アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
来襲
『ところでここへは?』
蒼い髪の女性は男にそう尋ねた。
『それは野暮なので聞かない方がいいですよ、そういうものでしょう?』
刑事である蒼い髪の女性は同業者である男の言葉に頷いた。
『そうですね』
『さやか』
蒼い髪の女性の背後から声がする。年若い女性の声、そして遠目からも分かるくらいとても美しい。男は女性の肩越しにその恐ろしいほど美しい黒髪の女性を眺め微かに眉をあげた。
『おや、結構な美人さんですね、怒ったら怖いでしょう?』
蒼い髪の女性はふわり、と微笑んだ。
****
悪魔が鞄持ちと邂逅を果たす数分前――
そのビルは、見滝原の繁華街から数キロほど離れたオフィス街にそびえ立っていた。企業の高層ビルに立ち並んでいるそのビルは、屋上ヘリポートを有しておりあきらかに他のビルは違う様相を呈していた。ヘリポートでは艶消しされた黒々としたヘリコプターが着陸しており、その周辺には黒色のアサルトスーツに身を包んだ屈強な男が二人警戒するように直立不動で立っている。本庁警備部直属の特殊部隊であり、つい先ほどまで魔獣と邂逅し、そして美樹さやかを捉えた部隊の隊員だ。
「なあ」
「なんだ」
沈黙を破って男が隣の隊員に声をかける。普段はそんなことはしないのだが、今夜は違っていた。
「さっきのアレ…アレは一体なんだったんだろうな」
「さあな…俺にもわからん」
「俺、夢でも見ているのかな」
「…俺もそう思いたいが、違うぜ、ほら」
おもむろに左手をあげ、隊員が隣の同僚の腕を軽く小突く。小突くといっても鍛え上げられた猛者同士だ、本革のグローブと鍛え上げられた腕がぶつかり乾いた音を立てた。一般人なら思わず声をあげるような衝撃だが、隊員は少しだけ体を傾けるだけで声をあげることはなかった。顔バレ防止のマスクを着用しているため表情は見えないが、あきらかにその目は動揺しており、その目を見て小突いた方の隊員は肩をすくめた。普通なら決してこのような言動はしない隊員だが、あまりにもあり得ない非日常の光景を目の当たりにしたため、タガが外れているのだ。
「いってえな」
「だろ、だが『あいつら』には効かない…こいつすらな」
男は9㎜自動拳銃が収められたレッグホルダーを軽く叩く。彼等は魔獣の存在を知らない。サブマシンガンで両脚を撃ち抜かれても尚立ち上がり、彼等に襲い掛かった老人を脳裏に思い浮かべ、男は微かに震えた。目から口から鼻から人体のありとあらゆる人体の穴から光を発していたあの姿はもはや人間ではなかった。
「どこか…秘密裏でああいう化け物を作る研究がされているとか、そうなんじゃないか?」
最初に話しかけてきた隊員が震え声で己に聞かせるように言った。再び肩をすくめる男。
「さあな、だが…そうなるとあの女はなんだったんだろうな」
「ああ…あの女」
女、と一口で形容していいものか、正直男達にはわからなかった。一瞬だったが、確かに恐ろしいほど美しかった、実際あんな状況でなければ彼等は一様にあの女性に見惚れてしまっていただろう。長い黒髪、白磁の様な白い肌に整いすぎた容貌、光を放ちながら消えた老人を追ってすぐさま消えていったが、あの力もまた人のものではない。
「とても綺麗な女だったが、魔女か何かか?」
「いや、神様かもしれないぜ」
軽口を叩いているようだが、男達は本気だ。あり得ない通常の状態では受け入れきれない光景を目の当たりにし過ぎて、今まで絵空事と捉えていた超常現象に縋る様に答えを求めているのだ。彼らは実際半分正解を引き当てているのだが、それは永遠に知る由もない事だった。星の無い夜空を見上げ、肩を叩かれた隊員がぽつりと呟く。
「だとしたら、今日捕獲したあいつは化け物の仲間なのか?」
「『美樹さやか』か?わからん、ただうちの隊長と参事官の会話では、公安の刑事らしい、異例のスピードで刑事になった一人だ」
「凶暴な殺戮者には見えなかったがな…」
美樹さやかは今、このビルの地下に参事官と共にいる。目的は末端の隊員には告げられていないが、それでも同じ警察官、色々と思う所はあるのだろう。
「だが、あの暴力団員をあいつが全て始末していたとしたら?」
「そうだとしたら、やはりあの化け物の仲間なのか?だが尋問をするにしても、何故公安の秘密裏に保有しているこのビルに運んだのか、もしかしたら――」
腕をさすりながら隊員が言葉を続けようとしたが、急に隣の隊員がその腕を再び小突いた。
「おい、何す――」
だが男は二の句を告げなかった。小突いた隊員の驚愕に見開かれた目を見て、その視線を追うと男もまた同様に驚愕し固まったからだ。視線の先は星の無い夜空。
その夜空に何かが飛んでいた。蝙蝠よりもだいぶ大きく、人間のサイズに近い。それがこちらに向かってくる。ゆっくりとゆっくりと。
「な――」
長い黒髪をなびかせて、黒い扇情的な衣装に身を包んだ女性がこちらに向かってくるのだ、しかも宙を舞って。あり得ないその光景にただ隊員たちは茫然と動けない。夜目でもわかるその女性の恐ろしいほどの美貌、そして烏の様な黒い羽根。
すう、と音もなく着地すると、女性は右手で髪を梳いた。モデル然として腰に手を当て男達を見つめる、陰鬱な双眸もまた恐ろしいほど美しく。
「お前――さっきの…一体何者だ?」
ホルダーに手を触れながら、男が誰何した。さすが特殊部隊という所か、あまりの光景に茫然としているも業務を遂行することは忘れない。女は軽く小首をかしげ男を猫の様にじい、と見つめた後、艶のある唇をゆっくりと動かし囁いた。
「あのひとはどこにいるの」
すぐに察知したのだろう、隊員は黙り込む。す、と更に近づいてくる女性。
「動くな、撃つぞ」
無駄の一切無い動作で二人同時にホルダーから銃を取り出し、構える。だが恐れるそぶりなど一切なく近寄る女性。怯えているのはむしろ男達の方だった。屋上ヘリポートで対峙する特殊警備隊員と扇情的な衣装のこの世の者とは思えないほどの美しい女性の構図はまさに異様な光景で。地上から舞い上がる風で女性の長い黒髪が舞う。
「『美樹さやか』の居場所を教えてくれるのなら、あなたたちに危害は加えない、おわかり?」
「我々は答えない、答えられん」
女性の血の様な色の瞳が輝いた。ひ、と一人の隊員が声をあげる。女性の持つ禍々しい威圧感にあきらかに圧倒されていた。ほんの少し前、事件現場の地下室で彼女と邂逅を果たした
あおいが感じたものとそれは正に同じもので。彼等の隊長の持つ威圧感を軽々と凌駕するレベルのものだった。ただその場にいるだけで体は震え、声は掠れて。
「それなら、仕方ないわ」
女性はゆっくりと手を前にかざす。同時に隊員達から悲鳴があがった。銃を握っている手が動き、銃口が己の額の方へと向けられる。必死に阻止しようと反対の腕で銃口を抑えている姿は滑稽なパントマイムの様だ。
「や、やめろ…」
「あのひとはどこ?」
「ち、地下だ、それ以外は知らん」
「そう」
一斉に呪縛が解かれ、隊員達の手に自由が戻る。再び女性に銃を向けるも、そこにはもう誰もいなかった――