事が終わるまで仕事を切り上げることはできない。それはまさに刑事と同じ24時間態勢となる。
「本抹消は明日公安の連絡待ちですか」
「ああ、0600迄は美樹巡査長が戻るのを待つ、平野、君はもう帰りたまえ」
「いえもう少し――」
係長の電話の内線が鳴った。
「はい、データの仮抹消処理は終わっています。え、本抹消?」
係長が受話器を持ったままひどく狼狽した表情を浮かべた。目だけ動かし牧に視線を送る。牧は代われというジャスチャーを係長に送った。
「人事課長の牧だ、係長の処理は私が確認した。何か問題でも?」
牧はしばらく沈黙して受話器の向こう側にいる人物の話を聞く。電話の内容が果たして人事課にとって不快なものなのかどうか、その穏やかな表情からは伺い知ることはできない。
「いいや、本抹消はまだできん、そして人事記録の原本も処分できん。もし仮にデーターベース上の人事記録は本抹消したとしても紙は永久保存だ。例規を読めば一目瞭然だろうに、人事の所掌には口を出さないで貰おう」
係長がかたずを飲んで見守る中、牧の目つきが鋭くなる。先ほどまでの穏やかな雰囲気が一変した。
「24時間特例中の特例で人事記録の原本まで承認申請無しで閲覧、貸出まで行えたからといってそれは君達公安の力ではない。我々人事が貸してあげたんだ、データ抹消も我々しか行えん。いいか、そこを勘違いしているのなら、こちらもそれなりに対応させてもらう…わかったか星」
凄まじいほどの怒気を隠すことなく言葉にのせ牧は受話器の向こう側の相手に伝える。人事の力を甘く見ると痛い目に合うという言外の意味を向こう側が汲み取ったのだろう、会話はすぐに終了した。ゆっくりと受話器を置いて牧は係長に視線を移した。
「平野」
「なんでしょう」
「保管庫からある人物の人事記録を探し出して来て欲しい」
「誰の記録ですか」
「公安の星だ」
牧は上着の内ポケットから携帯電話を取り出した。
「ああ俺だ、美樹巡査長がガラ割れ(身元が割れる)したと公安から連絡が入った…ああ、話したいことがある」
そのまま机上に携帯電話を置くと牧は息を吐いた。