アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
本部長室の前でさやかは直立不動の姿勢を取っていた。ドアの傍には人事課の職員が立って中からお達しが来るのを待っている。
――夢みたいだわ
24時間前さやかは辞令交付を受けたばかりだった。だがあれからひどく長い時間が流れた気がする。濃い体験がそう思わせるのか、とても遠い昔のことの様に思えるのだ。
「朝早くからすみませんね」
ドアの傍に立っていた眼鏡の優男がさやかに話しかける。とても穏やかで腰が低いこの男は人事課長の右腕である係長だった。いえ、という様にさやかは苦笑しながら首を振る。どうして覆すように辞令交付を行うのかこの男にさやかは尋ねたかったが、おそらく答えてはくれないのだろうと見越して特に喋ることはしなかった。
ほむらの記憶操作は成功した。
あれから、あのビルに本庁から指示を受けた捜査一課が突入したが、榊をはじめ特殊警備隊の隊員らは一連の出来事のうちほむらや魔獣に関することそしてさやかの見せた力のことは忘却していた。正確にはただぼんやりと何かあったということは覚えているのだが、詳細が脳からはじき出されてこないという状態だ。何故美樹さやかを拘束したのか、何を行ったかも榊は答えられない状態だったという。さやかはそっとため息をつくと顔をあげ視線を彷徨わせた。
「美樹!」
と、いきなり低い荒々しい声がした。その声を聞いた途端、破顔するさやか。
「主任」
慌てふためいた様子で駆け寄ってくる大柄な初老の男性にさやかは嬉しそうに声をかけた。そうして慌てて軽くお辞儀をし、また笑みを浮かべる。その様子は、まるで親が現れて無条件で喜ぶ子供の体で。
「ったくこの馬鹿野郎がぁ」
「すみません」
迫力のある怒声もなんとも思わないのか、さやかは更に嬉しそうににこにこと笑う。もし美貌の悪魔がその場にいたとしたら、親子ではなく飼い主が現れ喜ぶ子犬と評しただろう。その笑顔を見て毒気が抜かれたのだろう、ちぇっ、と舌打ちした後、岡山はぱん、と軽くさやかの肩を叩いて獰猛に笑った。
「まあおめえが無事で良かったよ」
「はい、それとありがとうございます」
「は?」
「今回の異動…主任のおかげだと聞きました」
「…牧からか」
「はい」
辞令交付の事前説明として人事課に呼ばれたさやかはそこで牧と再会を果たしていた。さやかの脳裏に数分前のことが浮かぶ。
――――――――
『やあ、久しぶりだね美樹巡査長』
『お久しぶりです』
敬礼するさやかを見て、目を細める牧。
『私を覚えているかい』
『もちろんです、面接の時お会いしました』
『そうか』
牧に促されソファに座るさやか。コの字型で配列されたソファで対面で向き合う。
『今回はとても異例なことだが、これから始業をまたずに辞令交付を行う、要領は覚えているかい』
『はい、大丈夫です昨日行ったばかりですから』
『そうだな、昨日君は辞令を受け取ったばかりだったな』
『でも、だいぶ昔の様です』
『そうだろうな、私もだ』
ふう、と息を吐くと、牧は少しだけ険しい表情になった。
『美樹君』
『はい』
『君は約束を守れる人間だと見越して、私が知り得た事実を話す、今から私が喋ることはオフレコだ』
『了解しました、決して他言しません』
さやかの返事に頷くと、牧は語り始めた。彼自身が知り得たことと、そして今までのいきさつを。
『ちょうど一か月前、公安が私に働きかけてきた、君が欲しいとね』
『私を?』
『ああ、おそらく君の周りにも現れていたと思うが公安の星だ。しかも私に働きかける前に人事課を訪れ君の秘匿の人事記録を手に入れた。以前から公安の越権行為ぶりは目に余るものがあったが、まさにこの行為は許しがたいものだ』
両手を強く握り、鋭い目つきでマホガニーのテーブルを見つめる。
『だが彼の巧妙なやり方が功を奏した、公安の目的を少しだけ開示し君の能力が公安に有用であることを言葉巧みに私に語った。美樹君』
『なんでしょう』
『君は自分がどんな力を持っているのか考えたことはあるかね』
『力…』
牧の言葉に少しだけさやかは動揺する。
『彼――星は君が公安でこそ真価を発揮すると語っていた、そしてスーパーナチュラルを信じると』
『スーパーナチュラル…』
『もはや私の理解を超えていた、一体秘密裏に何が行われているのか疑問に思ったが、だがその要請には一理あると思い、君の異動を認めたのだ…だが』
渋い表情を浮かべる牧
『――だがそれは誤りだった、私とコンタクトを取った星は星自身ではなく、成り代わりの男だった。公安が何を行っているのか、誰も知らない。だがあり得ない非合法なことがまかり通っているのなら、それは許されざる行為だ、公安が言う「力」が実際君にどのように備わっているか、そしてその為に公安がどんなあり得ないことをしてきたか、まだすべてを把握したわけではない…だが、このような不正の上で成り立った人事は迅速に取り消し是正せねばならない』
長い溜息
『すまなかった、美樹巡査長』
『そんなことありません』
頭を下げた牧を見て慌てて立ち上がるさやか。そもそも彼だけの責任ではない、組織として動いた結果がこうなっただけなのだ。
『課長が尽力をつくしてくださったからこそ、こうして24時間後に辞令交付を受けることができるんです、お願いですから頭を上げてください』
しばらくそのままの状態が続く
『私は課長に感謝しています、あの時――面接の時も課長の尽力があったから、今こうして警察官になれたんだと思っています、そして今回も課長のおかげで私は警察官を続けられる』
『美樹巡査長』
『本当にありがとうございます』
さやかは牧の前で起立し、そうして深々と頭を下げた。その姿を見て、一瞬牧は目を潤ませて。
『わかった、そういうことなら頭を上げるとするか』
やや冗談めかして牧はそう言うと、何か思い出したように付け加えた。
『だが、君はとんでもない奴に好かれたようだな』
『え』
『君の以前の上司だよ、岡山――彼は私と同期でね、そのよしみをいいことに夜遅くに血相を変えて君をマル暴に戻せと怒鳴り込んできた、まったく参ったものだよ』
『主任が?』
『ああ、今回の人事異動は奴のおかげで早まったともいえるだろう、まあ、会った時にでも礼を言っておくといい』
『はい』
嬉しそうに相好を崩すさやかを見て、ふと口元を緩める牧。彼の娘も生きていれば彼女と同じ年齢になるのだ、普段よりも多少穏やかになるのも無理もないことだろう。牧は右手を軽く動かし、さやかにソファに座り直すように促す。
『今回の異動先は人事課だ、君は人事課付としてしばらく私の下で働いてもらう、しばらくといっても一週間程度だが』
『事件が落ち着くまでということですか』
『その通りだ、今回の公安の越権行為を監察が調べ上げる。それが落ち着くまで、そして異動先が決まるまでは人事にいてもらう…もし希望する部署があるなら言ってくれ、なるべく希望に沿うように働きかけてみよう』
『ありがとうございます』
『それじゃあ、今から辞令交付の準備を行う、君は本部長室へ向かいたまえ』
『はい』
さやかは立ち上がると、再び深々と頭を下げ、そうして回れ右をしようとしてやめた。何か言いたげに牧を見つめる。
『どうした』
『あ、いえなんでもありません、失礼しました』
回れ右をして、足早にさやかは人事課を後にした。